漱石先生たると考

神笠 京樹

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明治編・6

第22話 たるとの手がかり

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 中根重一しげかず氏から手紙が届いた。中根重一というのは、金之助が受けることにした見合いの相手の父親である。

「いずれにせよ、松山におられたのではどうにもなりません。ちょうど年末が近いですから、暮れの休みにでも東京に戻られて、そこで鏡子と見合いをなさいませんか」

 とのことであった。

「それもそうだなあ。年末より他に、東京へ戻るあてがあるわけもなし。まさか見合いの相手をこんな田舎まで呼びつけるわけにもいかないだろうし」

 金之助はたるとと道後温泉のことは気に入っているが、別に松山が好きかと言われればそんなことはなかった。この一週間ばかり前に子規に出した手紙にも、「あなたの故郷はあまり人の良いところではないな」などと記している。まあ『坊ちゃん』の主人公のようにひと月で教師をやめてひと暴れしたあげくに東京に戻ってしまったりはせず、黙然と教師の仕事に身を奉じてはいるのだが、肚の底の思いはそんなところであった。だいたい、東京の娘と見合いをすることを承諾したのも、それにかこつけて東京に戻れやしまいかというのを考えてのことであるのだ。

「へっくしょん」

 ところで、金之助はまだ風邪が治らない。観瀑の日からは十日も経って、まだ患っているのである。子規と比べれば健康体だとは言っても、金之助も別に言うほど頑健な体質の持ち主ではないのであった。

 だが、金之助もあまり養生を心得るようなたちではなかった。滝を見た日から二週間後の日曜日にも、体調をおして観光に出かけた。今度は松山から歩くこと三里、渡し舟に乗って川を渡り、称名寺というところに着く。そこから三丁ほど下った池の畔に、目的のそれはあった。ここは当時、阿川村と呼ばれたところなのだが、そこに源範頼みなもとののりよりの墓というのがある。範頼というのは源頼朝よりともの弟の一人である。義経よしつねよりは上の兄弟だが、この人物もやはり平氏滅亡後頼朝に疎まれ、伊豆に流されて、そこで討たれた。だから一番有名な墓は当然伊豆にあるのだが、一説に頼朝の手で討たれたわけではなく友人を頼って伊予国まで落ち延び、そこで余生を送ったと言われている。真偽のほどは疑わしいが、ともかくその言い伝えに合わせてここに墓と彼を祀った神社があり、地元の人間には「鎌倉かまくらさん」と呼ばれていた。しかし、他に特に何があるというわけでもないうら寂しい場所である。なので金之助はこう詠んだ。

 木枯や 冠者の墓撲つ 松落葉

 さて、それで帰宅し、翌日からはまた学校である。くしゃみ先生がお見えぞな、などと冷やかされる。金之助は憮然としているが、黙然と授業は行った。帰り道、また久松家の旧蔵書を借りる。今回見つけたのは、菅家に関する書物数冊であった。菅と言えば、愛松亭のあるあたりに屋敷を持っていた、例の家老のことだ。たるとと繋がりのある情報が出てくるかはともかく、何でも調べてみる気になっている金之助である。とりあえず、それらの本をひっくり返してみることにした。

「……ん?」

 孫引きなのだが、菅五郎左衛門という人物の日記に関する話が出てきた。どうやらこの人物は定行の時代の家老であるらしいが、この人物が、『たると』というものに関する難題を押し付けられて往生した、という話が出てきた。

「これは……!」

 金之助は歓喜雀躍した。さらに翌日、つまり火曜日だが、もう一度池内正忠氏のところを訪れ、その日記というのを探させてもらった。果たして、それはあった。

「やった!」

 さっそく借り受けて愚陀仏庵に持ち帰り、その記述を頭から調べる。……だが、正保年間に関する記述は無かった。いや、無いのではない、欠落しているのだ。本そのものの頁に抜けがあった。しかし、諦められない。それより過去にはないかもしれないが、それより後の記述であれば何かヒントになるようなものがあるかもしれない。金之助はひたすら菅五郎左衛門の日記を追い続けた。だが、駄目であった。日記の最後の頁まで辿っても、それらしき記述は無かった。

「ああ……もう午前二時か。諦めて寝るとするか……」

 ちなみに、こんな無理をしたものだから、風邪はまた悪化している。

「へっくしょん」
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