漱石先生たると考

神笠 京樹

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正保編・肆

第十二話 おはぎと大納言

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「おはぎ、おはぎぃー」

 正保四年も秋の彼岸の頃である。たまの城勤めの帰り道、安左衛門が町を歩いていると、おはぎを売っている流し売りがいた。

「そこのおはぎ売り」
「へい? 何でしょう、お武家様」
「おはぎの流し売りとは、珍しいな。今の時期はそんなにおはぎが売れるのか?」
「へえ。なんでも、秋の彼岸にはおはぎを仏前に供えるというのが、さいきん江戸のほうじゃちょいと流行りだそうで。あっしもちょいと、それにあやからせて頂いたという次第です」

 江戸でおはぎが彼岸の風物となり始めたのはこの頃のことなのである。

「あずきは、何を使っている。大納言か?」
「あー、いえ。おあいにくでございますが、そうではありません」

 小豆にもこの頃から様々な品種があるが、大納言というのはあずきの中でも特に人気のある品種であった。皮が破れにくいことから、「腹切れがしない」というゲン担ぎで、武家が好んだ。

「まあよい。一つだけくれ」
「よいのですか」
「すべての武家が、縁起だけを気にして暮らして居るわけではないのだ」

 さすがにおはぎ売り相手に説明はしないが、安左衛門は町人出身であるから、そのあたりについては武士らしい感覚というのをあまり持ってはいなかった。

「へえ。まいどあり」

 大納言のあずきを使ってないということもそうだが、おはぎというのはこの当時「民家の食にて貴人の食するは希なり。江戸杉折には詰め難く、晴れなる客には出し難し」とものの本にあるくらいで、貧しい庶民の間の食べ物であり、武家の人間が好んで食べるようなものではなかった。だが、安左衛門は『たると』作りの研究のため、直接に関係がありそうなものもそうでないものも、甘味の類は片っ端から試しているのである。

 さて、本邸に帰ると、喜代がいた。

「おかえりなさいませ、安左衛門さま。……そちらは?」

 喜代は安左衛門の下げているぼたもちの包みに興味を示した。

「あー、これは、おはぎという、農民が好んで食する菓子にてござる」
「おはぎ。食べたことがないですわ」

 喜代はそこそこの家禄の武家のお嬢様であるので、そういうこともある。

「なれば、一つしかありませんが、半分に切りましょうか」
「はい。お茶を淹れますね」

 そういうことになった。

「まあ、とても甘いわ。農民たちの間にも、こんなおいしい食べ物があるものなのね」
「彼らには、年に幾たびかという贅沢に御座ろうが……然様でございますな」
「あ、そうだ。今日はたまごが五個も採れたんですよ」
「それは重畳」

 いつぞや、全部の卵を割ってしまった後、安左衛門は新しいたまごを「産まれた日」ごとに別のざるに集めてもらっていた。離れの台所には、既に小さなざるがずらりと並べられている状態である。

「では御免」

 安左衛門はとりあえず、今日採れたという新しい卵をひとつ、割ってみた。

「ふーむ」

 卵の白身はぷっくりと小高く盛り上がり、黄身の色にも艶があった。そこで安左衛門はさらに、残っている中で一番古いたまごも割ってみた。

「なるほど……?」

 こちらの卵の白身は水のように流れ、黄身も艶に乏しかった。念のため、もう一個ずつ割ってみたが、やはり新しいものと古いものにはそのような性質の差がある、ということが明らかだった。

「意を得たり、でござる」

 次の問題は、新しいたまごと古いたまご、どちらがかすていらには向くか、という点である。何でも新しいものが良いという話ではない。例えば、一般論としてゆで卵には多少日を置いた卵の方が向く。安左衛門は新しい卵と古い卵をそれぞれに、五本菜箸でかき混ぜてみた。

「うむ。新しいものの方が、よりねっとりとした『たまごのふわふわ』が作れるようだ」

 念のためかすてらの状態にまで仕上げてみたが、やはり、卵をねっとりさせた方が、かすていらのふっくら感は増すようであった。

「そろそろ、かすていらの試しはこのあたりでよいでござろうか」

 江戸からの本は既に何冊か届いていて、その中の一冊にあった助言に従い「うどんの粉をふるいにかける」という手順も加えていた。四角いカステラを焼き上げるための、枠になる木の板も城下の板屋に注文して手に入れてある。さすがに、そろそろ十分であろう。

「殿にて、かすていらをお召し上がりになる日取りを、決めて頂きたく存じまする」

 安左衛門は勘之丞にそう申し伝えた。
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