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旅立ちの前日譚①

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 イドラの言う通り、村は壊滅的というわけでもなく。

「爺ちゃん! 神父様!」

 教会へ飛び込んだオルニトを出迎えたのは、会いたくてたまらなかった者たちで。

「っ……!」

 顔を見た瞬間、涙があふれてきた。
 もう会えないとまで思っていたのだ。あのまま自分の身に何が起こったかさえよく理解できずに、得体の知れぬ存在に犯され殺されるこかもしれないと心底怯えていた。

 ――リケとヴァリスは泣きながら飛び込んできた青年を力いっぱい抱きしめる。

「よくぞ帰ってきました、オルニト」
「神父様ごめんなさい……僕……アルマが……」

 自分のせいで瀕死になってしまった。今だって恐らく生きてはいるだろうが、どうなってしまったのかさえ分からない。
 またとんでもない魔法をかけてしまったからだ。

 子どもみたいに泣きじゃくり事情を話していると、まるで赤子をあやすかのように背中をポンポンと優しく叩かれた。

「大丈夫ですよ、大丈夫。なにも心配はいりません」
「そうだ、お前はなにも不安がることはない」

 二人はまるで幼い我が子に言うように何度も繰り返した。
 それでようやく彼も涙を拭き、顔を上げることができるように。

「アルマは生きてるんだよね……?」
「そうですね、おそらくこれは高度な回復魔法。深刻なダメージもこうやって治療をする効果があるものです。まさか貴方がこの魔法を使えるとは」

 ヴァリスが驚くのも無理は無い。
 やはりこれもまた、魔王レベルの魔力と技術が必要となる魔法なのだ。
 天性の才能といえば聞こえはいいが、やはり己の事ながら不気味で恐ろしい能力にすら思えてくる。

「他に怪我はないか」
「……うん」

 リケの問いかけに首を横に振る。
 嘘をついた。しかしどうしても言えない。言える訳がない。
 育ての親に向かって、淫紋をつけられましただなんて。

 しかし不思議とあれから妙な疼きや感覚は無くなった。
 立てなくなるほどの快感と性的欲求。あんなところを家族に見られたら羞恥で死んでしまうかもしれない。

「色々聞きたいことはあるが、まずは身体を休めることが先だ」
「爺ちゃん……」

 普段あまり口数の多くない人だ。頑固者で愛情表現も派手では無く、むしろドヤされ怒られることの方が多い。
 そんな祖父が、なにか痛みを我慢しているような表情で言うのだからもう素直に頷くしかないだろう。

「勇者ケンタロ、感謝します」

 そう頭を下げるヴァリス。

「まあ追放された勇者だけどな! でもオレが託されたからには大丈夫だぜ。必ずこいつを守ってやる」

 胸を張って笑う姿は、根っからの明るい青年なのが見て取れる。

「村は魔獣の群れが襲って来たことで多少の被害はありましたが、今はもう結界も修復しました。しかし」

 そこで彼は表情を曇らせた。

「村長はどうしたんだ、屋敷があの状態だっただろう」

 イドラの言葉に重々しく頷く。

「ええ。依然として行方不明ですが、恐らくはもう……」

 ヴァリスと村長は旧知の間柄であったと聞いていた。
 色々と思うところはあったのだろう。

「あの屋敷でオルニトが監禁されていたのは把握しています。しかしなぜそんなことになったのか、私をふくめて村の者は知らなかった」

 深くため息をつくと、彼は気を取り直すように。

「とにかく今日は家に帰りなさい。アルムのことは教会の方に」

 色々と問題や疑問は山積みだが、ここで悩んでいたって仕方ないということなのだろう。
 
 イドラとケンタロも教会で世話になるということで祖父と二人、家路につくことにした。

「……爺ちゃん」
「ん」
「ごめん」
「なにがだ」

 短く返されて返答に迷う。
 そしてようやく。

「心配させたから」

 と小さくつぶやくと。

「馬鹿野郎」
「痛っ!!」

 軽く小突かれた。

「ガキが余計な気を遣うんじゃねぇ」
「僕はもうガキって年齢じゃないよ」

 もう(前世でいうなら)成人もとっくに済ませて数年の大人だ。アラサーという物悲しい言葉すら思い出す年齢となってしまった。

「馬鹿、ガキはいつまでガキなんだよ」

 鼻を鳴らして言ったかと思えば。

「痛みを我慢するんじゃねぇぞ、ガキなんだから」

 なんて心の中を覗き込むような目をして言われる。
 
「痛くなんてない」
「……そんなに頼りないか、ジジイはよ」
「違うよ!」

 慌てて返すと、頭をぽんぽんと撫でるように叩かれた。

「どんなことがあってもお前はオレの家族だ」
「爺ちゃん……」

 ここへ来て不安と安堵、悔しさなど色んな感情が吹き出したのが分かった。

「っ、うぅ」

 拭っても拭っても溢れてくる涙。
 泣き叫んでしまいたいくらいの胸の痛み。
 これからどうなるのか、すべてがひっくり返ってしまう恐怖と不安に押しつぶされそうだった。

 いきなり攫われてあんな事をされ身体を作り替えられて。挙句に花嫁だとか理解出来るわけがない。

 ひたすら理不尽で憎らしかった。
 なにがどうなっているのかさえ分からないのだから。

「じぃ、ちゃん……僕……」
「おぅ泣けや。ガキは泣いて親に甘えりゃいいんだ」

 ぶっきらぼうな言い方だが、それが最大限の愛であることを痛いほど知る。
 昔からそうだ。
 不器用で気難しくて、でもとても愛情深いだった。

 ――そこでふと自分の両親について思いを馳せる。

 自分の生い立ちについてあまり深く聞いてこなかったが、うっすらと記憶にあるのが赤子の自分を抱いた大きな腕と顔を撫でる優しい指先。

 これは単なる後付けの勘違いかもしれない。
 しかしいつか夢にもみたその光景に、心慰められた夜もあったのは事実だ。

「爺ちゃん。僕のお母さんって、もしかして喫煙者だったのかな」

 確か煙草の匂いもその記憶の中にあった気がしたので聞いてみると、なんとも微妙な顔をされる。

「あ、ああ? そうだった、かもなぁ」

 煮え切らない返事に内心首を傾げながら、オルニトは目の端に浮かぶ涙をぬぐった。




 ※※※


 それから数日で、村はまた元の生活に戻りつつあった。
 
 相変わらず村の至る所に兵士はいるが、なにをどう収めたのかオルニトが拘束されることもなかった。
 
 不思議に思いヴァリス神父に訊ねても。

『大人の事情ってやつですよ』

 なんてしたり顔で言われるだけだった。

「……僕も大人なんだけど」

 そんな呟きが思わず盛れた、その時。

「なにが大人なんだ?」
「ひゃっ!?」

 突然声をかけられ飛び上がった。
 慌てて振り返ると、イドラが怪訝そうな顔をして立っている。

「驚かせたか」
「ちょ、ちょっとね……」

 バクバクする心臓を押えながら引きつった笑顔を浮かべた。
 
 相変わらず買い物用のカゴを下げて、中には市場で買ってきたであろうものが入っているのをみるとお使いに行ってたらしい。

「すっかりその姿も板についてきたね」
「それは褒めてるのか」
「もちろんだよ」

 自分より大きくて表情のあまり変わらない彼は一見すると怖いように見えるだろうが、こういう無骨なところも可愛く思えるのだから不思議だ。

「ねえイドラ」

 そっと視線を下に落とす。

「君なら事情が分かってるんじゃないかな。なんで僕が狙われたのとか、そもそも花嫁ってなんの事なのか。それと――」

 そこで言い淀んだ。淫紋の件だけは、誰にも言えなかった。
 そもそもの存在を感じ取れるのは魔族である彼だけらしい。ヴァリスやリケ、ケンタロでさえ見えていないようだ。

「もうどうしたらいいのか分かんなくて」 

 服の上からそっと腹に触れてみる。
 別に痛くも痒くもない。だから普段は忘れてしまうのだ。しかし夜になると。

うずくか」

 短い問いかけに無言で肯定する。

 夜になると腹の奥がジクジクと熱を持つようになった。性的興奮なのは分かったが前をいくら擦り上げてもイくことすら出来ず、半泣きになりながら後ろに指を這わすことになるのだ。

 しかも濡れる。
 男の身体でそこは排泄器官であるはずなのに、だ。まるで女のそこみたいに濡れぼそるのが怖くて情けなくて。
 でも熱に浮かされる最中は声を殺しながらそこを自分で刺激するしか無くなる。

 当然、経験がないので満足に快感も拾えぬまま朝を迎えるのだが不思議と熱は収まっていく。

 じゃあ朝まで耐えればいいのだろう。しかしそれが出来た試しがない。
 我慢すればするだけ、気が狂うんじゃないかというほどの熱と疼きに苦しめられる。

 そんなことも誰にも打ち上げられずにいた。

「どうすればいいんだろう。僕、もうこんなこと……」

 途方に暮れてしまったのだ。
 夜が来るのが怖い。浅ましい身体を自分自身で嘆きながらも、止められない行為に頭がどうにかなりそうだった。

「これを」
「え?」

 やおら差し出されたものは、赤い液体に満たされた小瓶であった。

「効果はあまり期待するな。多少はマシ程度だと思え」
「これは……」

 呪いの効果を一時的に抑える薬だと言う。
 しかし。

「あくまで応急処置的なものだ。それに使用後はどんな副作用があるか正直分からん。だから使用はあまり勧めたくなかった」

 わざわざ調合してくれたのだろう。その小瓶を胸に抱いて少し目を伏せた。

「ありがとう、本当に」

 ちゃんと気にかけてくれたのだ。それだけでも嬉しい。

「辛かったら俺を頼れ」
「え……」

 ただ頼もしい言葉のはずなのに鼓動がまた跳ねた。

 子宮が作られた胎内を男の精で満たし、孕まないとこの呪いは解けることはないと言ってはいなかったか。
 だとすれば。

「お前にはどういうわけか魔力が高いだけじゃなく、魔界の存在モノを惹き付けるがする」
「匂い?」
「性フェロモンと言い換えてもいい」

 虫や動物、生殖にて繁殖する生き物が発する物質のこと。
 この場合はオスをおびき寄せる、メスが放つものだ。

 どうやら淫紋を刻まれる前から魔族や魔物達を魅了する香りが、高い魔力から出ていたらしい。

 今まではアルムやヴァリスが巧みな防衛魔法シールドをかけていたようだが、それでも完璧に隠す事なんて難しかったのだと言う。

「使い魔をわざわざ機械で作った理由もそれだろう。使い魔が主人を襲うなんて冗談にもならないからな」

 ポチを連れて行けとうるさいくらい言っていたのも、一見すれば過保護な態度も。すべてちゃんと理由があったのだ。

「僕、守られてたんだ……」

 自分で一人前に生きていると思っていたのに、それがすべて手厚い庇護の中でのこと。

 そう思うと情けなくてため息がこぼれた。

「それだけお前を大切に思ってたって事だ」

 彼の言葉に力なくうなずく。
 分かってはいるのだ、しかし自分だって大の男であるちっぽけなプライドが邪魔をする。

 そんなもの今となっては有るだけ無駄な矜恃なのに。

「俺もお前のことは大切にしたい」
「イドラ?」

 肩に手を置かれた。

「肝心な時に守ってやれなかったことを今でも悔いている」

 出会ってすぐ、お前は非常食だからとキスを迫ってきた男とは思えない真摯な眼差し。
 そういえばずっとキスされていないと今さらながら気づく。

 それを寂しいとすら思ってしまう事の気恥しさと、どうしてここまで惹かれるのか不思議だった。

「……魔力、補充しないの」

 ようやくそれだけ言う。まるで独り言のような小さな声なのに、彼は少し考えてから。

「頼む」

 と頬に手を添えてきた。

「ん、ぅ」

 唇同士が触れる瞬間、胸が苦しくなる。
 これはどちらなのだろう。単なる魔力補充か、それとも――。

  
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