本当に、愛してる

第九章

Ⅰ

広がった距離は、また詰めていけばいい。

そう思っていた一ヶ月前の俺は甘かった。
迎えの日が減った上に、
食事の誘いも休日の誘いも断られ、
会話も早く切り上げようとする。
彼女の徹底ぶりに、さすがの俺も、俺が原因だと気付いた。
だが相変わらず理由がわからない。
そんな状況に対する不安が日を追うごとに変わっていくのを感じた。
正直にいうと、この状況に苛立ちを感じるようになっていた。
もうこの状況には耐えられない。
今日こそは俺を避けている理由を突き止める。
様子は十分に見た。

もう彼女の家は目の前だった。

「おい」

…返事がない。
彼女は何かを考えている。

「おい」

「あっ、はい。すみません。
…今日もありがとうございました。では。」

「ちょっと待て」

すぐに立ち去ろうとする彼女を呼び止めた。

「はい。」

「…来週、空いている日はあるか」

「…すみません。ちょっと埋まってて」

「何故だ」

そう言った俺に、彼女は少し戸惑ったようだった。

「再来週は、その次の週は？」

「…」

「今回の舞台もロングラン公演だ。
一日くらい空いているんじゃないのか」

「え、」

彼女からやっと出たのは、小さな驚きだった。
彼女のなかでは今回の舞台鑑賞はもう無いものとされていたのだろう。
だが生憎、俺は諦めてなかった。
彼女が興味を持ったこの舞台鑑賞に、まだ望みをかけていた。

「どうなんだ」

畳み掛ける俺に、

「…ありません。」

彼女が小さく答えた。

「何？」

この一ヶ月の積もり積もった彼女の、理由のわからない拒否に対する苛立ちを隠せない。

「空いている日は、ありません。」

そして今度は先程よりはっきりとした声で、そう告げられた。
頭にカッと血がのぼる。

「…っ！そんな、」

「大体!!」

俺の言葉は途中で遮られた。
彼女がこんなに大声を出すのは、兄さんと一緒に彼女の家を初めて訪ねたとき以来。
…妹の死に対して、泣き叫んでいたとき、以来。

「龍海さん、好きな人いらっしゃるんですよね？
ずっとこんな、私に構ってたら勘違いされるって言ってるじゃないですか！
それともなに？
私のことからかってるんですか？！」

「そんなことはない！」

まだ彼女は勘違いをしている。
そうだ、誤解を解かないまま…

「何がそんなことない、ですか！
私、見たんです！
あんなに可愛い人が側にいるのに…
バカにするのもいい加減にしてください！」

「何を言っている！
そんな奴はいない！」

彼女は勘違いに加えて、更に訳のわからないことを言っている。
俺には君以外いないのに、何を…

「…そこまでして、なんなの…」

否定する俺に、彼女は呆れた笑いを浮かべる。

「っ、俺は、」

「もう良いです。」

彼女がそう言って背を向ける。










違う、待ってくれ、嫌だ、行かないで、









必死だった。
必死に彼女を追いかけ、どうにか引き留めようと、
俺の気持ちを知ってもらおうと…






腕を引き寄せ一気に近づいた彼女の顔
その唇に勢いのまま、俺の唇を寄せた。






永遠のような、一瞬。そのあと。
彼女は俺を突き飛ばした。

「…」

「…」

沈黙。
終わったあとに後悔が襲う。
彼女を欲望のまま傷つけたという、後悔。

「…あ、」

謝らなければ。
でも、声がでない。
震えながら手を伸ばす。
その手を見て彼女が後ずさる。

「…好きでもない人にこんなことするんですね。」

彼女は泣いていた。

「ちがっ」

「龍海さんは優しいから、私にこれまでもずっと気を使ってきたんだろうけど」

否定の言葉を遮り、彼女が続ける。

「もう、いいんです。
なんでこんなことしたのか分からないけど、
こんなことしなくて良いんです。」

「…翠」

初めて、彼女の名を呼んだ。
…あぁ。
俺は彼女の名も呼べないような臆病者だった。
臆病者だから、彼女が離れそうになると、自分の行動が制限できず力ずくでどうにかしようとしていたのだ。


「さようなら、龍海さん。
好きな人だけ、大事にしてあげてください」


その結果が、これだ。