観客席の、わたし

笹 司

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第八章

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「っ、待って!…お願い。」

追いついた獅音さんに腕を掴まれる。

「…奏、ちゃん、」

走ってきたのだろうか。
息があがっている。

「…すみません。」

「なんで、謝るの。
僕のほうこそ、何か嫌な思いさせちゃったんだよね、ごめんね。」

「理由も分からないのにどうして謝るんですか。」

「っ、」

駄目だ。
こんなのはただの八つ当たりだ。
今は一緒に居てはいけない。

「…離してください。」

「…」

「私、今、冷静じゃないんです。
わけの分からないことを言うと思います。
獅音さんを傷つけるようなことを言うかもしれません。
…獅音さんを傷つけたくないんです。」

「…」

「ね、離してください。
また来週会いましょう。」

「…会ってくれるの?」

踏み込ませないようで、こちらが距離を置こうとすると引き留める。
獅音さんのことがよく分からない。
…いや、これまで獅音さんのことを分かっていたことなんて一度もない。
最初から。
最初からこの関係はよく分からない獅音さんが始めた。
だから…

「獅音さんが望むなら。」

望まれないなら、前までの生活に戻るだけ。
獅音さんは私のものじゃない。
だから、この関係が無くなっても、何かを失うわけじゃない。

私は、傷つかない。

「…」

獅音さんは何も言わずそっと手を離した。

「…ねぇ、こっち見て。」

「…どうしてですか。」

「顔が見たいから。」

「酷い顔をしていると思います。」

「僕のことなんか見たくない?」

「そんなこと言ってないじゃないですか。」

「…お願い。こっち見て。」

いつも通り静かな声だけど、いつものような穏やかさはない。
感情がよく分からない小さな声で、獅音さんは話し続ける。

「…」

「…」

このまま意固地になっても仕方ない。
振り返って、獅音さんの目を見る。

「…」

「…」

お互い何も言わずに見つめ合う。
獅音さんは振り向いた瞬間はほっとした顔をしていたけれど、目が合うと一瞬、ショックを受けたような顔をした。
…そんなに怒ってみえただろうか。

「帰りますね。」

「っあ、送る、よ…」

「いえ、一人で帰りたいんです。」

「…僕とは、一緒に、居たくない…?」

「いえ。
ただ、私、本当に相当酷い顔をしているみたいだなって…
獅音さんも今の私といるのは疲れるでしょう。」

「…一人で帰したくない。」

「…どうして?」

「一人で辛い思いして欲しくないって言ったでしょ。」

「辛いわけでは…」

そう否定しようとするとまた悲しい顔をするものだから、もう何も言えなくなった。
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