上 下
9 / 76

9.葉月のお値段

しおりを挟む
中年の狐獣人の奴隷商の名はグロンだった。おりという意味だそうだ。なんとも奴隷商人にピッタリな名前だ。だが良識ある親だったら絶対につけない名前のチョイスでもある。

「ハヅキ。こちらにどうぞ」

 葉月は奴隷のはずだが、応接室らしき部屋で椅子に座る様に促される。グロンは控えていた女性にお茶を持ってくる様に指示した。バーリック様の御屋敷で、とても奴隷らしく扱われた身としては、この待遇は奴隷では無くなった可能性が出てきたのではないだろうか。

 テーブルにお茶と茶菓子が準備された。グロンが自ら茶を飲み、勧められたので一口飲んでみる。ややぬるめで飲みやすい。匂いはどくだみ茶の様なクセがあるが、苦味も無く香ばしいお茶だった。喉が渇いていたので一気に飲んでしまう。お腹も空いていたので、遠慮なく焼き菓子も食べる。松の実が入っていて、ほんのり甘みを感じた。見た目は小さな月餅だが甘みが圧倒的に少ない。異世界あるあるで、砂糖は高級品なのだろうか。

 思えば異世界に来て多分六時間近く経つが、これが初めての飲食だった。

「ハヅキ。一息つけましたか。兵士の方から聞いていますよ。大変でしたね? ウチは他の奴隷商とはちょっと違っていてね、老舗でもあり高級店でもあるのですよ。私はね、この『アンポーン(隠された幸運)の店』を誇りに思っています。だから君にはこの店に誓って素晴らしい主人を見つけてあげますよ」

 やはり葉月は奴隷だった。

「奴隷商を蔑む奴もいますが、私たちがいなければ死んでいた人はゴマンといるでしょう。生きていくには食べなければいけません。食べていくには働かなければなりません。上手く働き口があれば良いのですが、無ければ飢えて死んでしまいます。国王様も領主様も助けてはくれません。たった数回の炊き出しでは解決はしません。そんな時は自分で自分を売るしか無いのです。

 奴隷商人は死神ではなくて、救いの神なのです! 奴隷だって扱き使われるだけではありませんよ。若くて美しければ、愛人や正式な妻や夫になって自由民になり、奴隷を使う側にもなれます。能力や頑張り次第で金を稼ぎ、自分で自由民になる人もいます。自由民になれば好いた方と結婚もできます。有名な医者や学者、音楽家や芸術家や舞踏家、裁判官になった方もおります。

 まぁ、ウチは老舗の高級店『アンポーンの店』ですので、最初から客層が違うのです。それだけ良い方に買い上げてもらう確率は上がるので心配は要りませんよ」

 グロンは愉快そうに微笑み、自身の麦藁色の髪を撫でつける。痩身でつり目の三白眼なのに神経質そうに見えないのは、好奇心に溢れたクルクル変わる表情だからだろうか。

 沢山質問したい事がある。とりあえずグロンになんと呼びかけて良いのか分からない。

「あの……ご主人様? 」

 グロンは、はははと声を出して笑った。

「私はハヅキの正式な所有者では無いから、グロンと呼べば良いですよ」

「では、グロン」

 部屋の隅の机で書類仕事をしていた女性が顔を上げ目を丸くして見つめている。

「ニホンジンは距離の取り方が独特ですね。とりあえず、グロン様と呼ぶのが適切ですよ」

 グロンは苦笑しながら訂正する。

「あっ。すみません。私、言葉通りに受け取っちゃって……」

 常々、京都に産まれなくて良かったと思っていた。言葉に裏があるなんて、真意なんてわからない。そんな葉月に、わざわざ褒め言葉にのせて意地悪を言う事は女子に多かった。「頭の良い人が考えることは違うわぁ」「センスのある人の服は、私には着こなせないわぁ」とか言われたことを時々思い出して心がチクチクするが、今なら奴隷になった現実で、そんな些細な事は全部消す事ができそうだ。

「あの、グロン様。私、どんな所に売られるんでしょうか。日本ではちゃんとしたお仕事した事が無くて不安なんです」

「あ、領主様から魔力が少なくて追い出されましたからね。でもね、転移者は算術に長けていたり、様々な技術者がおりますから。実際、ナ・シングワンチャーの荘園しょうえんは転移者により治水事業や下水事業が行われ大きく変わりました」

 思ったより転移者は多いのかも知れない。 

「その転移者さんはどちらに。会いたいです」

「残念ですが、昨年六十歳で大往生を迎えられました。ローマジンで学者だったそうです。ハヅキも領主様からいただいた鑑定書を見ながら、貴女に合うお仕事を探してみましょう」

 先程兵士から貰い受けた巻物を開いているグロンを見て、葉月は御屋敷での流れを思い出していた。

「あっ。あのっ。グロン様。きっとそれを見たら、すごくがっかりすると思いますよ。私、価値が無いんです……」

「またまたそんな。領主様には金貨五十枚御寄付しましたからね。金貨百枚から競売には出てもらいますよ。それに、特殊な性癖の方もいらっしゃいますからね」

 葉月はあえて最後の方は聞かなかった事にした。

「私、きっと金貨五十枚の価値はありませんよ。その、大丈夫ですか」

「今日連れてきてくれた兵士様の一年目の給金は金貨五十枚以上ですよ。ご実家が裕福だったら買えない事も無いと思いますが」

「普通の下町の人はどれ位稼ぎますか」

「そうですね。バンジュートで一番土地や物価が高いここナ・シングワンチャーの一般的な四人家庭でも金貨二枚あれば一月は余裕ある暮らしができるでしょう。貧乏人は住み込みで働いて衣食住みてもらって月の給金は銀貨一枚程度でしょうか」

 なんとなくだが、金貨一枚は約十万円。銀一枚は約一万円位だろうか。葉月が後五十年働いても金貨五十枚も貯まらない気がする。

「気前のいい主人なら、何年かで自由民にしてくれるでしょう。そうですね、冒険者や戦争の功労者はとんでもない金持ちもいるから、気に入ってもらえればいいですね」

 グロンが巻物を広げ、食い入る様に読み込んでいる。だんだん顔色が赤くなり、そして色を無くしていった。

「ハヅキ、私は自信が無くなりました。貴女を金貨五十枚以上の価値があると、良く調べもせず飛び付いた私の不始末です。領主様に御寄付させていただいた事は後悔はありません。しかし、自分が勘を外してしまった事がショックで……。ハヅキ、すみません。あまりにも安い奴隷はウチの店では取り扱う事ができないので、他店に移ってもらう事になります……」

 こうなるとは思っていたが、一応聞いてみる。

「あの……私の価値はおいくらでしょうか」

「とても言い難いのですが、経費を差し引いたら赤字です。こちらがお金を支払って、引き取ってもらう必要がありそうですね」

 予想外のマイナス査定。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

指先の想い出(マリー編)

若林亜季
恋愛
※「指先の想い出」を改稿していましたが、こちらはマリーの一人称で書いています。また、設定が違う所も多く、違うお話としてお楽しみください。  貧乏男爵家のマリーは転生者だ。立派な領主だった母が亡くなると、婿の父は平民の女を娶った。段々とブラバン領は貧しくなっていった。  マリーは知識チートで土壌改良の論文を国に提出し、特別特待生として王立学園の入学をする。その目的は「前世の夫の様な、お婿さんを探す」ためだった。しかし、卒業間近になっても地味な貧乏男爵令嬢のマリーには友達さえできていない。    ある日、中庭で偶然出会った美しいエリヤスが、地味なマリーに一目惚れしたらしい。だけどエリヤスの噂はふしだらで、マリーの婿候補には上がらない。エリヤスは友人達に協力してもらい、一緒に過ごす時間を取ってもらうが……。  ※ ※ ※ ・ヨーロッパ風味のふんわりご都合設定です。 ・ざまあはありません。 ・他サイトにも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

起きるとそこは、森の中。可愛いトラさんが涎を垂らして、こっちをチラ見!もふもふ生活開始の気配(原題.真説・森の獣

ゆうた
ファンタジー
 起きると、そこは森の中。パニックになって、 周りを見渡すと暗くてなんも見えない。  特殊能力も付与されず、原生林でどうするの。 誰か助けて。 遠くから、獣の遠吠えが聞こえてくる。 これって、やばいんじゃない。

勇者パーティーを追放された俺は辺境の地で魔王に拾われて後継者として育てられる~魔王から教わった美学でメロメロにしてスローライフを満喫する~

一ノ瀬 彩音
ファンタジー
主人公は、勇者パーティーを追放されて辺境の地へと追放される。 そこで出会った魔族の少女と仲良くなり、彼女と共にスローライフを送ることになる。 しかし、ある日突然現れた魔王によって、俺は後継者として育てられることになる。 そして、俺の元には次々と美少女達が集まってくるのだった……。

処理中です...