鬼村という作家

篠崎マーティ

文字の大きさ
上 下
34 / 48

三十四話「お仕事」

しおりを挟む
「あ、すいません」
 スマホの画面を確認するや、そう言って一口は立ち上がった。
 チェーンの中華料理屋で、昼食をとっていた時の事である。
「編集部から電話です、ちょっと外行きます」
 鬼村は返事代わりに頷きはしたものの、ほおばった天津飯の熱さに意識のほとんどを持っていかれている。
 どうにかそれを飲みくだし、水で口の中を冷やす頃には、一口はもう店の外に出ていた。入口の所で見るともなく道路の方に顔を向け何事か喋っている。
 鬼村は彼女から視線を天津飯に戻し、その山を切り崩して冷ましにかかった。レンゲを入れる度にもわもわと元気よく湯気が立ち上るのに辟易する。
 まったく、これだから猫舌は――。

 突然、走り抜けるような耳鳴りがした。
「好きでございやすねえ、天津飯」
 ひたりとレンゲを持つ手が止まった。
 無意味でささやかな抵抗として声のした方を見ないようにしたが、結局すぐに諦めて嫌々目だけ先ほどまで一口が座っていた向かいの席に向ける。
 男が座っていた。
 ニタニタ笑っている。
「しかも絶対に甘酢ダレ」
 遊行僧の恰好をした子供くらいしか背丈のない小男は、昼時の客で溢れた中華料理屋にはあまりに異質な存在だ。否、このシチュエーションだから異様なのではない。どこにどのような形で存在しても、この男は常に異物である。
 しかし、誰も男を指さして「なんだあいつは」とひそひそやる者はいない。それどころかちらりと一瞥をくれる者さえいない。店の平穏は続いている。
 見えない事がどれだけ幸せか、奴らは分かっちゃいない。
「……暇なんですか」
 いつも通り周りを気にせず誰も居ない目の前の席に話しかけても良かったのだが、隣の席に子供が居たので極力声は抑えた。これなら独り言でもかなり小さな部類だ。
 辺りに気を遣う鬼村が可笑しかったのか、男の肩がひくひくと揺れた。
「逆で御座いやすよ。近くで仕事がありやしてね、来てみたら先生がいらっしゃるじゃあございやせんか。こりゃあ向こうに行く前にご挨拶をと思いやして」
 ぎょろりとよく回る目を細め、男は口端を吊り上げた。
「こんな所で会うとは、つくづく縁がございやすねえ、先生」
「……因縁でしょう」
「同じでございやすよ」
 鬼村は冬眠明けのクマのようにのそのそと天津飯を口に運ぶ。
 男は嬉しそうにそれを眺めている。
「縁、因縁、えにし、ゆかり――呼び名がいくつあろうがそれの意味するところは一つ。やつがれの呼び名がいくつもあるように、先生の呼び名がいくつもあるように」
 小さな体には持て余し気味な大きい頭を傾がせ、男はうっそりとため息を吐いた。
「貴女の真名が知れたら良いのに」
 噛み砕いた天津飯を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
 鬼村は静かに男を見つめ、ぴくりともせず固まった。瞬きもしない。息をしているかも怪しい程じっとしている。男はそれに気が付くと、肩を竦めて笑った。
「――こんな所で聞いたんじゃ、ムウドってやつがないでやすね」
 まるで愛の告白について話しでもしているような口ぶりに、ようやく鬼村の目元がひくりと動いた。
 男は少し照れたようなそぶりを見せ、視線を窓の外にやると醜い顔を笠の裏へと隠してしまった。
「さて、そろそろ行きやせんと。それじゃあ先生、また今度」

 瞬きと同時に男が消えたのと、一口が店に戻ってきたのは同時だった。
 鬼村はすぐに席を立ち、自分の天津飯を持って反対側の席に移った。一口の食べかけた中華そばは今の今まで自分が居た所に押しやって、いそいそ自分の水が入ったコップも手繰り寄せる。
 戻って来るなりなんの脈絡もなく席を交換された一口は一瞬立ち尽くしたのだが、鬼村の奇行には慣れたものだと何も言わずに空いた席に腰かけた。
「すいませんでした」
「なんだって?」
「なんか、そこの駅で人身事故があって電車止まっちゃってどうしようもないから、タクシーで来てって」
 鬼村はふいと窓の外を見た。
 いつの間にか、食欲は失せていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
よくよく考えると ん? となるようなお話を書いてゆくつもりです 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

本当にあった怖い話

邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。 完結としますが、体験談が追加され次第更新します。 LINEオプチャにて、体験談募集中✨ あなたの体験談、投稿してみませんか? 投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。 【邪神白猫】で検索してみてね🐱 ↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください) https://youtube.com/@yuachanRio ※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

意味がわかると怖い話

井見虎和
ホラー
意味がわかると怖い話 答えは下の方にあります。 あくまで私が考えた答えで、別の考え方があれば感想でどうぞ。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

処理中です...