観客席の、わたし

笹 司

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第一章

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「今日は時間空けてくれてありがとう。
琥珀、忙しいでしょ?」

「何言ってんの~
なんかあった?」

「会いたかっただけ」

「もー私のこと大好きかよ~」

「大好きだよ~」

琥珀が嬉しそうに言う。
琥珀と話すことはいつも特に変わらない。
まずはお互いの近況。

「次はどんな役をやるの?」

「ベラって役。
『ヨルと森』っていう小説が原作なの。」

「え!知ってる!凄い!
オーディション倍率高かったでしょ。」

「いや、それがさ…
絶対取らなきゃいけない理由があったのよ…」


夢を追っていた日々の思い出話が出来るようになった頃、琥珀は自分が出演することになった舞台の話をしてくれるようになった。
それまでは、琥珀は私に演劇関連の話をしないように気を遣ってくれていたようだ。
そして彼女が行き詰まったら、相談に乗る。
琥珀が、ステージ上に私の気持ちも連れていってくれているように感じる。
あのスポットライトの下に…

「…それで、ね。」

「うん。」

「…奏に観て欲しい。今回の、『ヨルと森』は。」

「え…」

そう、芝居の話は楽しく出来る。
音楽も聴ける。
でも、観ることはしなくなっていた。
それは「あの頃を思い出して辛い」とか、そういう理由ではなかった。
ただ、わざわざ劇場に行く理由がなかっただけ。
それだけ。だから、

「…嬉しい!!!」

本心だった。

「え、来てくれるの。」

「勿論だよ!何気まずそうにしてるの。」

「うん…なんか…」

「…ごめんごめん。
琥珀が気を遣ってくれてたの分かってるよ!
本当に、自分一人では観に行かなくなっただけだから。
誘われれば行くよ。」

「…ありがとう!
チケット用意するから!いつがいい?」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。」

お互いに全く逆の立場。
夢を叶えた人間と、夢を諦めた人間。
琥珀は私達がお互いに傷つかないように、芝居の話をするときはいつも慎重に考えているように見えた。
だから私は、自己嫌悪と嫉妬にまみれることなく、彼女と話ができる。

「琥珀の本番観るの、なんだかんだ初めてだね。
楽しみ。」

「ありがとう。
…今回も役作りの相談乗ってくれる?」

「嬉しい!うん、ありがとう。」

幾度となく繰り返される「ありがとう。」
優しく思慮深い彼女に見合う友人でいたいと思う。
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