隣の席の、あなた

双子のたまご

文字の大きさ
上 下
46 / 53
第九章

しおりを挟む

リビングにつづく扉の前に立っている。
扉の向こうで、奏ちゃんが泣いている。

奏ちゃん、泣かないで。
僕がいるから。
僕がそばにいるから、泣かないで。

『…後悔はしてない。しない。
私はここまでの人生を演劇に捧げた。
後悔すれば、それこそ無駄になる。
私は、これまでの私を抱えて生きる。』

奏ちゃんの声が聞こえて、目の前が真っ暗になる。



扉の前に立っていたはずなのに、いつのまにか僕はどこかの劇場の客席にいた。
隣に誰かが座っている。

奏ちゃん。

隣の席に奏ちゃんが座っている。

おかしいな。
こんな劇場、奏ちゃんと来たことはないけれど。

彼女はまっすぐ舞台を見つめている。
劇場が暗転する。
はっきり見えていた彼女の横顔が暗闇に包まれた、かと思えば次の瞬間、隣の席の奏ちゃんにスポットライトが当たった。
相変わらず奏ちゃんは舞台を見つめている。
その瞳から涙が流れる。
でも口元には微笑みを浮かべている。

…笑わないで。
僕以外に、そんな幸せそうに笑わないで。














「兄さん!」

目を開けると龍海が僕を見下ろしていた。

「帰ってきてそのまま寝たのか?
体、痛めるぞ。」

「…あぁ」

ゆめ…
夢だったのか。

「シャワーだけでも浴びてきたらどうだ?」

「うん…」

確かに、体が痛い。




「はぁ…」

シャワーの前にとりあえずコーヒーを飲む。
頭の中ではさっきまでみていた夢が繰り返し自動再生されていた。
…余計、気持ちが沈む夢だった。

思い出したくない、思い出。

龍海はさっきまで僕が寝ていたソファーに腰かけて携帯を弄っていた。

「…たつみー…」

「なんだ?」

龍海が携帯の画面から目を離さずに返事をする。

「翠ちゃんが急に消えちゃった時のこと、覚えてる?」

龍海の動きがピタリと止まる。
まだ二人が恋人になる前、翠ちゃんが急に姿を消したことがあった。
あの時の龍海は見ていられなかった。

「…思い出したくはないな。」

「そうだよねぇ…」

やっぱり、大切な人との思い出であっても思い出したくないこともあるよね。

「でも、無駄なことではなかったと思う。」

そう続けた龍海に目をやる。

「彼女ともう会えないかもしれない状況になったから、俺は再会したときにもう絶対に離さないと…
離れないように、自分にできることはすべてやろうと決意できた気がする。」

自分にできることはすべて

僕も、そう思っていたはずなのに。

「どこまでもいつまでも、俺の自己満足だ。
でもそれでいい。
俺は彼女を愛している。
それでいい。」

僕も、そう思っていた、はず…

「…お前、凄いね。」

「…なんなんだ、急に…」

龍海は少し恥ずかしくなってきたのか、耳を真っ赤にしてまた携帯を弄り出した。
しおりを挟む

処理中です...