鬼村という作家

篠崎マーティ

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十七話「繭 続」

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 喋る繭を見つけた翌日、鬼村の家で彼女の代わりに来客に対応した私は、玄関で凍り付いていた。
 訪ねて来たのは暁烏暮あけがらすくれ。日本怪奇小説界のトップであり、小説を読まない人でも何かと話題に上る彼の名前を知っている者は多い正真正銘の有名人。メディアにも引っ張りだこで、最早小説家と言うより学者に近い立ち位置の生きる伝説。我々出版業界の人間からすれば、いきなり総理大臣が訪ねてきたのと同じくらいの衝撃だ。
 確かに鬼村も売れっ子のホラー小説家ではあるが、完全に別格の彼がよもや鬼村の自宅に来るなどと言う非現実的な現実を前に、私は頭が真っ白になっていた。
「一口さん」驚くべきことに暁烏は私の名前を知っていた。「鬼村の新しい担当だ。噂は聞いてるよ」
「えっ、噂!?」
 鬼村め、こんな大先生に一体何を吹き込んだ! 万一この人にダメ編集者の烙印を押されようものなら、私は業界から追放されてしまう。この人の言葉は、鶴の一声ならぬ鴉の一声なのだ。
「暁烏先生!」
 私が噂の内容を聞こうとした時、家の奥から鬼村が小走りでやってきた。普段はボサボサの髪がきちんと梳かされている。服も普段のパジャマだかなんだか分からないスウェットではなく、外に出かけられるまともなものだ。眉毛も整えてある。すっぴんである事はいつも通りだが、鬼村は彼女の出来うる限り身綺麗にしてきたのだった。
「すいません、来てもらっちゃって」と、普段は死んだ魚のような目に爛々と生気をみなぎらせて言う鬼村。恋する少女然とした様子に、なんだか気色悪さを覚えた。申し訳ないけれど。
「いやいや、こっちこそいつも貰っちゃって悪いね」
「とんでもない! こっちです」
 鬼村は暁烏を例の繭まで案内した。
 用意された脚立に上がり、暁烏は繭を近くでまじまじと観察する。繭は昨日から変化なく、あれ以来特に喋る事もなかった。
「これ、名乗った?」と暁烏。
「まだです」鬼村が丁寧に答える。
「そっか」
 暁烏は着物の懐からマッチ箱を取り出すと、小気味の良い音を立てて擦り、火をつけた。硫黄のにおいがつんと鼻をつく。
 まさかあの繭を燃やしてしまうのだろうか。もし火をつけられたら、あの繭はどんな恐ろしい叫び声をあげるのだろう。私は緊張し、思わず拳を握った。
「右か、左か、上か、下か」
 暁烏は繭に向かって火を近づけ、言った。
「左」
 あの低い声が繭の中から答えた。
 暁烏は張り付く繭の左側をマッチで炙った。綿菓子のようなそれがボウッと一瞬激しく燃え上がり、炎は幻のように瞬く間に消える。何故か強烈にクチナシのにおいが鼻をつく。
「右か、上か、下か」再び暁烏は問うた。
「下」再び繭は答えた。
 繭は上下左右に壁と天井との接点を伸ばしていたが、暁烏は言われた箇所をその通りの順で焼き切っていき、最後の一辺が燃えてなくなると、繭は大人しく彼の掌にころんと落ちてきた。もう喋る気配もない。
「よおし、とれたとれた」
 のんびりとした暁烏の声で張り詰めていた部屋の空気が一気に動き出した。私は知らずに潜めていた息を大きく吐きだし、肩の力を抜く。微かに香るクチナシの残り香だけが、先ほどの白昼夢じみた光景が現実であると私に教えてくれていた。
「やっぱ暁烏先生、採取お上手ですねえ」
「まあ、年季がね。じゃあ、名乗ったら教えるから。また飲みにでも行きましょうや」
「是非!」
 こうして暁烏は挨拶もそこそこに帰って行った。
 玄関で彼を見送った鬼村は、ほうと満足げなため息をついて夢見心地な顔をしている。私は彼女に向き直った。
「暁烏先生の事好きなんですか?」
 鬼村はいきなり鬼のような形相になって、私を汚らわしそうに睨みつけた。
「日本でホラー小説家やってて、あの人を嫌いな奴なんて居るわけないでしょ!」
「だってもう先生、年甲斐もなく恋する乙女モード全開って感じでしたよ」
 鬼村は一瞬ぽかんとした後、みるみる更に恐ろしい顔つきになった。シミの浮かぶ肌がまだらに赤くなり、歯をむき出しにして獣じみた怒りをあらわにする。
「あの人はアタシの神様なの、憧れなの、崇拝対象なの! 隣に立ってるのも恐れ多いのに、恋なんてくだらないもんと一緒にすんな! すぐそうやって色恋沙汰にしようとするの、馬鹿みたいだからやめなマジで!」
 思った以上にこの勘違いは彼女の逆鱗に触れてしまったようで、鬼村は足音も荒く家の中に引っ込んでしまった。
 ううむ、何が起爆剤になるか分からない人だ。
 結局、私はあの繭がなんだったのか聞きそびれてしまった。
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