夕弦坂奇譚

四季人

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屍櫻

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 咲き誇る白い桜を見上げて、戸張さんは息を漏らした。
 それを僕は、背後から眺めている。
 ……確かに、見事な桜だ。
 季節は、秋だと云うのに。




 夕弦坂、東咲あずまさきの外れに、有名なスポットがある。
 あるお屋敷の庭に生えている大きな桜の木がそれで、何故か一年中花をつけている事から“万年桜”と呼ばれている。
 戦後30年頃の冬に咲き始めてから今日まで、その桜は咲いては散り、また咲いてを絶えず繰り返していた。
 当然、そんな珍しい桜は多くの注目と観光客を集め、この地域どころか全国的にも有名だったが、有名である反面とても恐ろしい特徴もある事から、メディアは絶対にこの桜を取り上げない。
 この万年桜を見るにあたっては、必ず守らなければならないルールが存在する。
 まずは、……近づかない事。
 この桜は生者の生命を吸う。
 木からおよそ30メートル以内に入らなければ問題無いが、それ以上近づけば、昏倒し、最悪死に至る。
 そして、調査をしない事。
 この桜に関係する、あらゆる資料は秘匿されている。
 それを何らかの手段で調べようとすると、強い意識の混濁などを引き起こし、そのまま病院のベッドの上で余生を過ごす事になる。
 この二つのルールを守ってさえいれば害は無く、他の桜と同じように楽しむ事が出来るのだけど、なんといっても危険が過ぎるので、管理は式神さんが所有する専属チームと、行政の“異聞管理局”が合同で行ってきた。
 ……その桜に異変が起こったのは5日前。
 他県から観光で来ていた一般の人が、桜の花がやや白っぽくなっている事に気がついた。
 翌日も白化が進み、行政の人間が式神さんに連絡をよこしたので、僕らが派遣される事になったのだ。

「秋也、来てみろよ」
 こちらに向き直り、戸張さんは笑って手を振る。
「殺す気?」
 僕は柵の外から半眼で言い返す。
「…ジョーク。ただのジョークだよ」
「生命を掛けるに値しない冗談だね」
「悪かったよ! そんなに怒るなって……」
 言いながら、戸張さんは桜の周りをウロウロと歩き回る。
 彼は今、桜から8メートルの距離にいる。
 あやかしや怪異と交われない特異体質の持ち主でなければ、確実に生命を奪われている距離だ。
 でも……大丈夫と分かっていても、僕の心は不安でザワザワしていた。
「んー、やっぱり木に異常はないな」
 そんな僕の心配なんて知らんぷりで、戸張さんは木の幹をしげしげと眺めながら、間抜けな声でそう言った。
「普通に考えれば、花の白化は寿命だろ? ……近づく奴の生命を吸ってたのなら、維持できるだけの力がなくなってきたって見るのが妥当だよな」
「そうだね。最後に桜の被害者が確認出来ているのは7年前……。それまでの被害のペースから見れば、その可能性が一番高いのかも」
 僕はスマホのメモを見ながら呟く。
 戸張さんは「ふむ」と言い、コートのポケットに両手を突っ込みながら戻って来た。
「戸張さんの方は? 何か分かったの?」
「……言ったろ。聞くな。危険だから」
 珍しく、ハッキリとした物言いで言い返されて、僕はハッとした。
 そうだった……。
 調査しても無事な戸張さんと違って、僕はそれを聞くのも“桜を識る”事になる。
 だから、この案件については、戸張さんから出される指示を機械的に遂行するように、と式神さんからも念を押されていたのだ。
「とにかく、お前が桜に近付けないと話にならねぇ。結界杭ももうじき届くから、そしたら始めようぜ」
 そう言って戸張さんは、指をクイッとさせて僕を呼びながら、さっさと行ってしまった。
 僕は最後にチラリと桜を見やってから、彼の後ろをついて行った。

 *****

 舌を甘く絡ませて、口から洩れる吐息に酔う。
 さっき、桜の前で、戸張さんが一瞬だけ見せた怖い顔が、僕をいつも以上に興奮させていた。
 ……僕の事を、本気で心配してくれてる。
 その優しさが判るから、僕は彼から離れられない。
 大人として、子どもを護る……そういう当たり前の事をしてくれる彼を、僕は尊敬しているし、深く愛している。
 でも。
 ……今はその僕に何度もくちづけられて、
情けなく身悶えしながら快楽に溺れている……。
 その落差を、堪らなく愛おしく感じているから、僕はまた彼の胸にキスを降らせた。
 約束を守ってくれたご褒美に、僕は固く張り詰めた彼の淫部を手にして、優しく撫でた。
 ピクリと跳ねる。
 その反応も可愛らしくて、僕は顔を近づけると、その先端に静かにくちづけた。
 ………ちゅっ………。
 わざと音を立てるようにキスをする。彼は、それが好きだから。
 そして、それをゆっくりと口内に迎え入れ、唾液を纏わせながら、愛撫する。
 気持ちよさそうにしている戸張さんの呻き声が、僕の心を満たしていった。
 僕の口の中でビクビク跳ねるそれを、喉の方まで押し込んで、そっと締め上げる。
 圧迫されて苦しいけど、今はそんなつらさまで愛せる気がした。
「しゅう、や……」
 限界が近いのか、僕の頭を掴んで、戸張さんが名前を呼んだ。
 でも、決して、無理に突き入れたりしないで、全て僕に委ねている。
 頭に添えられた彼の指が、僕の髪をさわさわと弄りだす。……もうイキそう、っていう、合図。
 その直後、戸張さんは小さく呻いて、腰をベッドから浮かせた。
 僕の中に、どくどくと……戸張さんの情欲が溶け出したドロドロが流れ込んでくる。
 それを嚥下しながら、僕は彼の中に残った分まで、優しく吸い上げていく。
 弱った戸張さんを口から解放して、口角についた精液を親指で拭い、舐め取る。
 そんな僕の様子を、戸張さんは少し怯えたような顔で見つめていた。
 ……大丈夫だよ、戸張さん。
「怖がらないで……」
 僕は仰向けに伸びている彼の胸に擦り寄る。
「怖くなんか」
 少しムキになったような声。
 その調子にクスリと笑って、僕は彼の身体に指を這わせた。

 大丈夫。
 ……貴方が僕を護ってくれるように。
 僕も、貴方を護るから………。

 *****

 月光が冴える深夜。
 柵の鎖がジャラリと落ちて、4人の術士が結界杭を構えて立つ。
 僕は藤の花の刺繍が艶やかな刀袋から、使い慣れた刀を取り出す。
 鋼設の鞘から抜刀すると、鋒諸刃造りの刀身が現れた。
 “秋月しゅうげつ”と銘を刻まれた、僕の愛刀。
 その、やや特異な形状の刀は小烏丸とも呼ばれ、斬祓士の僕の趣味で鍛えて貰った、最高の一振りだ。
 柄尻の印は式神さん謹製の一品で、妖を“此岸しがん”に引き寄せ、留める力がある。
 僕は目を凝らして、秋の月明かりの下に浮かぶ白い桜を見据えた。
 術士が桜までの直線上に次々と杭を投擲する。
 地面に突き刺さった杭は、翠の淡い光を放った。
 僕は飛び石に生み出された小さな結界杭の足場の上を翔ぶように駆け抜ける。
 それでも相殺しきれない霊気が僕の身体を音もなく突き抜け、吐き気が込み上げた。
 その瘴気に耐えながら、僕は桜の木に肉薄し、秋月の柄尻を樹皮に押し当てる。
 柄尻の印が輝いて、風もないのに桜の花弁が嵐のように散り乱れ、僕の身体を包み込んだ。
「秋也……‼︎」
 後ろの方で、僕を呼ぶ戸張さんの叫び声が聞こえる。
 それを最後に、僕は気を失った。

 *****

 貴方を、お慕いしています。
 どうか、無事にお帰りください。
 桜の咲く季節までに。
 桜の咲く季節までに………。


 ………………………。


 ……嗚呼あぁ
 嘘!
 そんな、嘘でしょう?
 貴方が帰って来られないなんて!

 きっと何かの間違いです。
 そうに違いありません。
 だから、わたくしはこれからも貴方を待ちます。
 桜の咲く季節まで。
 桜の咲く季節まで………。

 ………………………。

 貴方は、いつお戻りになるのかしら?
 この髪も、この肌も、貴方を待ち侘びています。
 桜の季節まで。
 桜の季節まで………。

 ………………………。

 貴方は、いつお戻りになるのかしら?
 この髪も傷み出し、この肌も艶を失って。
 ……それでも、貴方のお戻りをお待ちしています。
 さくらの……、
 さくらのさく、きせつまで……。

 ずっと、あなたを------

 *****

「秋也ッ‼︎」
 その声に、ハッとして目を開く。
 そして本能で、刀を振り抜いた。
 フォ………ン‼︎
 そこに、いつもの流水に刃を通すような手ごたえは無い。
 でも、---斬った。
 確かに、斬った………。
 はらりはらりと白い花弁が舞い落ちる。
 それは風に流されながら、灰のように溶けて消えていった。
 桜はみるみる裸になって、その幹に音も無く亀裂を走らせると、砂の城みたいに崩れ落ちていく。
 僕の目には、知らず涙が浮いていて、その雫が足元の灰に溢れていくのを、黙って見ていた。

「……なぁ、本当に、なんともないのか?」
 車の中で、戸張さんは前から目を離さずに、また同じ質問をする。
「ないよ。平気、大丈夫」
 僕は窓の外で流れていく朝の景色を眺めながら、ぼんやりと答えた。
「……それならいいんだけどさ」
 自分を納得させるような口調でいいながら、戸張さんは小さく嘆息した。
「もう、教えてもらってもいいんだよね?」
「うん?」
「あの桜の事。もう祓ったじゃない」
「……あぁ。そういや、そうか」
 眉間に皺を寄せながら、戸張さんは話し始める。

 ………戦時中。
 あの屋敷に住んでいた若い夫婦の元に徴兵の報せが届き、夫は妻を残して戦地に赴いた。
 しかし、彼が帰ってくることは無く、代わりに屋敷に届いたのは、夫の名前と、“名誉ノ戦死ヲ遂ゲタ”という文字が刻まれた紙切れ一枚が入った封筒一通のみだった。
 未亡人となった妻は、はじめこそ酷く落胆し、涙に暮れていたが、やがて現実を受け止めきれず、“夫は戦場で生きている”と思い込むようになってしまった。

“桜の咲く季節まで……”

 ……それが彼女の口癖であったという。
 時は流れ、彼女は庭先の桜の下で眠りたいと親族に遺し、この世を去った。
 ……桜の下で眠り続ける彼女が、どのような経緯で万年桜……“屍櫻の怪”となったのか、それは定かではないが、彼女の想いが桜を咲かせ続けていたのは間違いないのだろう。
 桜は、花に吸い寄せられる人々の生命を吸って咲き続け、いつまでも彼女の夫を待ち続けようとしていたのだ……。

 ………戸張さんの話に、僕はまた胸がズキリと痛んだ。
「ああして弱っていなければ、お前でも斬祓うのは無理だったろうな。それだけ強いやつだった」
「……そうだね……」
 僕は静かに頷いた。



 彼女を縛るモノは、もう何も無い。
 ……思い人も、桜の木も。
 だから、解放してあげたかったんだ。
 ……愛から、哀しみから。



『ありがとう、“修弥”さん……』
 それは、僕と同じ名前の響きだった。
 ……斬り祓えなかった、唯一の存在。

 篠座しのくら さくら

 僕は、彼女とと決めた---。

                            了
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