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二日目
第八話 強がりな心と繊細な体
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雷鳴は鳴り止まない。それはそうだ、これはアトラクションの効果音なのだから。
私の後ろで耳を塞ぐケインローズを見て、これ以上先に進むのはよそう、と感じた。彼の背中―だろうか。それとも腰だろうか―を優しく叩き、前のシーンに戻るように指を指す。彼はそのまま後ろへと下がり、床に座り込んだ。
「別に雷が怖い訳じゃねぇぞ。そうだ、雷神との戦いを思い出してな……」
「分かった。でも、雷神との戦いってアトラクションオートマタのあなたには無い記憶だよね」
「……」
彼は視線を落とし、黙り込んでしまった。思っていた以上に彼は繊細な心をしているらしい。私は、彼の手を握り、声をかけようとした。「大丈夫だよ。あの雷も何もかも作り物なんだから」と。しかし、作り物であるケインローズにとって安心できる言葉ではないことに気付いた。
(いったい、何が本物で何が偽物なのか……)
私もケインローズと同じように床に座り、眉間に皺を寄せ考える。その様子を見ていた彼が、少しだけ笑ったような気がした。
私は、ケインローズの強張る心を柔らげ、何故アトラクションオートマタに命が宿ったのか解明することが夜間特別技師である自分の使命なのではないかと思った。
それなら、やることは一つだ。仲良くならなければ。仲良くしようと歩み寄ることすら許さない態度ではない。私から動かなければ、ただケインローズの問題が長引くだけだし、アトラクションのクローズという最悪の事態が待ち受けているだけだ。
「ねえ、ケインローズ。私まだ新人だから、まだあなたのこと全然知らないんだ。『ケインローズの航海と冒険』の中のあなたじゃなくて、この『ケインローズの冒険』というアトラクションのあなたをね」
人馬の彼は、雷鳴でへたっていた馬の耳を持ち上げ、私の声を聞いている。顎の髭を撫でると、「いいだろう、俺の話を聞かせてやる。ただし、俺ばかり話すのは面白くねぇ。シンの話も、聞かせるんだ」と、下半身を楽な体勢に崩した。私も同じようにすると、ケインローズは尻尾を小さく振る。
「まあ、聞かせるほど長くは生きてねぇな。この牢屋のような建物は二十年くらい前からあるはずだが、動けるようになったのは五年くらい前か……」
ケインローズが装飾パネルを指差す。その裏を覗くと、タリーマーク―日本で言う正の字での数え方―が刻まれている。
「五本ってことは、一年に一回彫ったんだね」
「そうだ。一年に一度は新年の挨拶が聞こえるからな。それで大体の年を計った」
「そう……。長い間この建物だけで生きていて寂しくない?」
彼はあくびをしながら言った。
「全く寂しくなんかねぇや。俺はこの場所に誇りがあるからな。俺の存在を認めてくれる、この場所がな……」
私は、彼の瞳の中に気高き誇りと共に、寂しさを見た。これは私の勝手な想像なのだが、ケインローズに夜間特別技師がついたのは、寂しさ故に暴れるからではないだろうか。
「次はシンの番だ。そうだな……。シンには家族がいるのか?」
深く考えている私に質問が飛ばされる。私は、少しだけ頭を捻り、答えを口にした。
「いるよ。お母さんがね」
それだけしか言えなかった。父は私が幼い頃に母と私を置いてどこかへ消えたからだ。祖父や祖母はつい最近亡くなったので、親族もいない私にとって、母が大切な家族だ。
「そうか。……ああ、質問が悪かったな。その……泣くなよ。ほら、滋は家族いないって言ってたしよ、それに比べたらまだ……」
私は歪んでゆく彼の輪郭を見た。必死に取り繕う彼に向け、「全然フォローになってないよ」と傷付いた心を曝け出す。俯いた瞳から涙が溢れた。
「悪かった、悪かったって。誰か呼んでくるか?」
「呼ばなくていい。私も、こんなことで傷付いてられないし」
私は涙を拭い、ケインローズとの会話に戻ろうとする。「家族以外の話なら……」と口にした時、彼は私の右手を大きな手で包み込んだ。血の通わないシリコンの手。少しだけひんやりと冷たいものの芯には、あたたかな魂が宿っていることを示していた。
「家族以外なら……そうだな、この場所の外について知りたい。最近誰も昼間に来ないからな、外の世界はどうなってるんだ」
ケインローズは、優しくも寂しげな瞳で訊ねてくる。私は、正直に言うべきか、嘘をつくか悩んでいた。
あたたかな右手に、嘘はつけなかった。
「このアトラクションはね、昼間に入れないようになっているんだ。悪い噂ばかりが流れているから」
その言葉にケインローズの馬の耳は垂れ下がってしまった。後悔の二文字が私の脳内を巡り巡った。
私の後ろで耳を塞ぐケインローズを見て、これ以上先に進むのはよそう、と感じた。彼の背中―だろうか。それとも腰だろうか―を優しく叩き、前のシーンに戻るように指を指す。彼はそのまま後ろへと下がり、床に座り込んだ。
「別に雷が怖い訳じゃねぇぞ。そうだ、雷神との戦いを思い出してな……」
「分かった。でも、雷神との戦いってアトラクションオートマタのあなたには無い記憶だよね」
「……」
彼は視線を落とし、黙り込んでしまった。思っていた以上に彼は繊細な心をしているらしい。私は、彼の手を握り、声をかけようとした。「大丈夫だよ。あの雷も何もかも作り物なんだから」と。しかし、作り物であるケインローズにとって安心できる言葉ではないことに気付いた。
(いったい、何が本物で何が偽物なのか……)
私もケインローズと同じように床に座り、眉間に皺を寄せ考える。その様子を見ていた彼が、少しだけ笑ったような気がした。
私は、ケインローズの強張る心を柔らげ、何故アトラクションオートマタに命が宿ったのか解明することが夜間特別技師である自分の使命なのではないかと思った。
それなら、やることは一つだ。仲良くならなければ。仲良くしようと歩み寄ることすら許さない態度ではない。私から動かなければ、ただケインローズの問題が長引くだけだし、アトラクションのクローズという最悪の事態が待ち受けているだけだ。
「ねえ、ケインローズ。私まだ新人だから、まだあなたのこと全然知らないんだ。『ケインローズの航海と冒険』の中のあなたじゃなくて、この『ケインローズの冒険』というアトラクションのあなたをね」
人馬の彼は、雷鳴でへたっていた馬の耳を持ち上げ、私の声を聞いている。顎の髭を撫でると、「いいだろう、俺の話を聞かせてやる。ただし、俺ばかり話すのは面白くねぇ。シンの話も、聞かせるんだ」と、下半身を楽な体勢に崩した。私も同じようにすると、ケインローズは尻尾を小さく振る。
「まあ、聞かせるほど長くは生きてねぇな。この牢屋のような建物は二十年くらい前からあるはずだが、動けるようになったのは五年くらい前か……」
ケインローズが装飾パネルを指差す。その裏を覗くと、タリーマーク―日本で言う正の字での数え方―が刻まれている。
「五本ってことは、一年に一回彫ったんだね」
「そうだ。一年に一度は新年の挨拶が聞こえるからな。それで大体の年を計った」
「そう……。長い間この建物だけで生きていて寂しくない?」
彼はあくびをしながら言った。
「全く寂しくなんかねぇや。俺はこの場所に誇りがあるからな。俺の存在を認めてくれる、この場所がな……」
私は、彼の瞳の中に気高き誇りと共に、寂しさを見た。これは私の勝手な想像なのだが、ケインローズに夜間特別技師がついたのは、寂しさ故に暴れるからではないだろうか。
「次はシンの番だ。そうだな……。シンには家族がいるのか?」
深く考えている私に質問が飛ばされる。私は、少しだけ頭を捻り、答えを口にした。
「いるよ。お母さんがね」
それだけしか言えなかった。父は私が幼い頃に母と私を置いてどこかへ消えたからだ。祖父や祖母はつい最近亡くなったので、親族もいない私にとって、母が大切な家族だ。
「そうか。……ああ、質問が悪かったな。その……泣くなよ。ほら、滋は家族いないって言ってたしよ、それに比べたらまだ……」
私は歪んでゆく彼の輪郭を見た。必死に取り繕う彼に向け、「全然フォローになってないよ」と傷付いた心を曝け出す。俯いた瞳から涙が溢れた。
「悪かった、悪かったって。誰か呼んでくるか?」
「呼ばなくていい。私も、こんなことで傷付いてられないし」
私は涙を拭い、ケインローズとの会話に戻ろうとする。「家族以外の話なら……」と口にした時、彼は私の右手を大きな手で包み込んだ。血の通わないシリコンの手。少しだけひんやりと冷たいものの芯には、あたたかな魂が宿っていることを示していた。
「家族以外なら……そうだな、この場所の外について知りたい。最近誰も昼間に来ないからな、外の世界はどうなってるんだ」
ケインローズは、優しくも寂しげな瞳で訊ねてくる。私は、正直に言うべきか、嘘をつくか悩んでいた。
あたたかな右手に、嘘はつけなかった。
「このアトラクションはね、昼間に入れないようになっているんだ。悪い噂ばかりが流れているから」
その言葉にケインローズの馬の耳は垂れ下がってしまった。後悔の二文字が私の脳内を巡り巡った。
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