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脳筋剣士と異形クエスト1
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いつもと違う――そう彼はつぶやいた。
「……」
ぴり、と肌を刺すような空気は服越しでも痛いくらいで。
思わず足を止めて黙り込んだメルトに、ルークスは手を差し出して笑ってみせた。
「大丈夫だ、行こう」
「うるさい」
ビビっていると思われたのかとイラつきながら、その手を叩く。
「ったく素直じゃねえなあ」
「バカにしてんじゃないぞ、脳筋バカ童貞」
「どっ、どどど童貞!? 何言ってんだお前っ、童貞なわけないだろ!」
あ、これは真性だと半目になるが鼻で笑ってやる。
「はいはい。童貞君、しっかりフォロー頼むぞ。オレは一般人だからな」
「だから違うっつーの!」
ムキになって言い返してくるのが少し面白くなってきた。変に物分り良さそうな顔したり、カッコつけてくるよりよほどいい。
「で、オレはどうすりゃいいわけ」
「だからメルトは俺が――」
「男に守ってもらう趣味はないっての。それともアンタにはまだオレが女装趣味のカマ野郎にでも見えるワケ?」
「別にそんなこと言ってねぇよ。っていうか、なんでそんな喧嘩腰なんだよ」
眉間にシワを寄せながらも眉を下げる表情は何となく犬っぽく見えた。
――ぜんっぜん可愛くねえけど。
だいたい猫派だし、と内心吐き捨てながらルークスの言葉を無視して歩きだす。
「お、おい!」
「ほらグズグズしてたら日が暮れちまうんじゃないの」
ようするに魔獣とやらを見つけてこの男にぶん殴らせれば良いのだ。そこから素材を捌いて身軽にして持ち帰る。
聞いたところによるとその素材とやらは魔獣の角や爪、牙から採れるのだという。
「当然、転送魔法装置くらい持ってるんだろうな」
「あー、それがなー……ええっと、その」
メルトの問いかけに彼は頭をかく。何となくイヤな予感がした。
ちなみに転送魔法装置とは名の通り、体積の大きさ関係なく瞬間的に物を別場所に転送する高度な魔法機器のこと。
あらかじめその場所を指定することで、たとえ巨大な獲物を捕獲した時も楽々と街に持ち帰り納品することができるのだ。
これは冒険者のみならず、学者や商売人界隈でも使われる便利グッズのひとつだ。
今どきこれを持たずして仕事をするのはありえない、それくらい常識的なものなのだが。
「まさかとは思うが、人力で運ぼうとか言い出さないよな?」
「!」
「ルークス?」
「なんとか、なるかなぁと」
「……」
「大丈夫っしょ、多分。なんとかな――」
「なるかクソボケぇぇぇッ!!!」
今回の依頼が魔獣からの素材確保、しかも一体や二体どころではない。
大量のそれをどうやって街まで運搬するのかという問題が出てくるのだ。
そこでこの世界には魔法という動力が存在する。
魔法を単独で使うだけでなく、その力を精密な機械と融合させ効果を増幅させる技術開発を我が国は進めてきた。
魔法武器や魔法装備、あとは転送魔法装置などである。
「どういうつもりだ」
「い、いや。別になんの対策もしてなかったわけじゃなくてな。ほら、こんなのもあるぞ!」
ゴソゴソと出してきたのは、手のひらサイズの巾着袋みたいなもの。
「よしっ、見てろよ」
それを勢いよく地面に投げると、ポンッと軽快な音を立ててまるで小型テントのような形に膨らみ転がった。
「結界広域領域機!」
ドヤ顔でこちらを振り返る様に、メルトのこめかみがヒクつく。しかし悲しいかなこの男は気づかない。
なんせ鈍感だから。
「中古で買ったけどなかなか便利なんだぞ。ほらここを拠点にして結界内に獲物を置いておけば、ほかの奴らに荒らされることも無いし後で取りに行って……」
「だからっ、今どきそんなモノ使ってる奴いないだろ! てかなんだよそれ、いちいち採取してここに戻るつもりかよ!! つーか、それなりの準備くらい整えろよ。冒険者が聞いて呆れるわっ!!」
ちなみにこれも魔法道具のひとつで、もっと原始的というかシンプルなものである。
いわゆる結界付きテントで、ここに入れば魔獣から身を守れるといった簡易幕。
ただそれだけ。
しかも魔力が強く、知能の高い魔物種族にはあまり役に立たない。
しょせんは初心者向けのキャンプグッズなのだ。
「いやあ、本当はあったんだけどさ。転送機は金が無くって売っちまったんだよなぁ」
「はぁぁぁ!?」
すぐに粉砕してしまう武器代で首が回らず、働けど働けど極貧状態なのは本当のことらしい。
メルトは思わず天を仰いだ。
「アンタ正真正銘のバカだ……」
「まあまあ、そんな落ち込むなって」
「誰のせいだと思ってんだッ、このバカ!!」
「そんなバカバカいわなくてもいいだろ」
さすがにこうも怒鳴りつけられまくっては、ルークスも不貞腐れた顔をし始める。
だがそんなこと構っていられない。
――今さら街に戻って準備なんて時間もない。
グズグズしていたらすぐに日が暮れる。そして問題はお互いに金がないこと。
街に戻ったとて、ろくな物資調達なんて期待できないだろう。
「くそっ」
メルトはガシガシと頭を掻きむしってから。
「ないものは仕方ない。オレが解体する」
「へ?」
解体、という言葉にルークスの顔に疑問符が浮かぶ。
「角と牙と。ええっと爪だっけか。じゃあ、首切り落としてあとは必要ヶ所が少々ってとこだな」
「ちょっ、え? い、意味わかんないだけど!?」
「うるさい。とりあえずこのナイフで切り取るって言ってんだよ、バカ」
「またバカバカ言う……」
「最初にアンタを解体してやろうか」
「す、すんません」
あの修理屋からくすねてきたナイフを手に凄めば、ルークスは肩をすくめた。
「でもそんなことメルトに出来るのか」
「あ?」
「だってお前……そんな……」
「ンだよ。ハッキリいいやがれ、脳筋」
鼻の頭と眉間にシワを寄せる。
「い、いや。そんな綺麗な手を魔獣の血肉で汚すとか……ちょっとアレかなーって」
「アンタなぁ」
今度は呆れ返った。まだこの男は勘違いしているのか。
「オレは今までもずっとこの手を汚してきたんだ。手だけじゃない、商売柄も散々酷いことやってきたさ。アンタがオレに対してどんな幻想抱いてんの知らんが、今さらカマトトぶるつもりなんて毛頭ないからな」
そう。人を殺した事こそないものの、それに近い罪は犯してきた。
クズしかいない裏の道で、汚い金のために他人を売って生計たててきた人間だ。恐喝や恫喝、詐欺まがいの手口を使ったことすらある。
すべてが変わるためだった。
「今度オレを世間知らず扱いしたら、マジでぶん殴るからな」
「別にそんなつもりじゃ……」
「分かったら行くぞ、脳筋バカ」
なにか言いたげな彼に吐き捨てるように言い、メルトはまた森を歩き出す。
相変わらず陽の光が少しずつしか入らぬ森はどんよりと薄暗い。
こころなしか息苦しさもあり、唇を噛み締めた。
「待て!」
追ってくる足音と同時、ふいに肩をつかまれる。
「!?」
反動で仰け反り後ずさった瞬間だった。
「!」
さっきまで立っていた場所に、ドスッと鋭い音を立ててなにかが刺さったのだ。
なんだこれは、と口を開くヒマもない。
「走れッ!!!」
「っ、えぇ!?」
手を引き全速力で駆け出すルークス。もはや引きずられるこのように、こちらも走り出す。
「なんだ今の!」
「いいから急げっ、やばいぞ!!」
そこから先はもう必死だった。
「っ……はぁ、ぁ……っく」
上がる息。背後を追いかけるようになにか飛んでくる。またそれをかいくぐり走る。
目の端にうつったのは地面に刺さった幾本もの棘。ゾッとするほど鋭利であった。
「くそ、まさか本当に……っ」
忌々しげに吐き捨てながらルークスはちらりと振り返る。
「な、なんなんだ一体」
確かに森の中には魔獣の一つや二ついるだろう。グロテスクとも言える動植物も、人里離れた陰鬱な森林の中では自由に繁殖しているのは当たり前だ。
しかしこんな物騒な棘を持つ生き物など、今まで見たことも聞いた事もない。
降り注ぐ攻撃が少し止んだのだろう、二人は息を弾ませながら立ち止まりそれの本体を見た。
「ラナートルアム。そうだな……手っ取り早く言えば、蜘蛛のバケモノか」
神話やおとぎ話というのはどこの世界にもある。中でも唯一に近く、どの国でも広く伝わっている古代幻想世界。
それがヴィトゥム神話である。
起源などはっきとと示されてはいない。とある一冊の古書の発見で、この神話は人々の目に触れることとなった。
古代に異界からやってきた異形の神々によってもたらされる恐怖や厄災などが、緻密かつ凄惨に描かれた数百ページに人々は驚愕する。
狂人の妄想と一笑してしまうにしても、恐ろしくリアリティに溢れた文章。
でてくるのも美しく華やかな神や天使、そして魅惑的な悪魔ばかりの従来の神話と違い。おどろおどろしく、醜悪危険極まりない存在ばかりなのだ。
現に二人の目の前にそびえているのは見上げるほどの巨大蜘蛛、に半身には人らしき肉体をもつ怪物だった。
らしき、とは灰色の上半身は奇妙なことにグズグズに溶けていたから。
口も目も鼻も明確にはなく、男か女かも判別つかない。よく耳をすませば、キュルキュルという小さな奇声を発していた。
「でもあんなの単なるおとぎ話だろ。実際に生息してるのか!?」
「……俺にもわからん。だが、あれもそうだった」
額に汗を滲ませながら、ルークスは剣をかまえた。
「あの棘はかなり危険だろう、気をつけろ」
突き立てられた地面は数センチほど赤黒く変色しており、おそらく猛毒が含まれているのだろう。
「メルト、お前は逃げるんだ。振り返るなよ」
「……は?」
騎士気取りかとムッとしたが、一方で別の思考も頭をもたげる。
――このまま逃げ出せば。
金も何もないが、とりあえずあの修理屋の女店主さえなんとかすれば良いチャンスになるのではないか。
少なくともここで役に立つようなスキルが何も無い自分が、一体どんな戦力になるというのだ。
それならこのこの世で一番嫌いなタイプである、この正義感ぶった脳筋剣士を置いて逃げたって何の問題もないだろう。
ここでこんな未知のバケモノの餌食にされて男と心中だなんて真っ平御免だった。
「あ、ああ…………そうか?」
そろりと後ずさる。
そうだ逃げればいい。そうすれば助かるかもしれない。命は誰しも惜しいものだ。別に卑怯だとか最低だとか、誰も咎める者なんていないのだから。
――じゃあお言葉に甘えて。
と未だ掴まれていた手をそっと解こうとした時だった。
「!」
彼が一瞬だけこちらを見た。
その口元は何故か微笑んでいる。顔は青ざめ、相変わらず冷や汗が滲んでいたというのに。
「……ルークス」
だから血迷ったのだとメルトは自分に言い訳をする。
そうでないと説明がつかない。
「バカにすんな」
「えっ」
離しかけた手を再び強く握りしめ叫ぶ。
「いいからそのバケモノ倒してこい、じゃないと解体せないだろ!!」
「お、おま……何言って……」
「オレがアンタを見捨てて逃げるような卑怯者に見えんのかって言ってんだこの脳筋バカ野郎!」
「メルト……」
みるみるうちに彼の両目から涙の粒が。
「おい、泣くなアホ!」
「だって……俺……メルトがなんかすごく優しいから……うぅ……」
「いや。これじゃあオレが常にヒドイやつみたいだろ、ってまあ別に善人でもないが」
一体どこにそこまで感涙する要素があったのかとメルトには理解出来なかったが。とりあえず腰に刺したおおよそ剣には見えぬ剣に触れてから、彼の目を見つめて行った。
「いいか。あの気色悪ぃバケモノを思い切りぶちのめしてこい、ルークス」
――そして一刻も早くこの国から脱出させてくれ。
そのためにはここを生き残らねばならない。
「分かった、メルト」
「へ?」
次の瞬間力強く抱きしめられた。そして。
「~~~っ!?!?!?」
唇に押し付けられた柔らかなモノ。
それは一瞬。でもちゅ、と小さなリップ音が耳に残った。
「あ、アンタ、なに、を……」
大きく目を見開き口をパクパクさせているのを尻目に、ルークスは満面の笑みでうなずいた。
「いってくる」
それを合図にするかのように風がひときわ大きく吹き、木々を揺らす。
「っ!」
彼はこちらに背を向け駆け出す。
異形の魔獣へと一直線に飛びかかったのだ。
「……」
ぴり、と肌を刺すような空気は服越しでも痛いくらいで。
思わず足を止めて黙り込んだメルトに、ルークスは手を差し出して笑ってみせた。
「大丈夫だ、行こう」
「うるさい」
ビビっていると思われたのかとイラつきながら、その手を叩く。
「ったく素直じゃねえなあ」
「バカにしてんじゃないぞ、脳筋バカ童貞」
「どっ、どどど童貞!? 何言ってんだお前っ、童貞なわけないだろ!」
あ、これは真性だと半目になるが鼻で笑ってやる。
「はいはい。童貞君、しっかりフォロー頼むぞ。オレは一般人だからな」
「だから違うっつーの!」
ムキになって言い返してくるのが少し面白くなってきた。変に物分り良さそうな顔したり、カッコつけてくるよりよほどいい。
「で、オレはどうすりゃいいわけ」
「だからメルトは俺が――」
「男に守ってもらう趣味はないっての。それともアンタにはまだオレが女装趣味のカマ野郎にでも見えるワケ?」
「別にそんなこと言ってねぇよ。っていうか、なんでそんな喧嘩腰なんだよ」
眉間にシワを寄せながらも眉を下げる表情は何となく犬っぽく見えた。
――ぜんっぜん可愛くねえけど。
だいたい猫派だし、と内心吐き捨てながらルークスの言葉を無視して歩きだす。
「お、おい!」
「ほらグズグズしてたら日が暮れちまうんじゃないの」
ようするに魔獣とやらを見つけてこの男にぶん殴らせれば良いのだ。そこから素材を捌いて身軽にして持ち帰る。
聞いたところによるとその素材とやらは魔獣の角や爪、牙から採れるのだという。
「当然、転送魔法装置くらい持ってるんだろうな」
「あー、それがなー……ええっと、その」
メルトの問いかけに彼は頭をかく。何となくイヤな予感がした。
ちなみに転送魔法装置とは名の通り、体積の大きさ関係なく瞬間的に物を別場所に転送する高度な魔法機器のこと。
あらかじめその場所を指定することで、たとえ巨大な獲物を捕獲した時も楽々と街に持ち帰り納品することができるのだ。
これは冒険者のみならず、学者や商売人界隈でも使われる便利グッズのひとつだ。
今どきこれを持たずして仕事をするのはありえない、それくらい常識的なものなのだが。
「まさかとは思うが、人力で運ぼうとか言い出さないよな?」
「!」
「ルークス?」
「なんとか、なるかなぁと」
「……」
「大丈夫っしょ、多分。なんとかな――」
「なるかクソボケぇぇぇッ!!!」
今回の依頼が魔獣からの素材確保、しかも一体や二体どころではない。
大量のそれをどうやって街まで運搬するのかという問題が出てくるのだ。
そこでこの世界には魔法という動力が存在する。
魔法を単独で使うだけでなく、その力を精密な機械と融合させ効果を増幅させる技術開発を我が国は進めてきた。
魔法武器や魔法装備、あとは転送魔法装置などである。
「どういうつもりだ」
「い、いや。別になんの対策もしてなかったわけじゃなくてな。ほら、こんなのもあるぞ!」
ゴソゴソと出してきたのは、手のひらサイズの巾着袋みたいなもの。
「よしっ、見てろよ」
それを勢いよく地面に投げると、ポンッと軽快な音を立ててまるで小型テントのような形に膨らみ転がった。
「結界広域領域機!」
ドヤ顔でこちらを振り返る様に、メルトのこめかみがヒクつく。しかし悲しいかなこの男は気づかない。
なんせ鈍感だから。
「中古で買ったけどなかなか便利なんだぞ。ほらここを拠点にして結界内に獲物を置いておけば、ほかの奴らに荒らされることも無いし後で取りに行って……」
「だからっ、今どきそんなモノ使ってる奴いないだろ! てかなんだよそれ、いちいち採取してここに戻るつもりかよ!! つーか、それなりの準備くらい整えろよ。冒険者が聞いて呆れるわっ!!」
ちなみにこれも魔法道具のひとつで、もっと原始的というかシンプルなものである。
いわゆる結界付きテントで、ここに入れば魔獣から身を守れるといった簡易幕。
ただそれだけ。
しかも魔力が強く、知能の高い魔物種族にはあまり役に立たない。
しょせんは初心者向けのキャンプグッズなのだ。
「いやあ、本当はあったんだけどさ。転送機は金が無くって売っちまったんだよなぁ」
「はぁぁぁ!?」
すぐに粉砕してしまう武器代で首が回らず、働けど働けど極貧状態なのは本当のことらしい。
メルトは思わず天を仰いだ。
「アンタ正真正銘のバカだ……」
「まあまあ、そんな落ち込むなって」
「誰のせいだと思ってんだッ、このバカ!!」
「そんなバカバカいわなくてもいいだろ」
さすがにこうも怒鳴りつけられまくっては、ルークスも不貞腐れた顔をし始める。
だがそんなこと構っていられない。
――今さら街に戻って準備なんて時間もない。
グズグズしていたらすぐに日が暮れる。そして問題はお互いに金がないこと。
街に戻ったとて、ろくな物資調達なんて期待できないだろう。
「くそっ」
メルトはガシガシと頭を掻きむしってから。
「ないものは仕方ない。オレが解体する」
「へ?」
解体、という言葉にルークスの顔に疑問符が浮かぶ。
「角と牙と。ええっと爪だっけか。じゃあ、首切り落としてあとは必要ヶ所が少々ってとこだな」
「ちょっ、え? い、意味わかんないだけど!?」
「うるさい。とりあえずこのナイフで切り取るって言ってんだよ、バカ」
「またバカバカ言う……」
「最初にアンタを解体してやろうか」
「す、すんません」
あの修理屋からくすねてきたナイフを手に凄めば、ルークスは肩をすくめた。
「でもそんなことメルトに出来るのか」
「あ?」
「だってお前……そんな……」
「ンだよ。ハッキリいいやがれ、脳筋」
鼻の頭と眉間にシワを寄せる。
「い、いや。そんな綺麗な手を魔獣の血肉で汚すとか……ちょっとアレかなーって」
「アンタなぁ」
今度は呆れ返った。まだこの男は勘違いしているのか。
「オレは今までもずっとこの手を汚してきたんだ。手だけじゃない、商売柄も散々酷いことやってきたさ。アンタがオレに対してどんな幻想抱いてんの知らんが、今さらカマトトぶるつもりなんて毛頭ないからな」
そう。人を殺した事こそないものの、それに近い罪は犯してきた。
クズしかいない裏の道で、汚い金のために他人を売って生計たててきた人間だ。恐喝や恫喝、詐欺まがいの手口を使ったことすらある。
すべてが変わるためだった。
「今度オレを世間知らず扱いしたら、マジでぶん殴るからな」
「別にそんなつもりじゃ……」
「分かったら行くぞ、脳筋バカ」
なにか言いたげな彼に吐き捨てるように言い、メルトはまた森を歩き出す。
相変わらず陽の光が少しずつしか入らぬ森はどんよりと薄暗い。
こころなしか息苦しさもあり、唇を噛み締めた。
「待て!」
追ってくる足音と同時、ふいに肩をつかまれる。
「!?」
反動で仰け反り後ずさった瞬間だった。
「!」
さっきまで立っていた場所に、ドスッと鋭い音を立ててなにかが刺さったのだ。
なんだこれは、と口を開くヒマもない。
「走れッ!!!」
「っ、えぇ!?」
手を引き全速力で駆け出すルークス。もはや引きずられるこのように、こちらも走り出す。
「なんだ今の!」
「いいから急げっ、やばいぞ!!」
そこから先はもう必死だった。
「っ……はぁ、ぁ……っく」
上がる息。背後を追いかけるようになにか飛んでくる。またそれをかいくぐり走る。
目の端にうつったのは地面に刺さった幾本もの棘。ゾッとするほど鋭利であった。
「くそ、まさか本当に……っ」
忌々しげに吐き捨てながらルークスはちらりと振り返る。
「な、なんなんだ一体」
確かに森の中には魔獣の一つや二ついるだろう。グロテスクとも言える動植物も、人里離れた陰鬱な森林の中では自由に繁殖しているのは当たり前だ。
しかしこんな物騒な棘を持つ生き物など、今まで見たことも聞いた事もない。
降り注ぐ攻撃が少し止んだのだろう、二人は息を弾ませながら立ち止まりそれの本体を見た。
「ラナートルアム。そうだな……手っ取り早く言えば、蜘蛛のバケモノか」
神話やおとぎ話というのはどこの世界にもある。中でも唯一に近く、どの国でも広く伝わっている古代幻想世界。
それがヴィトゥム神話である。
起源などはっきとと示されてはいない。とある一冊の古書の発見で、この神話は人々の目に触れることとなった。
古代に異界からやってきた異形の神々によってもたらされる恐怖や厄災などが、緻密かつ凄惨に描かれた数百ページに人々は驚愕する。
狂人の妄想と一笑してしまうにしても、恐ろしくリアリティに溢れた文章。
でてくるのも美しく華やかな神や天使、そして魅惑的な悪魔ばかりの従来の神話と違い。おどろおどろしく、醜悪危険極まりない存在ばかりなのだ。
現に二人の目の前にそびえているのは見上げるほどの巨大蜘蛛、に半身には人らしき肉体をもつ怪物だった。
らしき、とは灰色の上半身は奇妙なことにグズグズに溶けていたから。
口も目も鼻も明確にはなく、男か女かも判別つかない。よく耳をすませば、キュルキュルという小さな奇声を発していた。
「でもあんなの単なるおとぎ話だろ。実際に生息してるのか!?」
「……俺にもわからん。だが、あれもそうだった」
額に汗を滲ませながら、ルークスは剣をかまえた。
「あの棘はかなり危険だろう、気をつけろ」
突き立てられた地面は数センチほど赤黒く変色しており、おそらく猛毒が含まれているのだろう。
「メルト、お前は逃げるんだ。振り返るなよ」
「……は?」
騎士気取りかとムッとしたが、一方で別の思考も頭をもたげる。
――このまま逃げ出せば。
金も何もないが、とりあえずあの修理屋の女店主さえなんとかすれば良いチャンスになるのではないか。
少なくともここで役に立つようなスキルが何も無い自分が、一体どんな戦力になるというのだ。
それならこのこの世で一番嫌いなタイプである、この正義感ぶった脳筋剣士を置いて逃げたって何の問題もないだろう。
ここでこんな未知のバケモノの餌食にされて男と心中だなんて真っ平御免だった。
「あ、ああ…………そうか?」
そろりと後ずさる。
そうだ逃げればいい。そうすれば助かるかもしれない。命は誰しも惜しいものだ。別に卑怯だとか最低だとか、誰も咎める者なんていないのだから。
――じゃあお言葉に甘えて。
と未だ掴まれていた手をそっと解こうとした時だった。
「!」
彼が一瞬だけこちらを見た。
その口元は何故か微笑んでいる。顔は青ざめ、相変わらず冷や汗が滲んでいたというのに。
「……ルークス」
だから血迷ったのだとメルトは自分に言い訳をする。
そうでないと説明がつかない。
「バカにすんな」
「えっ」
離しかけた手を再び強く握りしめ叫ぶ。
「いいからそのバケモノ倒してこい、じゃないと解体せないだろ!!」
「お、おま……何言って……」
「オレがアンタを見捨てて逃げるような卑怯者に見えんのかって言ってんだこの脳筋バカ野郎!」
「メルト……」
みるみるうちに彼の両目から涙の粒が。
「おい、泣くなアホ!」
「だって……俺……メルトがなんかすごく優しいから……うぅ……」
「いや。これじゃあオレが常にヒドイやつみたいだろ、ってまあ別に善人でもないが」
一体どこにそこまで感涙する要素があったのかとメルトには理解出来なかったが。とりあえず腰に刺したおおよそ剣には見えぬ剣に触れてから、彼の目を見つめて行った。
「いいか。あの気色悪ぃバケモノを思い切りぶちのめしてこい、ルークス」
――そして一刻も早くこの国から脱出させてくれ。
そのためにはここを生き残らねばならない。
「分かった、メルト」
「へ?」
次の瞬間力強く抱きしめられた。そして。
「~~~っ!?!?!?」
唇に押し付けられた柔らかなモノ。
それは一瞬。でもちゅ、と小さなリップ音が耳に残った。
「あ、アンタ、なに、を……」
大きく目を見開き口をパクパクさせているのを尻目に、ルークスは満面の笑みでうなずいた。
「いってくる」
それを合図にするかのように風がひときわ大きく吹き、木々を揺らす。
「っ!」
彼はこちらに背を向け駆け出す。
異形の魔獣へと一直線に飛びかかったのだ。
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