リンゴカン

四季人

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リンゴカン ソノゴ

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 娘が生まれて、人生が変わるなんて事はなく。
 僕は、心に欠陥があるのかと、ずっと不安だった。

 娘を抱く妻の自然な笑顔を見ては、僕にはその顔の作り方が判らないと悩んでいた。
 ただ、経験と想像で顔の筋肉をニコリとした形を作る事しか出来ない。
 それが、父親として不慣れな、戸惑った顔だと周囲に思われていた事に、僅かな罪悪感を覚えていた。

 娘が五ヶ月を迎えた頃、晩酌している父親にその不安を打ち明けると、ニヤリとして、頭の上に手を乗せられた。
「久しぶりに坊主に戻った」
 それはそれは嬉しそうに言われ、僕は悩める自分を少しだけ許せた気がした。

 翌週、母親から荷物が送られてきた。実家にいた頃食べていた、契約果樹園のふじが一箱。
 添えられた手紙には『折角だから、離乳食に使って欲しい』と書かれていた。
 手紙をチラと見た妻は、
「パパに作ってもらおっか」
 娘を抱っこしたまま、ソファに向かう。
 残された僕は困惑した。料理など殆ど出来ない。
 改めて手紙に目を通す。台所の収納を手当たり次第に開け、必要な道具を探して回った。

 林檎にピーラーを当て、慎重に皮を剥いていく。
 つるりとした皮も、汁気を含んだ果肉の表面も、ふとした拍子に滑ってしまいそうで、怖い。
 しゅ、しゃり、しゅり……。
 軽い手応え、音まで震えて、僕の心境を物語っているみたいだ。
 実の色が少し変わってしまった林檎を、小さな包丁でストンと切って、種と芯を除く。
 後はひたすら、おろし金で擦りおろす。
 身が砕けると粒が荒くなってしまうので、力を加減しながら、丁寧に。
 おろした林檎を小鍋に入れて極弱火にかける。
 全体に満遍なく火が通るようにして、ヘラの手応えが柔らかくなったら、器に少しだけ盛り、後は冷ますだけだ。

 匙に一掬いしたおろし林檎を、妻が抱っこする娘の唇に、ちょんと当てた。
 一瞬だけ眉間に皺を寄せた娘が口を開け、その上顎で漉し取るように、林檎を含ませる。
 両頬に埋もれた唇がもごもご動き、たん、と舌鼓を打った瞬間、僕はえもいわれぬ感情に包まれた。

『僕と、同じ物が食べられている』

 その僅かな手応えが、僕を一歩、父親に近づかせてくれた気がした。

 胸が一杯になるのを感じながら、僕はもう一匙、娘に林檎を振る舞った。
                             了
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