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入社前

第一話 ドリーミングランド

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 「このアトラクション、出るらしいよ」

 若い女性が指をさす先には、『ケインローズの冒険』と書かれた看板が掲げられたギリシャ風の建物。入り口は植木で遮られ、その前に小さな立て看板が構えていた。文字の羅列を読み解くと、休止という一言に辿り着く。

 ここはテーマパーク、ドリーミングランド。夢見る王国という名に恥じぬ、ファンタジーな花々や装飾で彩られた園内。そこに立つ私は、白黒のパンツスーツに身を包み、違和感という空間の歪みを生み出していた。銀に輝く腕時計は正午過ぎを指している。こんな時間、こんなに夢に溢れた場所で幽霊が出るなんておかしな話だ。

 「あの小さなお兄さん、めっちゃ就活感あるじゃん。なんでこんなとこに居んの……」

 若い女性は小声で、同行しているらしい男性にひそひそと訊ねる。私がここにいる理由なんて、その男性に分かるはずがなかろう。

 (てか、私女だし)

 私の存在が幽霊みたいだった。馬鹿馬鹿しい。そう思った私は、別のアトラクションでも回ればいいや、と『ケインローズの冒険』を後にした。
 私は、樹論 信きろん しのぶという生粋の日本人だ。今日スーツを着てパーク内を闊歩しているのには、理由があった。
 なんと、ダメ元で応募したドリーミングランドの面接が受かり今日から入社なのだ!
 とは言っても、夜間清掃部のアルバイトなので入社式も遅い。本当は夕方五時からの式に間に合えば良いのだが、心配で早めに現地入りし、パークで時間を潰しているのだ。

 ドリーミングランドは、日本のみならず世界で有名なキャラクター、ドリームスターというハムスターをメインに、さまざまなアトラクションやショーなどのエンターテイメントを提供するテーマパークである。大人も子供も楽しめるこのパークに魅了され、リピーターが続出。今や日本一と言っても過言ではないほどの人気を誇っていた。

 そんなドリーミングランドには、奇妙な噂が流れていた。
「夜になるとアトラクションオートマタが勝手に動き出して襲ってくる」だとか、「幽霊が出る」だとか。
 非科学的な噂の出どころは必ず、先程足を止めていた場所、『ケインローズの冒険』なのだ。私はそこまでドリーミングランド、略してDLに詳しくないので詳細は分からないが、原作の『ケインローズの航海と冒険』を子供の頃に読んだことがある。

 主人公ケインローズは半人半馬のケンタウロス。彼は伝説の、黄金の国を目指していた。巨大な毒蛇や雷の神様との戦い、大荒れの海を切り抜け、傷付きながらも黄金の国にたどり着く……。といったお話だ。絵本にもなっているこの話は大昔の物語集のうちの一章らしい。
 私は昼ごはんのハンバーガーを頬張りながら考えた。

 (夜間清掃って、もしかしてその例のアトラクションも掃除するのかな。まあ、そりゃあそうでしょ)

 幽霊は信じないが、不穏な噂に興味をそそられる。

 セットに付けたフライドポテトの塩味が、スーツで汗だくになっていた私にエネルギーを与える。袋入りのケチャップをポテトにかけると、店の外から明るい音楽が流れた。パレードが始まったらしい。腕時計をあらためて見たところ、時刻は午後二時。まだまだ時間潰しをしなければ、と油でふにゃふにゃになったポテトを探しては、先に口に放り込んでゆっくりと舌でつぶすように噛んで飲み込んだ。
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