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山神様は不機嫌の極み

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 古代から、山というものは信仰の対象となっていた。
 人間にとってどうにもならぬ雄大な自然、かつ目の前にそびえる崇拝対象として。
 
 日本だけではない。世界各地にて精霊や神々、悪魔などの住む場所として畏敬されてきたのである。
 さらには人間の住まう現世うつしよと、人ならざる者たちが存在する常世とこよとの境界線もあると信じられてきた。

「おい、ヤタ」

 朔夜の声に返事はない。
 そこでようやく思い出した。

「あ。いなかったか」

 少しばかりつかいに出したばかりなのだ。

「ふぅ」

 畳に寝そべり目を閉じる。柄にもなく、疲れを感じているらしい。
 
「ったく、調子狂う」

 舌打ちまじりに独りごちるも、彼の心は晴れることはなかった。

「やはり人間なんぞ信用できないか……」

 あれから丸二日ほど。昨日もそれとなく山を少し降りてみたのだが、あの男が登ってくる気配はなく。

「ふん。調子の良いことを言いやがって」

 腕を引かれて小童にしては逞しい胸に抱かれた記憶がよみがえる。
 
『ここへ戻ってきたあかつきには、あんたの側に俺を置いてはくれねえか』

 熱のこもった声は少し震えていたかもしれない。
 たじろぐ朔夜に彼はなおも言葉を重ねて。

『俺にはもう何処どこにも行くあてがない。憐れ極まりない仔犬だとでも思って、拾ってくれよ』

 こんな図体の仔犬がいてたまるか。むしろ犬ですらありえない。良くて熊だろうとつっけんどんに言い返すも、今度はぐりぐりとこちらの肩口に顔を押し当ててくる。
 どうやらこれで甘えているつもりらしい。

『掃除洗濯炊事、使いっ走り。なんでもする。だから俺をあんたの元に置いてくれ』

 ここ、とは常世のこと。
 下界とは違い、本来なら人間なんぞ足も踏み入れることの叶わぬ場所なのだ。
 
「……なんて言っておいて」

 とんだ待ちぼうけを食らっている気分である。
 
「ああ、やめたやめた。考えるだけで腹立ってきた」

 もちろん何度も断った。滅多なことを言うもんじゃないと諭しもした。それでも頑として折れなかったのだ。
 しまいには。

『約束してくれねえのなら、女も連れてこない。ずっとあんたに張り付いていてやる』

 と馬鹿力で腰にまで抱きついて離れようとしなかったのだ。
 さすがに二度目の接吻は阻止したが、そこから遂に根を上げたのが朔夜の方であった。

 勝手にしろとやけになり怒鳴りつけたにもかかわらず、ぱっと目を輝かせた太郎。

『絶対に戻る』

 と言い残し、意 意気揚々いきようようと山を下って行った。もちろん人間の足だけでは村には帰れないだろうから、ヤタに連れて行かせたが。

 ――なんて無礼な男。

 あれだけ熱のこもった眼差しで見つめられたことなんてあっただろうか。
 そんなことをふと考えた刹那、胸に重い石を乗せられたような鈍い苦しさを覚える。
 
「……」

 不可解な感覚。酷い悪夢を見て起きれば忘れてしまったような不快さと言えばいいのか。
 
 ――まるで

「!」

 脳内に突如として響く声に思わずはね起きる。

「な、なんだ、いまの」

 とうとう気でも触れてしまったのだろうか。
 長い髪ごと頭を抱える。

「どうしちまったんだ、僕は……」

 早まる動悸。息を荒らげても窒息してしまいそうで。

「っ、く」

 そのうち脈を打つこのようにこめかみ痛み出す。爪で畳の目を引っ掻き耐えようとするも、ぐらりと目眩まで起こす始末。

 ああ倒れる、と思った時だった。

「朔夜!」

 耳元で名を呼ばれ、勢いよく包み込まれる感覚に大きく息を飲む。
 不快な歪みと回転をみせていた視界が一気に止まり、朦朧としかけていた意識が強引に戻されたのを感じた。

「あ……ぁ」
「大丈夫か。あんた」

 眼前には見覚えのある顔。きつく寄せられた凛々しい眉、その下の瑠璃色の瞳は忙しなく揺れている。

「お、お前……は……」
「無理して喋るな。まずは息を吸って、大きくだ。そして深く吐け。ゆっくりな」

 まるで赤子をあやす様、とんとんとんと優しく叩かれる背中。
 言われるがまま呼吸を整えていくと、少しずつだが強ばった身体の力が抜けていくような気がする。

「大丈夫だ、あせるなよ。大丈夫だからな」

 人に大丈夫かと問いかけておいて、今度は大丈夫だと何度も声をかける男。
 朔夜はここでようやく、自分が彼に抱かれて介抱されていることを知る。

「……戻って、きた、のか」
「だからまだ無理するなって。大丈夫だからな」

 ――大丈夫、か。

 自分をなだめ元気づけようとしているはずなのに、なぜかその表情は険しい。少しおかしく思えてきた。
 だから吹き出してしまう前に、そっと身体を起こす。

「お、おい」


 よくよく見れば、腕だってわずかに震えている。
 途端、この大柄な男がまだ十代の純朴な少年に思えてきたのだ。

「太郎」

 名を口にすれば彼の目が見開かれる。覚えていたのかと言わんばかりに。
 朔夜は失礼な奴めと苦笑する。

 ――丸二日ほどで忘れるわけがなかろうに。

「おかえり」

 視線を素早く周囲に巡らせる。二人きりだ。
 乱雑に紙束が置かれた文机を背に、座り込んでいる。

「太郎」

 もう一度呼ぶ。今度は何か言いたげに彼の厚めな唇が震えた。

「で、連れてきた女は?」
「…………あ」

 肝心な存在を忘れてきたといった表情の男に、今度は別の意味で目眩めまいを覚える。

「この、たわけがぁぁぁぁッ!!!」

 次の瞬間、朔夜は怒鳴りつけながら形の良いひたいを思い切り引っぱたいた。

 バッチィィンッ、という音と。

「い゙っ!?」

 という声にならない呻き声が静かだった部屋に響きわたる。
 







 

 
 


 

 

 
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