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深崎香菜

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彼女の病気

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唇を離した後なんとも照れくさくお互い顔も見れなかった。
彼女が「いまさら…ね」と笑ったのにつられて笑い、
久しぶりに暖かさを取り戻した。


あの日から僕が病院に訪れると
暖かいというか…背中がむず痒くなるような眼差しで
患者さんや看護婦、看護士さんたちが見てくる。
たまに笑いながら
「熱いのもいいけど静かになー」
なんて言ってくる医者たちだっている。
悪くは思われていないのだがなんとも…恥ずかしい。
彼女にそのことを話すと大笑いされた。

「私はどうだろ…。
 リハビリのとき外でるけどそんな視線感じないよー?
 周りが見えないとね、そういう気配とか音に敏感になるから
 間違いないかなぁ?」
そりゃぁ…。
「そりゃあ明日香は中にいましたもん!
 僕は丸見えでしたから…クッソー…」
「まぁまぁ、どんまーい」
彼女はけらけらっと笑った。
また笑い方を注意するが聞く耳持たず。



僕は特に意識はしていないのだが
気づけば以前とは違って彼女のことを『明日香』と呼ぶようになっていた。
前は年上だからなぁ…とか、元々『明日香さん』と呼んでいたので
呼び名を変えるのがなんだか恥ずかしいというかという
よくわからない気持ちがあったためそのままだった。
境目はわからないが本当に、気が付けばという感じだ。

「そういえば僕、いつのまにか呼び名変えてますね」
そう気づいたときに言ってみた。
「え、今気づいたのぉ?!」
彼女は最初から気づいていたらしい。
「あ、戻さないでね?
 私ずっと言ってたでしょう?亮ちゃんが私を瀬戸さんなんて呼ぶから
 明日香って呼んでって。
 なのに明日香『さん』とか言うしさぁ…。
 すっごい年齢とか感じちゃったんだからねっ」
そう言ってスネタように頬を膨らます。
僕は面白くて両手で頬から空気を抜く。
「プヘッ」
「ぶふ…」
彼女は真っ赤な顔になる。
頬なんか膨らましてぶりっ子するんじゃなかったと後悔しているみたいだ。

「…明日香」
「へ。はい」
「明日香…明日香…明日香…」
「亮ちゃん?…え、ちょ・・・・・んっ・・・・・・」
僕は彼女の名前を呼びながら唇を重ねる。
彼女は驚いたような顔をしたがすぐに僕にギュっと抱きつく。
唇が離れるたびに僕は彼女の名前を呼ぶ。
「そ、んなに呼ばなくても…」
彼女が照れながら笑うのを無視する。
すぐに唇を塞がれた彼女はそのまま僕に応えてくれる…。
そのまま僕の手は彼女の胸に・・・・・・・・




「待って!!」


おいおい、ここまできて寸止めとかありか?!
「亮ちゃん…こ、こ病院だ…よ。」
「はい」
「は、はいって!!!
 だ、から…いつ人がくるか…わかんないの…」
「…あ。あぁ…」
僕が落ち込んだのを感じ取ったのか、
彼女はそっと僕の頬に触れた。
「キ・・・スくらいは・・いいんじゃないかな・・・
 て、いうか・・・し、て?」
彼女は余計な光を受け止めないために目を瞑っていることが多い。
今も同じなのだがそれがかえってそそられる・・・
「む、胸に触るのは・・・?」
「それは駄目」
即答・・・。
少しションボリした気分だが
僕はそのままゆっくりと唇を重ねた。


僕らは息が苦しくなるくらい長い、長いキスをした。
薄っすらと目を開けると僕に必死で応えてくれている彼女の顔がある。
愛しくて、愛しくて、僕の舌は彼女の奥へ、奥へと進む。
その時彼女が聞き取れないほどの小さな声を漏らした。

「ん・・・ンッ・・・・・」

その瞬間僕は彼女から唇を離す。
「・・・・亮ちゃん?」
「ご、ごめんなさい・・・
 こ、れ以上したら、・・・・歯止めが・・・ききません」
彼女は見る見るうちに真っ赤になり、僕に
「馬鹿ッ!」
と言って反対を向いた。
僕は彼女をもう一度こっちに向かせるのに30分かかってしまった。

向かい合いなおした時、
お互い何がおかしいのかわからないが
とりあえず笑った。笑いまくった。
そこにお母さんが入ってきたわけだが
ずっと笑いつづける僕らをみて不思議がる反面、少し嬉しそうな顔をしてくれた。


僕は帰るときお母さんと一緒に病院を後にすることにした。
面会時間ギリギリまでいたのだがやはり彼女は寂しそうな顔をした。
「・・・退院したいな」
「そうね、もう少しがんばりましょう。ね?」
「・・・・うん」
「私は先に出てますね。」
「あ、はい」
お母さんは気遣ってくれたのだろうか?
そのまま振り返らずに病室を出る。
僕は彼女に向き直って
「明日も来ます」
と言って別れのキスをする。
彼女は泣きそうなのをこらえて
「ん」
と短く返事を返した。


病室を出るとお母さんが待っていた。
静かに笑った後、小さな声で
「ご飯・・・まだでしょう?
 おばさんに少し付き合ってくれないかしら?」
と、誘われた。
確かに空腹だったので僕は頷きお母さんの荷物を持つ。
遠慮はしていたものの、僕がしつこく言うとお母さんは折れた。

どんなお店なのだろうと思ったら
小さな食堂だった。
このお母さんを見ているとお昼なんかはカフェで…というイメージだったので
ファミレス系統とか少し洋風な・・と思っていたので意外だ。
「ふふ、ここね私の妹夫婦が経営しているの。
 明日香もここの料理が好きでねぇ…。
 もう閉店時間前だけど私たちならきっと大丈夫」
そう言って笑うと中に入った。
僕も後へと続く。


「あらーお姉ちゃん!いらっしゃ・…あら?」
店の中は派手さなんて全くなく、
言えば少し古い感じの家の中という感じだった。
まぁ、家にしたら広すぎるわけだが…。
奥で男の人、つまり彼女の叔父さんだろうか、が明るい声で
「いらっしゃーい」
と言い顔を覗かせた。
いつもならお母さんなら一言三言声をかけて厨房へ戻るのだろうが
(他の人ならやはり、「もう閉店するよ」的な言葉をかけるのだろうか)
僕の姿を見て言葉を詰まらせた。

「…お姉ちゃん…わっかいひとと…浮気?!」
「ば、馬鹿!」
「は、初めまして」
「亮介君も挨拶してないで…!」
否定しろと…。
少し面白いので下げた頭を上げ、お母さんを少しからかう。
「いつもお世話になってるんです。
 僕、出会ったときか・・・・・・グァバッ」
お母さんのビンタが背中にクリティカルヒットだ。
唖然と見つめる妹さん夫婦…。

「コホン。
 明日香の彼氏さんよ。亮介君。」
「あ、明日香ちゃんのーってそんな気もしてたけど。
 ありえないわよねー、お姉ちゃんが浮気なんてー。」
「あのねぇ・・」
「宜しくお願いします。」
僕は改めて頭を下げる。
背中がジンジンするのは気にしない…痛い…。
二人は『この子が噂の!』と言い歓迎してくれた。
それにしても…噂って何だ!?

「ねぇ、幸恵。
 少し奥を借りてもいいかしら?」
「ん…ええ。どうぞ。」
「亮介君、ここの階段上ってすぐ左の部屋にいてちょうだい。
 私は…おトイレを済まさせてもらうわね」
そう言って照れくさそうに笑う顔が彼女に似ていた。
「あ、はい。」
僕はそのまま指を指された先にある階段を上ることにした。
半分まで上った時、小さな声が聞こえたので足を止めてしまった。


「…料理遅らせる?」
「ううん。食べた後に話すから…
 じゃないとマズクなるでしょう?」
「別れ・・さすの?」
「なわけない。
 これは二人が決めること…だからね。
 私は口出ししないよ」
「お姉さん…。口出してすみませんが、
 お兄さんはなんて?」
「・・・・・あなたねー。
 あの人に明日香の恋人の話ができると思う?
 知ってたら亮介君今ごろミンチ…」
冗談なんだろうが背筋がゾクリ…
「そう…とりあえず早めに運ぶ」
「ありがとう」
お母さんがあがってくる感じだったので
僕は音を立てず慌ててあがり部屋に入って座った。
間もなくしてお母さんが
「ごめんなさいねー」
と言いながら入ってくる。


すぐに料理は運ばれてきた。
この先にある話はだいたい見えている。
彼女の…ことだろう。
しかし僕はそんなこと知らないかのようにして
料理の感想を言ったり、お母さんに聞かれた質問に対しての応えを返していた。

全て食べ終わった頃、最後に珈琲が運ばれてきた。
僕は軽く頭を下げてガムシロップを入れた。
氷のカラカラという音を立てて
珈琲をかき混ぜながらお母さんがゆっくりと口を開く。

「亮介君…明日香のことなんだけど。」
僕の手は自然と膝の上へと移動する。
「はい」
「病気のこと…詳しく話してないし…聞いてるかしら?」
「いいえ。」
そうだ。
あの日お母さんの説明から何も聞いていない。
もう回復しない。それくらいだろうか?
あの時僕は説明を無視して彼女の元へ走ったのだ。
「…そう。
 聞く?それともやめておく?」
本当は彼女の口から聞きたい。
けれどそんなこと今は言ってられない…。

「聞かせてください。」

僕がそう言うとお母さんは小さく頷いた。 


「あの子の病気は『緑内障』というのは覚えている?」
僕はなんとなく聞いた感じがしたので頷いた。
「その病気が何かはわかるかしら?」
「…すみません・・。
 ただ、彼女の今を思えばやっぱり…」
「そう、目が見えなくなるの。
 簡単に言えば視神経がね怪我をする病気で
 進行性なのよ…そして回復不能の視力喪失を起こすの。」
「…」
「続けるわね。
 この病気は世界中で1400万人以上の人がかかっているみたい。
 本来なら、40歳以上の人がなりやすいんだけれど…。
 あの子の場合は感染症なのかもしれない。
 原因の一つに家族の中に緑内障患者がいるとねなる…場合があるの。
 一昨年の夏に亡くなったうちのお祖父さんがそうだったのよ…」
お母さんは少し悲しそうに笑う。
僕は何も返せずお母さんの説明に相槌をうつこともせず
ただ聞いてることしか出来なかった。

「治療法…はないということですか」
やっと出た言葉がコレだった。
「…ないとはいえないの。
 進行を止めることは出来るみたいね。
 けど…視力の回復は出来ない。
 あの子の場合手術はしなくてもいいらしいけれど
 もうほぼ何も見えないみたいね…。
 ぼんやりと光が差し込むくらいって・・ 
 あの子が使う目薬だと副作用があるらしくってね
 まぁ、それが現れるかは人それぞれらしいの…」
「副作用…」
「…ええ。全て受け入れたくない事だったけれど
 副作用が現れない人もいないからそれを祈るしかないの」
僕は小さく頷いた。

「彼女は・・・・なんて。」
「あの子から突然電話がかかってきてね…」






「はい。瀬戸です」
「・・・・・あさん・・・」
「…?明日香?」
「おか…あさん…あさ…朝が…こなくなったの…」
「明日香?!何言ってるの?よくわからないわ…」
「辺りが、真っ暗で…私、ず、ずっと起きているのに…
 なのに朝がこなくって…!
 明かりをつけたくても真っ暗で…何もできなくって…
 お母さん、お母さん…!」
私は助けを求める娘の声が異状だったので
慌てて電話を切って家を出た。
時刻は午後二時。
なのに娘は真っ暗で朝が来ないと言っている。
意味がわからなかったがもしかして…という心当たりがあったので急いだ。

合鍵を使ってアパートに入ると
荒れ果てた部屋とそしてボロボロの娘がいた。
部屋の中は異臭が漂い、思わず息を止めてしまったくらいだった。
(これは…彼には話さないほうがいいだろう。)
「明日香…?」
そっと近寄って娘に触れると娘が抱きついてきた。
私は抱きしめ返しながら質問をするが娘はパニック状態だった。
「明日香、落ち着いて、明日香!」
けれど娘は落ち着くことができず、私は夫に助けを求めた。

「あなた…、明日香が…明日香が!」
「ん…どうしたんだ」
「様子が変なんです!
 周りが見えていないみたいで…私・・どうしたら!」
「・・・・・救急車を呼びなさい。
 紗江?わかっているだろう…多分…一緒だ」
夫の言葉を聞き、私の頭は真っ白になった。

一緒

一緒

一緒

俺の父親と一緒

そのまま私は座り込んでしまったのだと思う。
夫の呼ぶ声で我に返り、気づけば私は娘、夫と共に救急車の中だった。
「あ…なた」
「紗江、大丈夫だから。お前がしっかりしないでどうするんだ?」
娘を見ると眠っていた。
聞くところによると鎮静剤の軽いのを打たれたみたいだ。
私はその姿を見て決心した。
私がしっかりしよう。と…
この時ほど、夫が頼もしいと感じたことはないかもしれない。
いや、今までだってあっただろう。
けれど、この時が一番頼りたかったのです・・・・


娘を病室に入れ、私たち夫婦は説明を聞かされた。
やはり二人の予想通り『緑内障』でした。
普通は40歳以上の大人がなる病気なわけだが
夫の父が…つまり娘の祖父が緑内障でした。
血縁関係の感染もあるらしくそれが原因でこの病を抱えたといわれた。

「先生…。
 娘は数ヶ月前にここで検査入院をしています。
 どうしてその時に発見できなかったのですか?」
「…それは。
 娘さんの場合進行がとても早い。
 今まではそんな目だったことがなかったようで
 この写真を見ていると最近になって進行しているようです。
 それにしても・・・・早すぎる」
担当医・・久保先生は独り言のようにして呟いた。
私たちは何も言い返せなかった。


それから数日してやっとのことで娘が現実を受け入れる決心をした。
「お母さん…話して?」
その言葉を聞いた時涙が溢れそうだった。
けれど、娘がずっと触れなかった話に
自分から入ってきたので私は全て話した。
娘は説明を聞き終わった後、
小さくて泣きそうな声で言った。

「亮ちゃん…は、聞いたらどう…おもうのかな」

自分のことではなく恋人の心配だった。
「どうって?」
「やっぱり…一緒にいれなくなるのかな。
 怖いな…言えないよ…言いたくないよ・・・
 ず、っとねおかしいと思ってたの…
 でも、言えなくて…怖いんだもん…お母さん…
 私と一緒にいて、亮ちゃんの未来は明るいのかな?」
そういわれたとき涙が溢れて娘を抱きしめた。
娘は私の腕の中でわんわんと泣き叫んだ。
もう、見えない。
好きな人の顔も、大好きな景色も…何も。





「それであなたに送ったのね。メールを。」
「…で、その後に僕が彼女の決意をぶち壊した…と」
そう言うとお母さんはクスクスと笑った。
「そうね。
 その話を聞いた時思わず笑っちゃった。
 あなたって案外見た目と違って行動派なのねーって。
 でも、また明日香が少しづつでも笑うようになってくれてよかった。
 あなたのおかげよ、亮介君。ありがとう」

お母さんが頭を下げた。
僕は慌てて傍により、「そんなことしないでください!」と言った。
お母さんはそれから何度も僕にお礼を言うとニッコリ笑って
「さ、そろそろ出ないとね」
と、言った。
僕は短く返事をして下へと降りる。

結局お母さんの口に負けてしまい僕は食事をご馳走になってしまった。
「明日香には内緒ね」
と悪戯に微笑むその笑顔さえも彼女にそっくりだ。
あぁ、そうか。
お母さんと一緒にいても緊張したりしないのは
彼女にそっくりなところばかりだからなのかとやっと実感する。


駅までお母さんを送り、僕はそのまま歩いて帰ることにした。
徒歩20分あれば帰れるだろうか。
その日は一人で歩きたかった。

暗い夜道。
僕を照らす月明かり。
それがなければ僕は・・・・・きっと泣いていただろう。
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