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63 俺の左手はなんともない

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夏休み初日の午後。茶薔薇学園の柔道部で、勇太達はまだ練習している。

1時間ほど練習して、数人の長身選手と一緒にカオルの特訓に付き合う。

勇太は170センチ。男子としては大きくないが、女子63キロ級とみれば十分に背が高い。

「すまん勇太、ちょっと幾つか技の練習させてくれ」
「よし、インターハイの個人戦対策だな」

「おう、今度こそ不知火マイコさんに勝ちたいんだ」

今回のインターハイでカオルは2年生ながら63キロ級で優勝候補。だが、評価は2番目。

最有力候補は北海道代表の不知火マイコ。3年生。

ぱっちりした目。タカ●ヅカ歌劇団の男役のような美貌で、柔道界のアイドルなのだ。

身長173センチで165センチのカオルより身長が8センチ高い。その上に体型は陸上中距離選手のようで手足も長い。

カオルがパワータイプなら、不知火はリーチを生かした技巧派。

素質は両者互角とも言われているが、不知火に1年分の蓄積がある。通算の対戦成績はカオルから見て2勝6負。

勇太が有段者に混じっても、ガチの柔道では太刀打ちできない。しかし特訓の相手になれる。

体力チートを生かして動き回っている効果、そして前世の合気道の足さばきを取り戻したことで動きにキレが出てきている。

簡単に身に付かない投げ技、寝技は下手でも、受けに関しては強くなっている。

「うっしゃああー」「くおうっ」。真っ向からの内股、体落としは防げる。

今度は不知火を想定した練習。リーチが長い勇太が、カオルの奥襟を取った状態からスタート。

「ぐっ、鍛えた男子って力強いな、パワー差もあって首が回らんか。懐に入れんのは致命的だな」
「だろ。じゃあカオル、今度はこっち側から掴んで・・」

カオルは訓練しながら感心している。初めて勇太が茶薔薇に現れたとき、柔道に関しては素人だったと聞いている。

今も粗だらけではあるが、動きは初段に近いくらいのレベルがある。

パン屋、カフェ、学校、それにプラスして柔道の練習も確実にやっている。すごい体力だ。

2人は真剣だが、勇太の腕がカオルの首に回り、カオルも勇太の柔道着の胸元をパクパク開く。

ギャラリー女子からしたら、刺激がすごい。

「うおりゃあ!」

体勢不十分のカオルが、勇太を左から投げようとした。中途半端に担がれた。

そのときだ。ぞわっとした。

勇太に危険信号が伝わってきた。危険なのは自分ではない。カオルだ。勘だがヤバイと思った。

前世の合気道から得た感覚。

なんとなくだが、カオルが無理に自分を投げて左肩から落ちる気がした。そして、そこに自分の体重が乗ってしまうイメージ。

「カオル!」。勇太は、とっさに左手を出した。

そのままカオルに投げられ、受け身を取ることを放棄した。そして出来るだけ左手を伸ばした。

くじゅっと、おかしな音が、畳に付いた勇太の左手首から出ていた。そして肩から落ちた。

代わりに、カオルの肩は無事に守った。

1回転し、勇太が仰向けで下。前に倒れてきたカオルを横抱きに受け止めた。

「あ、勇太!」カオルには嫌な音が聞こえていた。
「それよかカオル、左肩は」

「え・・大丈夫」
「ならいい」

「い、いやおめえの手首が・・」

明かな事故。ギャラリー女子の数人がざわついている。

勇太は無茶をした。左手首の捻挫、下手をすれば脱臼している。

しかし勇太は怪我からの回復には反則技がある。女神印の回復力だ。

女神が勇太を転生させたときに、パラレル勇太を修復させてから魂を入れた訳ではない。

おっちょこちょいの女神が、慌てて致命傷の傷を治す途中の勇太を生き返らせた。主神に怒られるから・・

あの時はなにすんじゃ、と思った。けれど考えてみれば頭蓋が割れるレベルの傷が数時間で治るほどの力。

その力の一部が、勇太の中に置きっぱなしになっているようだ。

「ああ、すまん勇太」。青い顔をしてカオルが謝ってきた。

インターハイ前に、少しでもカオルを平静でいさせたい勇太。


だから。勇太は笑った。

「大丈夫。俺の左手は、ちょっとしびれてるだけ。非常識なくらい頑丈だってルナや梓から聞いてるだろ」
「けど、けどよ・・」

「カオルは心配性だなー。ほらゆっくり起きろ」

勇太は、思い切った行動に出た。カオルを抱いたまま、上半身を起こした。

正面から向き合って、あえて痛めた左腕をカオルの背中に回した。

きゃあっ、とギャラリーの黄色い声が上がっていた。

軟骨損傷くらいのダメージはありそう。だけど、早くも感覚は戻っている。痛みはあっても我慢できる。

「ゆ、勇太・・」
「ほい、大丈夫。な。気にすんな」

勇太はカオルの背中をぽんぽんして、落ち着かせようとした。

「な、きちんと左手は動くし大丈夫だろ。念のためにちょっと休憩するけど心配すんな」

勇太自身も、折れてなくて助かったと思った。これなら、しばらく休めば手は動くと感じている。ルナにも目配せした。

まだ不安そうなカオルに勇太は笑った。

「そんな顔すんな、カオルらしくないぞ」
「・・・」

にかっと口角を上げた勇太の顔を見上げ、カオルの顔が真っ赤だ。

「ゆ・・うた」

畳の上では決して崩さないアスリートの表情が、恋する乙女の顔に変わっている。

茶薔薇の桜塚部長、パラ高のマルミ、キヨミ、タマミも、突然のアクシデント、突然のラブコメ?展開に驚いている。

ルナだけは「やっとだね」と呟いている。

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