漱石先生たると考

神笠 京樹

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明治編・7

第26話 東京の子規

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「よお。縁談はどうだった」

 大晦日、金之助は子規の東京の自宅を訪ねていた。子規の家というのは根岸にあり、かつて加賀藩士の長屋だった建物である。

「歯並びが悪くて不美人だったが、歯を見せて愛嬌よく笑うから感心した。貰うことにした」
「不美人か。やはり写真にがあったのかい」

 この時代にも、見合い写真に小細工をするのはごく普通のことであった。現に金之助も顔にあばたがあることを誤魔化しているわけである。

「いや、写真の通りだが」
「写真の通りなのに、不美人だと言うのかい。おかしなやつだ。見合いの写真はおれも松山で見ているが、立派な美人じゃあないか。……全く」

 その写真というのは現存しているから見れば誰にでも分かることだが、子規の言うことは至極最もであった。

「とりあえず、茶でも淹れさせよう。煎餅があるぞ」

 と言いつつ、子規は客より先に自分で煎餅を食べている。大好物なのである。ちなみに、さすがの金之助もこの場にたるとは持参していない。

「ごめんください。のぼさん、おいでぞな」

 のぼさん、というのは子規のことである。子規の幼名はのぼるというのだが、それに由来する、まあ綽名のようなものであった。郷里を同じくする親しい者たちが使った。

「おお、虚子か。……よく来たな。煎餅食うか」

 と言ってまた、ひとりでばりばりと煎餅を食う。

「あ、夏目先生。おいでだったのですか」
「うん。冬休みで帰省している」
「こいつ、見合いをしたんだぜ。えらい美人と」
「それはそれは。それで、如何なりました」
「うん、貰うことになった」
「それはおめでとうございます」
「おめでたい次第だが、こいつその婚約者のことを不美人だなんて言うんだ。きっと照れてやがるんだぜ」

 金之助はははは、と小さく笑った。ところで、しばらく雑談などをしていたのだが、虚子と子規の間になんとなく微妙な空気が流れていることに金之助は気付いた。

「もしかして、何かあったのかい?」

 と言うと、子規がぶっきらぼうに言った。

「いやぁ、おれはこんな体だし、嫁取りというのも今後難しいだろうから、俳壇の後継者の地位をお前に任せる、と言ったんだが」
「……」

 虚子は黙った。仕方がないので、金之助は子規に話を促した。

「それはできないと言われてな。いや、参ったよ」

 この時のことを子規は別の友人宛ての手紙で『心中が狂乱せり』『二人となき一子を失ひ申候』と述べている。よっぽどショックだったらしい。まあ、だからといって二人がそれでそれきり絶交したというようなわけでは全然ないのだが。

「ところで。年明けの三日に、こちらでまた運座をやるんですよ」

 気まずい空気の中、虚子が話題を変えた。

「ああ、そうだ。お前も来てくれ」
「うん、そりゃ構わないが。他には誰が来るんだい」
「えーと、碧梧桐のやつと、それから可全かぜんと」

 可全というのは河東可全と言って、碧梧桐のすぐ上の兄である。この人物も子規の友人であった。

「それから森鴎外もりおうがいが来る」
「え、鴎外ってあの小説家の森鴎外かい」
「そう。前に会ったことがあって」

 鴎外と子規の間にもちょっとした接点があった。この頃の森鴎外は職業小説家ではなく、本業は軍医であるが、代表作の一つ『舞姫』は既に執筆されている。軍医と従軍記者という関係があるから、二人は面識を持ったのであった。

「それじゃ、また三日に。よいお年を」
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