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悪夢の後で
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かざした両手がじっとりと濡れていた。
「あ……ぁ……あ」
色彩のない世界。
なのにこれが鮮血であることは、失われつつある温度で理解した。
「なんで……僕……ちが……ぅ……ちがう……だって……あの人が……そんな……」
うわ言だけが口の端から滑り落ち、頭の中もまとまらない。
抱き上げようにもずっしりと重い、愛しい者の身体にすがる。ただただ嗚咽を漏らすしかなかった。
「お姉、様……」
澄んだ湖を思わせた蒼い瞳は、虚ろに虚空を見つめているだけ。
力なく弛緩した指先は恐ろしく冷たく、触れた瞬間身震いするほどで。
――人殺し。
「違う!」
頭の中に響く声を、かきけそうと叫んだ。
――僕がお姉様を殺した。
「殺してなんてない」
――あの男のはずだったのに。
ボタンは布地ごと引きちぎられ、見るも無惨となった衣服の前をかき合わせながら震える。
突然、襲われた。姉の従者という男に押し倒され服を破られ肌を晒されたのだ。抵抗らしい抵抗など出来るはずもない、あっという間に体重を掛けられ無遠慮にまさぐられ暴かれる。
……瞬間、メルトは絶叫した。
果たしてそれがなんだったのか、無我夢中で覚えていない。
それは赤子が母体から産まれ落ちた時に上げる産声に似ていた。
感情と生存本能の入り交じった悲鳴。
森全体に反響し、目の前が真っ白に爆ぜたのは一瞬だった。
そして、気がつけば血まみれの中にいたのはなんと姉の姿。
彼女の豊満な胸は、獣の爪痕を思わせる大きな傷によって引き裂かれていた。そこからとめどなく流れる血は、大地を濡らし彼の手も汚していくだけ。
「……」
彼は静かに涙を流す。
自らが手にかけた、愛しい姉の亡骸にすがりながら。
※※※
「寒いだろ」
早朝。窓の外を眺めていると、そう言葉をかけられた。
振り返らずとも分かる、ルークスの声だ。
「別に」
確かに日中の気温に比べ、朝は少し涼しいかもしれない。もうすぐ雨季がくるな、などとメルトはぼんやり考える。
「まだ日が昇る前だ」
「!」
ギシ、と床が鳴った。瞬間、知らず知らずのうちに身体が固まり身構えた。
「近寄ってくれるなよクソ野郎」
「メルト?」
同室の隣のベッド。
あまり金に余裕がないから、安宿であっても一部屋しか取れなかった。
せめてベッドは二つ。そうじゃなければ床で寝ると主張すれば、ルークス仕方ねぇなと折れた。
おそらく、三度の同意無しの接吻が後ろめたかったのだろう。
何もしないと神に誓うとまで言ってから眠りについたのだ。
だがメルトにとってはそんなものは大して役には立たない。
いかに高名な神職であっても、金さえあれば高級娼婦と一夜限りの堕落快楽を貪るのがこの腐敗仕切った世の中なのだから。
「でも震えてる」
「……っ、うるさい」
無神経に触れてこようとする手から逃げる。
振り返り、キッと睨みつけると困ったような顔の青年と目が合う。
「そんな怒るなってば」
「オレに触んな」
よりによってあんな夢を見てしまった後に。
しょせん過去の繰り返しの悪夢。そう割り切るにはあまりにも凄惨な光景だった。
得体の知れない男に襲われ抵抗したのだと錯乱しながらの弁明も、血濡れの中では単なる姉殺しの少年の戯言。
現にその従者という者は存在すら確認出来なかった。
皆一様、口をそろえて証言したのだ。
『あの日は姉弟二人だけだった』と。
しかしこの事件がおおやけになることはなかった。
さすが貴族様である。屋敷の者たちには厳しい緘口令をしき、噂ひとつ口にした者は容赦なく処分したのだ。
「寒くないか」
まだ心配そうにたずねてくる彼を、メルトは疎ましく思い睨む。
「オレに構うなって言ってるだろうが」
我ながらヒステリックで嫌になる。たかが夢だ。しかも過去のこと。
あれから魔法書を読むのを辞めた。禁じられたからというだけではない。
姉を死に追いやった原因は間違いなく暴発した攻撃魔法だ。驚くべきは生まれてこの方、魔法の訓練など受けたことのない少年がいきなり人を殺めるほどの強力な魔力を爆発させたことなのだが。
そもそも魔法というのは元々の素質が必要になる。
魔力と呼ばれるその力が一定数に達していなければ、どれだけ呪文を唱えようが魔法陣を描こうがろくな効果は発揮できないと考えて良い。
逆を言えば、例え杖や呪文詠唱に頼らなくても生まれ持った素質さえあればこのような魔法事故は珍しくもないのだが。
――あれはなんだったんだ。
衝撃的な場面ばかりが記憶に残り、前後の事がかなり抜け落ちている。
だからこそこのトラウマを克服することも出来ず、こうやって屋敷を逃げ出してからも悪夢に苛まれていたのだ。
それでも最近ではめっきりその頻度も減り安堵していたのだが、久方ぶりの寝覚めの悪さに不安定になっていた。
「そんな警戒しなくたっていいじゃん、さすがに傷つくんだけど」
肩をすくめ大人しく自分のベッドに戻る彼を横目に、メルトは小さく息を吐いた。
――女はオレを強引に組み敷いたりしない。
我ながら卑怯な考えだと理解はしていた。
奴隷商人になって、需要があれど男娼を商品として売買しなかった理由もここにある。
「まあいいや。それよりまだ寝てろよ。今日はペット探しの依頼だから、そんなに朝早く準備しなくてもいいしな」
「……」
あれからまた仕事を依頼された。
報酬は先の素材集めよりは多少良かったのが意外だったのだが。
『これは知り合いからの頼まれ事でね』
そう言って面倒そうに羊皮紙を差し出す。
そこにはそれなりに名の知れた金持ちの苗字と依頼内容、そして報酬が記されていた。
『ふん、一応お得意さんだから無下にはできないのさ』
その言葉は本心なのだろうが、それでも修理屋である彼女が頼まれてもわざわざ引き受ける仕事なのかといえば疑問が残る。
そこですかさず。
『婆ちゃん、ルークスのために仕事の口利き申し出たの。ガラにもないでしょ?』
ニヤニヤしながら耳打ちしたのはアンナだ。
余計なこと言うんじゃない、と祖母に叱られるが何処吹く風。
――ったく。どいつもこいつもお人好しだな。
メルトはもう一度ベッドに横になると欠伸をした。
しかしそれもこのルークスという青年の屈託のない様のせいなのかもしれない。結局は自分とは真逆の人種なのだ。
「チッ」
隣から聞こえてきた寝息に舌打ちしながらも、メルトはもう眠れなくなっていた。
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