上 下
2 / 8

檸檬の目眩

しおりを挟む
 友人に顔色悪いと言われても、太郎は曖昧にしか笑えなかった。

「ホントだって。ほら、月乃も見てみなよ」
「はは……少し夜更かししすぎたかもな」

 食い下がる女子生徒は風音 円香かさね まどか。隣のクラスで、月乃の親友だ。
 思い出すのは告白を受けて付き合い始めてすぐ、彼女に呼び出されて開口一番。

『月乃を泣かせたら許さないから』

 と燃えるような瞳で睨みつけられたこと。
 彼女とは真逆、明るめな髪色の快活なベリーショートの少女はあの言葉とは裏腹に太郎と月乃の仲を何かと気にしてくれているらしい。
 というものの。
 
「いやいやいや。目の下のくま、やばいって!」

 物怖じせず顔に伸ばされた指に少し怯みつつ、太郎は肩をすくめたみせる。
 男女問わずの積極的なスキンシップも、いわゆるサバサバ系の彼女なら仕方ないのだろう。
 しかし異性に免疫の少ない自身にとっては、動揺するなという方が無理な話で。

「あー、そうかな」
「太郎君」
「月乃……ちゃん」

 横からスっと出てきた彼女にも軽く仰け反ってしまう始末だ。
 やはりどうにも女子は苦手だった。今も、もう痛くもない腹を探られるような心持ちにされるのだから。

「昨日はごめんな」
「ううん。いいの」

 濃いまつ毛に縁取られた大きな目をぱちりとひとつまばたいて、彼女は小さくうなずいた。
 しかし割って入る大声。

「いいわけないでしょ。太郎ってば月乃置いて帰っちゃったんだって? ひっどーい!」

 ああまただ、とため息をつきたくなる。
 お節介と言う言葉が可愛くみえるような、この言動。むしろ親友を押しのける形で彼女は太郎に詰め寄った。

「彼氏としてどーなの!? 目の前で家族が喧嘩してたんだから、優しく慰めてあげなきゃ!」
「円香ちゃん。もういいから」
「よくない! 月乃は優しすぎるんだってば。男って、いっつもそう。ほんと、鈍感でデリカシー皆無なんだから」

 自らの怒りでさらにヒートアップするタイプらしい彼女には、ほとほと困ってしまう。
 恐らく円香は親友として当然のことをしていると思っているのだろう。だがその正義感がまたうんざりする。
 
「ごめん」

 ここで何か反論や言い訳めいた事を言えば、火に油を注ぐことになるんだろう。とはいえ気分のいいものではない。
 どこか気まずそうに目を伏せる恋人に対しても、なんだか少し冷ややかな感情が湧き上がる。
 
 いつもこうだ。確かに今回のことは自分が悪かったかもしれない。
 カノジョより二度しか顔を合わせた事のないカノジョの兄貴を心配して追いかける、なんて。
 しかも結局、感謝されるどころか邪険にされて置いてけぼりとか。
 とんだ道化師ピエロだ、と頭のひとつでも抱えたくなる。

「円香ちゃん、本当にいいの。太郎君のそういうとこも好きだから」
「でも月乃……」
「いいの。ね、太郎君もそんな顔しないで。お兄ちゃんのこと、心配してくれたんでしょ? 私は嬉しかったよ」

 まだ詰めよろうとする彼女の肩をそっとおさえ、微笑んだ恋人は確かに綺麗だった。
 斜め前にいた他の男子グループが、ハッとした様子で目配せし合ったくらいだ。
 同級生、いやこのクラスのどの女子とは別次元の生き物のような空気をまとった少女。

 そんないわゆる高嶺の花を恋人にした男。そう注目されない訳では無い。しかし太郎としては、未だいまいち実感がわかなかった。
 ありたいていに言えば、どう考えても釣り合っていない。
 自分のような取り立てて秀でた所もない男と、こんな成績まで優秀な美少女と。

「月乃がいいならいいけどさあ」
 
 しぶしぶ、といった様子で引き下がった円香にホッと安堵の息をつく。
 さながらモンスターペアレントだ。昨日のキス計画だって、彼女に半ば説教されてけしかけられた形だった。
 とはいえ自分の友人達から聞いても。

『キスもまだとかありえない』

 という嘲笑 (少なくとも太郎にはそう感じた)めいた言葉をしこたま食らったのだ。
 挙句、キ〇タマついてんのか! とまで円香に罵られ計画実行に踏み切ったのが昨日のこと。
 実際は完全不発に終わってしまったのだが。

「ほんとに、ごめんな」

 なんだか色々と疲れてしまって、太郎は彼女達から視線を外す。

 そこでふと。

 ――兄妹なのに、似てないな。

 なんて思考が頭に浮かんで、やっぱり寝不足でおかしくなっているのかもしれないと頭を垂れた。

 

※※※

「……お兄ちゃん、どうだった?」
「え?」

 帰り道。いつものように二人で歩く道で、唐突な話題がふられた。

「痛そうだったかなって」

 大の大人がよろけるくらいの力加減で叩かれたのだから、月乃が心配するのもわかる。
 しかし太郎は曖昧に濁して下をむく。

「ああ」

 顔をみせてくれなかった、なんて言えない。言いたくもない。
 あの時、自分はなにを期待していたのだろうと猛烈な羞恥心に頭が痛くなりそうだったから。

「お兄ちゃん、昔はあんなんじゃなかったの」

 彼女はアスファルトに転がる石を蹴った。
 転がったそれはわきの土手を落ちる。

「優しくて明るくて、部活も勉強も私なんかよりずっと出来てね。でも」

 太郎は月乃が語った兄のことを、黙って聞いた。
 友達も多く、まさに陽キャといえる彼が変わってしまったのは高校二年の夏。
 
「家族とも全然喋らなくなっちゃって、部活も辞めて成績も落ちて」

 毎日、死んだ魚のような目をしていたと。
 それだけでなく素行もどんどん悪くなっていった。
 帰りが遅くなり、ついには週に何度か家に帰らない日が増える。

「お父さんお母さんも私も、どうしたらいいか分かんなかったの」

 変わったのはそれだけでは無い。髪を明るく染めて、ピアスの穴は増えていく。すぐにヤンキーだとわかる見た目になった。

 当然、なにかあったのかと両親が問いただしたが黙り込むばかりで。

「大学行ったけど、なんか辞めてたみたい」

 大学からの知らせで知った両親はまさに寝耳に水。そしてふらりと現れた息子に激しく問い詰めたのだろう。

「お父さんもお母さんもなにも教えてくれなかったけど、もうお兄ちゃんは帰ってこないのかも」
「月乃ちゃん」

 大きな瞳にうっすら涙の膜が張っているのを見て、大きく狼狽えた。
 泣いている女は苦手だ。どう慰めて良いやら分からない。だがこのまま見て見ぬふりするのはもっとまずいくらいはわかる。

「あ、あの」
「お兄ちゃん、叩かれて痛かったよね」
「え?」

 ついに立ち止まって顔をおおってしまった恋人に、かける言葉すら思いつかない。
 
「両親も多分心配してるだけなの。お兄ちゃんがおかしくなっちゃって、私もどうしたらいいかわからんない……」

 涙で滲んだような声だが、しゃくりあげなかっただけ我慢しているのだろう。
 太郎はそこでようやく、彼女の肩にそっと触れた。

「月乃ちゃん、大丈夫か」

 なんと月並みで、それでいて的外れな言葉かけだ。自分でも呆れてしまう。
 こういう時、気の利いた事をいえる男がきっとモテるのだろうなと苦々しく思いながらも、小さく息を吸った。

「大丈夫なわけ、ないよな。でも、その……俺は話くらい聞いてやれると思う」
「太郎君」
「ごめんな。お前の兄さんにも、怒られたよ。自分よりカノジョの傍にいてやれって」
「お兄ちゃんったら」

 そこで堪えきれなかったのだろう。小さくすすり泣く月乃の肩をおずおずと抱いた。
 震える身体は、驚くほど頼りなく薄い。でも確かに柔らかい箇所のある温度と鼻腔をくすぐる、制汗剤の柑橘系の香りに一瞬だけがした。


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺は触手の巣でママをしている!〜卵をいっぱい産んじゃうよ!〜

ミクリ21
BL
触手の巣で、触手達の卵を産卵する青年の話。

一人の騎士に群がる飢えた(性的)エルフ達

ミクリ21
BL
エルフ達が一人の騎士に群がってえちえちする話。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

愛する者の腕に抱かれ、獣は甘い声を上げる

すいかちゃん
BL
獣の血を受け継ぐ一族。人間のままでいるためには・・・。 第一章 「優しい兄達の腕に抱かれ、弟は初めての発情期を迎える」 一族の中でも獣の血が濃く残ってしまった颯真。一族から疎まれる存在でしかなかった弟を、兄の亜蘭と玖蘭は密かに連れ出し育てる。3人だけで暮らすなか、颯真は初めての発情期を迎える。亜蘭と玖蘭は、颯真が獣にならないようにその身体を抱き締め支配する。 2人のイケメン兄達が、とにかく弟を可愛がるという話です。 第二章「孤独に育った獣は、愛する男の腕に抱かれ甘く啼く」 獣の血が濃い護は、幼い頃から家族から離されて暮らしていた。世話係りをしていた柳沢が引退する事となり、代わりに彼の孫である誠司がやってくる。真面目で優しい誠司に、護は次第に心を開いていく。やがて、2人は恋人同士となったが・・・。 第三章「獣と化した幼馴染みに、青年は変わらぬ愛を注ぎ続ける」 幼馴染み同士の凛と夏陽。成長しても、ずっと一緒だった。凛に片思いしている事に気が付き、夏陽は思い切って告白。凛も同じ気持ちだと言ってくれた。 だが、成人式の数日前。夏陽は、凛から別れを告げられる。そして、凛の兄である靖から彼の中に獣の血が流れている事を知らされる。発情期を迎えた凛の元に向かえば、靖がいきなり夏陽を羽交い締めにする。 獣が攻めとなる話です。また、時代もかなり現代に近くなっています。

【完結】あなたに撫でられたい~イケメンDomと初めてのPLAY~

金色葵
BL
創作BL Dom/Subユニバース 自分がSubなことを受けれられない受け入れたくない受けが、イケメンDomに出会い甘やかされてメロメロになる話 短編 約13,000字予定 人物設定が「好きになったイケメンは、とてつもなくハイスペックでとんでもなくドジっ子でした」と同じですが、全く違う時間軸なのでこちらだけで読めます。

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

処理中です...