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17.雨季明けの出来事
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雨季があけた。
太陽の光が、降りそそぐ。葉に滴った露に、キラキラと反射している。
ここが魔界だなんて、テトラは未だに不思議な気分だった。
「テトラは、魔界には慣れたかな?」
優しい声で訊ねたのは、魔王レクス。
この城で一番大きな男であるが、その物腰や口調は常に穏やかである。
今朝も、朝食後のお茶を飲みながら息子達や娘と談笑していた。
ちなみに、その中に妻であるレミエルの姿はない。
「えぇ。おかげさまで」
彼は嫌味なく言って、頷く。
置き去りにされた時は困惑したし、泣きもした。怖くて仕方ない夜もあった。
でも、今ではそんなことは無い。なぜなら。
「ここの方々は、とても優しくしてくれますから」
「ふふっ。テトラにそう言ってもらえると、アタシ超嬉しいわァ。後でチューしてあげる!」
珈琲を飲んでいたルパが、嬉しそうに言って投げキッスする。
可愛らしい愛情表現に、彼は微笑みで返す。
すると紅茶を飲んでるエトが『あのさ』と声をあげる。
「可愛げっつーもんがあるよなぁ、テトラには。さ」
なにやら意味ありげに、隣に座るルベルを見た。
「……あぁ、そうだな。君にその可愛さがあれば、僕もここまで苦労しなかったんだがな」
むっつりと答えるルベル。
どうやら、身体のあちらこちらが筋肉痛らしい。
痛みに顔をしかめながら、やおらにドルチェのフォークでエトをつつき始めた。
「痛ぇっ、な、なにすんだよ!」
「うるさい。性欲ゴリラめ。死ね。DV男」
「でぃー……ってなに? っ、だから痛てぇって!!」
エトが悲鳴をあげるのもお構いなしで、ブスブスと筋肉のついた腕を刺そうとする。
「テトラ、伴侶は選べよな」
「え?」
ルベルは相変わらず憮然とした顔で、今度はテトラに話しかけてきた。
「あと性生活の、不一致は離婚理由になりうる」
「ま、待て待て待て待てっ。離婚!? マジで言ってんのぉ!? 」
素っ頓狂な声をあげるエトに、彼は殺気立った視線を寄越して一言。
「自分のした事を考えろ、バカ」
「した事って……無理させたのは謝るけどよぉ! でもアレはルベルが悪いんだぜ」
「ハァァァ!? 君、なにシレッと人のせいにしてんだよッ」
「だってお前が、可愛すぎるしエロすぎるのが悪い」
「か、可愛い……?」
「うん、可愛い。もう離したくないくらい。あんまりにも可愛すぎて、ついつい無理させちまった。ごめんな」
「君って奴は……」
みるみるうちに、ルベルの顔が赤くなっていく。
夫をつついてたフォークを、テーブルに置いて一言。
「でも。ほかの奴のこと、褒めてたじゃないか」
視線を下げて、口をとがらせる。
つまりは、拗ねたらしい。
「ルベル」
「女々しいのは分かってる。でも男だった僕を、身も心もこんなんにしちまったのは……君だろ」
消え入るような声だった。
顔をそむけ、眉を寄せて。首筋や耳まで紅く染める。
「うん、俺だ。責任、取ります。いや取らせて下さいッ!」
そう叫ぶと、エトは突然立ち上がり彼に抱きついた。
うっとおしい。暑い! なんて言いながらルベルもまた、おずおずと逞しい身体に腕を回す。
美しい夫婦愛だ。
仲良きことは美しきかな。ラブラブな新婚夫婦。
……でも問題がある。
これをテトラも含めて家族や使用人たちの前で大公開、ということだ。
なんとも、生温かい雰囲気がただよう。
「キャハハハッ、超イチャついててウケるぅ」
ルパは手を叩いて、大爆笑。
しかしひかえている執事に、行儀の悪さを睨まれて肩をすくめる。
「相変わらず仲良しさんだねぇ。羨ましいなぁ」
「つか、親父も似たようなもんだからね。母さん、また部屋に引きこもってるの?」
娘のツッコミに、魔王は穏やかに笑うと。
「今朝は違うんだよ。少し調べ物があるからって、地下書庫にこもっててね。呼んでも蹴り出されちゃった」
「へぇ! 珍しい」
魔王の妻であるレミエルもまた、しょっちゅう夫婦生活で朝起き上がれない状態にされるのだ。
血は争えない、といったところか。
「ふーん。じゃ、アタシが母さんの様子見にいってみるね」
「たのむよ」
彼女はひとつ頷くと、カップを置いて立ち上がる。
「そこのバカップルも、さっさと部屋に戻んなよね。目の毒すぎて、レガリア兄さんの顔が超怖くてウケるんだけどォ」
ルパが二人に声をかけると、エトがルベルの肩を抱いて頬を緩ませる。
「だってコイツがめちゃくちゃ可愛いんだもん。もうサキュパスかってくらい……ちょっ、ルベル怒んなよ。そこらの淫魔より、魅力的だからな? だから浮気すんなよな」
ほとんど筋肉質な身体に隠されるように、抱き込まれたルベルとなにやらイチャイチャと囁きあっていた。
そして向かい側に座るレガリアの表情が、どんどん険しくなる。
口の中で舌打ちする始末。
「ン……(チッ)」
「キャハハハッ、人殺しそうな顔」
「ン……」
「ま、若夫婦には寛大にね」
彼女は獣をなだめるような仕草で、レガリアの肩を叩く。
そしてテトラにも『じゃあね』と、ほほ笑みかけてダイニングルームから出て行った。
「じゃ、俺達も行くよ」
「エト様」
自室に戻ろうとする彼らに、執事が鋭く声をかける。
「本日は予定が立て込んでおられます」
「うげぇ、マジで!? どーせ、めんどくせぇ勉強とかだろぉ。俺、苦手なんだよなぁぁ」
「エト様。僭越ながら。貴方様は次期魔王という立場が……」
「分かった分かった! 耳にクラーケンできちまうぜ」
異世界では、タコでなくクラーケン(海の怪物)が出来るらしい。
異世界転生者である二人が、同時に吹き出した。
そしてまるで聞き分けのない子どもをなだめるように、ルベルはエトの硬めの髪を撫でて言う。
「エト、僕も付き合ってやる。その代わり、後で剣の稽古に付き合ってくれ」
「んー、良いけどさぁ。ルベルって強くなればなるほど、すぐ危ない事に首突っ込んでいくじゃん。この前人間界で……」
と、顔を思いきり顰める。
「そりゃあ。女性が困ってたから」
『当たり前だろ』という顔で言い返した彼に、盛大なため息をついた夫の憂いは分からないだろう。
犬も食わないやり取りをしながら、二人もテトラに目配せして出て行った。
「?」
そこでキョトンとするのは、存在感がイマイチ薄い主人公である。
とりあえず、自分も部屋に戻ろうかと立ち上がる。
「テトラ、少し良いですか?」
いつの間にか、そばに立っていた執事アルカムが彼に言った。
「あ、はい!」
もしかして、またお手伝いさせてもらえるとのかと期待を込めて彼を見つめる。
あれから、少しずつ使用人たちの仕事を手助けするようになった。
彼らも、ようやくこの不器用な青年の扱い方が分かったらしい。
落ち着いてできる環境と言葉をかけてやれば、本来はできる子なのだ。
そのマジメさと素直さは、彼らを一種虜にしたともいう。むしろ暇さえあれば、テトラにかまいたがり執事に叱られる一幕もたびたびあった。
「少し手伝いを……」
「やりますっ、やらせて下さい!」
キラキラとした子犬のような目だ。
彼はとにかく、自分が少しでも役に立っているという実感が欲しかった。
コンプレックスゆえだろう。
「そんな叫ばなくても、聞こえますよ。じゃあ行きましょうか」
執事は呆れた顔をするが、テトラがかつて感じていた苦手意識はかなり薄れていた。
毒舌なのも、不機嫌そうなのもその表面だけだ。
彼がこの使用人たちの中で、一番しんぼう強く情に熱いのをテトラは知っている。
「はいっ」
散歩に行く犬のごとく。しっぽがあれば、パタパタ振っていただろう。
「ルベル」
魔王が呼び止めた。
振り返ると、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「あとで話があるから。そうだな……午後の都合の良い時間に、私の部屋に来てくれないかな?」
「はい。……あっ、待って!」
頷き会釈しつつ、さっさと歩き出した執事を追いかけた。
「レガリアと話がしたい。少し、席を離してくれないかな?」
ふと背中に聞いたのは、魔王がひかえている使用人たちにやんわりと人払いを命じる声。
(なんだろう。話って……)
自分への話よりも、彼はなぜかレガリアと魔王の話がすごく気になっていた―――。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫
「雨季が上がると、一気に暑くなるんだね」
まるで日本の夏みたい……とテトラは心の中でつぶやく。
「ここら辺はね。魔界といっても、そこそこ広いからさ」
彼の隣を歩きながら応えたのは、使用人の一人ケルタである。
てっきりアルカムの直接の手伝いかと思えば、彼と共に森に薬草を取りに行って欲しいとの事だった。
馬小屋への道を歩く。
馬を使って行くらしい。
「もしかして、あれ?」
馬小屋は人間界でみたどこのそれより大きかった。
平民の家、何軒分なんだろう……なんてこぼすと。
「それ、ルベルも同じこと言ってたなぁ」
なんて彼は笑う。
褐色の少年、ケルタは馬小屋の前で『ちょっと待ってて』と彼を待たせて入っていった。
おそらく馬の世話係に、話をつけにいくのだろう。
テトラはぼんやりと近くに広がる森を眺めた。
水はけのあまり良くない大地には、水たまりが出来てぬかるんでいる。
確かにあれだと徒歩で行くより、馬を使った方が楽かもしれない。
『あら、可愛い子』
『森にいくの?』
『気をつけてね!』
風とともに、精霊達の声がする。
やはり魔界だと、彼らも生き生きとしていると彼は思った。
やはり、空気が違うのだろう。
「おや。どうしたんだい、お嬢さん」
すぐ上から声がして、影がさす。
慌てて振り向くと半裸の男が、きざな笑みを浮かべていた。
「えっ」
一瞬、馬丁だろうかと思ったがすぐに思い直す。
下半身が人間ではない。足と胴体が馬のそれである……ケンタウロスだ。
「あ」
半獣の一種で広く、その存在は知られている。しかし実際に見たのは初めてだった。
「私のことが、物珍しいかな?」
「えっ、あ……ごめんなさい、ジロジロ見て」
笑みを含んだ声でテトラは我に返る。
ケンタウロスの男、アシヌスという。精悍な顔に口髭をたくわえた、なかなかの男前である。
「いいや。気にしないで、人間のお嬢さん」
「お、お嬢……?」
女装しているワケでないのに、やはり女に間違われるとは。
つくづく自分は女顔なのか、と軽いため息をついた時だった。
「ねぇ君。素敵だね。その事な金髪に瞳は、勿忘草のような可憐で澄んだ色をしているね。もっとよく見せてくれないか」
「え゙っ、あ、あのぉ……」
突然あらわれたケンタウロスは肩を抱き込むように捕まえ、顔を覗き込んでくる。
優男よろしく甘い表情はしているが、その瞳はギラギラして怖い。
仰け反って逃げようにも、この体制じゃ厳しいだろう。
「まさか照れているのか。可愛い人だね。ケルタにはもったいない……どうだ、私に乗ってみないか? なに、怖いことはないよ。少しお喋りでもしながらの散歩さ。おたがい、知り合いたいじゃあないか」
「え、あの、それはちょっと……」
知り合いたくないし、なんなら照れてるというよりドン引きして困っている。
そう言ってやれば良いだろうが、テトラにそんな芸当は無理である。
アシヌスはなおも距離をつめて、囁く。
「あぁ。君はとても、いい匂いがする。頬にキスをしても?」
「だ、ダメです、それに僕……」
必死で近付いてくる唇を押し返そうとした。
すると。
「あーっ、またやってる!」
大きな声とともに、駆け寄る足音。
ケルタが頬を思い切りふくらませて、走ってきた。
「なんだ、間の悪いヤツだなぁ」
「まったく! 学習能力ってのが無いのかな。ケンタウロスって……奥さんに言いつけるからね」
冷たい視線を容赦なく浴びせる少年に、彼は肩をすくめる。
「君はずるいな。こんな可愛いお嬢さんを連れて、デートかい?」
「それも学習能力無いって言われるんだよ。テトラは男だから」
「おぉ、そうなのか」
特に落胆する様子もなく、彼は改めてテトラの頬をなでた。
「ちょ、触んないでってば。オレが怒られるんだからね!」
テトラは腕を引かれ、この強引なケンタウロスから引き離された。
ほっと息をつく彼に、鼻白んだ声が耳に入る。
「ふん。また魔王の子息が独り占めか」
「そーゆー事。しかも今度はレガリア様のお気に入りだからね?」
「それはそれは」
アシヌスは大げさに天を仰いだ後に『おお怖い』と呟いた。
「分かったら、テトラには手を出さないでよ。死にたくなかったらね」
ケルタは、あながち冗談でもない口調で釘をさした。そして『行こうか』と彼の手を引いて歩き出す。
「えっ、あ、うん……ええっと、さようなら!」
ぺこり。と頭を下げてからついて行く様を、見送るアシヌス。その表情を、テトラは見ることはなかった。
太陽の光が、降りそそぐ。葉に滴った露に、キラキラと反射している。
ここが魔界だなんて、テトラは未だに不思議な気分だった。
「テトラは、魔界には慣れたかな?」
優しい声で訊ねたのは、魔王レクス。
この城で一番大きな男であるが、その物腰や口調は常に穏やかである。
今朝も、朝食後のお茶を飲みながら息子達や娘と談笑していた。
ちなみに、その中に妻であるレミエルの姿はない。
「えぇ。おかげさまで」
彼は嫌味なく言って、頷く。
置き去りにされた時は困惑したし、泣きもした。怖くて仕方ない夜もあった。
でも、今ではそんなことは無い。なぜなら。
「ここの方々は、とても優しくしてくれますから」
「ふふっ。テトラにそう言ってもらえると、アタシ超嬉しいわァ。後でチューしてあげる!」
珈琲を飲んでいたルパが、嬉しそうに言って投げキッスする。
可愛らしい愛情表現に、彼は微笑みで返す。
すると紅茶を飲んでるエトが『あのさ』と声をあげる。
「可愛げっつーもんがあるよなぁ、テトラには。さ」
なにやら意味ありげに、隣に座るルベルを見た。
「……あぁ、そうだな。君にその可愛さがあれば、僕もここまで苦労しなかったんだがな」
むっつりと答えるルベル。
どうやら、身体のあちらこちらが筋肉痛らしい。
痛みに顔をしかめながら、やおらにドルチェのフォークでエトをつつき始めた。
「痛ぇっ、な、なにすんだよ!」
「うるさい。性欲ゴリラめ。死ね。DV男」
「でぃー……ってなに? っ、だから痛てぇって!!」
エトが悲鳴をあげるのもお構いなしで、ブスブスと筋肉のついた腕を刺そうとする。
「テトラ、伴侶は選べよな」
「え?」
ルベルは相変わらず憮然とした顔で、今度はテトラに話しかけてきた。
「あと性生活の、不一致は離婚理由になりうる」
「ま、待て待て待て待てっ。離婚!? マジで言ってんのぉ!? 」
素っ頓狂な声をあげるエトに、彼は殺気立った視線を寄越して一言。
「自分のした事を考えろ、バカ」
「した事って……無理させたのは謝るけどよぉ! でもアレはルベルが悪いんだぜ」
「ハァァァ!? 君、なにシレッと人のせいにしてんだよッ」
「だってお前が、可愛すぎるしエロすぎるのが悪い」
「か、可愛い……?」
「うん、可愛い。もう離したくないくらい。あんまりにも可愛すぎて、ついつい無理させちまった。ごめんな」
「君って奴は……」
みるみるうちに、ルベルの顔が赤くなっていく。
夫をつついてたフォークを、テーブルに置いて一言。
「でも。ほかの奴のこと、褒めてたじゃないか」
視線を下げて、口をとがらせる。
つまりは、拗ねたらしい。
「ルベル」
「女々しいのは分かってる。でも男だった僕を、身も心もこんなんにしちまったのは……君だろ」
消え入るような声だった。
顔をそむけ、眉を寄せて。首筋や耳まで紅く染める。
「うん、俺だ。責任、取ります。いや取らせて下さいッ!」
そう叫ぶと、エトは突然立ち上がり彼に抱きついた。
うっとおしい。暑い! なんて言いながらルベルもまた、おずおずと逞しい身体に腕を回す。
美しい夫婦愛だ。
仲良きことは美しきかな。ラブラブな新婚夫婦。
……でも問題がある。
これをテトラも含めて家族や使用人たちの前で大公開、ということだ。
なんとも、生温かい雰囲気がただよう。
「キャハハハッ、超イチャついててウケるぅ」
ルパは手を叩いて、大爆笑。
しかしひかえている執事に、行儀の悪さを睨まれて肩をすくめる。
「相変わらず仲良しさんだねぇ。羨ましいなぁ」
「つか、親父も似たようなもんだからね。母さん、また部屋に引きこもってるの?」
娘のツッコミに、魔王は穏やかに笑うと。
「今朝は違うんだよ。少し調べ物があるからって、地下書庫にこもっててね。呼んでも蹴り出されちゃった」
「へぇ! 珍しい」
魔王の妻であるレミエルもまた、しょっちゅう夫婦生活で朝起き上がれない状態にされるのだ。
血は争えない、といったところか。
「ふーん。じゃ、アタシが母さんの様子見にいってみるね」
「たのむよ」
彼女はひとつ頷くと、カップを置いて立ち上がる。
「そこのバカップルも、さっさと部屋に戻んなよね。目の毒すぎて、レガリア兄さんの顔が超怖くてウケるんだけどォ」
ルパが二人に声をかけると、エトがルベルの肩を抱いて頬を緩ませる。
「だってコイツがめちゃくちゃ可愛いんだもん。もうサキュパスかってくらい……ちょっ、ルベル怒んなよ。そこらの淫魔より、魅力的だからな? だから浮気すんなよな」
ほとんど筋肉質な身体に隠されるように、抱き込まれたルベルとなにやらイチャイチャと囁きあっていた。
そして向かい側に座るレガリアの表情が、どんどん険しくなる。
口の中で舌打ちする始末。
「ン……(チッ)」
「キャハハハッ、人殺しそうな顔」
「ン……」
「ま、若夫婦には寛大にね」
彼女は獣をなだめるような仕草で、レガリアの肩を叩く。
そしてテトラにも『じゃあね』と、ほほ笑みかけてダイニングルームから出て行った。
「じゃ、俺達も行くよ」
「エト様」
自室に戻ろうとする彼らに、執事が鋭く声をかける。
「本日は予定が立て込んでおられます」
「うげぇ、マジで!? どーせ、めんどくせぇ勉強とかだろぉ。俺、苦手なんだよなぁぁ」
「エト様。僭越ながら。貴方様は次期魔王という立場が……」
「分かった分かった! 耳にクラーケンできちまうぜ」
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異世界転生者である二人が、同時に吹き出した。
そしてまるで聞き分けのない子どもをなだめるように、ルベルはエトの硬めの髪を撫でて言う。
「エト、僕も付き合ってやる。その代わり、後で剣の稽古に付き合ってくれ」
「んー、良いけどさぁ。ルベルって強くなればなるほど、すぐ危ない事に首突っ込んでいくじゃん。この前人間界で……」
と、顔を思いきり顰める。
「そりゃあ。女性が困ってたから」
『当たり前だろ』という顔で言い返した彼に、盛大なため息をついた夫の憂いは分からないだろう。
犬も食わないやり取りをしながら、二人もテトラに目配せして出て行った。
「?」
そこでキョトンとするのは、存在感がイマイチ薄い主人公である。
とりあえず、自分も部屋に戻ろうかと立ち上がる。
「テトラ、少し良いですか?」
いつの間にか、そばに立っていた執事アルカムが彼に言った。
「あ、はい!」
もしかして、またお手伝いさせてもらえるとのかと期待を込めて彼を見つめる。
あれから、少しずつ使用人たちの仕事を手助けするようになった。
彼らも、ようやくこの不器用な青年の扱い方が分かったらしい。
落ち着いてできる環境と言葉をかけてやれば、本来はできる子なのだ。
そのマジメさと素直さは、彼らを一種虜にしたともいう。むしろ暇さえあれば、テトラにかまいたがり執事に叱られる一幕もたびたびあった。
「少し手伝いを……」
「やりますっ、やらせて下さい!」
キラキラとした子犬のような目だ。
彼はとにかく、自分が少しでも役に立っているという実感が欲しかった。
コンプレックスゆえだろう。
「そんな叫ばなくても、聞こえますよ。じゃあ行きましょうか」
執事は呆れた顔をするが、テトラがかつて感じていた苦手意識はかなり薄れていた。
毒舌なのも、不機嫌そうなのもその表面だけだ。
彼がこの使用人たちの中で、一番しんぼう強く情に熱いのをテトラは知っている。
「はいっ」
散歩に行く犬のごとく。しっぽがあれば、パタパタ振っていただろう。
「ルベル」
魔王が呼び止めた。
振り返ると、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「あとで話があるから。そうだな……午後の都合の良い時間に、私の部屋に来てくれないかな?」
「はい。……あっ、待って!」
頷き会釈しつつ、さっさと歩き出した執事を追いかけた。
「レガリアと話がしたい。少し、席を離してくれないかな?」
ふと背中に聞いたのは、魔王がひかえている使用人たちにやんわりと人払いを命じる声。
(なんだろう。話って……)
自分への話よりも、彼はなぜかレガリアと魔王の話がすごく気になっていた―――。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫
「雨季が上がると、一気に暑くなるんだね」
まるで日本の夏みたい……とテトラは心の中でつぶやく。
「ここら辺はね。魔界といっても、そこそこ広いからさ」
彼の隣を歩きながら応えたのは、使用人の一人ケルタである。
てっきりアルカムの直接の手伝いかと思えば、彼と共に森に薬草を取りに行って欲しいとの事だった。
馬小屋への道を歩く。
馬を使って行くらしい。
「もしかして、あれ?」
馬小屋は人間界でみたどこのそれより大きかった。
平民の家、何軒分なんだろう……なんてこぼすと。
「それ、ルベルも同じこと言ってたなぁ」
なんて彼は笑う。
褐色の少年、ケルタは馬小屋の前で『ちょっと待ってて』と彼を待たせて入っていった。
おそらく馬の世話係に、話をつけにいくのだろう。
テトラはぼんやりと近くに広がる森を眺めた。
水はけのあまり良くない大地には、水たまりが出来てぬかるんでいる。
確かにあれだと徒歩で行くより、馬を使った方が楽かもしれない。
『あら、可愛い子』
『森にいくの?』
『気をつけてね!』
風とともに、精霊達の声がする。
やはり魔界だと、彼らも生き生きとしていると彼は思った。
やはり、空気が違うのだろう。
「おや。どうしたんだい、お嬢さん」
すぐ上から声がして、影がさす。
慌てて振り向くと半裸の男が、きざな笑みを浮かべていた。
「えっ」
一瞬、馬丁だろうかと思ったがすぐに思い直す。
下半身が人間ではない。足と胴体が馬のそれである……ケンタウロスだ。
「あ」
半獣の一種で広く、その存在は知られている。しかし実際に見たのは初めてだった。
「私のことが、物珍しいかな?」
「えっ、あ……ごめんなさい、ジロジロ見て」
笑みを含んだ声でテトラは我に返る。
ケンタウロスの男、アシヌスという。精悍な顔に口髭をたくわえた、なかなかの男前である。
「いいや。気にしないで、人間のお嬢さん」
「お、お嬢……?」
女装しているワケでないのに、やはり女に間違われるとは。
つくづく自分は女顔なのか、と軽いため息をついた時だった。
「ねぇ君。素敵だね。その事な金髪に瞳は、勿忘草のような可憐で澄んだ色をしているね。もっとよく見せてくれないか」
「え゙っ、あ、あのぉ……」
突然あらわれたケンタウロスは肩を抱き込むように捕まえ、顔を覗き込んでくる。
優男よろしく甘い表情はしているが、その瞳はギラギラして怖い。
仰け反って逃げようにも、この体制じゃ厳しいだろう。
「まさか照れているのか。可愛い人だね。ケルタにはもったいない……どうだ、私に乗ってみないか? なに、怖いことはないよ。少しお喋りでもしながらの散歩さ。おたがい、知り合いたいじゃあないか」
「え、あの、それはちょっと……」
知り合いたくないし、なんなら照れてるというよりドン引きして困っている。
そう言ってやれば良いだろうが、テトラにそんな芸当は無理である。
アシヌスはなおも距離をつめて、囁く。
「あぁ。君はとても、いい匂いがする。頬にキスをしても?」
「だ、ダメです、それに僕……」
必死で近付いてくる唇を押し返そうとした。
すると。
「あーっ、またやってる!」
大きな声とともに、駆け寄る足音。
ケルタが頬を思い切りふくらませて、走ってきた。
「なんだ、間の悪いヤツだなぁ」
「まったく! 学習能力ってのが無いのかな。ケンタウロスって……奥さんに言いつけるからね」
冷たい視線を容赦なく浴びせる少年に、彼は肩をすくめる。
「君はずるいな。こんな可愛いお嬢さんを連れて、デートかい?」
「それも学習能力無いって言われるんだよ。テトラは男だから」
「おぉ、そうなのか」
特に落胆する様子もなく、彼は改めてテトラの頬をなでた。
「ちょ、触んないでってば。オレが怒られるんだからね!」
テトラは腕を引かれ、この強引なケンタウロスから引き離された。
ほっと息をつく彼に、鼻白んだ声が耳に入る。
「ふん。また魔王の子息が独り占めか」
「そーゆー事。しかも今度はレガリア様のお気に入りだからね?」
「それはそれは」
アシヌスは大げさに天を仰いだ後に『おお怖い』と呟いた。
「分かったら、テトラには手を出さないでよ。死にたくなかったらね」
ケルタは、あながち冗談でもない口調で釘をさした。そして『行こうか』と彼の手を引いて歩き出す。
「えっ、あ、うん……ええっと、さようなら!」
ぺこり。と頭を下げてからついて行く様を、見送るアシヌス。その表情を、テトラは見ることはなかった。
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*マークはR回。(後半になります)
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・ご都合主義のなーろっぱです。
・第12回BL大賞にエントリーしました。攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。
腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手)
・イラストは青城硝子先生です。
宰相閣下の絢爛たる日常
猫宮乾
BL
クロックストーン王国の若き宰相フェルは、眉目秀麗で卓越した頭脳を持っている――と評判だったが、それは全て努力の結果だった! 完璧主義である僕は、魔術の腕も超一流。ということでそれなりに平穏だったはずが、王道勇者が召喚されたことで、大変な事態に……というファンタジーで、宰相総受け方向です。
天涯孤独な天才科学者、憧れの異世界ゲートを開発して騎士団長に溺愛される。
竜鳴躍
BL
年下イケメン騎士団長×自力で異世界に行く系天然不遇美人天才科学者のはわはわラブ。
天涯孤独な天才科学者・須藤嵐は子どもの頃から憧れた異世界に行くため、別次元を開くゲートを開発した。
チートなし、チート級の頭脳はあり!?実は美人らしい主人公は保護した騎士団長に溺愛される。
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