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最強な娘②
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あれから数ヶ月後――。
「そろそろ森を抜けなきゃね」
ポニーテールにしていた金髪が邪魔だとバッサリ切り、肩の上で風に靡かせて歩くアルムが呟いた。
「その間に少し食料調達も必要だぜ。なんせもうすぐ村だ。できりゃあ物々交換出来そうなモノがいいんだがな」
対して肩まで伸びた黒髪を鬱陶しそうにかきあげながら、ケンタロが辺りを見渡した。
「クーカはまだ寝てんのか」
「うん。でもそろそろ起きちゃうかも、少し授乳していい?」
オルニトはお手製のベビーカーの中にいる愛娘の顔を覗き込む。
彼だけは髪が伸びていない。伸ばしっぱなしにすることも、自分でざっくりと切る事もしておらず。不思議なことだが、一ミリも変化がないのだ。
「じゃあそこで休憩すっか」
ちょうど良い大樹の下を指したケンタロ。
「この森を抜けたらあと一息だぜ」
汗を拭いつつ言う彼にうなずく。
「良い国だからな、タツオトシの国はさ」
幽閉され子を産み落とした後、彼らはほうぼうのていでクロリエシア国から逃げ出した。
そして時に犯罪者のように追われながらも、魔法とアルムのツテを最大限に駆使して今に至る。
この逃亡生活は決して楽ではなかった。むしろ産まれて間もない幼子を抱えてはヒヤリとした場面も多かったのも事実。
しかしひとえにアルムとケンタロが共に支え守ってくれたからだと感謝している。
もちろんオルニト自身も母として精神的に逞しくはなったのだが。
「へぇ。それは楽しみだなぁ――あ、起きた。まず先に飲ましちゃうね」
目を覚ました娘のクーカを抱き上げてその場に座る。ちょうど隆起した木の幹が低い椅子のようで便利である。
そしてお構い無しに服をはだけ始めたのだ。
「お、おい!」
「ケンタロってば、そろそろ慣れてよ」
顔を真っ赤にして慌てて顔を手で覆う彼に半ば呆れて言う。
この男はいつまで経ってもオルニトが授乳する姿に動揺して照れてしまうのである。
「慣れられるわけないだろ。お前ももう少し恥じらいをだな」
「いちいち恥ずかしがっていられないよ。クーカの食事風景なんだから」
「そりゃそうだけど」
そこで少し口ごもり。
「好きなヤツの身体ってのは特別なんだよ。男はデリケートなんだっつーの」
「!」
とボソボソと呟いた。
「……」
「……」
あ、と思った時には気まずい空気。
ただ気まずいだけではない。お互い顔を真っ赤にしてうつむいているのには理由がある。
彼にプロポーズされた――。
娘クーカが生まれる前にも言われたことがあったが、改めて想いを伝えられたのは昨晩がはじめてだった。
『国に帰ったらお前を正式に伴侶として家族に紹介したい』
そう頭をさげた彼の言葉を、オルニトは思ったよりずっと冷静に聞いていた。
……娘の父親であるイドラの消息。
あの後、聖騎士レードが男の首をたずさえて戻ってきたという。
『魔族の男の首』とされたそれは人相どころか辛うじて人型のモノであるくらいしか判別できないレベルに損傷していた。
彼女いわく、激しい戦闘によるものだということだが。
対して彼女は左腕一本の骨を折る程度の軽傷で装備に傷のひとつもなかったことから、アルム達は真相は闇の中だと忌々しげであった。
――とはいえもうクーカの父親もいない。
よしんば生きてたとしてもこの数ヶ月、一度も会いに来なかったのだ。
それに彼が村にしたことを考えれば到底許せるはずもない。
それでもやはり最初のうちは胸が重く苦しい夜が続いた。
確かに愛していたのだ。
運命だと、番だと言われ幸せの絶頂を味わった。
それが儚い一夜の夢だったなんて。
こんな愛は要らなかった。
しかしそれを言葉にすれば、娘が産まれてきたこと自体を否定しそうで。
だから口をつぐんだ。
「だーかーら、授乳用ケープつけろって言ってんでしょうが」
アルムの声で二人はハッとなる。
顔を上げれば呆れたような顔をしてお手製のマントのような布を押し付けられた。
「おおらかなのはいいけど、目のやり場に困る小心者がいるんだからね」
「しょ、小心者ってなんだよ。紳士って言えよな!」
「紳士ぃ~? 着替えもチラチラチラチラ覗いてるむっつりスケベが」
「覗いてねぇし!」
「しらばっくれんな、スケベ」
「うるせぇよ! 男はみーんなスケベだぞ!!」
最後はもうヤケになったのか胸まで張って自白してしまっているが。
「こら覗き魔。アンタはさっさと薬草探してきて」
「覗き魔って……わかったよ。アルムこそオルニトに変なことすんなよな」
「しねぇわアホ。一緒にしないで、早く行け」
「へーへー」
またいつもの小競り合いの後に彼が肩をすくめながら森の奥に消えていく。
ちなみになぜ薬草かというと、薬草で簡単な薬を作って売るのも現金での逃亡資金を稼ぐひとつの方法だからだ。
ちなみにオルニトが見よう見まねで作っている薬はかなり好評で、現役魔法使いさながらの売れ行きだったりする。
「ふふ、クーカのママってば小悪魔よねぇ」
「ちょっと」
そんなことを娘に話しかけながら、手早く離乳食を作るアルム。子どもに変なこと聞かせないでくれと少し慌てた。
「僕は小悪魔なんかじゃないし」
「自覚ないのね。アホ勇者も可哀想に」
自覚もなにも迷っている最中なのだ。だから答えも保留にしてもらっている。
「あんまり人の恋心を弄ぶのは感心しないわね」
「弄ぶって……」
苦々しい顔で窘められ、思わず鼻白んだ。
弄んでいるつもりは毛頭ない。ケンタロの告白は素直に嬉しかった。
ただ、迷っているだけだ。
「いきなり子持ちになるんだよ、彼にそんな負担強いることなんて」
しかも他の男の。同じ男だからこそこの複雑さが理解出来るというもの。
「そんなのあいつの覚悟が決まってんだからしょうがないでしょ。それに今更なんなの。クーカの寝かしつけからオムツ替えまで率先してやる男よ、あいつは」
たしかにそうだ。
この数ヶ月、初めての子育てにアタフタしながらも三人で頑張ってきた。
特にケンタロは甲斐甲斐しく世話をしていたもので。
世の子持ち女性たちが羨むほどのイクメンっぷり (それもガチなやつ)を見せつけてきた。
しかもそれを苦もなく、むしろ楽しげにこなすのだ。
クーカも彼が遊んでくれるとなるとキャッキャッと大喜びするほど懐いている。
「でも……」
彼のため――本当にそうだろうか?
自分が傷つきたくないだけではないのかと自問自答する。
また目の前から消えてしまわないか怖いのだ。
今度は自分だけではない、娘までも傷ついてしまうのが嫌だった。
「ま、よく考えなさい。でも最後にはちゃんと答え出すのよ」
「分かってる」
このままはぐらかし続ける事こそ人の気持ちを弄ぶ行為だ。そこは理解している。
しかし焦れば焦るほど、考えがまとまらないのも事実。そこに感情も絡むと途端に訳がわからなくなる。
だいたい自分がどうしたいのかてんで分からないのだから。
「あぅー!」
ぺちぺちと胸を叩きながら、クーカが声を上げた。
そろそろ離乳食も寄越せということらしい。
「はいはい、まったく食いしん坊なお嬢さんなんだから」
通常なら離乳食のあとに授乳なのだろうが、この娘は食事においては待つのが極端に嫌いらしい。
すぐに飲ますことの出来る母乳の間に、食事を用意することでなんとか癇癪を抑えているのだが。
「ほんとよく食べるわねぇ」
雛鳥のように大きな口を開けてぱくぱくと咀嚼する姿は、もう赤子というには貫禄があるというか立派すぎる気がする。
「もうハイハイどころか歩きだすなんて。まだ半年も経ってないのよ」
「え? そんなもんじゃないかな」
呆れた声色だが感嘆しているらしい彼女の言葉にオルニトは首をかしげた。
しかし今度はアルムが怪訝そうな顔。
「ンなわけないでしょ」
「でもあの子の時は――」
「あの子?」
ふと口をついて出た言葉にオルニト自身が困惑する。
「あの子ってなによ」
「い、いや」
どうやらよく見る夢と現実をごっちゃにしていたらしい。
だいたいを忘れてしまうが何となく覚えていることもある。
自分には息子がいて十数年かけて育てあげたことを。
褐色の肌息を飲むほど美しい翠色の瞳の少年の面影をまぶたの裏にうつす。
「エトのことだよ。小さい頃から見てるから」
宿屋の少年のことだ。
悪い仲間と付き合っていて心配していたのが懐かしい。
しかし彼もまた生死すら分からない状態が最後だった。
「オルニト」
アルムが優しく肩を叩く。顔を上げれば笑ってはいるがどこか悲しげな彼女と目が合った。
「自分を責めるのはやめて」
「責めてなんてない」
反射的に嘘をつく。
本当は責めているし誰に懺悔すればいいのか分からないほど心を痛めていた。
あの悪い連中は魔物たちの仲間で、彼らに連れ去られようそうになった。しかし使い魔ロボットのポチに助けられて家に帰ったものの、魔物に騙されて攫われたのだ。
後に聞いたところ、どうやら多くの村の若者を操って結界を壊す手段を探っていたらしい。
治安が悪くなり失踪者が増えたり魔獣がでるようになったのも、魔物や彼らの手下となった人間たちの仕業。
「でも僕さえいなければ村は今も平和だった」
それは揺るがない事実。
「アンタがいなきゃアタシはこんな楽しい人生はなかったわね」
「楽しい?」
「そうよ、楽しいわ」
アルムが微笑んだ。
「アンタの成長を近くで見届けたのも、今の時間も。アタシたちエルフの長い寿命のほんの一部だろうけど、それでも貴重で素晴らしい時間よ」
どんなことをしても守りたいと思うくらいに、と見つめる眼差しに思わず胸が熱くなる。
「アルム、ありがとう」
「だから後悔の言葉なんて口にしないで。確かに悲惨なことはあったけど、アタシは後悔なんて何ひとつしてないから」
タラレバなんて不毛だ。それより前を見て生き抜こうと言うのだろう。
彼女の言葉は確かに正しい。だが完全にそう割り切れるのは難しいもので。
「爺ちゃんや神父様にもクーカのこと、みてもらいたかったな」
きっと二人なら素直じゃなくても喜んでくれただろうし、娘のことを可愛がってくれただろうに。
「それはそうね……」
ヴァリスの消息も不明であった。
あの混乱の中で一旦はぐれてしまえば、もう遺体すら見つからなくても不思議ではない状況だった。
現在村だった場所は大きな穴があいている。
処刑の日、大きな爆発と共に周囲数百キロに渡って吹き飛んだのだ。
もはや生死なんて次元ではない。未曾有の大災害であってもここまでの被害はないだろう。
さすがにオルニトたちも希望的観測は捨てた。
「……」
しんみりした空気の中、ふと幼い笑い声があがった。
「ま、まままっ、ま!」
「え?」
「まままっ! ま、まま!」
「ちょっと待って今……」
手をパチパチと打ちながらキャッキャと笑う娘の口から出た喃語。普段なら可愛いと思いこそすれ特に驚かないが、二人は思わず顔を見合わせた。
「ママって言った!?」
「まさか」
彼女の興奮した言葉に一瞬は否定したものの、なんとなく期待してしまう。
なぜかと言えば、その視線はこちらを向いていたから。
「クーカ? もう一回いってごらん、ママって」
「だから赤ちゃん語だって。ご飯(まんま)欲しいのかも」
アルムの言葉をやんわりとめる。だが彼女もゆずらない。
「もしママならすごいわ。だってまだ一歳にもなってないのよ? この子は天才かも」
「親バカみたいだなぁ」
「バカでもいいの、だってこんなに可愛くて利発そうな顔してるじゃない」
「そうかなぁ」
可愛い娘には違いないが天才とまでは、と日本人 (前世だが)特有の謙遜で考えていると。
「……まま? あーむ?」
「!」
二人はまたしても顔を見合わせた。
「ママって」
「アルムって」
「「言ったよね!?」」
我が子にママと呼ばれてこれほど嬉しいとは。
うっかり涙ぐんでしまいそうになるのをグッとこらえ、アルムの方を振りかえる。
「クーカぁぁぁっ、かわいぃぃぃ」
こっちはこらえるつもりなんてハナからないらしい。
涙どころか少し鼻水までたらして泣いている。
「ぐすっ、うぅ、かわ゙い゙すぎる゙! なにこの天使!! ほらアタシのこと見て微笑んでくれてるっ!」
彼女の泣き顔がさぞおもしろかったのか、笑い転げる勢いの赤子。たしかにこれは可愛い。
「ママかぁ……」
産んだし乳だってあげてるからママと呼ばれるのは至極当然だろう。だが一応男の自分がと不思議と違和感が無かった。
「まーま?」
「うん、そうだね。ママだよ」
可愛くて愛しくてたまらない。
手を懸命に伸ばして、大きな目を見開いて一心にこちら見つめる姿。
庇護欲がこれでもかと掻き立てられる。
「クーカ」
柔らかい髪に、まろい頬に。そっと口付けた。
ほんのり甘い特有の匂いに胸がじんわり温かくなる。これが可愛い、だ。娘から可愛いの匂いがする。
すんすんと鼻を鳴らしてみせるとくすぐったいのかまた嬉しそうに声をあげて笑った。
「ああ……」
――父親が見たらなんて言うだろう。
ほんの少しの時間しか共にいなかった男のことを未だに忘れずにいる。
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