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13.魔界の精霊たちと硝子張りの友情
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緑の香りが濃く色鮮やかなのは、もうすぐ雨が降るから。
テトラは、厚く雲の覆う空を見上げる。
魔界へ来て初めて見る気候。この時期、そろそろ雨季に入るらしい。
魔界にも季節の移り変わりがあるのか、と彼は意外に思った。
人間界は国や地方によって、その季節や気候は大きく違う。
前世のように、四季のある国は数える程しかなくて。それでも雨季や乾季は多くの土地にある。
ここ、魔界でも同じ。
太陽が出て沈む。抜けるような青空の日もあれば、今日みたいに沈みこんだ曇り空もある。
極端な寒さはなく。どちらかと言うと暖かく、穏やかな気候の地域なのだろう。その代わり本格的な雨季に入ると、何日も雨が降る。
「ふぅ……」
大きく息を吸った。
久しぶりの外。魔界でも人間界でも、外の空気や風は心地よい。
そして強く香ってくる花々は、やはり彼の見たことが無いものばかりだった。
「えっと。こっちだっけ」
彼がやって来たのは、魔城の庭園。
色とりどりの植物が艶やかに、賑やかに植えられている。
煉瓦や小物でセンス良く、それでいて植物達が互いに共存する庭。
余程、腕の良い庭師がいるのだろう。
「青い花……青い花は、っと」
ブツブツ呟き、庭園を歩き回る。
色鮮やかに咲き誇る花々を縫うように、時折その花弁にそっと触れては首を傾げる。
彼は、花を探していた。
―――執事アルカムに、頼まれたのだ。
『青い花をひとつ取ってきて欲しい』と。
彼は晩餐の時に飾る花として、この季節にピッタリな花を望んでいた。
『キミは、花が好きそうだから』
そう小さく微笑まれたら、頷く以外にない。
しかも庭園があるとは聞いていたが、1度も足を踏み入れたことがなかった。
だからこうして、彼は久しぶりに心を踊らせて外へ出たのだ。
「見たことないなぁ、これ」
赤と黒のグラデーションの花。
毒々しい配色の筈なのに、その色味はどうも艶やかだ。甘く強い香りが鼻腔をくすぐり、その葉には既に露が光っている。
「綺麗……」
思わず手を触れようとした瞬間。
『気を付けて!』
耳元で、囁く声。
慌てて辺りを見渡すが、誰もいない。
『ここよ、ここ。綺麗な子』
「……あ」
赤黒い花の隣の葉。そこにちょこんと脚を組んで座るのは、薄緑の小さい精霊。
「こんにちは、草精霊。魔界にもいるんだね」
視線を合わせて、頭を下げる。礼儀を尽くせば、人間であっても返してくれるのが彼ら精霊である。
『もちろん! むしろ、ここは住みやすいわ!』
『……あら、可愛い子!』
『あたしにも見せて!』
『可愛い!』
『綺麗ね!』
『ハチミツ色の髪!』
『綺麗な瞳!』
『宝石みたい!』
葉の後ろから、わらわらわと出てきたのは同じような姿の精霊たちだ。
彼の姿を見るやいなや、鈴の音のような声を上げて彼にまとわりついた。
「わぁ、沢山居るんだね。僕はテトラ、よろしく」
そっと指を差し出すと、1人がキスをする。これは彼が精霊たちとする挨拶。さしずめ、握手の代わりといったところか。
『テトラ? 』
『可愛い名前だわ!』
『素敵ね! お友達になりましょうよ』
『お喋りしましょ』
『花の蜜あげるわ!』
『ねぇ、どこから来たの?』
『人間でしょう?』
沢山の声が返ってくる。
彼はそれに困った顔もせず、一つ一つ丁寧に応えていく。
精霊たちは甘い声で、自分たちは魔界の草花の精霊で人間界のそれより大きく魔力をもっているのだと教えた。
『魔界は良い所よ』
誰かが言う。
『とても静かだしねぇ』
『でも静か過ぎる!』
『退屈だしー!』
『でも安全よ? 外と違って魔獣も出ないし』
この場合の外、とはこの庭園の外。
ここは魔界。人間界より余程多くの魔物や魔獣が住んでいるのだ。
魔王の魔力も結界の聖域である、この庭は別だが。
『魔王は強いの!』
『奥さんは天使よ!』
『元、だけどね!』
『エトは、粗野だわ』
『まだまだガキなのよ!』
『ルパこの前、お土産くれたわ!』
『異国の土よ!』
『不思議な匂いがしたわぁ』
彼女達の言葉に耳を傾け、重く沈んでいた彼の心は少しずつ軽くなっていく。
薄く煌めいた羽が肌をくすぐって、頬や手の甲に落とされた親愛のキス。それがまるで親兄弟のそれに近い癒しを与えたのだろう。
『レガリアは、すごく素敵な人』
「……え?」
ふと聞き知った名が、耳に飛び込んできた。
『彼があたし達を、ここに連れてきてくれたのよ』
『オーガ達に、踏み潰されそうになったから』
『優しくて』
『親切で』
『素敵なの!』
『女の子の扱いは最低だけどね!』
そのあと一斉に吹き出して、ころころと笑い出す精霊たちを微笑み眺める。
しかしその表情とは裏腹に、彼の心は薄い雲に覆われていた。
『あ! 雨よ』
『雨だわ!』
『気持ち良い!』
『雨季かしら?』
『あらテトラ、濡れてしまうわ!』
『人間は濡れたら、いけないのでしょう?』
やにわに慌て始める彼女達。
彼が天を仰ぎ見れば、鼻先が濡れた。
葉をトントントン……と雨粒が叩き、周囲の緑がいっそう濃く鮮やかになる。
「大丈夫だよ。少しくらいなら」
まだ花も取ってきてないから、と付け加える。すると精霊たちは、ヒソヒソと話し合い始める。
そしてうち1人が、彼の瞳の前に進み出て言った。
『庭園の隅にね。温室があるの』
「温室?」
こんなに気候の良い魔界なのに、温室が必要な植物でもあるのか。
『そこで雨宿り、するといいわ』
『良い花があるし』
『珍しいのよ!』
『なんせ、あそこには……』
精霊たちが、薄緑の透き通った羽をふるりと震わせた。
『人間界にしか咲かない花ばかりだもの!』
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
―――硝子張りの世界は、静寂に満ちている。
まるで時が止まってしまったような空間に、彼は足を踏み入れた。
「ここは……」
空気の流れが全く違う。
気温や湿度、香りすら外のものとは異なっている。
人間界のある地方の気候に近い。
テトラはふと、自身の田舎を思い出した。空気が、風がとても似ていたのだ。
風。そう、ここには何故か風が吹いていた。
「魔法で管理、されてる」
さすが魔界、と言うべきか。
ここで人間界の植物を生かすには、これくらいしなければならないのだろう。
「……あ。青い花、探さなきゃ」
せっかく彼女達が、ここを教えてくれたのだ。
彼は綺麗に芝のを敷かれた、グリーンガーデンを歩き始めた。
「!」
温室の奥。
そこに大きく黒い人影。膝を着いている。
こちらに背を向けて、なにやら魔法を使っていたらしい。
淡い光が漏れ出ていた。
「……」
人影が立ち上がり、振り返る。
恐らくここへ入ってきた時から、気配で察していたのだろう。しかしその動きは緩慢で、躊躇いがちであった。
「レガリア、さん」
「ン」
名を呼ばれた瞬間、この男の顔がわずかに綻んだのをテトラは気がついただろうか。
「あの。僕」
「……雨が降っているから、だろう」
小さいが、低く通る声でレガリアが言った。
「花を、探しに、来たのか」
まるで言語の覚束無い人のようである。
それでいて瞳の色は深く彼を見つめていた。眉間にはシワが刻まれ、テトラは一瞬で居心地が悪くなる。
―――精霊たちが『優しくて親切で素敵な』と評した男は、彼にとってそうではなかった。
だいたい優しい云々以前に、2人はろくに顔を合わせていないし、男の気まぐれで自分は仲間から引き離されたと思っている。
彼としては、別にちやほやして欲しい訳では無い。ただただ、不安で理不尽だったのだ。
テトラは、キッと彼を睨みつけた。
「レガリアさん。僕には貴方の考えがよく分からない。」
「……」
「貴方が僕の何に興味を引かれて、何に幻滅したのか……ともあれ、僕がここいる理由ってなんなんですか?」
「……」
「なぜ黙っているです。貴方に僕の不安が分かりますか!? 突然仲間から引き離されて、理由も知らされず。これからどうなるかも分からない!」
彼は大きく息を吐く。
拳を強く握り、消え入るように呟いた。
「そんなのって、酷い……あんまりです」
幸福より不幸の方がほんの少し多かった人生で、声など荒らげた事の無かった。
しかしそんな彼も、この不安には怒りと苛立ちを露わにする。理不尽だ、とこの自分より体格も魔力も上の立場の者に感情をぶつけたのだ。
「すまない……」
レガリアは、絞り出すように言葉を発した。そしてある花を、テトラの前に差し出す。
「これは……」
「ハイドランジア、と言うらしい」
青く小蝶のような花びらが、寄せ集まっている花。
前世でも異世界でも、雨季にはお馴染みの植物だ。
「これは……魔界には、咲かない」
「そうなんですか?」
受け取られぬ紫陽花を手に、レガリアは淡々と言う。
「ここで生育しているのは、人間界の花だけだ。俺……いや私が、採取した種を植えて」
「まさか、お一人で管理されてたんですか!?」
「魔法と人間界の技術を応用して、な」
テトラは改めて、この温室を見渡す。
こじんまりとしている。でもいくつもの花々が咲き誇って、鮮やかに彩っていた。
大量の魔力と膨大な労力が、このガラス張りの部屋に注ぎ込まれているのだろう。
レガリアが持つ、美しい紫陽花にも目を向けた。
瑞々しい葉と、鮮やかな青い花。大振りなそれはまるで優美な女性のように、彼の手の中で萼を広げている。
「すまなかった……」
もう一度、告げられた謝罪の言葉。
その真摯な瞳を覗き込めば、きっと映り込んでいるだろう。
―――困惑と、沸き起こったある感情を胸に抱く彼自身が。
紫陽花に、指がふれた。
迷うように何度もふれて、ようやくそのその茎を取る。
「……す、凄いです!」
「ン?」
「凄い! こんな綺麗な花を、しかも人間界の花。お一人で! 魔法使いとしても、ガーデナーとしても」
テトラは目をキラキラさせて、レガリアを見つめた。
その眼差しは、間違いなく羨望。
彼にとっては例えどんな立場でも、凄いものは凄い。尊敬するべきは尊敬なのだ。
そこが彼のお人好しと言うか、天然というか。しかし間違いなく、善人なのである。
「紫陽花、すごく綺麗」
「ン、ンン……」
先程まで剣呑な視線を向けられて居たはずなのに。レガリアが戸惑うのも無理はない。
テトラは手の中の紫陽花を、うっとりと眺めている。
「これ、本当に貰っても良いんですか?」
「ン」
「そう言えば」
彼はふと湧き出た疑問を口にした。
「もしかして。あの薔薇は、貴方が?」
「あぁ……君に似合うかと思って」
相変わらず無表情決め込んでいるくせに、薄ら赤面しているのがよく分かる。
テトラの中で、唐突に理解し難い感情が生まれていた。
なにこの人、可愛い。
マッチョなクマみたいな男を可愛いとか、目でも腐っちゃた? 基本無表情だし……いやでも、あんな情熱的な花を……正直、僕に似合ってるとは思わないけど。それでもイケメンから薔薇貰うって、人生にそうそう無いことだよなぁ
―――そんな思考が胸に頭に、ぐるぐると渦巻いてくる。
だから距離を詰めてきたクマ……失礼、彼に気が付かなかった。
「テトラ」
「!?」
至近距離。というよりゼロ距離だ。
気がつけば、大きな腕に包まれるように抱き込まれていた。
「君と……その……俺……」
「えっ」
強く、抱き締められた訳じゃない。
むしろそっと、壊れ物を扱うように。テトラは、その弱い拘束から逃れるより、降ってくる途切れ途切れの言葉に耳を傾けた。
「もっと……仲良く、したい……。……に、なりたい」
絞り出された言葉。それはわずかに震え、まるで祈るよう。
彼はそっと自身の手を伸ばす。こちらを真っ直ぐに見つめる、美しい顔に。
「仲良く、ですか」
「あぁ」
「じゃあ僕達、友達ですね」
「……」
彼は安堵と喜びに包まれる。
なんだ、嫌われているなんて勘違いだった。むしろ薔薇もくれていて、自分と仲良くしたいだなんて。
(嬉しい)
そしてこの不器用で無骨な男を見上げ、微笑む。
「僕。魔界でお友達が出来たの、初めてです!」
「……」
一瞬の間。
レガリアの表情筋は相変わらず、仕事をしない。
―――しかし、数秒後。わずかな諦めの色を瞳に浮かべて。
目の前の愛らしい友の為に、頷いた。
テトラは、厚く雲の覆う空を見上げる。
魔界へ来て初めて見る気候。この時期、そろそろ雨季に入るらしい。
魔界にも季節の移り変わりがあるのか、と彼は意外に思った。
人間界は国や地方によって、その季節や気候は大きく違う。
前世のように、四季のある国は数える程しかなくて。それでも雨季や乾季は多くの土地にある。
ここ、魔界でも同じ。
太陽が出て沈む。抜けるような青空の日もあれば、今日みたいに沈みこんだ曇り空もある。
極端な寒さはなく。どちらかと言うと暖かく、穏やかな気候の地域なのだろう。その代わり本格的な雨季に入ると、何日も雨が降る。
「ふぅ……」
大きく息を吸った。
久しぶりの外。魔界でも人間界でも、外の空気や風は心地よい。
そして強く香ってくる花々は、やはり彼の見たことが無いものばかりだった。
「えっと。こっちだっけ」
彼がやって来たのは、魔城の庭園。
色とりどりの植物が艶やかに、賑やかに植えられている。
煉瓦や小物でセンス良く、それでいて植物達が互いに共存する庭。
余程、腕の良い庭師がいるのだろう。
「青い花……青い花は、っと」
ブツブツ呟き、庭園を歩き回る。
色鮮やかに咲き誇る花々を縫うように、時折その花弁にそっと触れては首を傾げる。
彼は、花を探していた。
―――執事アルカムに、頼まれたのだ。
『青い花をひとつ取ってきて欲しい』と。
彼は晩餐の時に飾る花として、この季節にピッタリな花を望んでいた。
『キミは、花が好きそうだから』
そう小さく微笑まれたら、頷く以外にない。
しかも庭園があるとは聞いていたが、1度も足を踏み入れたことがなかった。
だからこうして、彼は久しぶりに心を踊らせて外へ出たのだ。
「見たことないなぁ、これ」
赤と黒のグラデーションの花。
毒々しい配色の筈なのに、その色味はどうも艶やかだ。甘く強い香りが鼻腔をくすぐり、その葉には既に露が光っている。
「綺麗……」
思わず手を触れようとした瞬間。
『気を付けて!』
耳元で、囁く声。
慌てて辺りを見渡すが、誰もいない。
『ここよ、ここ。綺麗な子』
「……あ」
赤黒い花の隣の葉。そこにちょこんと脚を組んで座るのは、薄緑の小さい精霊。
「こんにちは、草精霊。魔界にもいるんだね」
視線を合わせて、頭を下げる。礼儀を尽くせば、人間であっても返してくれるのが彼ら精霊である。
『もちろん! むしろ、ここは住みやすいわ!』
『……あら、可愛い子!』
『あたしにも見せて!』
『可愛い!』
『綺麗ね!』
『ハチミツ色の髪!』
『綺麗な瞳!』
『宝石みたい!』
葉の後ろから、わらわらわと出てきたのは同じような姿の精霊たちだ。
彼の姿を見るやいなや、鈴の音のような声を上げて彼にまとわりついた。
「わぁ、沢山居るんだね。僕はテトラ、よろしく」
そっと指を差し出すと、1人がキスをする。これは彼が精霊たちとする挨拶。さしずめ、握手の代わりといったところか。
『テトラ? 』
『可愛い名前だわ!』
『素敵ね! お友達になりましょうよ』
『お喋りしましょ』
『花の蜜あげるわ!』
『ねぇ、どこから来たの?』
『人間でしょう?』
沢山の声が返ってくる。
彼はそれに困った顔もせず、一つ一つ丁寧に応えていく。
精霊たちは甘い声で、自分たちは魔界の草花の精霊で人間界のそれより大きく魔力をもっているのだと教えた。
『魔界は良い所よ』
誰かが言う。
『とても静かだしねぇ』
『でも静か過ぎる!』
『退屈だしー!』
『でも安全よ? 外と違って魔獣も出ないし』
この場合の外、とはこの庭園の外。
ここは魔界。人間界より余程多くの魔物や魔獣が住んでいるのだ。
魔王の魔力も結界の聖域である、この庭は別だが。
『魔王は強いの!』
『奥さんは天使よ!』
『元、だけどね!』
『エトは、粗野だわ』
『まだまだガキなのよ!』
『ルパこの前、お土産くれたわ!』
『異国の土よ!』
『不思議な匂いがしたわぁ』
彼女達の言葉に耳を傾け、重く沈んでいた彼の心は少しずつ軽くなっていく。
薄く煌めいた羽が肌をくすぐって、頬や手の甲に落とされた親愛のキス。それがまるで親兄弟のそれに近い癒しを与えたのだろう。
『レガリアは、すごく素敵な人』
「……え?」
ふと聞き知った名が、耳に飛び込んできた。
『彼があたし達を、ここに連れてきてくれたのよ』
『オーガ達に、踏み潰されそうになったから』
『優しくて』
『親切で』
『素敵なの!』
『女の子の扱いは最低だけどね!』
そのあと一斉に吹き出して、ころころと笑い出す精霊たちを微笑み眺める。
しかしその表情とは裏腹に、彼の心は薄い雲に覆われていた。
『あ! 雨よ』
『雨だわ!』
『気持ち良い!』
『雨季かしら?』
『あらテトラ、濡れてしまうわ!』
『人間は濡れたら、いけないのでしょう?』
やにわに慌て始める彼女達。
彼が天を仰ぎ見れば、鼻先が濡れた。
葉をトントントン……と雨粒が叩き、周囲の緑がいっそう濃く鮮やかになる。
「大丈夫だよ。少しくらいなら」
まだ花も取ってきてないから、と付け加える。すると精霊たちは、ヒソヒソと話し合い始める。
そしてうち1人が、彼の瞳の前に進み出て言った。
『庭園の隅にね。温室があるの』
「温室?」
こんなに気候の良い魔界なのに、温室が必要な植物でもあるのか。
『そこで雨宿り、するといいわ』
『良い花があるし』
『珍しいのよ!』
『なんせ、あそこには……』
精霊たちが、薄緑の透き通った羽をふるりと震わせた。
『人間界にしか咲かない花ばかりだもの!』
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
―――硝子張りの世界は、静寂に満ちている。
まるで時が止まってしまったような空間に、彼は足を踏み入れた。
「ここは……」
空気の流れが全く違う。
気温や湿度、香りすら外のものとは異なっている。
人間界のある地方の気候に近い。
テトラはふと、自身の田舎を思い出した。空気が、風がとても似ていたのだ。
風。そう、ここには何故か風が吹いていた。
「魔法で管理、されてる」
さすが魔界、と言うべきか。
ここで人間界の植物を生かすには、これくらいしなければならないのだろう。
「……あ。青い花、探さなきゃ」
せっかく彼女達が、ここを教えてくれたのだ。
彼は綺麗に芝のを敷かれた、グリーンガーデンを歩き始めた。
「!」
温室の奥。
そこに大きく黒い人影。膝を着いている。
こちらに背を向けて、なにやら魔法を使っていたらしい。
淡い光が漏れ出ていた。
「……」
人影が立ち上がり、振り返る。
恐らくここへ入ってきた時から、気配で察していたのだろう。しかしその動きは緩慢で、躊躇いがちであった。
「レガリア、さん」
「ン」
名を呼ばれた瞬間、この男の顔がわずかに綻んだのをテトラは気がついただろうか。
「あの。僕」
「……雨が降っているから、だろう」
小さいが、低く通る声でレガリアが言った。
「花を、探しに、来たのか」
まるで言語の覚束無い人のようである。
それでいて瞳の色は深く彼を見つめていた。眉間にはシワが刻まれ、テトラは一瞬で居心地が悪くなる。
―――精霊たちが『優しくて親切で素敵な』と評した男は、彼にとってそうではなかった。
だいたい優しい云々以前に、2人はろくに顔を合わせていないし、男の気まぐれで自分は仲間から引き離されたと思っている。
彼としては、別にちやほやして欲しい訳では無い。ただただ、不安で理不尽だったのだ。
テトラは、キッと彼を睨みつけた。
「レガリアさん。僕には貴方の考えがよく分からない。」
「……」
「貴方が僕の何に興味を引かれて、何に幻滅したのか……ともあれ、僕がここいる理由ってなんなんですか?」
「……」
「なぜ黙っているです。貴方に僕の不安が分かりますか!? 突然仲間から引き離されて、理由も知らされず。これからどうなるかも分からない!」
彼は大きく息を吐く。
拳を強く握り、消え入るように呟いた。
「そんなのって、酷い……あんまりです」
幸福より不幸の方がほんの少し多かった人生で、声など荒らげた事の無かった。
しかしそんな彼も、この不安には怒りと苛立ちを露わにする。理不尽だ、とこの自分より体格も魔力も上の立場の者に感情をぶつけたのだ。
「すまない……」
レガリアは、絞り出すように言葉を発した。そしてある花を、テトラの前に差し出す。
「これは……」
「ハイドランジア、と言うらしい」
青く小蝶のような花びらが、寄せ集まっている花。
前世でも異世界でも、雨季にはお馴染みの植物だ。
「これは……魔界には、咲かない」
「そうなんですか?」
受け取られぬ紫陽花を手に、レガリアは淡々と言う。
「ここで生育しているのは、人間界の花だけだ。俺……いや私が、採取した種を植えて」
「まさか、お一人で管理されてたんですか!?」
「魔法と人間界の技術を応用して、な」
テトラは改めて、この温室を見渡す。
こじんまりとしている。でもいくつもの花々が咲き誇って、鮮やかに彩っていた。
大量の魔力と膨大な労力が、このガラス張りの部屋に注ぎ込まれているのだろう。
レガリアが持つ、美しい紫陽花にも目を向けた。
瑞々しい葉と、鮮やかな青い花。大振りなそれはまるで優美な女性のように、彼の手の中で萼を広げている。
「すまなかった……」
もう一度、告げられた謝罪の言葉。
その真摯な瞳を覗き込めば、きっと映り込んでいるだろう。
―――困惑と、沸き起こったある感情を胸に抱く彼自身が。
紫陽花に、指がふれた。
迷うように何度もふれて、ようやくそのその茎を取る。
「……す、凄いです!」
「ン?」
「凄い! こんな綺麗な花を、しかも人間界の花。お一人で! 魔法使いとしても、ガーデナーとしても」
テトラは目をキラキラさせて、レガリアを見つめた。
その眼差しは、間違いなく羨望。
彼にとっては例えどんな立場でも、凄いものは凄い。尊敬するべきは尊敬なのだ。
そこが彼のお人好しと言うか、天然というか。しかし間違いなく、善人なのである。
「紫陽花、すごく綺麗」
「ン、ンン……」
先程まで剣呑な視線を向けられて居たはずなのに。レガリアが戸惑うのも無理はない。
テトラは手の中の紫陽花を、うっとりと眺めている。
「これ、本当に貰っても良いんですか?」
「ン」
「そう言えば」
彼はふと湧き出た疑問を口にした。
「もしかして。あの薔薇は、貴方が?」
「あぁ……君に似合うかと思って」
相変わらず無表情決め込んでいるくせに、薄ら赤面しているのがよく分かる。
テトラの中で、唐突に理解し難い感情が生まれていた。
なにこの人、可愛い。
マッチョなクマみたいな男を可愛いとか、目でも腐っちゃた? 基本無表情だし……いやでも、あんな情熱的な花を……正直、僕に似合ってるとは思わないけど。それでもイケメンから薔薇貰うって、人生にそうそう無いことだよなぁ
―――そんな思考が胸に頭に、ぐるぐると渦巻いてくる。
だから距離を詰めてきたクマ……失礼、彼に気が付かなかった。
「テトラ」
「!?」
至近距離。というよりゼロ距離だ。
気がつけば、大きな腕に包まれるように抱き込まれていた。
「君と……その……俺……」
「えっ」
強く、抱き締められた訳じゃない。
むしろそっと、壊れ物を扱うように。テトラは、その弱い拘束から逃れるより、降ってくる途切れ途切れの言葉に耳を傾けた。
「もっと……仲良く、したい……。……に、なりたい」
絞り出された言葉。それはわずかに震え、まるで祈るよう。
彼はそっと自身の手を伸ばす。こちらを真っ直ぐに見つめる、美しい顔に。
「仲良く、ですか」
「あぁ」
「じゃあ僕達、友達ですね」
「……」
彼は安堵と喜びに包まれる。
なんだ、嫌われているなんて勘違いだった。むしろ薔薇もくれていて、自分と仲良くしたいだなんて。
(嬉しい)
そしてこの不器用で無骨な男を見上げ、微笑む。
「僕。魔界でお友達が出来たの、初めてです!」
「……」
一瞬の間。
レガリアの表情筋は相変わらず、仕事をしない。
―――しかし、数秒後。わずかな諦めの色を瞳に浮かべて。
目の前の愛らしい友の為に、頷いた。
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