変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

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ストーカーストーリー

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「やぁ、また会ったね」

 わざわざ来た客が偶然を装うのもおかしな話だ。
 だが最近キッチンに配属されていた奏汰が、たまたま他のバイトの出勤具合でホール勤務になった時に顔を合わせた。

「あ、いらっしゃいませ」
「うん」

 愈史郎ゆしろという男は笑顔でうなずく。
 この店にはよく数人で来るが、なぜか一人として同じ顔ぶれはない。だいたい毎回別の面々と仲良さげに来店するのだ。

「五名様ですね、こちらへ」

 大体が大人数で少なくとも三人まで。席に案内しながら、奏汰はふと彼を見た。

 パッと見れば印象の薄い人物である。
 どこがとは言い難いが、とにか憶えにくい存在というか。
 
 スタイルも悪くなく顔立ちも整っている。野暮ったさなど微塵もないが、数人いればその印象がなぜか曖昧になってしまう。
 まるでフリー素材のようなヤツだ、とバイト仲間がこぼしたのを聞いて言い得て妙だと納得した。

「あ、

 ちょうどバックヤードに戻ろうとしていた時、鉢合わせるようにして顔を合わせた愈史郎に声をかけられた。

「この前はどうもありがとうございました」

 財布の件で頭を下げると、彼はいやいやと手を振る。

「当然の事をしたまでさ。あ、そういえばね」

 そこで少し声のトーンを落とす。

「以前、君に連絡先わたしてたヤツ。オレの同僚なんだけどね、なんか諦めきれないって言ってて」
「え?」
「いや戸惑うよね。だからオレもやめとけって言ってたし、他にいい子紹介してやろうとしてたんだけども」

 表情を曇らせた彼が言うには、件の同僚とやらが失恋してからおかしくなってきたという。

「ついこの前、喫煙所でスマホ見てブツブツ言ってたんだよ。ちょっと何気なく覗いたら、奏汰君が写った画像がズラーっと。これってヤバくない?」
「それは……」
「しかも明らかに盗撮っぽくて」

 つまりストーカーされているということ。
 あまりのことに奏汰が顔色をかえていると、彼が力強く頷いた。

「もちろんちゃんと止める。オレも知り合いを犯罪者にしたくないからさ」

 盗撮もストーカーも経験がないわけじゃないので生娘よろしく怯えたりはないけど面倒なことにはなりそうだな、と内心ため息をつく。

 とりあえず、まずはキツく口頭で注意してもらうことになったのだが。

「君も気をつけてくれるとありがたい。もちろん、被害者に言うべきことじゃないかもだけど」
「いえ、教えてくれてありがたいです」

 この言葉は本心だった。
 早いうちに警戒することで防げることもあるのだから。

「普段は激昂するタイプじゃないから大丈夫だと思うんだけどね」
「あー……」

 顔すら覚えていない、などとは口が裂けても言えない空気だ。
 声をかけてくる客なんてそれなりにいるため、奏汰にとっては鬱陶しい他ないのである。
 
「単なる片想いってだけならいいんだけど、なんか思い詰めてたっぽいからなあ」

 安心させたいのか不安を煽りたいのか。
 とはいえ忠告は聞かねばなるまい。奏汰は神妙な顔でうなずいた。

「気をつけますね。ありがとうございます」
「もしかしたら、なんだけども」

 そこでチラリと辺りを見渡して。

「知らないの記憶はないかな」
「え?」
「香りだよ。甘いような変に薬っぽいような変な匂いがしたことないかな。あいつ実はαでさ。フェロモンを増強させる薬? みたいなの飲んでるんだって聞いたことあって」
「はぁ……そんなのあるんですか」

 αも性フェロモンを発する。それはαと(非妊娠の)Ωにだけ感知できる。
 それは通常、Ωのヒートに充てられた形で増強され性的興奮や攻撃性を引き起こすことが多い。
 
 そう考えるとΩもαも極めて原始的な性であることがわかるだろう。

発情ヒート誘発剤、あれにもαフェロモンが入ってるって知ってる?」

 その名の通り、Ωのヒートを人工的に誘発する薬だ。媚薬として使う者もいるがプラシーボ効果頼りのβ専用のものとは違い、その効力は絶大だ。
 誘発剤によって強制的にヒートを起こされたΩが合意なく番にさせられる事件が多いので、病院での取り扱いが主となっている。

 しかしその気になれば裏ルートから手に入れることは容易だろう。
 発情誘発剤にも使われているような成分のそれを服用するαの目的はただ一つしかない。

 ただのβであればまだしも、奏汰のように特異体質にはどう作用するか分からない。

「妙な匂いがしたら気をつけなきゃダメだよ」
「匂い……そういえば……」

 先日のショッピングモールでした香りを思い出す。
 確かに甘く、それでいて鼻にツンとくるケミカル臭を感じたのだ。

「覚えがある?」
「この前、竹垣さんと会った時――」
「愈史郎と呼んでくれていいよ」
「あ、じゃあ愈史郎さん。あなたが財布を拾ってくれた日に」
「やっぱりそうなんだ」

 彼は眉間にシワを寄せる。

「あの日、オレも彼に会ったんだ。偶然だけどね。その時の香りがすごく印象的でさ」

 奏汰はあの時のことを思い出す。じっとりとへばりつくような視線と甘ったるい匂いがここにきてようやく繋がった。

「本当に気をつけて。奏汰君はどうやら腕には自信あるみたいだけど、向こうの方がガタイもいいし確か柔道経験者だからね」

 そうだったか、と奏汰はまた内心首をかしげる。
 本当に覚えていない。ここまで興味がないというのも気の毒にすら思えるほどに。

「何かあったらに連絡して欲しい」
「は、はあ……」

 真剣な顔で手渡されたのは名刺。

「個人の電話番号も書いてるから」

 見ればよく知られる大企業のサラリーマンらしい。
 
「こっちでもヤツの動向には気をつけておくから」

 わざわざ会社の名刺を渡してくることで、奏汰の中で少し警戒心が和らいだ。

「はい」

 小さく頭を下げながら名刺を受け取る。

「本当にごめん」
「いえ、愈史郎さんのせいじゃないですから」

 やはり気分の良いものではない。それどころか散々危機感を煽られたせいか、憂鬱な感情で胸の内が重々しい。
 
 そんな表情の曇りを察してか、愈史郎が数秒考え込む仕草をしてから口を開いた。

「自分の責任として、あいつの暴走を止めるよ」
「愈史郎さん」
「他にも共通の知り合いもいるから、大事にならない程度に協力もしてもらうつもり。だからなんかあったらすぐに連絡して」
「……」
「君だけじゃなくて、家族や周りの人達にも注意して欲しい」

 その真摯ともいえる眼差しを受けて、奏汰はようやく見つめ返す。

「わかりました」

 ストーカー被害の恐ろしいところは自分だけじゃないことだ。
 このままでは大切な人たちにも危害が向けられるかもしれない。

 特に身重の明良に何かあったら、それこそ一生涯後悔することだろう。

「なんかすいません」
「いいや、むしろこっちが謝らなきゃいけないんだよ」

 愈史郎が肩に手を置く。

「君のこと守るから」

 自分の身くらい自分で、などとは言えない空気だ。
 確かにいくらそこらのβ男性より強い自覚があれど、得体の知れない薬を使われたら危ないかもしれない。

「……お願いします」

 熱い視線と手に込められた力の強さに少し顔を引き攣らせながら、奏汰はうなずいた。




 ※※※



 ストーカーという言葉にあまり動揺しなかったのは、この少年の存在もある。

「いい加減にしろよクソガキ」

 夜道、独り言にしては大きめな声に潜めた足音がぴたりと止んだ。

「高校生がこんな遅くに出歩いていいと思ってるのか」
「……」
「拓斗から聞いたぞ。最近、学校も休みがちなんだそうだな」
「……」

 やはり無言。じゃり、と地面を踏む音がしたので身動ぎしながらもそこにいるのが分かる。

「どうでもいいけど、ガキが馬鹿ガキに進化するだけだぞ」
「……」

 大きなため息をつく。お節介せずにこのまま無視して行く方がいいのかもしれない、と思いながら。

「おい、聞いてんのかこの――」
「そのバイトやめろよ、奏汰」

 物陰から現れたのはやはり龍也だ。
 先日までの無邪気な大型犬のような表情とは打って代わり、険しく暗い顔。

「はあ?」
「夜も遅いし、何があるかわかんねぇだろ」

 つまり居酒屋のバイトをするなということか。
 確かに夜は遅い、しかし時給面や大学生活という日中があるのだ。しかも毎日入っている訳ではない。それに。

「夜中に徘徊するガキに言われたくないな」
「ガキじゃねぇし」
「高校生はガキだよ」

 耳に痛いことを言われからだろう。数秒押し黙ってから。

「俺はいいの」

 と蚊の鳴くような声で返したものだから、奏汰は思わず吹き出す。

「笑わなくていいだろ」

 悔しそうに唇を噛む所が、身体こそ大きいがまだまだ子供だと物語っている。

「奏汰は分かってねぇ」
「はあ?」
「あんたがどれだけモテるかって、全然分かってねぇって言ってんだ」
「何言ってんだお前」

 性欲の対象にされて襲われたり言い寄られたりすることをモテる、と称するのなら間違ってはいない。
 しかしそれが不快であるなら、単なる嫌がらせと変わらないのだ。むしろ嫌がらせよりタチが悪い。

「ストーカーの筆頭であるお前が言うな」
「だから俺はいいんだってば」
「なんでだよ」

 すっかり家にも自由に出入りして、母の夏菜子や明良と仲良くなっているのも気に食わなかった。
 
「早く帰れよ、親が心配するだろ」

 彼にだって家があるし、家族がいるはずだ。
 本人の口からあまり聞かないが他に兄弟もいないはずで、こんな遅くまで家に帰らない子を親が心配しないはずがないと奏汰は思っていたのだが。

「心配なんてしねぇよ、二人とも」

 妙に淡々とした声色で彼が言った。

「それぞれ、今ごろ不倫相手のとこで楽しんでるからな」
「え?」
「俺ん家、ずっとこんな具合でさ。金はあるけどそれしかねぇの、笑うだろ」
「龍也……」
「だからつい甘えちまった。だってあんな風に優しくされることなんて、人生でそうそう無かったし」
「そ、そうなのか」

 悲しげに目を伏せる彼を目の前に、罪悪感が胸中にじわりと広がる。

「最初はあんたのこと好きで。ストーカーの一環で家に入り込んだんだけど」
「ストーカーはダメだろ」
「でも」
 
 控えめなツッコミもスルーで龍也はため息をつく。

「家族の温かさ? そういうのが身に染みて。ごめん、迷惑だったよな」
「い、いやそういうつもりじゃ……」
「家に帰っても一人なんだ、俺」

 捨てられ雨に打たれた子犬のような様子に、奏汰はもうなにも言えない。

「本当にごめん。でも今日だけでいい、今晩だけ」
「え?」
「……泊めて」
「!?」

 家に泊めろ、ということか。
 確かに明日は日曜だ、と考えかけたがすぐに我にかえり首を横に振ろうとするが。

「ひとりぼっちはもう嫌だ」

 泣きそうに歪められた顔に絞り出された言葉。
 非情になりきれない。

「ったく、仕方ねぇな」

 盛大に舌打ちしながらも、奏汰は彼に背中を向けて歩き出した。

「今晩だけだぞ、クソガキ」

 それに龍也は答えない。その代わり。

「……この前のこと、忘れてないからな」

 と小さな声でつぶやいていたことに、彼は気づかなかった。

 

 

 
 
 

 

 

 
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