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悪役令息が婚約破棄をするまで①

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 女を、とくに集団を敵に回すと恐ろしいということを身をもって痛感した皇大郎なのであった。

「悪いわね~? わざわざ社長夫人をお呼びだてして。あ、婚約中ですわね、それも婚約者に相手すらされない可哀想なお飾りですものね」
「うふふ、そんなハッキリ言ったら可哀想よ」
「あ、早く給湯室の蛍光灯変えてくれない? あんた達、庶務三課の仕事でしょ」
「そこの掃除もお願いね、清掃業者より手軽だもの」

 一日に内線にて何度も名指しで呼びつけられ、そのたびにネチネチ嫌味と罵倒を言われる。
 
 課長は課長で、矛先が皇大郎だけに向いているのを幸いに完全放置だ。課内も揉め事はごめんと見て見ぬふり。

「はい、今すぐ――ゔっ!?」
「ごめんなさいね~。邪魔な所にいるから足が当たっちゃったわぁ」
「す、すいま、せん」

 いくら男でもヒールで足をグリグリと踏まれたら痛いに決まっている。
 しかもセクハラも多く。

「男のクセに弱々しいのね。本当にのかしら」
「ちょっ……や、やめてください」

 いきなり躊躇いなく下腹部を足蹴にされ思わずうずくまる。幸い急所には当たらなかったものの、そこを強かに攻撃され悶絶したこともあった。

 しかしここは秘書課。
 副社長以下、役員などの秘書もいるのである種の権力を持っていた。
 
 なぜなら彼女らの大半が、いわゆる偉いさんの愛人だったりするからである。

 誰も助けてくれない。むしろいい気味だとわらって見ている者もいた。
 
「あははっ、こいつ本当に情けないわね! こんなんで桐生様と楠木さんに刃向かったなんて」
「ほら何とか言いなさいよ、このオカマ野郎」
「あらあら辛辣ねぇ。でも間違ってないから仕方ないわ」

 どれだけ嘲笑されようが罵倒され暴力もセクハラもされようが、皇大郎は決してこの前のことを詫びたり撤回したりはしなかった。

「っ、し、失礼します」

 ひたすら耐える。
 婚約者のためではない。祖母のため、そしてプライドのためだと己に言い聞かせながら。

 現に何度か祖母と電話で話をした。
 現在は病院で、聞く限り元気そうにしているようだ。

 安心するとともに、貴方はどうなのと訊ねられた時は曖昧に濁すしか無かった。
 言えるわけもない。
 
 したくもない結婚の約束をして、勤めたくもない会社で毎日苛められているなんて。

「はーい、邪魔するよ」

 ノックもなく突然開けられたドア。無遠慮な声とともに現れた姿に秘書課の面々だけでなく、皇大郎も驚き固まった。

「田荘先輩……」
「どこほっつき歩いてんの。はやく戻ってこいっつーの」

 右手になぜか掃除用モップ。左手には大きなバケツという出で立ちの彼女。

「うちの新米を回収しにきましたー」

 間延びした声とは裏腹に無表情な顔で彼女たちを見回している。

「ちょっとなによアンタ。こっちは呼んでないわよ!」

 気色ばんだ取り巻きの声に田荘は、ふんと鼻で笑う。

「そりゃあコイツはうちの新米なんでね。まったくトロくて嫌になっちまいますよー。だから今度からあたしがこちらの担当になります。あ、課長には話通しとくんで」
「なに勝手なこと――ッ」
「……お待ちなさい」

 桐生が怒りに声を荒げた取り巻き女を抑え、静かに前に進み出た。
 飄々としている彼女をジッと見つめて口を開く。

「貴女は田荘さんとおっしゃるのね。初めまして、桐生と申します」
「さっき言った通りにコイツは連れて帰りますので」

 表情こそ互いに変わらぬものの、その空気はピリピリと痛いほどである。
 そこで皇大郎は気づいた。

 ――まさか田荘先輩もアルファ!?

 オメガの嗅覚がとらえたのは二人分の香りだ。
 フェロモンは人それぞれに特徴があって、それを嗅ぎ分ける事ができるのもオメガである。

 桐生もだが田荘も女性のアルファだった。
 彼女がどれだけ問題を起こそうが解雇を言い渡されたことがないのは家柄だけではなかったのだ。

 しかしどうして今まで気づかなかったのだろう。
 
 それなりに一緒に居たはずなのに。
 というか庶務三課のみんなは知っているのか。少なくとも課長は知っているはずだ。

 しかしオメガとアルファを一緒にしておくなど普通では考えられないのだが。

「……」
「……」

 見つめ合う時間が数十秒。
 その間、騒いでいたはずの彼女たちは固唾の呑んで見守っている。

 威圧と威圧。まるで肉食獣同士が牙を剥きながら睨み合って威嚇し合うかのような。
 ベータである彼女らがこんな状態なのだ。皇大郎は冷や汗を通り越して、立っているのもやっとなくらい震え上がっていた。

 ――この空気、帰りたい。

 龍と虎の戦いのような物々しさはその場にいる者たちにしか分かるまい。
 しかし当人たちは顔色ひとつ変えないのだ。むしろ桐生は薄く微笑んですらいる。

「せ、先輩……」

 あまりの緊張感に限界ですと弱音を口にしかけた時だった。

「帰るよ」

 短い言葉とともに田荘の方が先に背を向ける。

「あ、あの」
「帰るって言ってんの」

 そう言い捨ててさっさと歩き出してしまう。
 皇大郎は慌ててその背中を追った。

「っ、待ってくださいよ!」
「早く来い。ていうか、ここにはもう来なくていい」

 秘書課を出て、廊下でも歩く速度は変わらない。元々歩くのが早い人だが、今日は半ば小走りしている。
 
「……あの女、ムカつく」

 田荘が舌打ち混じりにそうつぶやいたのを彼は知らなかった。
 


 そこから社内いじめがすっかり無くなった――わけもなく。

「ひっ!?」

 秘書課の面々がどんな噂を流したのか知らないが、今度は他部署の男たちからのセクハラを含んだ嫌がらせを受けることが増えた。

 数人乗っているエレベーター内にて、小さく悲鳴をあげている。

 ――くそっ、社内で痴漢なんかすんなバカ!

 こちらを囲むような位置にいる数人の男たちがニヤニヤ笑いながら視線を合わせていることから、こいつらが犯人だろう。
 
 強かに衣服越しに尻を触られる。
 
 通りすがりに卑猥な暴言を囁かれることもあった。
 周りはクスクス笑いながら意地悪く見ているだけ。

 女たちからはやはりあからさまにヒソヒソされたり、汚いものでも見るような目で睨まれたりもした。

 流されている噂はどれも根も葉もないもので、皇大郎は訂正する機会さえ与えられない。

「おい、お前。金払ったら性処理してくれんだろ」
「営業部長のアレも咥えたんだって?」
「なぁホントに粗チンだったのかよ」
「粗チンでも好きなんだろ、だってこいつガキの頃からやってたんだっつー話だし」
「アルファ様がねぇ。あ、元だったか」

 アルファのくせに男を咥え込むのが大好き。家柄の良さの影では、欲望のままに脚を広げ男たちを誘う淫乱だと流布されたのだ。

「ち、ちが……っ」
「違わねぇだろ、クソビッチ。婚約者様に泣きつくか? 愛想尽かされて放置されてるって聞いてるけどよォ」

 嘲笑いながら背後で囁いてくる男がたまらなく憎い。これは否定出来ないからだ。

「それにしても社長も気の毒だよなぁ。こんなの押し付けられて」
「金持ちってのも大変なんだな。ま、だから多少なんかしてもお咎めなしだってよ」

 これら全て、あの秘書課の女たちが流した噂だろう。
 見事に敵にしたくない相手を敵に回してしまったのだ。

「おいおい、あんまりやりすぎるなよ。泣いちまうぜ、なんせオメガなんだから」
「やめろよ。男のオメガなんて気色悪ぃ」

 どうしてここまで侮辱されなければならないのか。いい加減腹が立って、皇大郎は彼らをキッと睨みつけた。

「何を聞いたか知りませんが全部デタラメですよ、バカバカしい」
 
 否定したって黙っていたってこの嫌がらせがおさまるとは思っていない。
 だったら否定した方が精神衛生上は良い。
 だからって彼らがハイそうですかと大人しくしているわけがないのだが。

「なんだテメェ、その口の利き方。オメガのくせに生意気じゃないか」

 そう凄まれても持ち前の気の強さで怯まない。

「デタラメだからデタラメだって言ってるんだ。僕は誰彼構わず誘う様なことはしないし、性処理が目的なら他所へ行ってくれ」
「なんだコイツ調子に乗りやがって!」

 一人の男が青筋立てて怒り出した。殴りつけるのだろう、拳をにぎり振り上げた時にエレベーターが階に到着したようで。

 開いたドアの向こう側に仁王立ちする一人の姿に皇大郎を含め、彼らは言葉を失った。

「せ、先輩」

 そこにはなんとまたしてもモップとバケツを装備した田荘。

「……ぶち殺すぞ、この新米が」

 小さな声だが確かに彼女は言った。
 殺す、と。

「用事が終わったらさっさと戻ってこぉ゙ぉい゙ぃ゙ぃぃッ!!!」

 次の瞬間、大声で怒鳴り手にしていたモップをめちゃくちゃに振り回して襲いかかってくる。

「ちょっ、危な!? やめてくださいよっ!!」
「うーるーさーいーッ! さっさと備品補充にいけぇ゙ぇぇっ!」
「わかりましたっ、わかったから!!」

 また二日酔いなのだろうか。目が血走って据わっている。
 これにはセクハラ男たちも唖然として、それからそそくさとエレベーターから逃げ出していった。

「さてと、戻ろうかね」

 彼らが去ったのを確認したあと、田荘はつまらなさそうに鼻を鳴らして肩をすくめた。

「アンタってオメガのわりには多少根性あるよ」
「へ?」
「ほらさっさと行くよ、新米」

 気だるげにきあげた彼女の髪は先週ピンクにカラーリングしたばかりだ。
 もはや日本の会社員とは思えぬ外見だが、これもまた何故か誰にも叱責を受けなりしない(課長にはやんわり注意されていたようだが、完全スルーを決め込んでいた)

 ――もしかして助けてくれたのかな。

 口に出して訊けば、もしかしなくても助けたんだと怒られ小突かれるかもしれない。

 だから皇大郎はただ一言。

「ありがとうございます」

 と礼を口にした。

「……昼休みパン買ってこい」

 彼女がまた鼻を鳴らして答えた。
 

 

 
 
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