嫌われオメガが婚約破棄を申し出ました

田中 乃那加

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女王一人勝ち

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 皇大郎は絶望的な表情をした顔を片手で覆った。

 ああやられた、弟たちに丸め込まれたのだと悟ったのだ。

「一度、ちゃんと話し合わないとダメだよ。家族なんだから」
「そうだぜ。いつまでもこうしてるわけにもいかないだろ」

 迎えに来た健二と涼介の言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃。

 そんな簡単な問題ではないのだ。
 彼は散々酷いことをされてきた。もう耐えきれず、関係者の顔を見ることなく人生を送りたいとようやく逃げ出したのだ。

 それなのに信頼していた相手が裏では繋がっていて、仲直りとやらを勧めてくる。

 嗚呼、善意とはなんとも罪深く腹立たしく悲しいのだろう。

 ごく軽いが発情状態の体調不良も相まって、呆然とした様子の皇大郎の目にはうっすら涙の膜が張り始めていた。

 ――もう逃げる力もないや。

「大丈夫だから」

 そう言って健二に握られた手を振り払う余力すら残っていない。

 このまままたもとの地獄、いやもっと扱いは酷くなるだろうか。
 最悪、もっと劣悪な条件での政略結婚という名の身売りでもされるのではなかろうか。
 少なくとも自由ではいられない。
 
 この数ヶ月、本当に楽しかったと惜しむ気持ちに胸が張り裂けそうになった。
 
「皇大郎」

 声をかけられようやく顔をあげる。
 いつの間にか見知らぬところに連れてこられていたらしい。

 そこは少し古びた雑居ビルの中にある部屋のドアの前。
 
「失礼します」

 軽く頭を下げて入る彼らに連れられ、そして自分の後ろから送られる二人分の視線。
 
 ともに湿度の高い、じっとりとしたものに冷や汗が止まらない。
 ……なぜあの二人がここにいるのか。

 茫然自失となっている間に気づけば合流していた。
 
 彼の気分は死刑台に引っ立てられる囚人のようである。そんな彼の心境なんぞお構い無しに、少し錆の浮いたドアノブに手をかけられる。

『――どうぞ』
 
 静かな、しかし凛とした声がドアの向こう側から響く。どこかで聞いた事のあるそれに内心少し首をかしげるも、やはり引きずられるように足を踏み出そうとした時。

「ちょっと待て」

 焦ったように言ったのは弟の恭二である。

 彼の手と肩はなぜか涼介にがっちり掴まれており、さすがに事態の異様さに気づいたらしい。

「実家に連れていけと言ったはずだ。っていうかここはどこだよ!」
「ほら暴れない暴れない」
「離せッ、薄汚い手で触ってんじゃねぇよ!!」

 そして色々とわめいていたが、要約すると皇大郎を実家である屋敷に連れ戻すために一芝居打ってくれるという約束だったらしい。

 しかし思惑とは違い、共に強制連行されたのは駅近の裏路地にある古い雑居ビル。
 
 一方、高貴の方はずっと黙っているからこちらは騙されたわけではないのだろう。しかし時折、いやしょっちゅうチラチラとこちらを見てくるのがかなり気持ち悪いし不気味だ。

 しかも泣き顔で。あの冷酷無慈悲なクソ野郎とは到底思えぬ様子で。

 ――そういえばコイツ昔から……。

 そこで回想は途切れた。

「よくおいで下さいました。こちらへどうぞ」
「!?」

 聞き覚えのあるどころか見覚えもある若い女性が立ち上がり一礼する。

 そこは意外と小綺麗に改装された事務所であった。
 沢山の書類と本には囲まれていたがそれらはキチンと整理されていて、パーテーションで区切られた応接スペースも見える。

「お久しぶりです。御笠 皇大郎さん」

 長い髪は派手色のツートンカラー、ではなくきちんと後ろで束ねる黒髪。服もパンツスタイルのスーツに身を包んた颯爽とした出で立ちの彼女。

「まさかですけど田中、さん?」
「ええ。田中 歩夕あゆるです」

 本当にあの、地雷系ファッションの目つきの悪い女の子だろうか。
 にわかには信じ難い激変ぶりに、皇大郎は何度も目をこらす。

「お祖母様の恋人の……」
「そうです。なかなか衝撃的だったでしょう?」

 衝撃的どころの話では無い。
 しかしまだなにも分かっていない。なぜ歩夕がここにいるのか、そもそもここはどこなのか。

 今からなにが始まるのか。

「さてまずは今回ののご紹介をしましょうか」

 大仰な仕草で彼女がパーテーションの奥を手で示す。

「演者? その女はなんだ、オレはなんにも聞いてないぞ!」

 再び騒ぎ始めたのは弟だ。皇大郎の方に掴みかかる。

「お前ら揃いも揃ってナメやがって、オメガのカマ野郎のクセに馬鹿にするなよ!」
「恭二、落ち着けってば。僕も何がなんだかさっぱり……」
「うるさい。お前らこのオレを騙しやがって」

 こちらはすっかり皇大郎もグルだと思い込んでいるようで。
 なぜなら次にこう叫んだからだ。

!!!
「弁護士?」

 確かによく見ればその胸元にはあの花と天秤を象徴とした金バッチが輝いていた。

「覚えて頂けて光栄です。御笠 恭二さん」

 ある時は地雷系少女でまたある時は若いやり手の女弁護士、それが彼女の正体だと。

 不敵に微笑む彼女を目の前に、皇大郎は口をまるで金魚のようにパクパクさせることしか出来ない。

「別に騙したわけでも変装していたわけでもないんですよ。も単なるプライベートなわけですし」
「プライベート、ですか」

 ――ていうかやっぱりお祖母様のことは本当なんだ。

「ええ。結婚のご挨拶には素の自分でいたかったもので」

 そこでふと彼女の左手の薬指に輝く、ダイヤの指輪を見た。
 婚約指輪。シンプルなデザインでこそあるがそれなりのブランド物なのだろうか。

 自分意外が、しかも長年慕っていた祖母の結婚相手を目の前にして再び胸が痛くなる。

「やっぱりお前らグルだったのか!」

 弟の怒鳴り声で我に返った。

「あのクソババアと共謀して財産持ち逃げしやがって」
「お言葉ですがそれは彼女の正当な権利ですよ」
「うるさいっ、アンタがあのババアに入れ知恵したんだろ。おかげでこっちは大変なんだぞ!」
「それは長年、純代さんに経営を依存していたツケが発生しただけでは」
「人材の引き抜きまでしやがって。完全に恩を仇で返してんじゃないか!」
「恩を仇で、ね……

 歩夕がどこかへ呼びかけた時だ。

「それは心外だわねぇ。むしろ私は長年貢献してきたつもりであったのに」

 奥から出てきたのは純代であった。
 こちらも柔らかな色のスーツに身を包みにこやかに立っている。

「なるほど……全部お前の差し金だってことか」

 恭二が憎々しげに吐き捨てた。

「こいつ、お前が婚約破棄したのを知っててずっと監視してたんだぞ」
「それはお互い様でしょう、恭二」

 彼女の返答に彼は地団駄を踏まんばかりになり。

「この女もお前を捨てたんだ。オメガがあの家でどんな扱いになるのか知ってて放置した。それで挙句の果てに自分だけ多くの財産を持ってトンズラしたんだ。お前を見捨ててなぁ!」
「お、お祖母様……」

 心の底で燻っていた想いをあぶりだされてしまった。
 彼女には彼女の幸せがある。これは頭では理解していたはずだった。でもやはりどうにも苦しかった。
 
 慕っていた者から捨てられたのだという想いがずっと離れなかったのだ。
 自分は彼女のために望まぬ婚約をしたというのに。

「こうちゃん、ごめんなさい」

 彼女が静かに手を差し伸べてきた。

「これは言い訳になってしまうのだけれど」

 と前置きをして。

「貴方のことは本当に愛しているの。孫というより我が子のようにね。だからこそ何とかしてあげたかった」
「……」
「確かに私はあの娘と再婚するわ。でもそれもこれも貴方をこの現状から救い出してからのこと。そのためにいくつかの資産と会社をしたのよ」

 純代の決心は皇大郎がオメガとなってしまった時からであった。

 まだ御笠家の者として経営に携わっていた企業や、そこから新たに起こした会社を祖父死後の婚姻関係終了してからも手元に残しておくように手配したのだ。

 とは言ってもそれは一朝一夕で出来るような簡単な手続きではない。

 それに周りは言わば敵だらけである。
 慎重に手数を踏んでいく必要があった。

 そこで出会ったのが歩夕。

 当時は新人弁護士しとして付き合いの深い弁護士事務所で働いていた彼女に、色々な縁があって頼ったのだ。

 若いが知識と、なにより豪胆さがある。
 
 足りぬところは師である元の顧問弁護士に教えを請いつつ、ようやく目論見は成功したというわけだ。

「私たちは貴方を迎えに来たの」
「僕を……迎えに……?」

 その言葉に首をかしげる。すると彼女は可笑しそうに吹き出した。

「そうよ、貴方をうちの会社にと思ってね。あともし良ければだけど」

 ここで一旦言葉を切ってからゆっくりと息を吸う。

「御笠家から出て、私たちの養子になるこことも考えてみて欲しいの」

 ――養子……?

 思いもかけない言葉。
 誰が誰の、いやそもそもあの家を出るという意味は。

「もう貴方をあの家で苦しめたくないわ」

 御笠家という重い枷のようなものに囚われて欲しくないという。
 確かにそうだ。
 御笠 皇大郎でなければオメガであることにここまで苦しめられなかったかもしれない。

「それにお母様はずっと貴方をアルファからアルファに戻すためのと主治医に指示をしていたようです」
 
 歩夕が淡々と言う。

 それによると合わない抑制剤に必要のない薬の数々は、いわば治療という名の人体実験のようなものだったと。
 
「そんな身体と心に負担のかかることを本人無断でするより、ちゃんと我が子に向き合うようにと言ったのだけれど」

 聞き入れられることはなく。
 そして精神的にも病み始めた母親の隙をつくように、弟があの縁談を持ち込んだのだ。

 自分こそ御笠家の跡継ぎであることを確固たるものにしたいと。

「私はね。こうちゃんは私の大事な子だっていうのは変わらないわ」

 純代の言葉に目の奥が熱くなった。しかし。

「騙されるなよ! この女こそ兄さんを騙そうとしてるんだ。オレなら今の生活をずっとさせてやってもいい」
「今の生活……?」
「そうだ。ここにいると今まで通りに暮らしたらいいじゃあないか。オレはちゃんと兄さんの幸せを願ってるよ。それに彼だって――」

 恭二がそう言ったと同時に、隣にいた高貴が勢いよく膝を床につけて土下座した。

「本当にごめんなさいっ、俺……あんな恐ろしいことを……お前に何回も……」

 ぽろぽろと涙を流し謝る男に、どうも気持ちが追いつかない。

 ――ほんとにこと人、あの高島 高貴なんだろうか。

 顔も声も同一人物に見えるがまったく別人なのではないかと思うレベルなのだが。
 そんな戸惑いが伝わったのか、健二が意味ありげに肩なんかをすくめて。

「どこかででも受けてきたんじゃあないかな」

 なんて笑っている。
 いよいよワケがわからなくなるが。

「と、とにかく! そんな赤の他人のババアよりオレを選んでくれ。家族だろ!? 血の繋がった弟のオレを――」
「恭二」

 皇大郎は一際大きな声で彼の名を呼んだ。

「僕とお前は確かにお互い唯一の兄弟だし、血の繋がりのある家族だ」
「兄さん!」
「……でも、もう許せないんだよ。僕はお前も、高貴のことを」
「!?」

 どんなに悪役が落ちぶれようと勧善懲悪で泣き叫ぼうと、受けた心の傷が癒されるだろうか。

 答えは否、である。

「恭二、お前はいつも他人の人生をまるでゲームかなんかのように壊したり弄んだりしてきたよな。ずっと見てきて、ちゃん正せなかった僕も兄として失格だったと思う」

 他者を蹴落としてでものし上がる、目的のためなら騙すことも上手く立ち回ることも構わない。
 これはきっと親の背を見て学んだことでもあるのだろう。

 皇大郎だって、純代という存在が無ければ。または彼女に対してもっと悪感情を抱いていれば弟と同じ人生を辿っていたかもしれない。

「僕はもうこの苗字を捨てる。一から出直したいんだ」 
「お前っ……!」

 怒りとも憎しみとも悲しみつかない表情の男たちを見ながら、彼は淡々と語る。

「改めてちゃんと直接言うよ。高貴さん、貴方との婚約は破棄させていただきます。理由はもう分かってますよね」
「そんな! 頼むっ、捨てないでくれ……俺……たろくん、俺と結婚するって約束しただろ!?」

 ――あぁ。

 そこで彼は、はじめて気付いた。
 ずっと感じていた違和感に。

「君は、こうちゃんじゃないよ」
「え?」
「こうちゃんは、君じゃない」

 最初から本能で理解していたのかもしれない。
 人形のように可愛いこうちゃんとはあまりにも違いすぎた。

「君はタカキ、だよな。あの時の泣き虫で意地悪だって有名なクソガキ」
「なん、で……」
「なんで今まで分かんなかったんだろうね。でも今わかったよ」

 浅い呼吸を繰り返す、顔面蒼白の男はきっと自分の一番知られたくない嘘を暴かれてショックなのだろう。

 しかし皇大郎には知ったことでは無い。
 彼はもう前を向いて生きていかなければならないのだ。

「じゃあ交渉成立ね」
「ふざけんなよッ、馬鹿ども!!!」

 純代が言うやいなや、恭二がまた食ってかかる。

「このままじゃ終わらせないぞ。絶対にお前らを全員後悔させてやる。御笠家を……オレをナメるなよ……こんな弱小弁護士事務所なんてすぐに潰してやるよ!」

 なんともまあ哀れな悪役の断末魔だろうか。
 しかしまるで女全のような優雅な仕草で少し考える素振りを見せた純代は、次に口元だけで笑ってみせた。

「それはご自由になさいな。でもこちらも武器もなく戦っている訳でもなくてよ?」
「っ、く……」
「御笠家がずいぶんと荒っぽいことをしてきたのは理解してるわ。不正も法律違反も数えればキリがないくらいに」

 あの祖父に気にいられただけで結婚出来たわけでも、後妻ゆえに経営を任されたわけでも。果ては祖父が死んだあとにすぐに追い出されることがなかった理由の一つでもあったりするとかしないとか。

 きっと彼女も限りなくグレーゾーンを歩いてきたのだろうが。

「雉も鳴かずば打たれまい、っていうことわざがあるのよ日本には」

 その言葉で打ち砕かれたのか恭二は唇を噛み、床に膝をついて崩れ落ちたのだった。

 すべてが彼女の一人勝ち、という結果であろう。

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