Ωですがなにか

田中 乃那加

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自分らしいが疑問ですが

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「Ωが調子に乗ってんじゃねぇよ」

 すれ違いざまに、でも確実に耳に入るボリュームの声で言われた。
 
 振り返っても多分もう言った相手は誰か分からない。
 というか周りがサッと視線を外して、あるいはクスクスヒソヒソとされるだけだろう。

 ――あ、想像以上にキツいかも。

 別に慣れてるよ。うん、初めてじゃないからね。こういうの。

 Ωだって判明した頃。
 当時、親友だと思ってたクラスメイトに一度だけこっそり相談した。
 相談って言っても、ただ聞いて欲しかっただけなんだけどな。そして聞いてくれると思ってた。

 でも結局、次の日にはクラス中どころか学校中に僕がΩだって広まっていて。
 幸い、表立って差別する人はそう多くなかった。だいたいは腫れ物に触るように? あとは関わりたくないってオーラ全開だったかな。

 でも僕が恵まれてたのは差別も疎外もしない、ほんのひと握りの人達の存在かも。
 今までと同じように接してくれた。

 家族もその中だ。

 だからこそ、あからさまなΩ差別以上に辛かった。

『可哀想に』

 っていう視線と言葉。
 そりゃあね。好きでなった訳じゃないし、βや‪α‬だったらなって思ったりもしたよ。
 でも憐憫が一番惨めだったりする。

「痛っ」
「キモいんだよ、ビッチが」

 荷物を身体に当てられて思わず声をあげたら、睨まれて悪態をつかれた。
 でも黙って通りすぎたら。

「うわ、ウザ……」
「勘違いすんなや」

 とまたヒソヒソ。
 これもやっぱり理不尽だな。

 ――はやく帰りたい。

 講義も終わったし、さっさと帰ろう。
 そう思って再び歩き出したときだった。

「あ、奈々」

 知った後ろ姿に声をかける。
 だけど。

「……」

 一瞥すらせず無視された。確実に無視されたと思う。
 サッと胸の中に冷たいモノが投げ込まれた気分になった。動悸が止まらない。

「あ」

 クスクスと笑う声が聞こえる。
 僕が一体、なにしたんだろう。
 その場から走って逃げ出したい衝動に駆られつつも、足はなかなか進んでくれない。
 悲しいとか悔しいとか、そういうよりただ呆然というか。途方に暮れていたんだと思う。

 ――行かなきゃ、行かない……と。

「暁歩?」

 声と共に肩をぽんと叩かれた。

「!」
「どうしたの、ぼーっとして」
「香乃……」
「ん? って。ちょっと大丈夫!?」

 そんなひどい顔してたのか、振り向いたら彼女が慌てた様子で手を引っ張った。

「――なにそれ。最低じゃん」

 低く絞り出すように香乃がつぶやく。

 とりあえず、と連れてこられた学食のテラス席。ここならむしろ聞き耳立てる人間もいないだろうという彼女の配慮だ。

「マジありえない。なんなの、それ」

 なるべく感情的にならないように淡々と説明したつもりだったんだけど、話したあとにギュッと抱きしめられた。

「暁歩は悪くないからね」

 確かめるように、食いしばるように言ってくれるのが香乃らしいなって思う。
 
「奈々に話する。いくらなんでも許せないわ」
「ごめん。それはやめて」

 咄嗟にスマホを取り出した手を止めると。

「……そうだね」

 僕がそれ以上何も言わなくてもうなずいてくれる香乃は、やっぱり優しい。
 
 いや、奈々だって優しかったんだ。初めて声掛けてくれたのも彼女だったし。
 だからなおのことショックだったのかもしれない。
 高校の時の事が脳裏に過ぎる。

「なにか誤解があったのかもしれない」
「だとしてもアタシは許せない」

 それも分かるし、むしろ感謝してるんだ。

「アンタがそう言うなら、アタシは何も言わないけどさ」
「ありがとう、香乃」

 彼女は大きく息を吐いてから。

「あーでもムカつく」

 と苦々しい顔をしながら、僕の頭をすごく優しく小突いた。



 


 香乃はもっと僕といてくれようとしていた。でもこの後バイトがあるのも知ってたから大丈夫だからと何度も言って別れたんだ。
 
『いい? なんかあったらすぐにでも話聞くから! 我慢なんかしたら承知しないから!!』

 と半分泣き怒りみたいな顔と声で僕の肩を何度も叩いた。
 やっぱりそんな香乃ちゃんが、僕は (もちろん友達として)好きだなって思う。

 ――僕も帰ろっと。

 少し落ち着いたし、駅前の本屋にでも寄ろうかな。
 なんて考えながら短大から駅までの道を歩こうと足を踏み出す。
 バスには乗りたくなくて、うつむきがちにひたすら歩いた。
 そんな中。

「暁歩ちゃん」

 名前を呼ばれて立ち止まって振り向く。

「響介さん」

 相変わらず優しそうな笑顔の彼が立ってた。

「今から帰るの?」
「ええ、まあ」

 沈んだ顔は見せたくなくて、こっちも笑顔で答える。

「じゃあそこまで一緒に行こう」

 そう言って歩き出した。

「バス乗らずに歩くと意外と距離あるよね」
「ですよね。でも、いい運動にはなりますよ」
「ああ確かに。オレも今日はバス乗らなくてよかったかも」

 そこで視線が合う。

「だって少しデートみたいじゃん」
「で、デートって……!」

 冗談めいた感じで言われても驚くし、また動揺した自分が恥ずかしいしでまたうつむく。

「ねえ暁歩ちゃん」

 今度はいつになく固い声。すぐに顔をあげると。

「凪由斗のこと、どう思ってるの」
「え?」

 いきなり何を聞かれるのかと思ったら。もしかして、響介さんにもなにか冷たくされるんじゃないかって一瞬不安になる。

「オレはあいつのこと多少知ってるから言うけど。暁歩ちゃん、あいつはやめときなよ」
「響介さん。別に僕は」
「暁歩ちゃんに、凪由斗なんてふさわしくない。あいつはクズだよ」

 吐き捨てるような口調。彼のこんな姿、はじめて見た。

「βでもΩでもお構い無しに女の子に手を出すからトラブルばかりだし、なにかあればすぐに札束で人の顔を引っぱたくようなゲス野郎だ」

 確かに女癖は悪いって香乃も言ってたな。でも最初に出会った時以降、女の子といるのを僕はあまり見たことなかったせいかなんかイメージなかったかもしれない。

「暁歩ちゃんにしつこく付きまとうのも、あいつの気まぐれの悪ふざけだよ。そんな奴のせいで君が傷つけられるのは、もう耐えられない」
「別に僕は傷ついてなんか……」

 思わず嘘をついた。でも腕を掴まれて顔をのぞき込まれる。

「本当にそう? 今の暁歩ちゃん、すごく辛そうだよ」

 バレてる、のか。
 そこでようやく、少しだけ今の現状を話した。

「やっぱり」

 響介さんは難しい顔をして数秒黙り込む。そして突然、僕の手をにぎってきた。

「オレに暁歩ちゃんを守らせて欲しい」
「きょ、響介さん!?」
「好きなんだ」
「!!!」

 もう驚いたどころじゃない。いきなりすぎる。
 それに寄りにもよって彼に告白されるなんて。

「あ、あ、あのっ……」
「一目惚れなんだと思う。オレなら暁歩ちゃんを悲しませないし、絶対に幸せにする」
「そんな急に……」
「もちろん、ちゃんと先のことも考えてるよ。君が卒業したら結婚しよう」
「けけけっ、結婚!?」

 ちょって待って、それは飛躍しすぎだ。
 しかもこんな人通りの多いところで言うもんだから、周りの人達がチラチラとこっち見ながら通り過ぎる。
 
「本当はオレの卒業と就職を待った方がいいかもしれない、でも暁歩ちゃんを待たせたくないし君が凪由斗に騙されて傷つけられるのが怖いんだ。大丈夫、オレだってちゃんと実家は太いから」

 そんなことを言われても困る。でも彼はさらに。

「番になろう」

 なんて。
 当然、驚いたし。なんならたじろいだ。

 つがい――結婚が法的な縛りあるなら、番はそれより強い本能の縛りだ。

 ‪僕らΩが、α‬に首の後ろを噛まれちゃうと番の関係を結んでしまう。
 番である‪α‬のフェロモン以外には反応しなくなる代わりに、発情期にはもうえらいことになるって聞いたことがある。
 
 実際よく知らないし、あまり知りたくないんだけど。
 ストーカーや性犯罪で合意無しに番にさせられてってのは聞いた事がある。所有の証ってやつでするらしいけど、それを解消するのがかなり大変なのだとか。
 後遺症ってやつで人生狂うなんて聞けば、危機感くらいもつだろう。

「きっと幸せにするから」
「あ、あの響介さん……」
「それともオレじゃダメなの? 凪由斗は女の子としか付き合わないし、暁歩ちゃんはあいつのことが好きってわけじゃないんだろ」
「そりゃそうなんですけど」

 それにしたって唐突すぎる。
 凪由斗が僕に喧嘩ふっかけたりする時も、響介さんはそれとなく窘めたり庇ってくれたりしてた。でもそんな、恋愛とかそういうの考えたことすらなかった。

「ま、まだ学生だから」
「やめなよ、そうすればすぐにでも結婚出来る」
「へ?」

 やめるって、保育士になるのを? 
 唖然とする僕に彼は淡々と言ってのける。

「暁歩ちゃんはΩでオレは‪α‬だよ。むしろ好都合でしょ」
「そんなバースなんて」
「関係ない? あるよ。君はΩだからオレと結婚出来て子どもも産める」
「こ、子供……」

 そんな生々し過ぎる。思わず後ずさると。

「大丈夫。きっとオレ達に似たらめちゃくちゃ可愛い子が産まれるよ」

 響介さんってこんな人だっけ。
 知らない人を目の前にしてるかのような感覚になる。だって、彼はもっとΩに対して理解があって――。

「Ω差別を毅然と跳ね返す君を見て尊敬したし、好きになったんだ。君を守りたい」

 守りたいがなんで結婚とか学校辞める話になるの。理解し難い言葉だらけで頭が混乱してくる。

 でもなにより。

「そんないきなり……困ります」

 正直少し、いやだいぶ怖い。でも彼の目は真摯そのもので。
 ずっとΩだってことで受けてきた疎外感とか差別とか、腫れ物扱いとか。そんなものとはあまりにも対照的すぎる。
 
「暁歩ちゃん、好きだよ」

 もしかして彼が差し出す手に、触れてしまえば楽なのかな――そう思った時だった。

「あれ、暁歩君?」

 聞き知った声に我に返る。

「やっぱりそうだ。久しぶりだな」

 そこにいたのは母さんの親戚で、昔から家族ぐるみでの付き合いのある東海 瑠衣とうかい るいさん。

「もしかしてこっちは友達?」
「どうも」

 にこやかに問う瑠衣さんに、響介さんの表情はかたい。
 
「あははっ、そんなに警戒するなよ。オレはこいつの親戚のおじさんってヤツな」
「瑠衣さんはおじさんっていう年齢でも見た目でもないでしょ」

 彼はまだ確か二十六歳くらいだし、むしろそれよりずっと若くて綺麗なんだよね。
 ちなみに瑠衣さんも僕と同じ男性Ωってこともあって、一時期かなり精神的に助けてもらってた。

 僕がグレずに前向きに生きていけたのは、瑠衣さんのおかげってのもある。

「お、君は見たとこ君は‪α‬だな。いい男じゃないか」

 瑠衣さんが彼にそう言って微笑むと。

「あ、はぁ。ど、どうも」

 と少し顔を赤くして視線をさ迷わせる。
 いつものやつだと察した。

「瑠衣さん、それくらいにしてよ。旦那さんがまた心配するから」
「それは困るな。あいつ、怒らせると怖いんだ」
「嘘ばっかり。怖いどころか泣いちゃうよ」
「ふふ。そうかもなぁ」

 瑠衣さんが肩をすくめる。
 嗅覚の鈍い僕にはよく分からないが、番を作ったΩはフェロモンの質が変化するらしい。
 それまでは無意識に発散していたそれを、抑えたり敢えて出したり。

 それを教えてもらって、なんだか昆虫みたいって言ったら笑われたっけ。
 
 つまりさっき響介さんが動揺したのは、彼のフェロモンでΩだって理解したから。あとそれと単純に、瑠衣さんが美人だからかな。

 身内贔屓びいきとかじゃなく、本当に綺麗な人だもん。
 結婚する前は色々と苦労したみたいだけど、今は6歳の子供と歳下の旦那さんとで幸せそうだ。

「お若い人達の邪魔したかな。じゃ、暁歩君。
「えっ?」
「やだなぁ。とぼけちゃって」

 なんの事分からずアタフタする僕の手を、お構い無しに引いていく。

「ごめんね? イケメンな‪α‬君」
「は、はぁ」

 同じく呆然としてる響介ににっこりと笑いかける瑠衣さん。

「ちょっ、瑠衣さん!?」
「……いいから歩けよな。その方が都合がいいだろ」

 小さい声で耳打ちされた。
 もしかしてさっきの話、聞かれてたのかな。

 颯爽と歩く瑠衣さんの横顔を見ながら、僕はそっと内心胸を撫で下ろした。

 




 


 

 
 

 

 

 
 
 







 

 














 



 
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