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のっぽさん
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海の見える丘に立って、きらめきを散りばめた波を数える。
よく晴れて澄んだ日には、遠く富士山を見渡すこともできる。この町に住む人はもちろん、きっとふらりと迷い込んでしまった人だって、おなじこころで目を細めるだろう。今年の春は、ワカメのみどりが風に揺れるのも早く、暖かだった。
黒と白の毛色があざやかなボーダー・コリーが駆けて、丘へ登った。後から大股でゆっくりと、黒と白のボーダーシャツを着た猫背の青年が追いかけた。丘の上に、一人と一頭とが並んで、海を眺めていた。
娘の母親はまだ幼く駆け出すジャック・ラッセル・テリアに引かれて、青年の前で息を弾ませた。
「早いわねぇ。もうこんな季節になっちゃって……。今日が最後の日でね、今日が最後の散歩になるからって今出て来たのよ。いいお天気でよかった。」
青年は眼鏡の奥の眼差しを細めて、小さくうなづいた。そして、上目遣いの娘を見つめた後でしゃがみこんで、母親の引く犬の喉をよしよしと掻いてやった。
「どこにいてものっぽさんはすぐに見つけられると思って来たけど、こんなに早く会えるなんて、私たちツイてるわ。」
母親はそう言いながら、娘にちらと目線を送った。青年は今度は見上げながら、
「こんなに晴れてるけど、むこうに雨雲がありますね。」
それから娘と向き合って、
「行こうか。」
娘は進学のために、明日、この町を離れるのだ。
八百メートルにわたってカーブを描く波打際を、三人と二頭とが思い思いに歩く。波が照り返す陽の光にまぶしげながら、娘は青年のなで肩を目でなぞるように、右へ左へ揺れていた。年の割にずいぶんと老けて見えるのは、その遠慮がちに丸まった背中や、ゆったりとした足取りの歩き方のせいなのだ。背の高い大股だから、砂浜の端までさほど時間がかからないはずなのに、青年はいつも失くし物を探すみたいな確かさで、歩いてゆくのだった。
そこへ散歩連れの犬が駆け寄って来る。青年はしゃがみこんで、犬と同じ高さになる。
「よしよし。」
首を掻いてやり、頭を撫でてやり、何かの合図があるかのように目と目で通じ合う。犬への親しみと礼儀とが、青年には飼い主に対してよりも深いのだった。
「よしよし、よしよし。」
赤い大きな首輪をしたドーベルマンが軽やかに駆けて来て、海を背に凛々しく立った。青年は砂浜に片膝をつく折り目正しさで、まっすぐに見つめ合った。
「よしよし、立派だなぁ。」
ボーダー・コリーの周りを二頭のミニチュアダックスが駆けずり回る。青年は犬たちから少し離れたところに座り込んで、じゃれあいの輪を見守っている。
「よしよし、元気だなぁ。」
チューリップ耳で、麿眉で、巻き尾の黒柴が立ち止まる。青年はしゃがみこんで、
「いい毛艶だ。」
走るのが嫌いなシェルティが澄まし顔で座っている。青年はしゃがみこんで、
「お利口さんだね。」
上目に瞳をきらきらと輝かせて、美しい毛並みを風になびかせている、犬。青年はしゃがみこんで、やさしく触れて、
「綺麗だよ。」
青年は出会い頭に腰を折って、砂浜へひざまづく。波打ち際で犬と青年とがめぐりあう絵姿は、この町の風物詩といえるかもしれない。青年の猫背はその姿勢のために、できた湾曲なのかもしれなかった。
いつしか連れ立った娘も、一緒にしゃがみこむようになった。
「よしよし。」
という甘く響く声を聴くと、娘はくらくらするのだった。
砂浜の陽だまりは黄金色の下地を長く伸ばしていた。その上に青年と娘とが憩う姿を見て、母親は遠い昔を思い出すようだった。娘が犬に手を引かれて、波打ち際に駆け出した。
「いつも今日はのっぽさんいるかなぁなんて、あの子はあなたのことが大好きなのね。お家に帰ってもしばらくはのっぽさんのことばかり話ししてるもの。今日は長くなりそう。」
砂浜の端までたどり着くと、折り返すようにぐるりと周って、海岸道路へ出る。陽も落ちてきて、沖から吹いて来る風はいくぶん涼やかだ。三人は顔のほてりを冷ますように、ときおり、海を見た。
いつもなら、丘の手前の交差点で別れるはずなのだが、今日はもう一度、丘へ登った。青年ははじめに来た時と同じように、駆けて行くボーダー・コリーの後を大股でゆっくりと、猫背の姿勢で追いかけた。その後から、娘はジャック・ラッセル・テリアよりも先に、ボーダー・コリーを追いかけた。
ボーダー・コリー、娘、ジャック・ラッセル・テリア、青年の順番で、丘のてっぺんにたどり着いた。母親はそれを見届けて、娘の母親らしい言葉をかけようと伸び上がったが、思いとどまった。二人に見えていなかったようだけれど、大きく手を振って、交差点を折れた。
「よしよし。」
と、母親の口から青年の口癖がこぼれ出た。
海の丘に立って、きらめきを散りばめた波を数える。
娘は深呼吸をする。
よく晴れて澄んだ日には、遠く富士山を見渡すこともできる。この町に住む人はもちろん、きっとふらりと迷い込んでしまった人だって、おなじこころで目を細めるだろう。今年の春は、ワカメのみどりが風に揺れるのも早く、暖かだった。
黒と白の毛色があざやかなボーダー・コリーが駆けて、丘へ登った。後から大股でゆっくりと、黒と白のボーダーシャツを着た猫背の青年が追いかけた。丘の上に、一人と一頭とが並んで、海を眺めていた。
娘の母親はまだ幼く駆け出すジャック・ラッセル・テリアに引かれて、青年の前で息を弾ませた。
「早いわねぇ。もうこんな季節になっちゃって……。今日が最後の日でね、今日が最後の散歩になるからって今出て来たのよ。いいお天気でよかった。」
青年は眼鏡の奥の眼差しを細めて、小さくうなづいた。そして、上目遣いの娘を見つめた後でしゃがみこんで、母親の引く犬の喉をよしよしと掻いてやった。
「どこにいてものっぽさんはすぐに見つけられると思って来たけど、こんなに早く会えるなんて、私たちツイてるわ。」
母親はそう言いながら、娘にちらと目線を送った。青年は今度は見上げながら、
「こんなに晴れてるけど、むこうに雨雲がありますね。」
それから娘と向き合って、
「行こうか。」
娘は進学のために、明日、この町を離れるのだ。
八百メートルにわたってカーブを描く波打際を、三人と二頭とが思い思いに歩く。波が照り返す陽の光にまぶしげながら、娘は青年のなで肩を目でなぞるように、右へ左へ揺れていた。年の割にずいぶんと老けて見えるのは、その遠慮がちに丸まった背中や、ゆったりとした足取りの歩き方のせいなのだ。背の高い大股だから、砂浜の端までさほど時間がかからないはずなのに、青年はいつも失くし物を探すみたいな確かさで、歩いてゆくのだった。
そこへ散歩連れの犬が駆け寄って来る。青年はしゃがみこんで、犬と同じ高さになる。
「よしよし。」
首を掻いてやり、頭を撫でてやり、何かの合図があるかのように目と目で通じ合う。犬への親しみと礼儀とが、青年には飼い主に対してよりも深いのだった。
「よしよし、よしよし。」
赤い大きな首輪をしたドーベルマンが軽やかに駆けて来て、海を背に凛々しく立った。青年は砂浜に片膝をつく折り目正しさで、まっすぐに見つめ合った。
「よしよし、立派だなぁ。」
ボーダー・コリーの周りを二頭のミニチュアダックスが駆けずり回る。青年は犬たちから少し離れたところに座り込んで、じゃれあいの輪を見守っている。
「よしよし、元気だなぁ。」
チューリップ耳で、麿眉で、巻き尾の黒柴が立ち止まる。青年はしゃがみこんで、
「いい毛艶だ。」
走るのが嫌いなシェルティが澄まし顔で座っている。青年はしゃがみこんで、
「お利口さんだね。」
上目に瞳をきらきらと輝かせて、美しい毛並みを風になびかせている、犬。青年はしゃがみこんで、やさしく触れて、
「綺麗だよ。」
青年は出会い頭に腰を折って、砂浜へひざまづく。波打ち際で犬と青年とがめぐりあう絵姿は、この町の風物詩といえるかもしれない。青年の猫背はその姿勢のために、できた湾曲なのかもしれなかった。
いつしか連れ立った娘も、一緒にしゃがみこむようになった。
「よしよし。」
という甘く響く声を聴くと、娘はくらくらするのだった。
砂浜の陽だまりは黄金色の下地を長く伸ばしていた。その上に青年と娘とが憩う姿を見て、母親は遠い昔を思い出すようだった。娘が犬に手を引かれて、波打ち際に駆け出した。
「いつも今日はのっぽさんいるかなぁなんて、あの子はあなたのことが大好きなのね。お家に帰ってもしばらくはのっぽさんのことばかり話ししてるもの。今日は長くなりそう。」
砂浜の端までたどり着くと、折り返すようにぐるりと周って、海岸道路へ出る。陽も落ちてきて、沖から吹いて来る風はいくぶん涼やかだ。三人は顔のほてりを冷ますように、ときおり、海を見た。
いつもなら、丘の手前の交差点で別れるはずなのだが、今日はもう一度、丘へ登った。青年ははじめに来た時と同じように、駆けて行くボーダー・コリーの後を大股でゆっくりと、猫背の姿勢で追いかけた。その後から、娘はジャック・ラッセル・テリアよりも先に、ボーダー・コリーを追いかけた。
ボーダー・コリー、娘、ジャック・ラッセル・テリア、青年の順番で、丘のてっぺんにたどり着いた。母親はそれを見届けて、娘の母親らしい言葉をかけようと伸び上がったが、思いとどまった。二人に見えていなかったようだけれど、大きく手を振って、交差点を折れた。
「よしよし。」
と、母親の口から青年の口癖がこぼれ出た。
海の丘に立って、きらめきを散りばめた波を数える。
娘は深呼吸をする。
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