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魔法使いと時計の針

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 ―――それは100年前の昔話。
 ある城に知的で優しい王妃と勇敢な王。そして可憐な王女がいた。
 その城には沢山の仕える者達がいて、それはもう立派で美しい城だったのである。

 王女の名前はミア。黒く艶やかな髪に、白い肌と紅い唇。美しいその少女を国中の人達が褒め讃える。
 ……当時、国は力と知恵のある素晴らしい王の統治でとても平和で豊かだった。

 そんな幸せな国は一人の魔女の呪いによって混乱と絶望、そして衰退に追い込まる。
 
 魔女アメリア、銀髪の少女。
 その凛とした美しさもまた人々を魅了して止まなかった。
 しかし彼女によって、突如として掛けられた呪いにより白亜の城は一夜にして茨の蔦が張り巡らされ、城中の人々は全て100年の眠りに落とされたのである。

 ―――時の止まった茨の城。そこの一番奥の寝台に眠る眠り姫。
 その話はいつしか風の噂で広まる。
 何人もの王子たちが呪いを解かんとやってきた。

 ……呪いを解くのは、ただ一つであるからだ。
 しかし100年経った今も、誰一人この呪いを解くことは出来ない。

 そして今日も、一人の王子が茨の城の前に現れる。



■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□

「悪いが、俺はそんな昔話に興味はないぜ」

 そのはそう言って肩を竦めた。
 黒髪が風に靡くのすら鬱陶しそうに掻き上げたその顔は、驚く程に端正である。そして逞しい身体の彼は、自らを隣の国の王子だと名乗った。

「じゃあなんで来たんです」

 僕の顔はきっと驚きに満ちていただろう。
 この何も変わらない日常で、初めての事例だったから。

「そりゃお前……キツネ狩りをしてたんだ。そしたら犬がこっちの方向に行ってな」
「それでこの城を見つけたって!?  凄い偶然ですね!」

 は僕の疑わしそうな顔を見て、何がおかしいのか笑っている。
 なんだか変なやつだと思った。

 ……僕の名前はノア。姿形はちっぽけだけど、これでもそこそこベテランの魔法使い。
 そしてここは茨の城。これでも100年前は立派で綺麗なお城だったんだ。 

 100年前。この国の魔女アメリアが呪いを掛けて、この城は茨に囲まれてしまった。
 しかもそれだけじゃない。中にいた人々は皆眠りに落ちて、この中だけ時間が進まなくなってしまった。
 幸い魔法使いだった僕だけが眠りに落ちることはなかった。だけどあれから老けること無く15歳の姿のまま、ここで人々の世話を続ける生活をしている。

 召使いから従者、兵士達から、大臣達……あと王様、王妃様、王女ミア様。
 全て僕一人でお世話している。
 もちろん、魔法を使ってね。

「今まで他にも王子は来てるのか」
「ええ、そうだよ。もう二百人位になるんじゃないかなぁ」

 この呪いはで解けるとされている。
 何故かって聞かれても僕は知らない。そんなの呪いを掛けた魔女アメリアに聞いて欲しい。
 魔女の考えることなんか分からないから。

「でもどいつもこいつもダメだったんだろ」
「まぁ……そうだね」

 正直、何が条件なのか検討がつかない。
 二百人もの男たちが王女にキスをして、それを僕が眺めて。
 また来た王子様って奴を唯一茨の無い、裏口から城の中に案内して。またキスを眺める。

「100年もやってたら心がになる」
「そりゃあご苦労なこった」
「他人事だと思って……」

 まぁ他人事なんだろうけどね。
 ため息をついた僕をジッと見つめるその瞳。何故だかすごく苦手だった。
 榛色はしばみいろのその瞳は、見覚えがあるような気がする。

「どうぞ、こちらへ」

 なにはともあれ、僕の役目の一つだから仕方ない。
 城の中に招き入れて、一番奥にある寝室に案内することにしよう。
 硬い床は、今朝も磨いたから割とピカピカだ。
 彼は床に目を落とすと。

「ふむ。綺麗にしているな」

 と呟いた。すごく誇らしくなって、思わず微笑む。

「お前、笑っても可愛いじゃねぇか」

 ぽつりとそう言われて、僕の二度目の驚き。
 でも次の瞬間、すごく恥ずかしくなった。

「そういう歯の浮くような台詞は、ミア様に言ったら良いでしょうに」

 照れ臭いのを隠すように刺々しい言葉を投げかける。
 しかし気を悪くした風でもなく、彼は相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべながら僕の後をついて歩いているんだ。

「ここです」

 寝室に一名様ご案内。
 大きな扉の向こうは、これまた大きくて豪奢な天蓋付きベッド。そしてそこに眠るは……。

「ふむ。なるほど」
「ね、美しいでしょう」
 
 思わず得意げになるのは仕方ない。
 毎日僕が、この可憐で美しいミア様の身体を拭き清めて金色に輝く髪を梳かすんだから。
 愛しいお姫様……僕は、かつてミア様に恋焦がれていた時期がある。
 
 ―――100年前。僕とミア様、そして魔女アメリアはよく城を抜け出して遊んでいた。
 僕もアメリアも城付きの魔法使いの弟子で、お城で暮らしてたから。
 見つかればしこたま怒られたけれど、僕にとってあの子供時代はとても楽しくキラキラ輝いていた。

 あの日、なにがあったのか分からない。
 ただ覚えているのは杖を片手に呪文を唱えるアメリアとその足元に倒れ込んだミア様。
 叫んだ僕に、銀髪の魔女が向けた杖と呪文……そして気がついた時には今の状態だ。
 それから百年の時を僕は一人、幸せと不幸を噛み締めている。

「確かに美しいし、愛らしいな」
「ちょっと……」
 
 そう呟いた王子の目が何故かこちらを向いている事に気がついた。
 なんなら身体も……いや。気が付けばどんどん距離を詰められて、ベッドサイドで抱きすくめられている格好に。

「な、なんなんですか!?」
「だから綺麗だ、と」
「見る方向が違うっ!」

 この男、王子様なんだろう。なのにさっきから僕の方ばかり。しかも、なんだろう……彼に見つめられると、何故か酷く落ち着かない。
 心の奥底を掻き回されるような、ザワザワとした気分になってくる。

「いや。これで正解だ。俺はお前の方が綺麗だと思うぜ」
「は、はぁぁ!? ミア様を愚弄する気かっ!」

 僕が毎日綺麗にお世話してる、初恋のお姫様なんだぞ! 
 ギリギリと締め上げるように抱き着いてくる彼に怒鳴りつける。
 でも一向に離す気配も動揺した素振りすら見せない。
 初対面の僕をうっとりとした、しかも落ち着かない榛色の瞳で覗き込んでくる。

「一目惚れってヤツだ。嗚呼。可愛い人よ。お前にキスをしても……いいよな」
「よ、良くないよッ! せめてちゃんと聞いて!? 」
「いいや、決めたぜ。キスをする。んでお前は俺のもんだ」
「なんでそうなるの!」

 もうヤダ、この変な人。本当に王子様なの?
 でも悲しいかな肉体的には非力な僕はこの鋼のような身体から逃れられない。
 杖すら握れない僕は、単なる15歳の少年と大差ないんだ。
 それにこの瞳と綺麗な顔……この感じ、どこかで。

「んんーっ……!」

 無遠慮に重ねられた唇に、抗議の声を上げるもそれは単なる唸りになる。
 暴れようにもやっぱりがっしりと捕まえられた身体からは力すら抜けていく始末。
 そうして弱々しく抗う僕を嘲笑うかのように、口内に湿ったなにかが這い寄ってきた。

「ぅ……ん……む……っ……ふぁ……」

 呼吸を封じられ、ぼやける頭で分かったのは彼の舌が僕の歯列をなぞり、それが堪らなく背筋を粟立たせるということ。
 自分の鼻にかかったような声が耳に入るのがとても嫌だ。

「っ……はぁ、ぁ……さ、最低……だ」

 ようやく解放されて、思わずへたり込む僕を彼は優しい顔で見下ろしていた。

「やっぱり可愛いな、お前」
「可愛くなんかないっ!」
 
 ……初めてのキスだったのに。
 眠っているミア様にこっそりキスする事すら出来なかった、そんなヘタレな僕は遂に男に唇を奪われるなんて。

「酷いよぉ……なんでこんな」
「言っただろう。一目惚れだ。王子は誰だってするもんなんだよ。そうじゃなきゃおかしいだろ。初めて見た姫にキスぶちかますなんて、普通に考えたら頭おかしい事」
「じ、自分で言っちゃったよ……この人」

 そのを、姫でもなんでもない僕にしちゃったんですけど!?

「一目惚れだから問題ねぇ。むしろ正義だ」
「……」

 謎理論だし、そこに僕の気持ちは!?

「心配ねぇ。そこは俺が
「な、な、な、何を叩き込まれるんだよ。怖い!!」

 再びその逞しい腕で僕を拘束せんと、距離を詰めてくる男から逃れようと必死になる。

「だ、だいたい僕は貴方の名前すら……っ」
「俺の名前はライアンだ。教えてやったんだから、呼べよな」
「ら、ライアン……?」
「よく出来ました」

 ニンマリ笑った彼は僕を一気に捕まえにかかった。

「っ……待って。僕には王女が」

 必死で身体を捩り、寝台の方を振り返れば。

「い、いない!?」

 純白のシーツの上に横たわる柔らかな曲線は無く、隅に追いやられ肌蹴た寝具の他に何も残っていない。
 ……まさか。ついさっきまでここに眠っていた美しいあの人が!

「王女なんて、最初からいなかった」

 僕の耳に唇を寄せて、ライアンは囁いた。
 
「な、何を、言って……」

 いなかった? しかも最初からって。
 全てが僕の幻覚や夢、幻だとでも言うのか。
 パニックを起こしかける僕を、大きな手が宥めるように撫でる。

「そこに居たのは王女じゃねぇよ……魔女だ」
「え?」

 すると突如として彼の背中越し、僕の目の前に一人の少女が現れた。
 歳の頃は僕や王女と同じ。
 その銀髪の髪を長く靡かせて、さらにアメジスト石のような深い紫の瞳は遠い記憶のままだ。

「あ、アメリア……」

 そう、それは100年の呪いの魔女。
 僕達の幼なじみ、アメリアだった。



■□▪▫■□▫▪■□▪▫■

 ―――アメリアは語る。
 100年前、彼女の呪いを。
 それは城を茨で覆い、皆を眠らせて僕だけが時間からも皆からも取り残された。

「ノア、貴方が王女に恋していたのは知ってたわ」

 記憶より、ほんの少しだけ低い声でアメリアは言う。

「だから私が呪いを掛けた。全てを眠らせて……王女を殺したの」
「!?」
 
 なんてことだ。
 既に王女は死んでいたって事なのか。

「お前が今まで甲斐甲斐しく世話をしていたのは、王女に化けたこの魔女って訳だな」
「そんな……」

 ライアンの言葉に膝から崩れ落ちるような気持ちだった。
 100年もの間騙されていたって事だもの。
 この魔女はミア様に恋焦がれる僕を見て、どんな顔で嘲笑っていたんだろう。嗚呼、馬鹿な奴だとほくそ笑んでいたのか。

「アメリア……酷いよ……君……」
「貴方が悪いのよ、ノア」

 紫の煌めきを冷たく細めて、彼女は言葉を紡ぐ。

「身分違いだと何度も忠告したわ。単なる城仕えの魔法使いの弟子でしかない。そんな貴方が王女なんかに恋をして……何を得られるというの?」
「僕は何も要らなかった! 何も。ただ、あの日常が……君や僕、ミアとの日々が続けば良いと思っていただけなのに!」
「……」

 そんなに身分違いの恋がいけない事なのだろうか。もしかしたら恋と呼ぶのも烏滸がましいのかもしれない。
 15歳の少年少女のほんの少しの心の揺らめきだろうに。

「そう思っていたのは貴方だけよ、ノア」

 突き放した言い方に、僕の大切な思い出が殺されていく。
 怒りすら湧かない絶望感に、頬が濡れている感覚。
 ……嗚呼、僕は泣いているらしい。

「ふん、魔女は嘘つきだな」

 笑みを含んだ声。
 ライアンが肩を竦め、挑発的な表情でアメリアを見ていた。

「……なんのことかしら」

 能面のような白い顔。銀髪の髪がサラリと頬を撫でる。

「まずお前は王女を殺してなんかいねぇ。王女を。駆け落ちの手伝いをするとは、随分少女だったんだな」
「……」
「魔女。王女に懇願されたのは身代わりだろう。お前が彼女の代わりに王女として城に留まってほしい、と」
「そうよ……だって仕方ないでしょう。相手は遠く離れた国の王子、しかも当時敵国だったのよ」

 アメリアはぽつりぽつりと真実を口にする。
 
 ―――100年前。一人の若い王女は10も離れた、しかも敵国の王子に恋をした。 
 二人は愛を誓ったが、王はもちろん許さず彼女を城の奥に幽閉しようとさえした。
 涙にくれた王女は幼なじみである魔女に頼む。

『ここから出して。彼の元へ行かせて』と。
 当時から強大な力と才能を持った魔女は悩みに悩み、魔力を使い果たすように城を全て眠らせた。さらに彼女になりすまし眠りに落ちて……。

「僕、全然知らなかった」

 まるで子供じゃないか。僕だけが蚊帳の外ってことか。
 それはそれですごく悲しいんだけど。
 
「ミアは貴方のこと、大切な弟のように思っていたの。だから口止めされてたわ」
「お、弟……」

 うぅ。ダブル、いやトリプルショックだ。
 項垂れる僕を悲しそうな彼女の声が降りかかる。

「でも私は貴方の事が……だから貴方は不幸だったこの百年、私は幸せだったわ」
「アメリア……」
「でもそれもお終い。この呪いはで解けるのよ」

 馬鹿な。キスなら散々色んな王子達が……!

「バカね、ノアは」

 小さく笑った銀髪の魔女の表情は優しく柔らかい。

王子がキスをしたら、よ」
「!?」

 ……う、嘘でしょ!
 僕が反射的に隣に立つ青年、ライアンを見上げると。

「俺だな」

 満面の笑みの美丈夫と視線が合った。

「俺の瞳は祖母譲りでな……それは見事な榛色はしばみいろだったぜ」
「まさか貴方……!」
「?」

 アメリアは驚きの声を上げたが、話が分からない僕が鈍いのだろうか。
 榛色? あの落ち着かない色。

「……ミアの、孫?」
「ああ。もう死んじまったけどな」
「そう」

 伏せられた目と、うっすら浮かんだ涙にようやく僕の思考も動き出す。
 なんてことだ。城から出た王女は愛する人と幸せになって、子を成してさらに孫まで……。

「100年も経ったんだものねぇ」

 ホッとしたような声。
 その瞬間、アメリアの身体が指先からサラサラと崩れていくのが見えた。
 まる砂の像のように。それは指から手首、腕でまで……塵一つ残すこと無く霧散する。

「アメリア!」
「ごめんね、ノア……やっぱり他の女の子に貴方が奪われるのは嫌だったの。でも、この王子様になら……」

 もう言葉すら消え失せた。 
 強大な魔力は、100年の呪いと共にその肉体を滅ぼしてしまったのだと同じ魔法使いだから分かったんだ。
 ……遂に、彼女まで逝っちゃったんだ。
 寂しさと悲しさ、虚しさで涙すら出ない。

「悲嘆に暮れてる所悪いんだが」
「……」
「おい」
「……」

 なんなの。今すごく悲しんでるんだけど。
 親友と初恋の人を一気に失って、しかも100年前に失恋してて。
 あー……なんだろ、異国でいうなら悟り開けそう。

「こっちを向けよ」
「ヤダ」

 ……そういう気分じゃない。もう放って置いて欲しいくらい。

「俺の目を見ろ」
「ライアン、君は傷に塩を塗って楽しむタイプなの?」

 思い出したんだ。この榛色。ミア王女の瞳の色だって。
 いつしか忘れてしまった色。でもあの王女は実はアメリアだから閉じた瞼の中にはきっと、アメジスト色の瞳だったのだろう。

 ……魔女でも瞳の色を変えるのは難しいのだから。

「違ぇよ。初恋の女の孫を愛せば良いだろって話だ」
「と、倒錯的だなぁ」

 僕、恋愛は100年前のまま成長出来てないんだけど。そんな僕がそんなハードな……。

「まずはキスだ」
「さっきしたじゃないか」
「それは所謂、ガキの遊びだ。ここからは大人のだな……」
「さっきのも充分未知の世界だよッ!」

 子供があんなゾクゾクする口付けしないだろう。

「まぁ俺に任せろ……お姫様」

 ―――王子というより、獣に近い表情で彼は笑った。
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