美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛

らがまふぃん

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番外編

失えないもの5

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 そうして五年が経つ頃、老婆がいつもとは違う薬草が必要だと言った。滅多に卸す薬ではなく、この辺りにはない薬草だとのこと。老婆に連れられ、随分歩いた。目的地に着くと、老婆に一つ見本を見せられ、アリスも薬草を探す。最低でも三十株は必要らしい。いつもの薬草も摘みながら探していたとき、白い、小さな花に気付く。
 それを見た瞬間、アリスは記憶を取り戻した。
 おかげで、記憶のない期間の焦燥が何だったのかが、はっきりとわかった。長く年月が経ってしまったが、エリアストは、無事だったのだろうか。あのディレイガルドが、見つけられていないはずがない。それでもアリスは、無事を確かめたくて、一目、会いたくて、涙が零れた。
 きっと自分は死んだと思われているだろう。そんな自分がエリアストの前に現れたら、困惑させてしまうに違いない。もしかしたら、もう婚約者だっているかもしれないのだ。婚約者、の言葉に、アリスの胸は痛んだ。長いこと記憶を失っていた。ほんの短い時間ではあったけれど、あれほど愛した人を、愛してくれた人を、これほど長く忘れていられたことが、信じられなかった。そんな薄情な自分が、待っていてくれなかった、と嘆くことなど赦されない。
 少ししてアリスは、ぐい、と涙を拭うと、立ち上がった。相変わらず声は出なかったが、記憶が戻ったことを、身振り手振りで何とか老婆に伝えた。
 白い小さな花を一輪、大切そうに握り締める姿に、老婆は慌てて帰ろうと言い出す。いつもより速い足取りで家路に着く老婆に、アリスは困惑しながらついて行く。家に着くなり、老婆は薬草棚をひっくり返す。驚くアリスを余所に、老婆は目当てのものを見つけたようで、ホッと肩の力を抜いた。
 「これ、おまえのだろ。勝手に捨てたら何言われるかわかったもんじゃないからね」
 そう言って放り投げられたものを、アリスは慌てて受け取る。
 押し花だった。
 今、手にしている白い花と、同じ花。
 それは、あの日。将来を誓った、優しい指輪。
 老婆は言わないが、アリスの大切なものだろうと押し花にしておいてくれたのだ。優しいのに、ワザと嫌われる態度を取る老婆のことを、アリスはこの五年でよくわかっていた。アリスの介抱で、すっかりその存在を忘れてしまっていたのだ。もっと早く思い出していれば、アリスがこんなに長く記憶を取り戻さないこともなかったはずだと、老婆は悔やんでいる。アリスは老婆の背中に抱きついた。老婆はビクリと体を大きく揺らした。お礼を言いたいのに、声が出ない。感謝を伝えたくて、アリスはぎゅうぎゅうと老婆を抱き締めた。
 「ふ、ふんっ。忘れてたわけじゃないよ。ちょっとイジワルしてやっただけさ」
 そんな人が、慌てて帰ったり、大切な薬草棚をひっくり返したりしないだろう。可愛くない態度の、可愛いおばあさん。アリスは頷きながら、長いこと老婆を抱き締め続けた。老婆は赤くなりながら、黙って抱き締められていた。
 眠る前、アリスは押し花を丁寧にしおりにした。相変わらず声は出ない。けれど、文字が、読めれば。文字が、書ければ、伝えられる。
 アリスは文字の読み書きが出来なかったため、必死に覚えた。老婆が薬草を薬にする際に時々開く薬学書を、老婆の説明を思い出しながら、文字を覚えていった。そうして町にも行けるようになり、アリスの存在がようやくディレイガルドの耳に入ることとなる。

*~*~*~*~*

 「アリス以上に大切なものはない。あなたに、礼をしたいのだが、何を捧げても、報いることが、出来そうもない。どうしたらいい」
 戸惑うように伺うエリアスト。
 「ふん。ガキが何を一丁前に言ってんだい。子どもは子どもらしくありがとうって言やぁいいんだ」
 もう二度と離れまいとするかのように、眠るアリスを抱き締めるエリアストに、そう老婆は言った。
 暫くして目覚めたアリスと共に、老婆に深い感謝を込めて頭を下げ、家を後にした。

………
……


 待機させていた馬車に乗り込むと、アリスの唇を貪った。馬車内は、二人の荒い呼吸と淫靡な水音、アリスの名が響くだけ。
 馬車が到着した場所は、小さな家だった。小さいとは言っても、ディレイガルド邸の十分の一程はある。花が好きなアリスのために、小さいながら温室もある。ガゼボもある。素朴な、優しい庭もある。看守に扮して時々エリアストの様子を見に来ていた父親が口にした司法取引の一環で、エリアストは今後アリスとここで生活をすることとなる。
 新居についても、最早意識が朦朧としているアリスには、周囲を見回す余裕などない。そんなアリスを、エリアストは早急に寝室に連れ込んだ。
 アリスの背中のボタンを丁寧に外すと、白く美しい肌が露わになる。そして左の一点に、エリアストの罪の証が、ある。
 エリアストは、そこにくちづけた。アリスの肩が跳ねる。舌を這わせると、アリスが震えた。
 「美しいアリスの肌に、こんなものを残してしまった」
 後悔が、たくさんある。
 「これを見る度、私は己の未熟さを戒め、二度と、アリスをこんな目に遭わせないと誓おう。二度と、もう、二度と、決して、離さないと、離れないと、誓う」
 アリスが振り返り、エリアストの頬に伝う涙に、そっとくちづけた。
 「アリス。アリス、愛している、愛している、アリス」
 エリアストが背後から、アリスの涙を舐めとる。
 「生きていてくれて、ありがとう、アリス」
 アリスの体を反転させ、正面から抱き締める。
 「待っていてくれて、ありがとう、アリス」
 アリスの両頬を両手で包み、額を合わせる。
 「私を、愛してくれて、ありがとう。愛している、アリス」
 再び唇が重なった。


-後日談-

 「おばあさん」
 エリアストと訪れたアリスの姿に、老婆は驚く。もう会えないと思っていたからだ。それなのに、当然のように、アリスは会いに来た。それも、声を携えて。
 老婆は目を丸くした後、くるりと背を向けた。
 「な、なんだい、そんな綺麗な声を隠してたのか。まったく、最近の子どもってのは」
 肩が震えている。目元を拭う仕草が後ろから見て取れる。
 「おばあさん、本当に、本当にありがとうございました。ひと月もお礼に来られなくてごめんなさい。こうして今があるのは、おばあさんのお陰です。おばあさん、ありがとう。本当に、ありがとう」
 アリスはその背中に抱きついた。
 エリアストと再会して、少しずつ声が出るようになった。きちんと話せるようになって、老婆を驚かせよう。そう思って、アリスはエリアストに協力をしてもらいながら、声を取り戻した。
 「こうして遊びに来たときは、また一緒に薬草を摘みに行きましょう」
 「な、何言ってんだい」
 「薬の調合も、教えてください」
 「おまえは大切な人の下で、好きに生きたらいいんだ」
 「はい。大切な人の下で、好きに生きたいと思います。だから、おばあさんのところに、これからも遊びに来ますから」
 老婆の顔は涙に濡れ、真っ赤であった。



*おしまい*

幼い頃に引き裂かれた二人が、大きくなって再会する。そんな話が書きたい。あと、エル様は犯罪者がいい。そうなると、アリスに何かあった前提が必須。だけど、アリスが危ない目に遭うことがない(一作目ではありましたが)。エル様とディレイガルドが揃うと、アリスに何も起きない。でも小さい頃なら隙もあろう。しかし、何年もアリスの生死がわからない状態にすることが難しい。苦肉の策で、世捨て人のような老婆がアリスを拾い、アリスを記憶喪失にさせ、声も失い読み書きも出来ないと、たくさんの情報をシャットアウトさせる状態に。ディレイガルドが、エル様とアリスがいなくなった場所付近を徹底的に探すので、老婆の家は、一体どこにあるのだろう。ディレイガルドの捜索をかいくぐる程遠く離れた場所?そんな距離を、手負いのアリスが歩いたの?エル様とディレイガルドがいる時点で、無理な設定なんだなあ。よし、めっちゃ頑張って歩いたことにしよう。愛の成せる業だ、と思いながら、無理矢理出来た作品なので、いつもと毛色の違う話だと思っていただけるとありがたいです。
これにて番外編は終わりの予定でしたが、お気に入り登録が三桁を超えていて嬉しい!の気持ちを込めて、明日R6.3/23に、もう一話お届けいたします。
もう少しお付き合いください。
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