鬼村という作家

篠崎マーティ

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五十一話「2018」

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「もー、また担当辞めさせてくれって言われたんだよ。勘弁してよ、鬼村さんさあ」
 頭を掻きむしり苛立った様子で唸る編集長を前にしても、真は平然とした様子で立っていた。
 どうやら自分の担当が辞めたいと言い出したらしい――また。
 これで何人目の脱落者か、正直もう覚えていない。ワーストレコードは確か三日だが、今回は少なくとも一年はもった。好成績である。最長は三年だったが、四十代の青木というその担当は結局担当と一緒に会社も辞めることになったので、それ以来二年以上は鬼村悟の担当を継続させない方が良いという暗黙のルールが出来上がっていた。
「そう言われても、アタシがいじめた訳じゃないですしおすし」
「おすしじゃないよ、何言ってんの。もうちょっとさあ、こう……普通になれない?」
「無理っスね」
 牛のようにモーを連発しながら編集長は椅子に座りこんで頭を抱えた。仕方ないものは仕方ない、鬼村悟の担当は普通の作家の担当とはまるで違う体験が待ち構えているのである。それは編集内でも周知の事実だし、何を今更という話だ。だが、せっかく希望を胸いっぱいに抱いて入った新人がしっぽを巻いて辞表まで出してしまったのは、さしもの真でも流石に申し訳ないと思った。去年の話である。
「もう、そろそろ鬼村さんも同席して面談にするからね。あんたの担当オーディションだよ、まったく」
「そこまでせんでも」
「そこまでせんと続かないでしょ!」
 血の気の多い男だ。もしかしたら、真はただのきっかけに過ぎず、新人が辞めた直接的な理由はこの男のせいかもしれない……いや、それは流石に言い過ぎか。
 のらりくらりといつも通り編集部でやるべきことをこなし、寄り道もせずさっさと家に帰った。
 あれから真は一軒家を購入した。
 古い日本家屋であるが、真の生活にちょうどいい家だ。そういった物件を求めていた訳ではないけれど、ほんの少しだけ京都の家を思い起こさせる。勿論曰く付きだ。だから安く購入出来た。その曰くとは既に折り合いをつけているが、とは言え真が住むとなると騒がしくなるのは仕方ないので、多少は見逃してもらえるよう上っ面の近所づきあいには余念がない。
 都内に引っ越す事も考えたが、結局真は神奈川から出て行かなかった。
 家が変わっても沢田は相変わらず真の元に元気よくやって来て原稿を持っていく。家が変わったのも気づいていないし、真が一番痩せていた時からじつにニ十キロも増量したのも一切気づいていない。
 どうやら彼が成仏できるのはまだ先のようである。
 ポストから手紙の束を掴んで家に向かうと、縁側に誰かいるのに気が付いた。否、誰かなんて白々しい言い方は良くない。真の家に無断で入れるのは一人しか居ないのだから。
「先生」
 縁側で鬼村悟の新刊を読みふけっていた死神は、真の足音を聞きつけてはたと顔を上げ微笑んだ。本当に気色の悪い笑みだ。自分の事は棚に上げて、真は心底そう思う。不細工であるとか醜いとか、そういった次元の話ではない。一目見ただけで第六感に訴えかけてくるような、生理的に嫌悪を催す顔なのだ。
「お帰りなさい」
 勝手知ったる様子でそう言う。
 真は「はあ」と曖昧な返事をするにとどめた。
「新刊有難う御座いやす。ちょっと冒頭を読むだけのつもりが、いやァ、すっかり夢中になっちまった。そろそろ仕事だってェのに、いけねえいけねえ」
 ひょいと縁側から降りて、器用に懐に本をしまう。
 本当に時間も忘れて本を読んでいたのか怪しいところだが、すぐ居なくなるのならそれ以上追及する事はしない。
 涼やかな錫杖の音を響かせ真の前までやってくると、死神は笠の縁をちょいと摘まんで軽く会釈した。
「それじゃあ先生、また今度」
 真の返事も待たずふらりと歩き出し、二歩分の足音の余韻だけを残して消えた。よし、居なくなった。体の力を抜いて玄関の鍵を開ける。
 神保が精神病棟に入ってからこっち、死神と争いじみたやり取りをする事はなくなった。種がないのだから争いも芽吹きようがないのである。死神は白々しく真に友好的な態度をとるし、真も複雑怪奇な死神への気持ちを一時的に放り出して、ただ気色の悪いオッサンと対峙しているだけのように振舞う。
 もう人生を揺さぶるような面倒くさい事はこりごりだった。
 ――それなのに。
 居間に行き、手紙の差出人を確認していた時、心臓が止まりかけた。
 神保からの手紙があったのだ。
 ふらふらとその場に座り込み、暫く茶封筒の表面を凝視する。何かの悪戯だろうか。正常な感覚が戻ってくるのを待って差出人を再確認する。知らない住所だ。名前は神保悟と書いてあるが、筆跡も違う。一体何が起きている。
 震える手をいさめながら封を破った。中には手紙が二枚と……裸の十三万円が同封されていた。いよいよ訳が分からない。急いで手紙を開くと、そこには間違いなく神保の字で文がしたためられていた。
 内容は、文章こそ普通であったものの支離滅裂なものであった。過去の思い出や浮気への謝罪が飛び交い、かと思えば歯の浮くような甘い台詞が顔を出し、突然我に返って入院の様子を語り出す。それによると、どうやらこの手紙は親に頼んで出してもらっているらしい。それはそうだろう、手紙だけならまだしも現金なんか病院に入院していて同封できるはずがない。つまり、神保の両親は何かしらの手段を使って”マコト”を探り当てたという訳だ。それが作家鬼村悟であることも分かっているだろう、だから住所を調べられたのだ。という事は、白々しく嘘を吐いたあの日の女とマコトの顔が同じである真に気づいているという事である。ああ、もう二度と会う事は出来まい。見舞いに行って万一鉢合わせでもしたらどうしよう。
 片手で額を押さえながら胃が痛くなる思いで手紙を読み進めていると、最後に最も意味不明な言葉と共に十三万の正体が記されていた。

 その後、僕らの娘は元気ですか。安産だったそうで一安心です。早く退院して、顔を見に行きたいと思います。
 同封したお金は出産費用の足しにしてください。
 それから娘の名前ですが、すごく悩みましたが「美命」はどうでしょう? みことと読みます。
 これから二人で、生まれてきてくれた美しい命を育てていきましょう。
 親子三人で出かけられる日を楽しみにしています。

 真は現金と手紙を交互に見やり、あまりの突拍子のなさに引きつった笑い声をあげた。
「クッソイカれてんなあ、おい」わざわざ声に出してツッコミを入れる。「子供産めなくなったの、アンタのせいですからね?」
 ヘラヘラ笑いながら意味もなく視線を漂わせる。両親は息子の手紙の内容を確認しただろうか、それともプライバシーを尊重して読まなかっただろうか。もし読んでいたら確実に変な誤解が生まれているはずだ。この先一生、真が説明に行かない限り存在しない孫娘の幻に縛られる事になる。なんと哀れな事だろう。
 暫く笑い、いい加減笑えなくなったところで俯き、改めて手紙を眺めた。
 そうか、娘なのか。
 神保が娘を抱いて優しく笑っている姿が容易く想像できる。きっと彼はベタベタに甘やかすだろう。娘が欲しいと言ったらなんでも買い与えるような、典型的な愛情過多の駄目パパになるに違いない。真はそれを怒りながらも笑っている。噎せ返る程幸せが充満した光景だ。しかし、我が子にまで手を出すのではという黒い影がさっと飛来し、その幸福な空想を覆い隠してしまった。
 全ては空虚な妄想だ。万が一真と神保の間に娘が生まれたとしても、あの男が父親では安心なんて出来ない。あいつは犯罪者で、変態で、自制心のない人間だ。
 何をどうしたって、神保との関に幸せは訪れないのだ。
 手紙を摘まみあげ眼前にかざす。
 奇妙な感覚に襲われる。胸の辺りに奇妙な泡がぷくりと膨らんだような違和感。泡の中には正体不明の不吉な予感が包まれている。嫌な感じだ。物凄くそわそわする。理性がそっと何者かにコントロールを奪われ、自分でも何をしようとしているのか分からない。サイレンが頭の中でわんわん鳴り響いている。気をつけろ、泡が割れてしまう。黒いもの、ドロドロしたもの、臭いものが、解き放たれてしまう。
 ――だって。
 思ってしまったのだ。
 良い名前だと。

 ぱちん。

「……美命」
 家の中をぬるい風が吹き抜けた。
 どこからかクチナシのにおいがする。
 季節でもないのに、風鈴の音がした。
 そして。
 幽かに。
 ――赤ん坊の泣き声。
 真はひゅっと間の抜けた音を立てて息を飲み、隣の仏間に続く障子を食い入るように見つめた。
 ゆっくりと腰をあげ障子に近づく。
 泣き声が大きくなる。
 誘われるように障子を開け放った。
「は」
 畳の上に赤ん坊が居た。
 真っ白なおくるみに包まれ、元気な泣き声を上げながらもぞもぞ動いている。
 真は自然な動きで赤ん坊を抱きあげ、顔を覗き込んだ。
 赤ん坊は粘液と血に覆われぬらぬらしており、肌も赤っぽい灰色をしてまだへその緒が付いた生まれたての状態だった。全身の筋肉を使い、真の腕の中で震えながら必死に産声を上げている。
 生きている。
 生きているのだ。
 おくるみの端で濡れた顔を拭うと、泣くのをやめてむにゃむにゃと何か喋り、大きな瞳でまっすぐに真を見詰めた。
 父親そっくりの瞳だ。
 真はうっすら微笑んで娘を抱きしめた
「美命」
 愛し気に名前を呼び、天を仰ぐ。
 自然と涙が溢れていた。
 嗚呼、やっぱり死んじまえばよかったかな。
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