桜華の檻

咲嶋緋月

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楼主と花魁

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疑問が雲のように湧くが、それは一種であり、そんな馬鹿なことがあってたまるかといった表情で少女を見る。

「嬢ちゃんが死神やったら、いっその事…」

最澄は、うす雲のような寂しさが心の一面に広がったかの様な表情のまま、その続きの言葉を言うべく口を開く。

「————俺を殺してくれへんか?」

冗談にしては、その言葉は重く、凍った様な沈黙が部屋の中を支配する。

困った様に唇を噛み締める少女を見て、最澄は、"しまった。"そう思った。

相談なら幾らでも聞いてきた。自分の悩みなど、打ち明けた事など今まで一度だって無かった。目の前の少女が、自分を"死神"と言ったからか、心に蓋をして言葉にしようともしなかった本心がポロリと溢れ落ちてしまった。

————弱味に付け込まれてしまう。

そんな言葉が脳裏の奥底で響く。何か言葉を発しなければ…。と、自己防衛に似たモノが発動する。

「忘れたって。ただの冗談や。
本気にしたらあかん。」

冗談の様にいい紛らわせる事しか出来ず、腰を上げた。

「……私はね、魂を狩る事は出来ても、命を奪う事は出来ないんだよ。」

考えを振り落とすようにゆっくりと頭を振る最澄。

「ええねん。ただの冗談、言っとるやろ?」

彼女を見ないのは、嘘を吐いた後ろめたさからだ。少女が何か言う前に、違う話題をしようと頭の中では、知恵を絞る。

「せや。明日、大門の外に連れてったるわ。」

大門とは、お歯黒どぶで囲まれた吉原の唯一の出入り口で、黒塗り板葺き屋根付き冠木門かぶきもんであった。

手形が無ければ女は通る事が出来ない。
切手を持たない女は、四郎兵衛会所しろべえかいしょの番人が見咎めて、吉原から出してはくれないのが決まりであった。

————私の事、見えるの?

そう尋ねた少女の言葉は、最澄の頭からは、すっかり抜け落ちてしまっていた。それも、知られたくない感情がポロリと落ちてしまった結果だった。

「似てるね。貴方は…。
あの人によく似てる。」

記憶を辿るように視線を落としながら、彼女は、そう言った。そして、笑顔を貼り付けて見せる。

(あぁ。同じや……。)

そうやって、売られて来た子は、自分に笑顔を見せるんだ。心中しんちゅう、不安と絶望しか無いのに、何にも大丈夫じゃ無いのに……。

ただ、話を聞いただけなのに、彼女達は、笑顔を貼り付けて、自分を保とうとする。

自分より遥かに小さな彼女に手を伸ばす。柔らかそうな頬へと触れそうになった時だった。

「旦那はんっ!!」

襖を乱暴に開ける音が響き、その音が閉まったあともずっと、部屋に響いてる様であった。

現れたのは、藤乃屋の花魁、君藤だ。年にして19歳ぐらいのあどけなさを残した女性で、部屋に入って来たかと思えば、最澄の硬い胸へと枝垂れかかる。

最澄の手は、空気を掴みながらダラリと下がった。

「聞いておくんなんし。」

そう言いながら、最澄の胸へと熱い息を掛ける花魁に、心の中では、深い息を吐き出した。誘うような目をして、自分を見て。と、己の身体を押し付ける。自分には無い身体の丸みや柔らかさは、確かに魅力的ではあった。

「どないした?ほら、落ち着いて。」

と、彼女の身体を離そうと肩に手を置いたが、頑なに離れ様としない。

「あの客が、シツコイんよ。嫌や。あの座敷には、よぉ上がらん。」

客が嫌だから、座敷には上がりたくないとワガママを言う君藤。彼女の馴染み客は、彼女に心底惚れていた。それ故、座敷に上がれば無理矢理にでも彼女を抱こうとする。

「新造に変わってもらい?な?」

花魁が嫌なら新造が変わるのが一般的。だからそうしろと言っただけ。なのに、その言葉は、彼女を勘違いさせるには充分過ぎた。

「…旦那はん。」

切なげに、自分を呼ぶ女の声に、泣き出してしまうのかと顔を覗き込む、その瞬間————

すがりつくように執拗な彼女の厚い唇の感触を感じたと思えば、女の舌が優しい生き物のように自分の口内へ入ってくる。

流石に、腹が立った。
楼主と花魁の恋など許されない。

優しくすれば、付け上がる。
冷たくすれば、罵られる。

されるがままに唇を弄ばれる。不快しかない行為に、吐き気さえ覚えた。視界をズラせば、幼女が部屋の片隅で、唖然とこの光景を見ているのに気づく。女は、最澄の両頬に手を当て、爪先立ちで唇を喰らい続ける。

守りたいモノが、コレだ。
こんな女が沢山いる妓楼。

ふざけるな…

目の前の女の肩を乱暴に振り払う。袖で口を拭き、畳に腰をつけた女に鋭い視線を送った。

「な、何よ!ちょっと期待した癖に!」

真っ赤になって怒る女。

「期待?しとったよ。君藤は、ウチの看板花魁になってくれるて……。けど、ガッカリやわ。」

「……へ?」

「ガッカリや。藤乃屋の花魁は、品が無い女は願い下げなんよ。俺が欲しいんは、売女じゃ無い。」

君藤の顔から血の気が引いていく————

目の前に居るのは、誰だ?
自分が密かに慕った男なのだろうか?

まるで、鬼。

「男に惚れられるのが吉原で働く女や。男にうつつを抜かし、決まりを守れん輩は、要らんのや!他の子に悪影響やわ。俺の前からさっさと消えてや!!」

いつもの優しい最澄からは考えられ無かったのか、ヒュッと君藤の息を飲む音が部屋に響く。

忘八ぼうはちっっ!!」

忘八とは、じんれいしんちゅうこうていの八徳を失った者を指す。人非人にんびにんという意味だ。簡単に言えば、ひとでなし。

「何とでも言いや。あんさんが嫌う客の座敷に放り投げたかてえぇんやで?」

人の神経が肌に突き刺さってくるように感じ少女は、耳を塞ぎ、蹲った。

その後の事は、何が起きたか知らない。知りたくもない。ただ、大きな手が頭に置かれ、顔を上げれば、君藤という花魁の姿は、部屋の中には無かった。
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