Spoon me!

田中 乃那加

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4.クンストゲヴェルベ

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 次の日には手渡されたをポケットに仕舞いこんで、僕は美術室の前に立っていた。

 ……やっぱり、こういうのはちゃんとしないと。

 それって何だ、と聞かれたら困るけど、とにかくこれじゃダメな気がする。
 僕は先生達の秘密を覗き見して、(橘君の仕業にしても)それをこうやって隠し撮りしてしまったのだから。
 橘君にもそれは良くないことだと強く主張したら、少し考えた素振りをした後に。

『じゃあこれ』と手渡されたのがこの写真。
 彼も分かってくれたみたいで嬉しい。
 なんだ変な人だと思ってたけど、案外話の分かるいい人じゃないか。

 ……そして僕は昼休み、ここにいる。
 丹羽先生にこの写真を見せて謝るつもりだった。
 茶久先生には、橘君が謝っておくと言ってくれたから良いとしよう。
 最近彼は茶久先生をすごく慕っていて、言ってたもんな。サボりがちだった授業に出るようになったのも、この担任の先生のおかげなんだろう。

 だからこそ橘君も二人がにあるのを我慢出来なくて、盗撮なんて考えちゃったのかもしれないな。
 それを押し切られつつも許した僕も、多分……。

「僕はどうしてだろう」

 心の声が口から零れ落ちたのは無意識。
 でも本当に分からなかった。

 どうして僕はこんなにモヤモヤしてるのかな。別に彼らは独身だし、恋人同士であっても何も問題ない。
 同性というのも、特に差別や偏見を持つのは間違ってると僕自身胸を張って言える。
 あとは学校でをしていたのは良くないっちゃ良くないし、驚いたけど……。

『だってよ、丹羽と茶久がそうだとして……なんか問題あんのか?』

 友人の言葉がチクリと胸を刺す。
 そう。確かに僕には関係ない話だ。それなのに、どうしてこんな変な痛みを覚えてしまうんだろう。

 ……やっぱりやめとこ。

 小さく息を吐いてかぶりを降った。こんな自身でも訳分からない気持ちで、丹羽先生の前に立ったらパニックに陥りそうだ。
 妙な事を口走ったら多分一生後悔する。
 ―――そう思って戻ろうとした。

「!?」

 ガラリ、とドアが開いて足早に出てきた人が。
 そのドアの前にいた僕は当然まんまぶつかってしまう。
 
「痛っ!」
「わッ……!!」

 顔がその人物の胸元に当たり、互いに弾き飛ばされた形になる。
 
「大丈夫か……って天美、どうしてここに」
「あ。先生」

 よりダメージの少なかった方が、心配そうに僕を覗き込んだ。
 クラス担任の茶久先生だった。

「ええっと、丹羽先生に少し……茶久先生は……あ」

 もしかして。いやもしかしなくても、彼も丹羽先生に会いに来てたんだって分かる。
 やっぱり二人は……。

「どうした」

 そこへ顔を出したのは、今一番会いたくない人。丹羽先生だ。

「いやちょっとそこでぶつかってしまって……天美大丈夫か。保健室、いく?」
「いや……大丈夫、です」

 心配そうな茶久先生の顔を見る。
 丹羽先生もだけど、この人も綺麗な顔をしてると思う。だから女子の中でも片思いしてる子が少なくないらしいって、この前樹一郎から聞いた。
 あとなんだか大人の色気? てヤツがあるよなって言ってたのは……あ、橘君だ。やけにニヤニヤしてたけど、僕はあんまり分からないな。
 色気って女の人にあるもんじゃないの?

「そうか。すまないな」
「あ、ほんと大丈夫です。こっちこそ、すいませんでした……」

 ようやくそう言うと、茶久先生は少し安心したように立ち去って行く。
 僕はと言うと馬鹿みたいに突っ立って、それをぼんやり眺めていた。

「おい。天美 大翔あまみ やまと……だったか。さっさと入ってこい」
「え?」

 声を掛けられて顔を上げる。
 丹羽先生が美術室の入口から外にいる僕を、相変わらずの無表情で見下していた。
 
「俺に用事なんだろ……さしずめを、見せに来たって事か」
「あっ!?」

 ポケットにしまったはずの写真はぶつかった拍子に、表向けた状態で落ちている。
 慌てて拾ったけどもう遅いみたい。

 ……み、見られた。
 僕は項垂れ、促されるままに美術室へ入って行った。



 ―――中に入れば独特な匂いがする。絵の具等の画材のものだろうか。
 放課後ならきっと美術部員達がいるだろうけど昼休みの今、ここは静かなものだ。
 
「座りな」
「はい……」

 勧められた椅子に座り、沈黙すること数十秒。ほんとに変わらない目の前の表情は、怒ってるともそうでないとも言えるような。

「あ、あの」
「ン」

 気まずさにたまりかねて出した声が思ったより教室中に響いて、その瞬間言葉が継げなくなる。
 でもやっぱり言わなきゃ、とポケットに手を入れたら触れたのはあの写真。

「これ……ごめんなさいっ」

 それを両手で差し出し、顔を伏せる。
 きっと見ているのだろう、先生はやはり無言だ。

「僕、一週間くらい前に偶然見ちゃったんです……二人が、その、抱き合ってる所を」
「ン」
「え、それで。橘君……クラスメイトにも話しちゃった、というか……知られちゃって」

 僕はつっかえながらも、事の経緯を話し始めた。
 拙い話だったと思う。なんせ言葉を選ぶことすらままならなかったから。
 それでも先生は、言葉を挟むことなくジッと聞いてくれていた。

「僕、あの……本当に……ごめんなさい。盗撮、するつもりなんて……僕……」

 なんか次第に鼻の辺りがツンとしてきた。
 自分の気持ちが分からなくなって、ただひたすら消えてしまいたくて仕方ない。
 目はずっと伏せ気味のままで、先生の顔を見ることすら出来なかった。
 きっと罪悪感なんだろう。橘君は色々言ったけど、やっぱり僕に教師である彼らを諭す資格なんてあるとは思えないし、盗撮に加担する方がよっぽど罪深いと思った。

「ン」
「?」

 そっ、と何かが僕の頬に触れて。なんだろうと手を当てれば。

「は、ハンカチ?」
「ン」

 どうやら本気で泣いてたらしい。全く気が付かなかった。
 頬に滑り落ちた涙を、その青いハンカチが柔らかく受け止めてくれる。

「……泣くのはストレス解消になるらしい」
「え?」

 ようやく喋ったと思ったら。
 突然の話に声をあげれば。

「だから泣くのは悪いことじゃねぇ。ただ、涙は拭かせろ」
「先生……」

 不器用な手つきでハンカチを差し出して僕の頬を拭う大きな手があった。
 その一見無表情にも見える綺麗な顔にほんのわずか動揺の色が見えたような気がして、思わず視線を合わせてしまう。

 ……あ。灰色。

 その瞳はよく見れば僅かに灰色がかっていた。
 もしかして先生はハーフかクォーターなのかもしれない。だってこの人がカラコンとかイメージじゃないもの。

「別に俺は怒っちゃいねぇ。どうせ橘だろう」
「え。知ってるんですか? 彼のこと」

 驚く僕に、彼は『腐れ縁だ』と短く答えた。

「君は心配しなくてもいい」
「でも茶久先生が」
「あいつも大丈夫だ。しかし、それでも気が済まないと言うのなら……。」
「?」
「……ちょっと来い」
「え? あ、ちょっと!?」

 急に先生は僕の手を掴んだ。そして少し強く引くと歩き出し、僕は驚きの声をあげた。
 握り締められた手は左手。大きな手で包み込まれるようで、暖かくて優しくて。
 僕は何故かその体温にまた泣き出しそうな気分になって、瞬きを繰り返す。

「こっちだ」

 美術室の奥、美術準備室。そこは沢山の画材や備品が所狭しと、しかし整然と並んでいた。

「ここ……?」
「いや違う」

 その小さな部屋にも奥にドアがある。
 埋もれるようなそれを開けて中へ。
 
「!」

 ……そこは思わず言葉を失うくらい雑然、いやもはや散らかっていた。物や書籍が溢れて散乱に近い形。
 足の踏み場もない、とはこういうことを言うのだろう。

「放課後、ここを片付けてくれ」
「ここは?」
「第二準備室だ。準備室は部員達が片づけてくれたが、ここはどうも手が回らねぇ……どうだ、やってくれるか?」

 僕は掴まれたままの手と、ジッとこちらを見つめる瞳を順番に目で追う。
 先程の泣きそうな気持ちが、ほんの少しだけ霧散したような。それでいてちょっと嬉しい気分になる。

「はい……やらせてください」

 思わず上がる口角を隠しながら、僕は頷いた。

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