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17.雨季明けの出来事

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 雨季があけた。
 太陽の光が、降りそそぐ。葉に滴った露に、キラキラと反射している。
 ここが魔界だなんて、テトラは未だに不思議な気分だった。

「テトラは、魔界には慣れたかな?」

 優しい声で訊ねたのは、魔王レクス。
 この城で一番大きな男であるが、その物腰や口調は常に穏やかである。
 今朝も、朝食後のお茶を飲みながら息子達や娘と談笑していた。
 ちなみに、その中に妻であるレミエルの姿はない。

「えぇ。おかげさまで」

 彼は嫌味なく言って、頷く。
 置き去りにされた時は困惑したし、泣きもした。怖くて仕方ない夜もあった。
 でも、今ではそんなことは無い。なぜなら。
 
「ここの方々は、とても優しくしてくれますから」
「ふふっ。テトラにそう言ってもらえると、アタシ超嬉しいわァ。後でチューしてあげる!」

 珈琲を飲んでいたルパが、嬉しそうに言って投げキッスする。
 可愛らしい愛情表現に、彼は微笑みで返す。
 すると紅茶を飲んでるエトが『あのさ』と声をあげる。

「可愛げっつーもんがあるよなぁ、テトラには。さ」

 なにやら意味ありげに、隣に座るルベルを見た。
 
「……あぁ、そうだな。君にその可愛さがあれば、僕もここまで苦労しなかったんだがな」

 むっつりと答えるルベル。
 どうやら、身体のあちらこちらが筋肉痛らしい。
 痛みに顔をしかめながら、やおらにドルチェのフォークでエトをつつき始めた。

「痛ぇっ、な、なにすんだよ!」
「うるさい。性欲ゴリラめ。死ね。DV男」
「でぃー……ってなに? っ、だから痛てぇって!!」

 エトが悲鳴をあげるのもお構いなしで、ブスブスと筋肉のついた腕を刺そうとする。

「テトラ、伴侶は選べよな」
「え?」

 ルベルは相変わらず憮然とした顔で、今度はテトラに話しかけてきた。

「あと性生活の、不一致は離婚理由になりうる」
「ま、待て待て待て待てっ。離婚!? マジで言ってんのぉ!? 」

 素っ頓狂な声をあげるエトに、彼は殺気立った視線を寄越して一言。

「自分のした事を考えろ、バカ」
「した事って……無理させたのは謝るけどよぉ! でもアレはルベルが悪いんだぜ」
「ハァァァ!?  君、なにシレッと人のせいにしてんだよッ」
「だってお前が、可愛すぎるしエロすぎるのが悪い」
「か、可愛い……?」
「うん、可愛い。もう離したくないくらい。あんまりにも可愛すぎて、ついつい無理させちまった。ごめんな」
「君って奴は……」

 みるみるうちに、ルベルの顔が赤くなっていく。
 夫をつついてたフォークを、テーブルに置いて一言。

「でも。ほかの奴テトラのこと、褒めてたじゃないか」

 視線を下げて、口をとがらせる。
 つまりは、ねたらしい。

「ルベル」
「女々しいのは分かってる。でも男だった僕を、身も心もにしちまったのは……君だろ」

 消え入るような声だった。
 顔をそむけ、眉を寄せて。首筋や耳まで紅く染める。
 
「うん、俺だ。責任、取ります。いや取らせて下さいッ!」

 そう叫ぶと、エトは突然立ち上がり彼に抱きついた。
 うっとおしい。暑い! なんて言いながらルベルもまた、おずおずと逞しい身体に腕を回す。

 美しい夫婦愛だ。
 仲良きことは美しきかな。ラブラブな新婚夫婦。
 ……でも問題がある。
 これをテトラも含めて家族や使用人たちの前で大公開、ということだ。
 なんとも、生温かい雰囲気がただよう。

「キャハハハッ、超イチャついててウケるぅ」

 ルパは手を叩いて、大爆笑。
 しかしひかえている執事に、行儀の悪さを睨まれて肩をすくめる。

「相変わらず仲良しさんだねぇ。羨ましいなぁ」
「つか、親父も似たようなもんだからね。母さん、また部屋に引きこもってるの?」

 娘のツッコミに、魔王は穏やかに笑うと。

「今朝は違うんだよ。少し調べ物があるからって、地下書庫にこもっててね。呼んでも蹴り出されちゃった」
「へぇ! 珍しい」

 魔王の妻であるレミエルもまた、しょっちゅう夫婦生活で朝起き上がれない状態にされるのだ。
 血は争えない、といったところか。

「ふーん。じゃ、アタシが母さんの様子見にいってみるね」
「たのむよ」

 彼女はひとつ頷くと、カップを置いて立ち上がる。
 
「そこのバカップルも、さっさと部屋に戻んなよね。目の毒すぎて、レガリア兄さんの顔が超怖くてウケるんだけどォ」

 ルパが二人に声をかけると、エトがルベルの肩を抱いて頬を緩ませる。

「だってコイツがめちゃくちゃ可愛いんだもん。もうサキュパスかってくらい……ちょっ、ルベル怒んなよ。そこらの淫魔より、魅力的だからな? だから浮気すんなよな」

 ほとんど筋肉質な身体に隠されるように、抱き込まれたルベルとなにやらイチャイチャと囁きあっていた。
 そして向かい側に座るレガリアの表情が、どんどん険しくなる。
 口の中で舌打ちする始末。

「ン……(チッ)」
「キャハハハッ、人殺しそうな顔」
「ン……」
「ま、若夫婦には寛大かんだいにね」

 彼女は獣をなだめるような仕草で、レガリアの肩を叩く。
 そしてテトラにも『じゃあね』と、ほほ笑みかけてダイニングルームから出て行った。

「じゃ、俺達も行くよ」
「エト様」

 自室に戻ろうとする彼らに、執事が鋭く声をかける。

「本日は予定が立て込んでおられます」
「うげぇ、マジで!? どーせ、めんどくせぇ勉強とかだろぉ。俺、苦手なんだよなぁぁ」
「エト様。僭越せんえつながら。貴方様は次期魔王という立場が……」
「分かった分かった! 耳にできちまうぜ」

 異世界では、タコでなくクラーケン(海の怪物)が出来るらしい。
 異世界転生者である二人が、同時に吹き出した。
 そしてまるで聞き分けのない子どもをなだめるように、ルベルはエトの硬めの髪を撫でて言う。

「エト、僕も付き合ってやる。その代わり、後で剣の稽古けいこに付き合ってくれ」
「んー、良いけどさぁ。ルベルって強くなればなるほど、すぐ危ない事に首突っ込んでいくじゃん。この前人間界で……」

 と、顔を思いきりしかめる。

「そりゃあ。女性が困ってたから」

『当たり前だろ』という顔で言い返した彼に、盛大なため息をついた夫の憂いは分からないだろう。
 犬も食わないやり取りをしながら、二人もテトラに目配せして出て行った。

「?」
 
 そこでキョトンとするのは、存在感がイマイチ薄い主人公である。
 とりあえず、自分も部屋に戻ろうかと立ち上がる。

「テトラ、少し良いですか?」

 いつの間にか、そばに立っていた執事アルカムが彼に言った。

「あ、はい!」

 もしかして、またお手伝いさせてもらえるとのかと期待を込めて彼を見つめる。
 あれから、少しずつ使用人たちの仕事を手助けするようになった。
 彼らも、ようやくこの不器用な青年の扱い方が分かったらしい。
 落ち着いてできる環境と言葉をかけてやれば、本来はできる子なのだ。
 そのマジメさと素直さは、彼らを一種とりこにしたともいう。むしろ暇さえあれば、テトラにかまいたがり執事に叱られる一幕もたびたびあった。

「少し手伝いを……」
「やりますっ、やらせて下さい!」

 キラキラとした子犬のような目だ。
 彼はとにかく、自分が少しでも役に立っているという実感が欲しかった。
 コンプレックスゆえだろう。

「そんな叫ばなくても、聞こえますよ。じゃあ行きましょうか」

 執事は呆れた顔をするが、テトラがかつて感じていた苦手意識はかなり薄れていた。
 毒舌なのも、不機嫌そうなのもその表面だけだ。
 彼がこの使用人たちの中で、一番しんぼう強く情に熱いのをテトラは知っている。

「はいっ」

 散歩に行く犬のごとく。しっぽがあれば、パタパタ振っていただろう。

「ルベル」

 魔王が呼び止めた。
 振り返ると、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

「あとで話があるから。そうだな……午後の都合の良い時間に、私の部屋に来てくれないかな?」
「はい。……あっ、待って!」

 頷き会釈しつつ、さっさと歩き出した執事を追いかけた。

「レガリアと話がしたい。少し、席を離してくれないかな?」

 ふと背中に聞いたのは、魔王がひかえている使用人たちにやんわりと人払いを命じる声。
 
(なんだろう。話って……)

 自分への話よりも、彼はなぜかレガリアと魔王の話がすごく気になっていた―――。




■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫

「雨季が上がると、一気に暑くなるんだね」

 まるで日本の夏みたい……とテトラは心の中でつぶやく。

「ここら辺はね。魔界といっても、そこそこ広いからさ」

 彼の隣を歩きながら応えたのは、使用人の一人ケルタである。
 てっきりアルカムの直接の手伝いかと思えば、彼と共に森に薬草を取りに行って欲しいとの事だった。
 馬小屋への道を歩く。
 馬を使って行くらしい。

「もしかして、あれ?」

 馬小屋は人間界でみたどこのそれより大きかった。
 平民の家、何軒分なんだろう……なんてこぼすと。

「それ、ルベルも同じこと言ってたなぁ」

 なんて彼は笑う。
 褐色の少年、ケルタは馬小屋の前で『ちょっと待ってて』と彼を待たせて入っていった。
 おそらく馬の世話係に、話をつけにいくのだろう。
 テトラはぼんやりと近くに広がる森を眺めた。

 水はけのあまり良くない大地には、水たまりが出来てぬかるんでいる。 
 確かにあれだと徒歩で行くより、馬を使った方が楽かもしれない。

『あら、可愛い子』
『森にいくの?』
『気をつけてね!』

 風とともに、精霊達の声がする。
 やはり魔界だと、彼らも生き生きとしていると彼は思った。
 やはり、空気が違うのだろう。

「おや。どうしたんだい、お嬢さん」

 すぐ上から声がして、影がさす。
 慌てて振り向くと半裸の男が、きざな笑みを浮かべていた。

「えっ」

 一瞬、馬丁だろうかと思ったがすぐに思い直す。
 下半身が人間ではない。足と胴体が馬のそれである……ケンタウロスだ。

「あ」

 半獣の一種で広く、その存在は知られている。しかし実際に見たのは初めてだった。

「私のことが、物珍しいかな?」
「えっ、あ……ごめんなさい、ジロジロ見て」

 笑みを含んだ声でテトラは我に返る。
 ケンタウロスの男、アシヌスという。精悍せいかんな顔に口髭をたくわえた、なかなかの男前である。

「いいや。気にしないで、人間のお嬢さん」
「お、お嬢……?」

 女装しているワケでないのに、やはり女に間違われるとは。
 つくづく自分は女顔なのか、と軽いため息をついた時だった。

「ねぇ君。素敵だね。その事な金髪に瞳は、勿忘草わすれなぐさのような可憐かれんで澄んだ色をしているね。もっとよく見せてくれないか」
「え゙っ、あ、あのぉ……」

 突然あらわれたケンタウロスは肩を抱き込むように捕まえ、顔を覗き込んでくる。
 優男よろしく甘い表情はしているが、その瞳はギラギラして怖い。
 仰け反って逃げようにも、この体制じゃ厳しいだろう。

「まさか照れているのか。可愛い人だね。ケルタにはもったいない……どうだ、私に乗ってみないか? なに、怖いことはないよ。少しお喋りでもしながらの散歩さ。おたがい、知り合いたいじゃあないか」
「え、あの、それはちょっと……」
 
 知り合いたくないし、なんなら照れてるというよりドン引きして困っている。
 そう言ってやれば良いだろうが、テトラにそんな芸当は無理である。
 アシヌスはなおも距離をつめて、囁く。

「あぁ。君はとても、いい匂いがする。頬にキスをしても?」
「だ、ダメです、それに僕……」

 必死で近付いてくる唇を押し返そうとした。
 すると。

「あーっ、またやってる!」

 大きな声とともに、駆け寄る足音。
 ケルタが頬を思い切りふくらませて、走ってきた。

「なんだ、間の悪いヤツだなぁ」
「まったく! 学習能力ってのが無いのかな。ケンタウロスって……奥さんに言いつけるからね」

 冷たい視線を容赦なく浴びせる少年に、彼は肩をすくめる。

「君はずるいな。こんな可愛いお嬢さんを連れて、デートかい?」
「それも学習能力無いって言われるんだよ。テトラは男だから」
「おぉ、そうなのか」

 特に落胆らくたんする様子もなく、彼は改めてテトラの頬をなでた。

「ちょ、触んないでってば。オレが怒られるんだからね!」

テトラは腕を引かれ、この強引なケンタウロスから引き離された。
 ほっと息をつく彼に、鼻白んだ声が耳に入る。 

「ふん。また魔王の子息が独り占めか」
「そーゆー事。しかも今度はレガリア様のお気に入りだからね?」
「それはそれは」

 アシヌスは大げさに天を仰いだ後に『おお怖い』と呟いた。

「分かったら、テトラには手を出さないでよ。死にたくなかったらね」

 ケルタは、あながち冗談でもない口調で釘をさした。そして『行こうか』と彼の手を引いて歩き出す。

「えっ、あ、うん……ええっと、さようなら!」

 ぺこり。と頭を下げてからついて行く様を、見送るアシヌス。その表情を、テトラは見ることはなかった。




 
 
 








 


 
 
 
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