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悪役令息が婚約破棄をするまで②

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 祖母の純代すみよは若い頃、それはもう美しい女性であったらしい。
 
 祖父と結婚した時はすでに四十歳も超えていたが、その当時ですら華やかで朗らかで。そして笑顔がとても綺麗な女性であったと、皇大郎は記憶している。

「久しぶりね、こうちゃん。少し痩せたんじゃあないの」

 あの時の大輪の花のような笑顔で、彼女は目の前にいた。

「お祖母様……?」

 どうして、なぜ、こんな所に――。
 
 疑問符が脳内を飛び回り、それなのになにも訊けない。驚き過ぎて言葉がでないのだ。



 それは平日の夕方。
 窓際部署なので定時には終業なのではあるが、だからといって一人ぼっちの家にさっさと帰る気にもならず。
 駅前のチェーン店の本屋に入り一冊の本を買った。

「さて、と」

 そしてそのまま隣にある、これまたこじんまりとした喫茶店に足を向ける。
 いつも通る道なのに気づかなかった。古めかしく、他の建物や店の影に隠れてしまうかのようなたたずまい。

 ――入ってみようかな。

 買ったばかりの本も読みたいし、なによりまだ帰りたくない。
 誰かが待っているわけでもない自宅。通いの家政婦は仕事を終えるとさっさと帰ってしまうから、最近顔を合わせることもない。

 皇大郎は小さく息をついた。

 どうして自分はこんなに孤独なんだろう。
 家族とは分かり合えず婚約者にも邪険にされる。職場はもはや地獄でしかない。
 
 自分を憐れむのは嫌いだし、アルファ時代は売られた喧嘩はそこそこ買うよう性格だったのだが。

「お祖母様、元気かな……」

 どこの病院にいるのかも教えてもらえなかった。
 いっその事、近くの病院を全てしらみ潰しに探してやろうかと思った矢先に連絡があった。

 普段なら決してとらない公衆電話からの着信。
 なにか予感めいたものを感じて出た。

『久しぶりね。こうちゃん』

 懐かしい声に幻聴を疑ったほど驚いた。

『今は入院中だけど心配しなくていいのよ』
 
 入院中、の言葉に心は重く沈んだが祖母の方は歌いだしそうなほど明るくて。

『あ、また連絡するわね!』

 しかしそう言ってすぐ通話が切れてしまう。
 そこから何度かかかってきた電話。いつも慌ただしく、それでいて楽しそうに終える。
 
 そこでようやく近況を知ることができた。
 現在、祖母は隣町で入院しているという。どこの病院かは聞いてもはぐらかされ、いつも教えてもらえなかった。

 この喫茶店の前を通ってふと純代を思い出したのは、彼女がらこういうレトロな店が好きで一度だけ連れていってもらったことがあったからだ。

 ――いつかお祖母様が元気になったその時はまた……。

 きっと喜ぶだろうな、とふと通りに面した窓に目を向けたその時だった。

「!?!?!?」

 そこで目にした光景。あまりの衝撃に大きく目を見開き固まってしまう。
 
「お……ば、ぁ、さま?」

 窓からにこやかに手を振る女性。鮮やかな浅葱色のトップスすら目に入らない。ただその顔を凝視していた。

 こっちへきて、と唇が動いたのがわかる。
 彼は弾かれたかのように飛び上がり、そして駆け出した。

「いらっしゃい」

 少し重めの扉を力任せに開き、カランカランと跳ねるように鳴ったドアベルに驚くこともなく初老の店主がのんびりと言った。

「ホットコーヒーひとつ!」

 それだけ叫んでなりふり構わず店内を早歩きする。

 ――幻覚? じゃないよな。

 入院しているはずの祖母がいた。窓際の席に座り、優雅に微笑んでいたのだ。

「っ、どこだ」

 さっきの場所と思しきボックス席を探す。
 こじんまりとした店の中、そこはすぐに見つかった。そして。

「お祖母様!」

 やはり、いた。
 彼女が好んでいた浅葱色の薄手のニット姿。
 彼女はゆっくり顔をあげるとまるで眩しそうに目を細めた。

「久しぶりねぇ、こうちゃん」

 その言葉が耳に入った瞬間、すべてが吹き飛ぶ。
 聞きたかったことも言いたかったことも。全部口から零れ出ることなく、ただ込み上げて溢れた涙が頬を濡らした。

「おばぁ……さま……僕……」
「ごめんね。ずっと待たせてしまって」

 いきなり泣き出してしまった孫に動揺することもなく、純代はそっと白い手を差し伸べた。

「この前、ようやく退院できたの」
「そうなんだ……」
「お医者様も私が認知症だ、なんて言い出して大変だったのよ? 危うく施設送りになるところだったわ」
「認知症!? そんなわけない!」

 聞かされてゾッとする。
 やはり一族の邪魔者として追い出す算段はされていたのだ。そんなことも知らず、弟や親達の言いなりになっていたなんて。

 濡れた目元をぬぐい唇を噛む。

「それでね。
「へ?」

 ケッコンスルコトニシタ、ケッコン、結婚、結婚――。

 頭の中で結婚の二文字がぐるぐる回るがなんの意味も理解出来ず、もはや宇宙猫状態となった。
 しかしたっぷり十数秒後。

「ちょっ、ぅえぇぇぇぇッ!?!?」

 目ん玉ひん剥いて叫ぶ皇大郎に純代がのんびりと。

「あらあら駄目よ、大きな声出しちゃ」

 と笑う。しかしそれどころではない。

「けけけっ、結婚んん!? どういう事ですか! お祖母様が? お祖父様のことは!」
「あらやだ。あの人はもう亡くなってしまったわよ、可愛い年下の妻を遺してね」
「そ、そうですけどっ。もしかして御笠家を出るんですか」
「結果的にはそうなるわね。でも出たいから結婚するんじゃあないのよ、順番が逆。結婚はしたいし、するの」
「結……婚……?」

 もう理解が追いつかない。
 久しぶりに会った、血は繋がってはいないが最愛の祖母が嬉しそうに結婚すると言い出すのだから。

「そうだ相手! 相手は誰なんですか!?」

 相手がいなきゃ結婚はできまい。とすればその相手の面ひとつでも拝まないと話にならないだろう。

「はいはい、ちょっと失礼しますよ」

 今度はいきり立った彼の元に店主が。

「是非お座りください」
「あ、すいません……」

 ずっと立ち話をしていたことに皇大郎は顔を赤くしながら、ようやくボックス席に腰掛けた。

「あの、騒いじゃってごめんなさい」
「大丈夫ですよ。ごゆっくりどうぞ」

 柔和な笑顔の店主は、香り高い湯気を立てたコーヒーカップを置いた。

 繊細なレースのような絵柄のそれは、クラシカルな店によく似合っている。

「ここ素敵よね」

 店主が立ち去ったあと、純代が少女のように微笑みながら言った。

「昔、一度だけ一緒にいった喫茶店に似てるのよ。あのお店はもうとっくに無くなってしまったから懐かしくて」

 ああやはり彼女も同じことを考えてくれていた、と嬉しくなった。
 思わず少し鼻をすすりながら、皇大郎はコーヒーに手をつける。

「……美味しい」

 ぐちゃぐちゃに掻き回された感情も、日々に擦り切れ疲弊した精神も癒してくれそうな味。
 コーヒーの善し悪しなんてものはあまり良く分からない。実家ではコーヒーより紅茶を嗜む方が多かったからだ。
 
 それに街の喫茶店に入るなんてことはほぼなく、飲むとしても高級ホテルのラウンジでくらいか。
 しかしあんな所は雰囲気と景色に金を払うようなもので、茶なんぞは家で飲むのが良いと堅物な祖父は顔をしかめていたことを思い出した。

「あの人はほんとに喫茶店が嫌いでね。そこだけは気が合わないところだったわねぇ」

 そんなことを言いながらもどこか寂しそうにカップの端を指で拭う仕草になんだか妙な色気を感じ、皇大郎は一瞬だけたじろいだ。

「ねぇお祖母様。結婚というのはどういうこと? 本当に御笠家を出るつもりなのか」
「あの家は私が留まることを良く思っていなかった事くらい、ちゃんと分かっていたわよ」
「それは……」
「あの人が生きてる時は全部納得もしたし覚悟もしてたの」

 しかし愛する人は死んでしまった。それもまた覚悟の上。なんせかなり歳上の夫だったのだ。

 純代は少し考える素振りをしてからまたカップの縁を指でなぞった。

「でも出会ってしまった」
「え?」
「運命よ」

 内緒話を打ち明けるかのようなイタズラっぽい顔で見つめられ、不意に皇大郎の心臓が跳ね上がる。

 これは恋だ、と否応なしに理解させられる表情。

「どこの男ですか」

 彼女から過去のしがらみや覚悟を引き剥がし、新しい人生を歩みたいと思わせるほどの人間は。
 
 きっと自分がかなりみっともない顔をしているのは彼も自覚していた。
 ありたいていに言えば嫉妬。
 祖父以外に自分だけが理解出来ていた、愛していた、尊敬していた祖母だったのにと。

「そんな顔しないで。なにもこうちゃんが――あっ!」

 純代はちらりと窓の外に視界をやったらしい。
 驚いたような、しかし口の端目の端に喜びを滲ませて立ち上がる。

「来たわ」

 その言葉に慌てて皇大郎も外を見るがそれらしい男はいなかった。
 しかし数秒後、静かなドアベルの音とともに。

「いらっしゃい」
「……ホットコーヒーを」

 と注文するせっかちなやり取りが聞こえる。

「こっちよ、こっち」

 祖母が手をヒラヒラと振った。
 そして現れた相手に、彼はまた驚愕し唖然とした。

 
 



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