観客席の、わたし

笹 司

文字の大きさ
上 下
5 / 53
第一章

しおりを挟む

「今日は時間空けてくれてありがとう。
琥珀、忙しいでしょ?」

「何言ってんの~
なんかあった?」

「会いたかっただけ」

「もー私のこと大好きかよ~」

「大好きだよ~」

琥珀が嬉しそうに言う。
琥珀と話すことはいつも特に変わらない。
まずはお互いの近況。

「次はどんな役をやるの?」

「ベラって役。
『ヨルと森』っていう小説が原作なの。」

「え!知ってる!凄い!
オーディション倍率高かったでしょ。」

「いや、それがさ…
絶対取らなきゃいけない理由があったのよ…」


夢を追っていた日々の思い出話が出来るようになった頃、琥珀は自分が出演することになった舞台の話をしてくれるようになった。
それまでは、琥珀は私に演劇関連の話をしないように気を遣ってくれていたようだ。
そして彼女が行き詰まったら、相談に乗る。
琥珀が、ステージ上に私の気持ちも連れていってくれているように感じる。
あのスポットライトの下に…

「…それで、ね。」

「うん。」

「…奏に観て欲しい。今回の、『ヨルと森』は。」

「え…」

そう、芝居の話は楽しく出来る。
音楽も聴ける。
でも、観ることはしなくなっていた。
それは「あの頃を思い出して辛い」とか、そういう理由ではなかった。
ただ、わざわざ劇場に行く理由がなかっただけ。
それだけ。だから、

「…嬉しい!!!」

本心だった。

「え、来てくれるの。」

「勿論だよ!何気まずそうにしてるの。」

「うん…なんか…」

「…ごめんごめん。
琥珀が気を遣ってくれてたの分かってるよ!
本当に、自分一人では観に行かなくなっただけだから。
誘われれば行くよ。」

「…ありがとう!
チケット用意するから!いつがいい?」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。」

お互いに全く逆の立場。
夢を叶えた人間と、夢を諦めた人間。
琥珀は私達がお互いに傷つかないように、芝居の話をするときはいつも慎重に考えているように見えた。
だから私は、自己嫌悪と嫉妬にまみれることなく、彼女と話ができる。

「琥珀の本番観るの、なんだかんだ初めてだね。
楽しみ。」

「ありがとう。
…今回も役作りの相談乗ってくれる?」

「嬉しい!うん、ありがとう。」

幾度となく繰り返される「ありがとう。」
優しく思慮深い彼女に見合う友人でいたいと思う。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

会社の後輩が諦めてくれません

碧井夢夏
恋愛
満員電車で助けた就活生が会社まで追いかけてきた。 彼女、赤堀結は恩返しをするために入社した鶴だと言った。 亀じゃなくて良かったな・・ と思ったのは、松味食品の営業部エース、茶谷吾郎。 結は吾郎が何度振っても諦めない。 むしろ、変に条件を出してくる。 誰に対しても失礼な男と、彼のことが大好きな彼女のラブコメディ。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

処理中です...