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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ 光と共に
突然大きな音が耳に飛び込んできて、スマホの画面から目を離して顔を上げた。
目の前には、僕と同じように信号待ちの小学生の男の子がいるが、驚きのあまり、動けずにいる。
音を立てたのは大型トラックで、猛スピードでこちらに近づいてくる。このままだと男の子の立っているほうへ突っ込むのではないか。
咄嗟に駆け出す。スマホを落としたが、構わず男の子の腕を掴んで引き寄せる。しかし反動で、僕のほうがトラックの前に出てしまう。
男の子は、ほかの通行人に抱き留められたようでホッとした。けれど耳をつんざく音が間近に迫り、ドン、という大きな衝撃と共に景色が回る。
そのとき、落としたスマホの画面が光るのが見えた。
『運命の恋の相手は誰? それは、あなた自身が手にする未来だよ』
スマホの画面に映っていた文字が、空中に映し出される。
『三人の攻略対象のルートをクリアしたので、隠しシナリオが現れたよ。やってみる?』
テロップの後に、選択肢が表示された。主人公ルートはクリアしたが、この隠しシナリオは何度やってみても、いまだにクリアできない。難易度が高いから、課金して好感度を上げたほうがいいのだろうけれど、あいにく貧乏だ。何度やっても死亡エンドになり、クリアしたことはない。そんな難関ルートだからこそ、無課金でクリアできれば最高だ。
迷わず『はい』を選択した瞬間、空中にある画面の光に包まれた。
「お兄ちゃん!」
先ほど助けた男の子の声だろうか。助かったのであればよかった。しかし悲痛な声はなぜなのだろうと思いながら、包まれている光の眩しさに目を閉じた。
あの光はなんだったのかと思いながら目を開ければ、既視感のある学生たちが行き交っている。たしか信号待ちをしていたときに、トラックに跳ねられたはずだ。それなのにどうして、大学にいるのだろう。思わず首を傾げる。
いや、ここは通い慣れた大学ではないようだ。大学は制服で通わないし、校舎の造りが違う。右手側には、西洋風だろうか、アーチ型の大きな窓から、柔らかな日差しが降り注いでいる。左手側には、吹き抜けへと続くアール階段があり、美しい。
「すご……なんだ、ここ」
思わず感嘆の声が小さく漏れる。そのとき、目の前を通って行った茶色い髪の学生の肩が、黒髪の学生の肩とぶつかった。
「危ないっ!」
茶色い髪の学生は、ぶつかった拍子にバランスを崩した。このままだと階段から落ちてしまう。咄嗟に彼の腕を掴んで引き寄せるが、踏み出した足が着地する床はなく、視界が上へと傾く。
「――っ!」
バランスを崩して浮遊感に体が包まれる。学生たちの姿は視界から消え、真っ白な天井が見えた。美しいシャンデリアは、陽の光を浴びてやけに輝いて見える。
「危ないっ!」
緊迫した低い声が耳に入った瞬間、誰かの腕が僕の体を包み込んだ。何が起きたのかわからない。呆けたようにそのまま天井を見つめていると、下腹に疼くような違和感を覚えた。鼻腔に甘い香りが入り込み、蕩けてしまいそうになる。
「大丈夫か?」
声のするほうを見ると、この世の者とは思えないほど美しい青年がいた。
黄金色の髪は陽の光を浴びて、透き通るように輝く。整った顔立ちは、まるで映画やドラマのヒーローのよう。
下腹部の違和感が急激に増して、心臓の鼓動もあり得ないほど速くなっていく。
これは夢だ。トラックに跳ねられて生きているはずはないし、死ぬ前の何かの夢だと思うしかない。立て続けにこのようなことが起こるはずはないだろう。
まるで酩酊したように視界が回り、糸が切れるようにブツリと意識が途絶えた。
◇ ◇ ◇
家族は恐らく、誰も僕の誕生日を知らないのだろう。それでも、もしかしたらと、幼い自分は期待したこともあったが、結局、祝ってもらったことはない。今では、そのような人たちに祝ってもらいたくもない。
それでも誰かに、と未練がましく思うのは、今際の際にいるからだろうか。
ぼんやり目を開けると、頭上から呆れたような口調の声が聞こえてきた。
「また学園で暴れたそうだな。……まったく。いつになったら落ち着くんだ」
突き刺すような言葉を発する主に目を向けると、端正な姿の若い男性が自分を見下ろして立っている。美しい銀色の髪色は、外国の人のように感じる。仕立てのよさそうなスーツというのか、高級そうな装いだ。
その彼と一瞬目が合った気がしたが、すぐに逸らされる。そのまま若い男性は扉のほうに向かって歩いて行く。
「しっかり見ていろ」
若い男性は、扉の前に控えている青年を一瞥すると、部屋を出て行った。
「申しわけございません」と謝罪を口にすると、青年はため息を吐いた。
「勘弁してくださいよ、ほんとに。毎度毎度……怒られるのは僕のほうなんですからね」
ぶつぶつと文句を言っている青年は、誰なのだろうか。どこかで見たことはあるが、思い出せない。それに先ほどの若い男性にも既視感がある。
「あなたのおかげでオメガの印象は悪くなっていくばかりだ。ほんと迷惑ですよ。今回も学園で、誰かに難癖付けて暴れたそうですね。階段から落ちたのも自業自得ですよ」
嫌味に聞こえるのは気のせいだろうか。呆けたまま青年を見つめていると、青年は窓際に向かい、カーテンを開けた。チラチラと舞い落ちる粉雪が視界に入る。
「ケガなんてないんですから、もう大丈夫でしょう? 大人しくしててくださいよ。まったく……王太子様に迷惑をかけるなんて、本当に怖い物知らずの人だ。そのうち破滅しますよ。巻き込まないでくださいね」
部屋を出て行こうとする青年を見つめながら、浴びせられた言葉に頭を抱える。
あの状況で助かった?
自分はたしかにトラックに跳ねられたはずだが、体に痛みがない。ただ、寝ていたからだろう、頭がぼんやりするだけだ。
ぐるりと室内を見渡すと、見覚えのない場所だった。
トラックに跳ねられたが、奇跡か何かが起きて助かったのかもしれない。念のために救急車で運ばれたのだと考えると、ここは病院だろう。だとすると、家族に連絡したのだろうか。恐らく連絡しても、誰もここへは来ないだろうと息を吐く。
もし来られても困るだけだから、来なくていい。
しかし入院となると金がいる。支払いは分割で大丈夫だろうか。それともトラックの運転手が支払ってくれるのかと考えていたら、「聞いていますか、リアム様!」と叱責された。
ハッとして扉の前にいる青年を見ると、怒っているようだ。看護師の制服のようには見えないが、病室にいるということは医療従事者のはずだが、違和感がある。まるで小説やゲームに出てくる従者のような口ぶりだ。
「リアム様!」
「リアムって……、あの、僕は」
「まだ寝てるんですか。起きてください! 食事の時間です! あーもう。起きられないなら運びますよ。まったく……余計な手間を」
青年はぶつぶつ言いながら扉を開け、バンッ、と大きな音を立てて部屋を出て行った。
「……――リアム、って、まさか僕のこと?」
呼ばれた名前を疑問に思う。
「人違いにしても、あんなに怒らなくても……」
僕はどう見ても日本人だ。それになぜ突然怒られたのだろうか。首を傾げながら体を起こすと、視界に入った自分の手に息をのむ。
「……え?」
自分の手なのに、どこか違う。両頬に手を当て、頭を触って確認する。
慌ててベッドから起き出すと、部屋の中を見回した。青年が先ほど出入りした扉とは違う扉に向かう。中に入ると洗面所に風呂場だった。鏡を見つけ、正面に立つ。
「う……そ……」
鏡の前に立っているのは自分のはずなのに、既視感のある他人がいる。
先ほどと同じように自分の両頬に触れ、息をのんだ。
「……リアム・ベル」
第一章 転生した先に見たもの
――雪。
主人公。クリスマスパーティー。攻略対象。王太子。そして悪役令息、断罪イベント。
脳内に次々と言葉が流れ込んでくる。
『好感度が上がれば、選択した攻略対象と番になれるよ! ゲームを始めますか?』
選択肢の『はい』を選ぶと、ゲームタイトルと共に、満開の桜を背景にした王立学園の校舎が映し出される。ゲーム開始だ。シナリオは王立学園の入学式に進んでいく。プレイヤーは主人公になり、三人の攻略対象の中から、攻略したい相手を選択する。最初に出会う人物は、選んだ攻略対象だ。入学式後に出会い、互いに惹かれ合う。
『攻略対象は三人。この国、ラシャル王国の王太子オーウェン・エヴァンスは、甘いマスクの十八歳。爽やかな笑顔で、あなたを優しく包んでくれるよ』
メインストーリーは、王太子オーウェンのルートだ。オーウェンの紹介の後には、ほかの攻略対象であり、王太子と行動を共にしている騎士候補アレンと、文官系サミュエルの紹介が続く。
――『デスティニー~あなたと恋する未来へ~』
何気なくインストールした、スマホで遊べる無料ゲーム。ボーイズラブのゲームだと知らなかったが、綺麗なイラストと好きな人と結ばれるストーリーに共感したので、そのままスタートした。
バイト代からようやく購入できたスマホだったので、無料で遊べるゲームはありがたい。好感度を高めていく内容だ。有料オプションも設定されているが、懐具合が寂しいこともあり、無料でできる範囲で楽しんでいた。学業やバイトの合間を縫って、隙間時間で楽しんでいただけだ。
「……なん、で」
高校を卒業し、ようやく念願のひとり暮らしを始めた。養護施設で働きたいと思っていたから、資格を取得するために受験した大学にも通っている。
今朝は、いつも通りにアパートを出た。歩いて大学へ向かう途中、赤信号のため、横断歩道の少し手前で信号が変わるのを待っていた。
通学や通勤のために人が多いのもいつも通り。小学生の男の子も、僕と同じように信号が変わるのを待っていた。その間に、昨夜もしていたゲームをしようと、ポケットからスマホを出して起動させる。寝る前に少しやってみたが、隠しシナリオは難しい。昨夜も、あっという間に死亡エンドになったので、最初からやり直しだ。
突然、急ハンドルを切ったような大きな音がした。
ハッとして顔を上げると、トラックが小学生の男の子の前に迫っていた。咄嗟に手を伸ばして引き寄せたが、勢い余って自分がトラックの前に出てしまった。
全身に感じた鈍い衝撃、反転する視界――たしかに僕は死んだはずだ。
地面に落ちたスマホの画面から、光と共に飛び出すようにオープニングタイトルが宙に浮かんだのは覚えている。
鏡に映る姿は、このゲームの登場人物である悪役令息のリアム・ベルにそっくりだった。
「ほんとに、僕が、リアム……?」
少し紫がかった美しい銀髪に、細い手足。整った顔なのに、リアムはいつも怒っていたから、驚いた表情を見るのは初めてだ。
それもスマホの画面ではなく、鏡に映った姿。自分と同じようにリアムが動いている。まるでリアムが僕のようだ。
「……う、そ」
なぜ今なのだろうか。ようやくひとりになることができ、夢を叶えるために一歩踏み出したばかりなのに、どうしてゲームの中に出てくる悪役令息になっているのだろう。
もしここがゲームの世界なら、今日はリアムの誕生日だ。自分の誕生日と悪役令息であるリアムの誕生日が同じだったので、苦笑したことを覚えている。
リアムの誕生日は、誰からも祝ってもらえない。
「おんなじ」
乾いた笑いが込み上げてくる。
ひとり暮らしを始めてから迎えた最初の誕生日が、今日だ。大学の帰りにバースデイケーキを買って帰ろうと思っていた。誕生日を喜んでくれる数少ない友人もいるので、もしかしたら一緒に祝ってくれるかもしれなかった日だ。
「でも、何があったんだろう……」
先ほどの若い男と、青年を思い出す。リアムの誕生日を覚えているとは思えない態度だった。
「僕の記憶が正しければ、最初にいたのがリアムの兄、ロイド・ベル。リアムのことをよく思ってなくて、ことあるごとにリアムを無視したり罵ったりしていた人。リアムの父であるホール・ベルが、このベル侯爵家にリアムを相談なく連れてきたから怒っている……」
ゲームでは悪役令息であるリアムの素行を叱責するシーンで登場していた人物だ。
「さっきの人は、たしか従者だったはず。名前は……そうだ、ダニエルだ。リアムは、家にロイドとホールがいないときには好き勝手していたから、ダニエルは二人に報告していたはず。執事……そう、セバスチャンっていう執事も、リアムの扱いに困ってたびたび苦言を呈していた」
学園でリアムが問題を起こすたびに、リアムの父に代わって兄のロイドが学園に出向いていた。ロイドが無理な場合は、執事のセバスチャンが学園長に頭を下げに行っていた気がする。
「……学園で暴れていたって言っていたよな。それに、オメガの印象って……そっか、ここはオメガバースの世界だって書いていたな」
記憶を確認するように、ぶつぶつと呟きながら情報を整理する。
デスティニーは、いわゆる乙女ゲームのボーイズ版で、オメガバースという少し変わった設定が組み込まれていた。
攻略対象とハッピーエンドになれば、その攻略した人と婚約し、うなじを噛まれて番になるのだ。エンドロールでは、婚約して番になったシーンのスチルがたくさんあるらしい。このゲームのユーザーたちからの口コミがネットに上がっていた。
まずプレイヤーはオメガの主人公になり、三人のアルファ攻略対象のルートで、数々のイベントをクリアしながら好感度を上げていく。もし好感度が上がりきらなければ、友人エンドだ。主人公の場合は、好感度が三十からのスタートなので、攻略の難易度はそこまで高くない。
しかし悪役令息でストーリーを進めるのは容易でない。ひとまず王太子ルートで挑戦してみたが、とにかくすぐに死ぬ。主人公のときと違って、好感度がゼロからのスタートになり、好感度も上がりにくいのだ。しかし好感度が下がるのは一瞬で、好感度がマイナスになった瞬間、バッドエンド直行だ。何度か挑戦していたが、悪役令息の場合は、途中までしか進められたことはない。
「誰かに難癖付けて、階段から落ちたんだったっけ」
突如、階段から落ちようとしている学生の姿が脳裏に浮かんだ。ゲームのシーンと違って、僕は咄嗟に学生の手を掴んで助けた。しかしその反動で、僕が階段から落ちてしまったのだ。そのときタイミングよく、あの美しい青年(王太子だ)が僕を抱き留めてくれた。
主人公でゲームを進めていたときは、悪役令息であるリアムによって階段から突き落とされてしまう。しかし間一髪で、王太子が現れて、主人公を抱き留めるのだ。そのシーンにときめいたが、リアムの立場でシナリオを進めているときは、主人公に難癖を付けて階段から突き落とすことになる。
「ああ、そうだ。たしか、階段から落ちたとき、主人公バージョンでは、攻略対象に助けられるんだ。今回は王太子が階段の下にいたから……ってことは、主人公は王太子狙いだ」
まるで人ごとのように、学園での自分のことを思い出し、僕は苦笑した。
「リアムが王太子に助けられるなんて、ゲームの中のシーンにはなかった気がするけど。僕が知らないだけで、そういうルートもあるのかな。……っていうか、王太子に助けられたときに感じた衝撃はなんだったんだろう」
階段から落ちたショックで、心臓がバクバクと高鳴っただけなのか。
「あの後すぐに気を失った気がする。……そっか、僕はリアムなんだ。悪役令息の、……死亡エンドありのリアムに……僕が」
鏡に映っている自分――リアムは、ほっそりとして華奢な体格で、黙っていれば美しい容姿をしている。悪役令息というだけあって、言動は苛烈だった。怒りのままに暴れて、納得できなければ、侯爵家の名を出しては気に入らない相手を罵倒する。そんなリアムだったからこそ存在感もあり、スマホの画面上では、今よりも大きく見えた。
僕が階段から落ちそうになっている学生を助けるなど、家族が信じるはずはないだろう。ましてや王太子でさえも。ほかの攻略対象も、ゲーム通りであればあの場にいたはずなので見ているだろうが、ゲームのシナリオ通り、僕が主人公を突き落とすことに失敗して、自分から階段を落ちたようにも見えなくもない。
「……ああー……どうしよう。なんでこんなことに……」
頭を抱えて座り込む。
トラックに跳ねられた瞬間、スマホから放たれた光に包み込まれたことは覚えている。そのとき浮かんでいたテロップには、なんと書いていたのか。
『三人の攻略対象のルートをクリアしたので、隠しシナリオが現れたよ。やってみる?』
ゲームからの問いに、『はい』と答えたのは自分だ。
「まさか……え、でもだって……だからここに来た……?」
着ている制服のポケットに手を突っ込んでみるが、やはりスマホはない。慌てて洗面所から飛び出すと、ベッドの上にある掛布をまくる。床に這いつくばってベッドの下や周囲を見渡す。何も見つからないので立ちあがると、部屋に備えられているクローゼットを開ける。引き出しの中を探すも、やはり目的のものは見つからない。
「……僕って、誰?」
自分の名前が思い出せずに、僕は呆然と立ち尽くした。
「わっ! ……ほんと勘弁してくださいよ。ご乱心ですかー?」
ハッとして顔を上げて、声が聞こえるほうを見遣ると、ワゴンを押して入室した青年が、呆れた様子でため息を吐いている。従者のダニエルだ。ゲームでは、リアムと同じ十八歳で、平民出身だ。
悪役令息でスタートしたとき、このベル侯爵家での生活のシーンが、時々出ていた。そのたびにダニエルは、感情のままに暴れるリアムを軽蔑し、仕える価値もないとばかりに、陰でも表でもリアムを罵っていた。
「ダニエル?」
「はあ? まあそうですけど。僕の名前を覚えていたんですね、びっくりです」
嘲るようにダニエルは嗤うと、ワゴンの上からトレーを運んできた。大きな室内には、ベッドのほかに学習用の机が置かれている。
ダニエルは中央にあるテーブルにトレーを置くと、ため息をひとつ吐いた。
「食べ終わったら呼んでくださいね。片付けをする身にもなってくださいよ」
そう言いながらもダニエルは、先ほど僕が引っ張り出した衣服を片付け始める。
「あ、すみません。僕が自分で片付けますから」
散らかしたのは自分なので、慌ててダニエルに手を伸ばす。
「……――え?」
「え? あの、何か?」
何に驚いたのかわからないが、ダニエルは僕を見ると固まってしまった。
「……ロイド様にお伝えしないと。リアム様、頭打ってますね。寝てください。大事になったら僕が叱られちゃう!」
ダニエルは慌てたように急いで僕に手を伸ばすと、ベッドのほうへ連れて行こうとする。
「あ、待ってください。片付けないと」
「そんなの後からでも僕がしておきますから! ロイド様ー! ロイド様っ!」
ダニエルの声を聞きつけて、ほかの従者が部屋に飛び込んできたのはそのすぐ後だった。
食事はテーブルに置かれたまま、再びベッドに寝かされる。
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ベッドに食事が運ばれると、スープとパンに手を付ける。味は今まで食べていたものと、そう変わらない気がする。
食事を片付けに来たダニエルに礼を伝えると、驚きのあまりだろう、再び固まった。
僕にはその姿が衝撃だった。
「……あ、そうか。今の僕は、悪役令息のリアムだ」
家の中でも暴れていたリアムだから、先ほどの僕の態度だと驚くのも納得できる。
「でも、ゲームのリアムのような態度は、僕にはできないもんな」
ゲームのシナリオ通りに動かなければ、ダニエルのように、今の僕に不信感を募らせる者も出てくるだろう。
「あー……頭痛くなってきた」
正直なところ、何がなんだかわからない。考えすぎて頭痛がしてきた。
僕はベッドに転がると、浮かんでいたキーワードを思い出す。
ここはゲームの世界なのだ。
「……夢かもしれない」
ここが自分の現実になるのだとなかば気付いていながらも、それでも一縷の望みに縋るように、意識を手放した。
◇ ◇ ◇
『デスティニー』は、明るく純粋な男爵令息が主人公のゲームだ。攻略対象全員の好感度を上げれば、いわゆるハーレムエンドを迎えることができるけれど、かなり難しい。イベントをこなしながら好感度を高めていき、最後は運命の繋がりを感じるようになる。
そんな主人公と攻略対象の恋を邪魔するのが悪役令息だ。リアムは、侯爵家の次男という高位貴族になるので、権力に物を言わせて数々の障害を生み出す。
障害を乗り越えたエンドロールでは、婚約して番になった幸せを噛みしめる主人公と攻略対象の笑顔が印象的だった。
「……朝だ」
夢現で考えていたら、朝日の眩しさに目を覚ました。僕は目を擦ると、あらためて室内を見渡す。モノトーンというより黒を基調としたインテリアはゲームの画面で見たとおり、リアムの性格をよく表しているような仄暗い室内だ。
僕は起き上がると、洗面所の鏡の前に立つ。
「夢じゃなかったか……」
万が一の可能性を願っていたが、ゲームで見たリアムが立っているだけだ。
「リアムって、どんなことしてたっけ。たしか……」
ゲームに出てくるリアムの動きは全攻略対象共通で、とにかく主人公の邪魔をする。
春から一年後の卒業パーティーのときに選択した攻略対象の婚約者が決まるので、それまでの間に好感度を高めて両思いになっていればいい。
攻略対象の三人すべてのルートをクリアしたら、隠しルートが現れる仕組みになっていた。隠しシナリオでのプレイヤーはリアムになり、攻略対象を一人選択してハッピーエンドを目指す。
「主人公ルートでさえ、攻略対象、一人一回ずつしかクリアしてないのに。隠しシナリオは王太子ルートを何度かしかしてなくて、それも死亡エンドばっかりだった。課金せずにクリアするとか無理ゲーもいいとこだと思ってたのに、現実になるなんて……」
リアムが好意を寄せる攻略対象は、主人公に惹かれていくシナリオになっていた。攻略対象に自分を見てもらおうと、リアムは必死に媚びる。しかし振り向いてもらえない腹いせに、次第に主人公に加える防害がヒートアップしていく。
そうならないように、しっかり攻略対象と交流して、好感度を高めていくのが悪役令息での楽しみ方らしいが、ゲームを楽しむ前に死んでしまった。
「あー……まじか。あ、そうだ。なら攻略対象を避ければいいんじゃないのかな」
何もわざわざ攻略対象に接近するというバッドエンドの道を選ばずともいいのではないか。そう思った瞬間、僕は思い出してしまった。
「ないわ。死ぬわこれ」
思わず頭を抱えてしまう。
「王太子ルートなら攻略対象を避けても、今のリアムに対する好感度はゼロだ。たしかこれ、攻略対象の誰かひとりでも好感度がマイナスになったら、死亡エンドだ……詰んだ」
全員の好感度が低い場合は、父親が悪事を働いたことによるお家取り潰しで一家全員処刑ルート。
「たしか国の金を使い込んだり、隣国に情報を売ったりして争いの火種を云々とか、いろいろあるってネットに書いてたな。侯爵の動きも悪事を働かないように見張らないといけないのか……」
ネットで上がっていた悪役令息の情報から、死亡理由は複数用意されていると知った。
「王太子ルートの場合、好感度が平均まで上がっていれば、学生たちからのヘイトが集まって断罪劇になったとしても救済が入ったような……そうだ、今までの悪事が暴かれても、平民エンドだった。このパターンだと死なずに済むし、家族も悪事に手を染めないはず」
鏡に映るリアムの姿に話しかけるように、僕は情報を整理していく。
ほかの攻略対象のルートでは、好感度が上がらなくても死亡エンドはない。主人公が王太子ルートに入っていないと願いたいが、階段から落ちたときに助けてくれたのは王太子だったことも理解している。
「全員の好感度が平均以上に上がっていれば、死亡ルート回避できる。……よし」
とにかく王太子ルートの攻略を考えなければならない。
蛇口を捻って水を出すと、ざぶざぶと顔を洗う。
「……綺麗な顔」
鏡に映る自分は、何度見てもゲームに出てきたリアムだ。
ため息を吐くと、もう一度「よし」と呟く。
「とにかく好感度を上げるしかないか。……でもこの状況で、何ができるんだろう」
階段から落ちたイベント。冬。
このふたつから考えると、今の状況は最悪だ。春ならゲーム開始時期なので、どうにかできる可能性は生まれる。しかしゲーム終盤に入っている現状からの挽回は、至難の業ではないだろうか。
「リアムバージョンは攻略してないんだよなぁ……どうするかな」
「リアム様ー、早く起きてくださ……え?」
この声は従者のダニエルだ。顔を拭いて洗面所から顔を出した。
「リアム様が自分で起きているとか……やっぱり頭を打ってたんだ」
「頭は打ってないから」
ダニエルのほうに歩いて行くと、昨日のように驚いている。眉間にしわも寄っているので、僕は苦笑する。
「……朝食、どうしますか? いつものように部屋で食べるなら運びますけど」
「うん、お願いできるかな」
「素直なリアム様って……と、とにかく、ネックガードの着用と抑制剤をしっかり服用してくださいね。いつもみたいに飲まないのはやめてください。僕が怒られちゃう」
うなじに巻く首輪やネックガードは、意図しない相手にうなじを噛まれないようにする自己防衛のものだ。
首に手を当て、たしかに付けていないと頷いた。けれど、そのようなものを付けたことはない。
「……どこにあるの?」
首を傾げると、ダニエルは呆れ顔で机の引き出しを指差す。
「どこにって、抑制剤は、いつもそこにしまっているでしょ」
ダニエルはクローゼットに向かって歩き出し、首輪を取って差し出してきた。
「リアム様は、いつも暴れてばかりだから発情期も来てないですけど、いつ来るかわからないんですからね。首輪もうなじを守らないと、いつどこで誰と接触するのかわからないんですよ。さあ」
ずい、と近づいてくると、ダニエルは圧力を掛けてくるように迫ってきた。
「そっか、バース性だ」
「そうですよ、って今さらでしょう。いいですか。リアム様はオメガです。表面上は、ベル侯爵家のただ一人の優秀なオメガです」
「ああ、ありがとう。で、オメガって、男でも妊娠するんだっけ?」
「ほんっと今さらですね! そうですよ、妊娠するんです。しかも優秀な子を、っていうかアルファを産める可能性が高いんです」
「そっか。そうだったよね」
「……朝食を運びますね……やっぱなんか変だ……」
ダニエルは、何度も首を傾げながら部屋を出て行った。
「今までのリアムと違うよね」
手にした抑制剤と首輪を見て、苦笑する。
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