上 下
17 / 32

オメガの子は②

しおりを挟む
 

 ※※※

 一体どこで間違えた。
 そう自問自答する間さえ与えられない。

 ――約束を違えたお前が悪い。

 剥き出しのうなじに歯を立てられる瞬間、そんな声が聞こえた。否、きっとそれは皇大郎自身の心の声で自責の念だ。

『やめろっ……やめてくれ!』

 押さえつける腕は強く、同じ男なのに体格の差を見せつけられているようで屈辱だった。

、なんでこんなことを』
『たすけてくれ! だれか、来てくれ!!』
『こんなことしてタダじゃすまないぞ。絶対に後悔させてやる』
『痛い゙痛い゙痛い゙ッ、や゙だっ、離せぇ゙!』
『君もアルファだろう。こんなことで人生を棒に振るなんてどうかしている』
『ひっ、ぃ゙、あ゙、あ゙、だすげてっ、も゙ぅ、や゙だァッ、じだぐない゙ぃぃ』

 交互に聞こえる声は全部自分のもので頭を抱えたくなる。

 ――なんだこの夢。

 そう夢なのだ。それだけはわかる。
 しかし今までのどの場面とも違う、はひたすら暗く何もない。でも自分と悲鳴や怒声が交互に響いてくる。

『そんなところでなにしてるんだ?』
『な……なにを、飲ませたっ……ぁ゙』
『貴鳥 高貴って。へぇ! 君があの。男だってのは知ってたけど、えらく大きくなったよね。僕? バカ言うなよ、これでも結構身長あるんだからな』
『あっ……そんな……とこ、さわんなぁっ、ひ、ひぁっ!? なん、で……そんな』
『結婚? なにいってんだ。君もさしずめアルファだろ、だいたい僕には恋人がいるんだ。オメガの可愛い子でさ。君にもいるだろ、だって――』

 耳を抑えてその場にうずくまりたかった。
 でもなぜだか今の皇大郎には何もない。手も足も頭さえも。

 意識だけが浮遊しているような妙な感覚。気持ち悪くて吐き気が止まらないのにどうすることも出来ないのだ。

『そうだ、今度紹介しようか。彼女の姉もオメガでさ。知ってるだろう、あの楠木家だよ』
『あ゙ぁぁぁっ、や゙らっ、やめ゙てっ、もうイ゙ぐのや゙だぁぁ』

 ――もうやめてくれ!

 皇大郎はたまらず叫んだ。







 ※※※

「くらえ。濡れタオル」
「!?!?!?!?」

 ひんやり冷たく濡れたものを顔にぺたぺたされて飛び起きた。

「っ、な、なん、なに!?」
「おはよー。っても夜だけど」

 目の前に現れた顔と声。それは見慣れない姿で。

「へ?」

 耳の辺りにツインテールをたらした、鳶色の瞳が印象的な美少女。歳の頃は十歳程だろうか。

 小学生の知り合いはいないし、もちろんこの少女のこともはじめて見た皇大郎は突然のことに状況判断で出来ずにいた。

「あの」
「寝ぼけてんの? あーあ、ママったらまた拾ってきちゃって」
「へ、変なのって……」

 随分な言われようだが、まずここはどこだろう。
 辺りを見渡そうと視線を回すと。

「うっ」

 一気に吐き気とめまいが襲ってきて思わず布団を敷いた床にうずくまった。

「もしかして吐きそう?」
「と、トイレ……」
「待ってて」

 少女は皇大郎の言葉をフルシカトして奥に駆け出していく。

 ――ここ、本当にどこなんだ。

 寝かされていたであろう布団も部屋に敷き詰められてる絨毯も。あとようやくチラリと眺めた部屋の景色も全部見覚えの全くないもので。

「はい洗面器。トイレまでもたないでしょ、それ」
「え……」

 やおらに差し出されたのは洗面器にご丁寧にもポリ袋をつけたもの。
 どうやら吐くならそこで吐けということらしい。

「あ、吐いたあとには水分とってよね。枕元にスポドリとお茶、置いといたから。どっちでも飲めるもの飲んで」
「あ、あの」
「二日酔いの特効薬はないの!」

 ビシィッと指さされる。

「だ・か・ら安静第一。あとでママ特性の味噌汁温めてあげる」

 そう言って少女はこちらにランドセルをもってきた。

「あ、ありがとう。でも僕、なにがなんだか……」
「なんにもママから聞いてないの?」

 ママとはこの子の母親のことだろうか。だとしても皇大郎には身に覚えがなさすぎて頭をひねる。

「大西 朱音あかね、それがアタシの名前。うちのママが店で酔っ払って倒れちゃったお兄さんを連れてきたんだよ? 」

 本当に覚えてないの、という表情の少女を前に彼はハッとなった。

「大西って……健二さんの娘さん!? てかあの人、こんな大きな子がいたんだ」

 年齢こそ知らなかったが、三十前に見えたのに。そこでふと彼がオメガであった事を思い出す。

 ――産んだのかな、あの人が。

 オメガは男でも子を産むことができる。それが目の前に突きつけられたかのようで、なんだかまた胸が重くなる気分なった。

「顔色悪いね、一度吐いとく?」
「そんな一杯飲んどく? みたいなノリで……」
「あはは。お兄さんってばおもしろい」

 ケラケラとした明るい笑い方はたしかに親子かもしれない。顔だって可愛いし、もしかしたらこの子もオメガかもしれないと思うと少しホッとした。

「ごめんね。君にも君のお母さんにも迷惑かけて」
「ううん、良くあることだよ。ママったら可愛い子はいつもしちゃうんだから」
「お、お持ち帰り……」

 ずいぶんマセているようだが小学生とはこんなものだろうか。
 そうこうするうちに朱音はランドセルからノートやら筆箱やら出してきた。

「宿題?」
「そ、アタシ勉強嫌いなんだけどやんなきゃママに怒られるから。怖いんだよ? ゲンコツしてくるし」
「へえ、意外だな」

 ああみえて肝っ玉母ちゃんなのかもしれない。
 
「ねえアンタ、名前なんていうの」
「え?」
「な・ま・え! まさか無いわけじゃないでしょ。野良猫じゃないんだから」
「あ、うん。あるよ」

 ズケズケと言われ少し押されながらも自己紹介をした。

「ふうん皇大郎……じゃ、たろくんね」

 ――たろくん、か。

 あまり呼ばれたい呼び方ではない。でもそんなことを子どもにいうのもはばかられて、皇大郎は大人しくうなずいた。

「朱音ちゃん? はこの時間いつも一人なのかな」

 時刻は八時。きっと健二が店に出ている間、ここはこの子だけになる。
 少女は慣れた調子で。

「そうだよ。あ、でもたろくんは?」
「違うって……」
 
 そこで突如として強い圧と、嗅いだことのある強い匂いを感じて身を震わせた。

 ――こ、これは。

「わかる? わかるよね、ママがいつもお持ち帰りする人は男でも女でもオメガしかいないから」
「っ、君、はもしかして……!?」

 少女は鷹揚にうなずいた。

「アタシはアルファ。これってフェロモンっていうんだって。よくわかんないけど、普段はしちゃ駄目なんだけど。たろくんにはいいかなって」
「な、なんで……」

 これはアルファが他人を威嚇するようなものとは少し異なり、オメガを屈服させ喰らいつくためのものだ。
 
 酔いが覚めたはずの頭にまたモヤがかかり、ぶるぶると手足が震えてきた。

「なんでって」

 朱音は少し首をかしげて考える素振りをしたあと。

「んー、何となく? お兄さんの顔みてるとなんかイジメたくなっちゃうんだもん」

 と子ども特有の残酷そうな顔で笑った。

 ――なんてことだ。

 小学生の女の子に襲われるなんて。それほど皇大郎のオメガフェロモンが合わない抑制剤によって漏れた状態になっているのだが、彼自身がそれに気づいていない。

「たまにねアタシのこと襲おうとするヤツがいるの」
「……ぇ」
「でもをすると逃げていくから。でもたろくんのはちょっと違う、かも」
「あ、朱音ちゃん落ち着いて」

 ただならぬ空気と彼女の表情に、ジリジリと部屋の隅に追い詰められていく。

「ねえ、逃げないで。たろくんってば、すごくいい匂いがするよ」
「待って! ね、落ち着こう? 僕は男だよ、危ないから」
「危なくないよ。たろくん、なんだか
「!」

 逃げるなと言わんばかりの威圧。ダラダラと汗がしたたる背中を壁に押し付け、皇大郎は逃げにようにも二日酔いとフェロモンによって立ち上がるのもままならなくなっていた。

 ――どうしよう、これはヤバい。

 本当に力でどうこうなるとは思っていない (しかしそれも彼の見当違いなのであるが)。
 しかしこれを他人が見たら?
 オメガ男性がアルファ少女をフェロモンで惑わせたと世間はみるだろうか。

 これ以上失うものはないと豪語していたがそれこそ間違っていたのかもしれない。

「たろくん?」
「ば、バカなことはやめてくれ」
「バカじゃないよ。アタシ、好奇心旺盛だって先生に褒められたことあるんだよ?」

 彼女が肉食獣さながらに舌なめずりした瞬間だった。

「……いい加減にしな。お前の好奇心旺盛ってやつは先生に怒られた時のやつだよ、バカ娘」
「!?」

 突然後ろから現れたのは健二。平然と、朱音の脳天にゲンコツをくらわせた。

「いったーい! ママってばゴリラなんだからぁ」
「かわいこぶるんじゃないよ、まったく。初対面の人間をいじめるのをやめなって何回言ったと思ってんのさ」
「だって可愛いんだもん☆ ママだって可愛い一人娘が襲われたら嫌でしょ」

 呆れ果てた健二の言葉にもへこたれる事無く、むしろニッと笑って言い返す娘。

「むしろお前が襲おうとしたのに?」
「イヤだなぁ。ちょっとからかっただけじゃん。だってたろくん、イジメたくなるんだもん」

 そもそも確信犯だったらしい。
 ポカンと座り込む皇大郎をよそに、親子の言い合いは続いていた。
 
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

欠陥αは運命を追う

豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」 従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。 けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。 ※自己解釈・自己設定有り ※R指定はほぼ無し ※アルファ(攻め)視点

普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。

かーにゅ
BL
「君は死にました」 「…はい?」 「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」 「…てんぷれ」 「てことで転生させます」 「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」 BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。

侯爵令息は婚約者の王太子を弟に奪われました。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...