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転落人生の元アルファ
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軽く息をつきながら、味気のない白い薬袋を手にする。
中から薄桃色の錠剤が詰まったシートを取り出しその中で数粒、口に放り込む。
「……」
ご丁寧にも用意されたぬるま湯を口に含んで一気に飲み干せば、喉に多少引っかかりながら落ちた。
いまだに慣れない、と御笠 皇大郎は胸の内でひとりごちる。
定期的に処方されるこの薬――オメガ用のフェロモン抑制剤を服用するようになったのも三年前からのことだ。
「こうちゃん、ちゃんとお薬飲んだのね」
ゆっくりした足取りで現れたのは祖母の純代である。
といっても祖父の後妻で、皇大郎の父とは血が繋がってはいない。そのためなにかとこの家で生きづらいこともあっただろうに、朗らかで美しくそれでいて気丈な純代は祖父を支えてさらに彼女の実家が経営していた会社を大きくしていった。いわゆるバリキャリ女性であった。
御笠家は元々、歴史をたどれば武家の家系である。
もちろん今ではそんなことはなく政治家や学者、医師を数多く排出している名門中の名門だ。
そんな家の者が住んでいるのはタワマンとかでなくこじんまりとした一戸建てであるし、年老いた血縁のない祖母と通いの家政婦の暮らしである。
「ええ、お祖母様。お祖母様こそお薬は飲んだんですか」
「あんなモノ、効きやしないわ」
鼻の頭にシワをよせて答える祖母はいつものことだ。
「だいたい老い先短い身よ。医療費吊りあげてもミイラにお水をやるようなものだわね」
こんな悪態をつく表情も皇大郎は好きだった。
ありたいていに言えば、おばあちゃんっ子。家族や本家のメイド達にはこれぞ三文安だと陰口を叩かれているのは知っている。
しかし血が繋がってないからこその気安さと、どこか世間知らずな連中とは違って逞しくも明るい美人な後妻さんに対しての憧れというか。
思春期を超えてから特に、皇大郎は純代のことを常に気にしていた。
「またそんなことを言ったらお医者様に叱られますよ、お祖母様」
「ふふ、真面目な孫だわね。アタシに似て」
微笑みながら伸ばされた手で頭を撫でられる。いい歳をしてそれがたまらなく嬉しい、が。
「そういえば、ご両親から届いてる物があるわね」
「うげぇ……」
知りたくないお知らせに思わず嫌な声が出る。
両親とはとても折り合いが悪い。最悪と言ってもいい。
なにせアルファで跡取り候補であったうちはチヤホヤしておいて、ビッチングの末にオメガになれば手のひらを返すように冷遇する。
挙句に大学を強制的に辞めさせてこの家に祖母と厄介払い。それだけには留まらず、縁談話を山のように押し付けてくるとは。
「僕は結婚なんてしないよ」
「あら、そんなこと若いうちから決めるもんじゃあないわ」
いたずらっぽい顔で諭される。
「アタシだってね、結婚なんてもういいやって思った時にアンタのお祖父さんと出会ったのよ」
祖父とこと人の出会いは何度も聞かされてきた。それこそ耳にタコが出来るくらいは。
しかしいつも楽しそうに話すので、皇大郎は遮ることが出来ず大人しく聞いていたりする。
「アンタにもきっと運命の出会いがあるわ」
「運命ねぇ」
俗に言う運命の番ってやつだろうか。だとしたらとんだ皮肉だ。
なぜなら彼はビッチングによってオメガになる前に真面目に付き合ってきた恋人がいたのだから。
彼女のほうはオメガで家柄も申し分ない、むしろ両親公認の仲だったというのに。
――運命だなんてバカバカしい。
あれだけ好きあっていたのにオメガになったと告げた瞬間の絶望的な表情。そしてその直後、彼女の口から出た言葉は皇大郎の心を大きくえぐった。
『アルファじゃない貴方とはもう一緒にいられない』
そう言って去っていく彼女。そりゃそうだろうなと心のどこかで納得している。
むしろ優しいのかもしれない。
なぜならビッチングしたということは自分より強いアルファに組み敷かれ、マーキングということ。
アルファがオメガにする時のように。そうして情を交わす、あけすけに言うとセックスをすると互いの性フェロモンが刻まれて番となる。
これは法律で縛られた夫婦関係よりずっと強く本能に訴えかけるものだ。
……この世にはアルファとベータとオメガが存在しているが、アルファは孕ませる性であればオメガは孕む性。ベータは一般的な性別である。
皇大郎が、自らがアルファからオメガに転化したと知ったのは見知らぬ病室であった。
つまりなにも覚えていない。
明らかにレイプされた外傷とは反対に、記憶が一切ないのだった。
「そろそろ行かないと」
「あらもう時間なの?」
リクルートスーツの襟元を直しながら頷く。
「少し早めに行きますよ、やっぱり少しは成功率上げたいので」
現在、絶賛就活中なのだ。
それはそれは難航しているが。
――いっそ偽名でも名乗ろうかなあ。
まず苗字が目立ち過ぎる。
どの業界の中小企業を受けても、御笠という名で第一声の質問が決まるのだ。
『もしかして御笠ってあの……?』
父なんて政界でも名が知れている。これでは犯罪者の息子の方がハンデが少ないんじゃないかと思うほど、ハードな状況なのだ。
『なんでウチなんかに?』
ここで一応優秀と言われた脳みそをフル回転させて、誠実かつウィットに富んだ答えを用意してみせる。
しかし次の瞬間、また面接官の顔が曇るのだ。
『オメガ……ですか』
まず嘘をついているんじゃないかという顔。
当たり前だろう。なにせあの御笠の苗字でオメガがいるなんて。
オメガは社会的弱者。そもそも社会に出てくるべきではない、という風潮がまだまだ主流なこの国で彼の存在そのものが非常識なのだ。
『オメガは別の選考となりまして。また改めてご紹介差し上げてよろしいでしょうか』
これは断り文句の一つである。
つまり本選考ではオメガを評価すらする気は無い、一昨日来やがれってことだ。
御笠の名前がなければ、もっと露骨な事を言われていたかもしれない。
これで面接に落ち続けているのだからそろそろ心が折れそうだった。
「くそーっ! ほんっとに偽名でも使おうかなぁぁぁ」
せめて苗字を変えるためにと考えてぽつりと。
「…………結婚、とか?」
呟いてしまってから頭を抱えて崩れ落ちる。
今回も手応えのまるでない面接を終えてから意気消沈の帰宅後のことである。
「バカバカバカバカ! 僕のバカっ、アホ! 結婚なんてぜーったいにするもんか!!」
どうせ金目当てやコネ目当て、もっと酷いと希少なオメガであるという物珍しさで自分を欲しがるだけの相手と結婚だなんて。
「くそっ」
オメガでなければ、せめてベータであればこんな苦労はなかったはずだった。
「なんでオメガなんかになっちまったんだよぉぉ……」
せめて相手の顔さえ覚えていれば恨むこともできただろうに。なにも記憶がないからか、いまだに気持ちの整理がつかないでいる。
「あーもうアホらしい。寝よ」
昼間からふて寝するなんてとんだニート生活だ。これではまた通いの家政婦から白い目で見られるだろう。
でももうなにも気力が湧かない。
「うぅ、働きたい……」
働いてここを出たいかと言われたら違う。なぜなら祖母がいるからだ。
彼女を置いてなんていけない。でもだからと言ってこのまま飼い殺し生活も続けたくない。
「あ、電話?」
まさかさっきの会社からか、とスマホを慌てて取り出すと。
「……」
その瞬間、床に叩きつけたくなる。
父からだった。
「知らない、寝る」
着信を知らせる音が鳴り響く。
下手に触って出たら嫌だから、ベッドに放り投げた。
「知らないからなっ、絶対に出ないぞ!」
誰に宣言してるのやら。そう叫ぶと枕を上に乗せた。
「しつこい!」
まだまだなり続けるスマホ。皇大郎は頭をかきむしった。
「うーるーさーいッ!」
完全なる八つ当たりのヒステリックだ。理解はしてるけど止められない。
――もう嫌だ、なんでこんなことに。僕のせいじゃないだろ。ただ自分の力で生きていきたいだけなのに。嫌いだ全部。オメガもアルファもベータも……僕自身も。
そんな恨み言の羅列が頭を駆け回った数秒の後。
「ああもうっ!」
床をドンと踏み鳴らしてから少し深呼吸をする。
「……でりゃいいんだろ、でりゃあ」
大きなため息をついてノロノロと枕を退ける。
まだしつこく喚き続けるスマホを片手に一瞬だけ目を閉じた。
――適当に言って切ろう。
要件は分かっている、縁談の返事の催促だ。
「はい」
できるだけ感情を殺して通話に出た。
『…………遅かったな』
重苦しい声の主はたしかに父親。声すら聞きたくない相手に、分かっていても天を仰ぎたくなる。
「あー、オトウサマ」
『わたしからの電話には三コール以内で出るように心掛けろ』
「は、はぁ」
――くそっ、偉そうにしやがって。
アルファだった時は尊敬もしていたし、同時にどこかライバル意識を持っていた。やはり同じアルファだったからだろう。
しかし父の方は子どもに、いや家庭そのものに無関心決め込んでいた。愛情深いとは程遠く、近寄り難い話しかけるのも恐ろしい存在だった。
それがオメガになった途端、こうやってたまに連絡してくるようになったのだ。
だからと言って喜ぶことなかれ。話の中身はいつも。
『こうなったからにはオメガとして出来る形で御笠家に貢献する義務がある』
というもので、つまりは親の考えた政略結婚に大人しく応じろというお説教だ。
ちなみに母の方は。
『自分の身くらいなぜ自分で守れなかったの』
と一言。それから声すら聞いていない。
他の親類いわく、期待していた息子が他の男にレイプされたことを受け入れられず現実逃避しているとのこと。
仕方ないと諦められたのは最近で、この母の態度が彼を一番傷つけたのは確実だった。
『――聞いているのか、お前は』
「あ、はぁ」
お父様から名前を呼ばれたことがないなぁ、なんてぼんやり考えながら生返事をする。
『……もういい。本当に腑抜けおって。とんだ出来損ないめ』
その言葉で一方的にガチャ切りされた。
「あーあ、やっと終わった」
大きく背伸びをしてスマホをテーブルに置く。そしてベッドにダイブした。
「どうせ僕は出来損ないでオメガですよ」
発情期も安定しない、そのくせフェロモン数値は高いらしく強めな薬で副作用に悩まされがちだ。
この鬱々としたものもそのひとつらしい。
「もういっそ死んじまおうかなァ」
出来もしないことを口に出してみれば、少しは気持ちが変わるかもと期待するがまた裏切られた。
「もういい、寝る」
今度こそふて寝を決め込もうとスーツのまま身体を丸めた。
後でシワになって困るのは自分だ。でも受かるわけのない明日の自分がリクルートスーツのシワを気にするなんてウケるな。
なんて自虐的なことを考えながら目を閉じた。
中から薄桃色の錠剤が詰まったシートを取り出しその中で数粒、口に放り込む。
「……」
ご丁寧にも用意されたぬるま湯を口に含んで一気に飲み干せば、喉に多少引っかかりながら落ちた。
いまだに慣れない、と御笠 皇大郎は胸の内でひとりごちる。
定期的に処方されるこの薬――オメガ用のフェロモン抑制剤を服用するようになったのも三年前からのことだ。
「こうちゃん、ちゃんとお薬飲んだのね」
ゆっくりした足取りで現れたのは祖母の純代である。
といっても祖父の後妻で、皇大郎の父とは血が繋がってはいない。そのためなにかとこの家で生きづらいこともあっただろうに、朗らかで美しくそれでいて気丈な純代は祖父を支えてさらに彼女の実家が経営していた会社を大きくしていった。いわゆるバリキャリ女性であった。
御笠家は元々、歴史をたどれば武家の家系である。
もちろん今ではそんなことはなく政治家や学者、医師を数多く排出している名門中の名門だ。
そんな家の者が住んでいるのはタワマンとかでなくこじんまりとした一戸建てであるし、年老いた血縁のない祖母と通いの家政婦の暮らしである。
「ええ、お祖母様。お祖母様こそお薬は飲んだんですか」
「あんなモノ、効きやしないわ」
鼻の頭にシワをよせて答える祖母はいつものことだ。
「だいたい老い先短い身よ。医療費吊りあげてもミイラにお水をやるようなものだわね」
こんな悪態をつく表情も皇大郎は好きだった。
ありたいていに言えば、おばあちゃんっ子。家族や本家のメイド達にはこれぞ三文安だと陰口を叩かれているのは知っている。
しかし血が繋がってないからこその気安さと、どこか世間知らずな連中とは違って逞しくも明るい美人な後妻さんに対しての憧れというか。
思春期を超えてから特に、皇大郎は純代のことを常に気にしていた。
「またそんなことを言ったらお医者様に叱られますよ、お祖母様」
「ふふ、真面目な孫だわね。アタシに似て」
微笑みながら伸ばされた手で頭を撫でられる。いい歳をしてそれがたまらなく嬉しい、が。
「そういえば、ご両親から届いてる物があるわね」
「うげぇ……」
知りたくないお知らせに思わず嫌な声が出る。
両親とはとても折り合いが悪い。最悪と言ってもいい。
なにせアルファで跡取り候補であったうちはチヤホヤしておいて、ビッチングの末にオメガになれば手のひらを返すように冷遇する。
挙句に大学を強制的に辞めさせてこの家に祖母と厄介払い。それだけには留まらず、縁談話を山のように押し付けてくるとは。
「僕は結婚なんてしないよ」
「あら、そんなこと若いうちから決めるもんじゃあないわ」
いたずらっぽい顔で諭される。
「アタシだってね、結婚なんてもういいやって思った時にアンタのお祖父さんと出会ったのよ」
祖父とこと人の出会いは何度も聞かされてきた。それこそ耳にタコが出来るくらいは。
しかしいつも楽しそうに話すので、皇大郎は遮ることが出来ず大人しく聞いていたりする。
「アンタにもきっと運命の出会いがあるわ」
「運命ねぇ」
俗に言う運命の番ってやつだろうか。だとしたらとんだ皮肉だ。
なぜなら彼はビッチングによってオメガになる前に真面目に付き合ってきた恋人がいたのだから。
彼女のほうはオメガで家柄も申し分ない、むしろ両親公認の仲だったというのに。
――運命だなんてバカバカしい。
あれだけ好きあっていたのにオメガになったと告げた瞬間の絶望的な表情。そしてその直後、彼女の口から出た言葉は皇大郎の心を大きくえぐった。
『アルファじゃない貴方とはもう一緒にいられない』
そう言って去っていく彼女。そりゃそうだろうなと心のどこかで納得している。
むしろ優しいのかもしれない。
なぜならビッチングしたということは自分より強いアルファに組み敷かれ、マーキングということ。
アルファがオメガにする時のように。そうして情を交わす、あけすけに言うとセックスをすると互いの性フェロモンが刻まれて番となる。
これは法律で縛られた夫婦関係よりずっと強く本能に訴えかけるものだ。
……この世にはアルファとベータとオメガが存在しているが、アルファは孕ませる性であればオメガは孕む性。ベータは一般的な性別である。
皇大郎が、自らがアルファからオメガに転化したと知ったのは見知らぬ病室であった。
つまりなにも覚えていない。
明らかにレイプされた外傷とは反対に、記憶が一切ないのだった。
「そろそろ行かないと」
「あらもう時間なの?」
リクルートスーツの襟元を直しながら頷く。
「少し早めに行きますよ、やっぱり少しは成功率上げたいので」
現在、絶賛就活中なのだ。
それはそれは難航しているが。
――いっそ偽名でも名乗ろうかなあ。
まず苗字が目立ち過ぎる。
どの業界の中小企業を受けても、御笠という名で第一声の質問が決まるのだ。
『もしかして御笠ってあの……?』
父なんて政界でも名が知れている。これでは犯罪者の息子の方がハンデが少ないんじゃないかと思うほど、ハードな状況なのだ。
『なんでウチなんかに?』
ここで一応優秀と言われた脳みそをフル回転させて、誠実かつウィットに富んだ答えを用意してみせる。
しかし次の瞬間、また面接官の顔が曇るのだ。
『オメガ……ですか』
まず嘘をついているんじゃないかという顔。
当たり前だろう。なにせあの御笠の苗字でオメガがいるなんて。
オメガは社会的弱者。そもそも社会に出てくるべきではない、という風潮がまだまだ主流なこの国で彼の存在そのものが非常識なのだ。
『オメガは別の選考となりまして。また改めてご紹介差し上げてよろしいでしょうか』
これは断り文句の一つである。
つまり本選考ではオメガを評価すらする気は無い、一昨日来やがれってことだ。
御笠の名前がなければ、もっと露骨な事を言われていたかもしれない。
これで面接に落ち続けているのだからそろそろ心が折れそうだった。
「くそーっ! ほんっとに偽名でも使おうかなぁぁぁ」
せめて苗字を変えるためにと考えてぽつりと。
「…………結婚、とか?」
呟いてしまってから頭を抱えて崩れ落ちる。
今回も手応えのまるでない面接を終えてから意気消沈の帰宅後のことである。
「バカバカバカバカ! 僕のバカっ、アホ! 結婚なんてぜーったいにするもんか!!」
どうせ金目当てやコネ目当て、もっと酷いと希少なオメガであるという物珍しさで自分を欲しがるだけの相手と結婚だなんて。
「くそっ」
オメガでなければ、せめてベータであればこんな苦労はなかったはずだった。
「なんでオメガなんかになっちまったんだよぉぉ……」
せめて相手の顔さえ覚えていれば恨むこともできただろうに。なにも記憶がないからか、いまだに気持ちの整理がつかないでいる。
「あーもうアホらしい。寝よ」
昼間からふて寝するなんてとんだニート生活だ。これではまた通いの家政婦から白い目で見られるだろう。
でももうなにも気力が湧かない。
「うぅ、働きたい……」
働いてここを出たいかと言われたら違う。なぜなら祖母がいるからだ。
彼女を置いてなんていけない。でもだからと言ってこのまま飼い殺し生活も続けたくない。
「あ、電話?」
まさかさっきの会社からか、とスマホを慌てて取り出すと。
「……」
その瞬間、床に叩きつけたくなる。
父からだった。
「知らない、寝る」
着信を知らせる音が鳴り響く。
下手に触って出たら嫌だから、ベッドに放り投げた。
「知らないからなっ、絶対に出ないぞ!」
誰に宣言してるのやら。そう叫ぶと枕を上に乗せた。
「しつこい!」
まだまだなり続けるスマホ。皇大郎は頭をかきむしった。
「うーるーさーいッ!」
完全なる八つ当たりのヒステリックだ。理解はしてるけど止められない。
――もう嫌だ、なんでこんなことに。僕のせいじゃないだろ。ただ自分の力で生きていきたいだけなのに。嫌いだ全部。オメガもアルファもベータも……僕自身も。
そんな恨み言の羅列が頭を駆け回った数秒の後。
「ああもうっ!」
床をドンと踏み鳴らしてから少し深呼吸をする。
「……でりゃいいんだろ、でりゃあ」
大きなため息をついてノロノロと枕を退ける。
まだしつこく喚き続けるスマホを片手に一瞬だけ目を閉じた。
――適当に言って切ろう。
要件は分かっている、縁談の返事の催促だ。
「はい」
できるだけ感情を殺して通話に出た。
『…………遅かったな』
重苦しい声の主はたしかに父親。声すら聞きたくない相手に、分かっていても天を仰ぎたくなる。
「あー、オトウサマ」
『わたしからの電話には三コール以内で出るように心掛けろ』
「は、はぁ」
――くそっ、偉そうにしやがって。
アルファだった時は尊敬もしていたし、同時にどこかライバル意識を持っていた。やはり同じアルファだったからだろう。
しかし父の方は子どもに、いや家庭そのものに無関心決め込んでいた。愛情深いとは程遠く、近寄り難い話しかけるのも恐ろしい存在だった。
それがオメガになった途端、こうやってたまに連絡してくるようになったのだ。
だからと言って喜ぶことなかれ。話の中身はいつも。
『こうなったからにはオメガとして出来る形で御笠家に貢献する義務がある』
というもので、つまりは親の考えた政略結婚に大人しく応じろというお説教だ。
ちなみに母の方は。
『自分の身くらいなぜ自分で守れなかったの』
と一言。それから声すら聞いていない。
他の親類いわく、期待していた息子が他の男にレイプされたことを受け入れられず現実逃避しているとのこと。
仕方ないと諦められたのは最近で、この母の態度が彼を一番傷つけたのは確実だった。
『――聞いているのか、お前は』
「あ、はぁ」
お父様から名前を呼ばれたことがないなぁ、なんてぼんやり考えながら生返事をする。
『……もういい。本当に腑抜けおって。とんだ出来損ないめ』
その言葉で一方的にガチャ切りされた。
「あーあ、やっと終わった」
大きく背伸びをしてスマホをテーブルに置く。そしてベッドにダイブした。
「どうせ僕は出来損ないでオメガですよ」
発情期も安定しない、そのくせフェロモン数値は高いらしく強めな薬で副作用に悩まされがちだ。
この鬱々としたものもそのひとつらしい。
「もういっそ死んじまおうかなァ」
出来もしないことを口に出してみれば、少しは気持ちが変わるかもと期待するがまた裏切られた。
「もういい、寝る」
今度こそふて寝を決め込もうとスーツのまま身体を丸めた。
後でシワになって困るのは自分だ。でも受かるわけのない明日の自分がリクルートスーツのシワを気にするなんてウケるな。
なんて自虐的なことを考えながら目を閉じた。
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