漱石先生たると考

神笠 京樹

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正保編・伍

第二十一話 安左衛門の工夫

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 安左衛門は改めて小麦の研究から始めることにした。石臼で小麦を粉に挽き、それをふるいにかけて、落ちたものが小麦粉となる。質の良い白い粉を手に入れるためには、ふるいの目の粗さを変え、この過程を何回も繰り返さなければならない。
 安左衛門の手元には粉ふるいだけで十種類くらい買いそろえてあった。麻糸を張って柿渋を塗ったもの。高価な絹糸のもの。それから、牛の毛を用いたものに、馬の毛を用いたもの。特に馬の毛を用いたふるいは品質が良いとされ、洋の東西を問わず珍重された。安左衛門の知ることではないが、西洋では絹がほとんど手に入らないから、馬の毛が最高級とされ、十九世紀くらいまで製粉にも用いられていたという。日本でも、丈夫な馬の毛のふるいはさまざまな用途に用いられていた。例えば、『佐渡金山絵巻』には、金の含まれた鉱石を馬毛のふるいにかけて分けるところが描かれている。もちろん食品を扱うのにも用いられる。こんにちなお、和菓子店や高級料理店などでは馬毛のこし器を好んで用いる職人がいる。

「ふむ。とりあえずは、この粉で試すか」

 ある程度の量の白い粉が手に入ったので、とりあえず上州の粉でかすていらを焼いてみることにした。すると、今までの讃岐の小麦で作ったものとはだいぶ風味の違うかすていらが焼き上がった。讃岐のうどん粉で焼いたものより、上州のまんじゅう粉で焼いたかすていらの方が、よりふっくらとしているのだ。

「必ずしもどちらが良い、というものではないが。これほどまでに、粉の差というのは菓子に差をもたらすのだな」

 研究は一歩前進した。だが、まんじゅう粉で焼いたかすていらも、巻こうとするとやはりある程度の確率で割れ目が付いてしまうことに変わりはなかった。安左衛門は日々、試行錯誤を繰り返した。そして、ある日この発想に辿り着いた。

「小麦を多くして、熱をやや弱めにして、じっくり焼いてみよう。そうしたらどうだろうか」

 結果を言えば、普通に焼くよりももっと割れやすいかすていらが出来上がった。念のため同じやり方をもう一回試した。やっぱり同じ結果である。これでは話にならない。

「いや……どうだろう? より割れやすくなるかすていらの焼き方は分かった。ならば、これを逆にしてみれば……」

 つまり、小麦の量を減らし、熱を強くして焼いてみた。十個ほどの巻カステラを用意し、一晩寝かせて、翌朝いちばんに様子を確かめた。

「おお……!」

 はたして、安左衛門巻きカステラは今度は一つも割れていなかった。こんなに割れにくいかすていらを焼き上げたのは、彼は初めてである。

「なぜこうなるのかは分からんが、割れぬかすていらの工夫はどうやらこれでよいようだ」

 ちなみに安左衛門の理解のうちにあることではないが、なぜこうなるかというと小麦の量が多かったり、弱火でじっくり焼いたりすると生地から水分が逃げてしまうからかすていらが割れるのである。が、そのような理屈は別に分からずともよい。ようは殿様を満足させることが目的である。

「さて。気が付けば、だいぶ冷えるようになってきたな……」

 季節は既に冬であった。正保四年は年の瀬を迎えようとしていた。
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