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死花

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 人は死ぬと花になる。天寿を真っ当し、心から満ち足りた人生を送った者は、死後、虹色に輝く美しい花を咲かせるのである。

 *

 月が沈み、日が昇る。

 冥園には今日も虹色の花が咲き乱れている。花びらは水に浸した衣のように薄く透き通り、目を凝らさなければ花が咲いているとは気がつかないほどである。しかし朝露をまとった花びらの表面が太陽の光を浴び、まばゆくも繊細な輝きを放つので、確かにそこには花があるのだと、人々は知った。
 
 この世のものとは思えない美しい風景。あながち間違いではない。ここは現世でありながら、この世で一番天国に近い場所なのだから。
 
 冥園。死者の魂が眠る場所である。人の魂は死後花へと転じ、生まれ変わりの時を待つ。あたり一面に果てしなく広がる花は、ひとつ生まれてはひとつまた消え、美しい花園の景観を保ち続けるのである。
 
 しかし今日はいつもとは様子が違っていた。虹色の花の中にひとつ、色の違う花が見つかったのである。それは墨を塗ったような暗い色をしており、太陽の光さえも吸収してしまうほどだった。
 
 男、月華は黒い花の前で足を止め、着物の裾を汚さないように気を遣いながら、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。細長い白い指が花に触れると、風が吹き、花は咽び泣くように体を震わせた。月華は目を細め、花の震えが落ち着くのを待った。
 
「そうか……君は、そういうことがあったんだね」
 
 それは辛かっただろう。月華のこぼした言葉に返事をするように、花はふるりと体を揺らした。
 
 月華は花びらの表面を優しく撫でた後、丹念に花びらを摘み取った。冥園を見渡せる位置に設置された中庭へと戻り、机の上に置かれた急須に花びらを全て入れる。お湯を注ぎ、椅子に腰掛けながらお茶の出来上がりを待っていると、ちょうどその時、ふたりの少年が月華の元に現れた。
 
「ああ! 月華、またお茶ばかり飲んでる!」
 
 大声を上げた少年は幼く、声は少女のように高い。一方で少年に手を引かれやってきたもう一人は背が高く、顔立ちに幼さが残っているものの、大人びた風貌をしている。裾から見える素肌は程よく筋肉がついており、健康的だ。
 
「ちゃんと仕事しなくちゃだめだよ、月華は大人なんだから!」
 
 月華の足元にしがみつき喚く子供の髪を、月華は梳くように撫でる。
 
「前も言っただろ、雨露。ここにいるのが私の仕事なんだよ」
「すみません、月華さん。止めたんですけど、どうしても行くって聞かなくて……」
「良いんだ、雲河。雨露がそう言うのも無理はない。私が仕事をしていないように見えるのは、この子だけではないようだからな」
 
 月華は冥園を管理をする役目を承っている。前任がなまじ働き者で、周囲からの評判も良かったものだから、与えられた役目のみを果たして後は好きなように過ごしている月華は、役人の目には「働いていない」ように見えるらしい。彼は着任して早くも出世街道から外れ、おかげさまで悠々自適な生活を送っている。
 
「雨露、月華さんの邪魔をするな。もう帰るぞ」
「やだ。どうせ何もしてないんだから、俺と遊んでよ」
「お前なぁ……言うこと聞かないなら、もう遊んでやらないぞ」
 
 雨露と雲河が言い争うのを脇目に、月華は口元を着物の袖で押さえながらクスクスと笑い、彼の前の空いた椅子を指した。
 
「ふたりとも、喧嘩をするんじゃないよ。そうだ。ちょうどお茶を淹れたところだから、私とのお喋りに付き合ってはくれないか?」
 
 月華の所作はひとつひとつが美しく、そつがない。話によると彼は貴族の生まれらしく、上品な仕草も幼い頃から散々叩き込まれているのだろう。
 平民生まれの俺がまさか貴族と一緒にお茶を飲むことになるとは。雲河はしみじみと思いながら、茶杯にお茶を注ぐ月華の白い手を見つめる。茶の色は蒸らしすぎたかのように黒い色をしていた。
 
「月華さん、また死花をお茶の中に入れましたね」
「せっかく見つけたんだから、入れた方がお得だろう?」
 
 冥園に咲く花の中に、時折混じる黒い花。それは「死花」と呼ばれ、自殺した者の魂が咲かせる花である。死花を見つけた場合は速やかに摘み取り報告し、悪霊とならないように焚き上げなければならない。しかし月華はそうしなかった。必ず死花をお茶の葉とともに入れ、飲んでしまうのである。役人達が月華を「働いていない」と判断する理由のひとつだった。
 
「焼かれた魂は灰となり、二度と生まれ変わることはできない。しかし焼かなければやがて悪霊となり、人に害を与える。ならばせめて、幸せな形で彼らの魂を残してやりたいんだ」
 
 月華には不思議な力があった。花に触れることで死者の生前の記憶を見ることができるのである。そして、彼は死者の魂を己の体に取り込むことで、彼にしか見えない幻影を生み出した。幻影は、死者が生前一番幸せだった頃の姿で現れ、月華が亡くなるその日まで、冥園で永遠の時を過ごすことになる。
 
 雲河は茶杯に手を伸ばした。しかし彼の手は茶杯には触れず、虚空を掻いた。雲河は眉をひそめて己の掌を観察した。
 
 雲河は冥園で、月華が死花入りの茶を飲むのを何度も見てきた。死者の記憶を体内に取り込み自分のものにするのだ。その苦しみは尋常ではなく、月華が血を吐きながら意識を失う様子を雲河は何度も見てきた。しかし助けられなかった。月華の方から幻影に触れることはできても、幻影から月華に触れることはできないのだから。苦しみを取り除いてやることもできなければ、額に浮かぶ汗を拭ってもやれない。
 
 ただひたすら、愛する人が苦しむのを見ているしかないのが、どんなに苦しいか。
 表情にはあまり出さずに悔しがる雲河に、月華は知ってか知らずか、尋ねた。
 
「雨露、雲河。君達は今、幸せかい?」
「幸せ?」
 
 雨露は首を傾げた。
 
「今の生活が楽しいかい?」
「うん、楽しいよ。でも、ここにお父さんとお母さんがいてくれたら、もっと楽しいんだけどなぁ」
 
 雨露の両親は、雨露を巻き込んで一家心中をはかった。しかし彼らは生き残り、雨露だけが命を落とした。だからここにはいない。

 月華の顔に影が落ちる。
 
「……雲河。君は幸せかい?」
 
 何度も尋ねられた。そのたびに雲河は答えた。
 
「幸せだ。あなたが今も生きていて、俺のそばにいてくれるから」
 
 月華は白い頬をわずかに赤く染め、「相変わらず君は情熱的だな」と呟く。雲河の胸は、チリチリと焦げるように痛んだ。
 願わくば、どうか俺も月華を助けたい。支えたい。そんな力があればいいのに。

 血の通った肉体で、倒れる彼の腰を支えることができたなら。月華を揶揄する役人達に言い返してやれたなら。きっと、俺はもっと幸せになれる。

 どうして、死んでしまったのだろう。だが、死ななければ出会わなかった。月華のそばにいることが自身の幸せと言うならば、生前の苦しみも、幸福の一部として数え上げる他ない。

 だから、幸せなのだ。

「君達が幸せなら、私も幸せだ」

 願いは叶わず、今日も雲河の手は空虚を掴む。月華は茶杯を取り、熱の冷めた中身を一息にあおった。

 
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