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番外編

失えないもの4

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 この五年。ルドワーカなる組織に手を貸す振りをしつつ、アリスの消息を調べていた。そうしながら一年が経つ頃には、密かにディレイガルドとも連絡が取れるようになった。自分の無事を伝え、この組織を潰すために動いているので手出し無用と言うことと、アリスを探すよう要請している。ディレイガルドが動いているのだ。すぐに見つかる。祈るように自分に言い聞かせ続けてきた。
 五年。
 ディレイガルドが動いて、五年だ。それでも、アリスは見つからない。
 それの、意味することとは。
 「疲れた」
 アリスがいないこの五年を思う。
 アリスに出会う前の自分は、どうやって息をしていた。
 アリスが隣にいないのに、どうして生きているのだろう。
 「疲れた、な」
 与えられた檻の中。固く簡素なベッドに身を横たえる。
 このまま眠って、目覚めなければいいのに。


-現在-

 「司法取引といこうじゃないか、Dゼロ」
 面会室を出たエリアストに、牢に戻りながら壮年の看守は言った。
 「檻の中こんなところから出たくなっただろう?エリアスト」
 エリアストが看守を見る。
 「あの日。おまえたちにこっそり護衛を付けなかったことを後悔している」
 エリアストは黙って看守の言葉を聞いた。
 「おまえはまだ子どもだったのに。おまえに甘えすぎた」
 看守は窓の外を見た。
 「すまなかった、エリアスト」
 「アリスが生きているなら、それだけでいい。もう、何も望まない、父さん」

*~*~*~*~*

 エリアストがそのあばらやに近付くと、玄関のドアが開かれた。
 エリアストの時が止まる。
 八年。その歳月の長さを知る。
 美しい黒髪を後ろでひとつに緩く編み、どこか陰を帯びたその人物は、今にもどこかへ消えてしまいそうな儚さを纏う大人の女性へと成長していた。
 その人物は、動けないでいるエリアストに気付くと、ひどく驚いた顔で、持っていた籠を落とした。
 憂いを帯びていた黎明の瞳から、みるみる内に涙が溢れた。泣きながらエリアストに向かって走る。エリアストも走る。勢い飛びついた人物を、エリアストはしっかりと受け止めた。
 「っ、あ、り、すっ」
 アリスの抱き締める腕に力が籠もる。
 「アリス、アリスアリスアリスアリスアリスッ」
 エリアストは、何度も愛しい人の名を呼ぶ。
 「アリス、顔を見せて、アリス。よく、顔を見せてくれ、アリス」
 涙でぐちゃぐちゃの顔で、互いに微笑む。
 「ああ、アリス、アリスだ。本当に、本物の、アリス」
 アリスの唇が、エリアストの名を紡いでいる。
 「守れなくて、あの日、守れなくて、本当に、すまない、アリス」
 アリスの頬を撫でる。何度も、何度も撫でる。
 「共に、帰ろうと、約束も、守れなくて、すまない、アリス」
 アリスの両頬を包み、額を合わせて懺悔を口にする。
 「帰ろう、アリス。二人の家に、帰ろう、アリス」

………
……


 「あなたが、アリスを、助けてくれたと。本当に、心から、感謝を」
 泣き疲れて眠ったアリスを抱き締めながら、エリアストは頭を下げた。
 「ふん。やっと迎えが来たかい。こんな年寄りにいつまでも子どもの面倒見させて何やってるんだい」
 実は少し前、アリスの家族が迎えに来た。再会を喜び合い、家族はしきりに老婆に感謝を伝えた。そのまま家族と帰るだろうと覚悟を決めていた老婆だったが、アリスは家族と帰らなかった。ここに置いて欲しいと、指で文字を辿りながら、そう訴えた。家族はエリアストの話をしなかった。家族にしてみれば、愛する人が重罪を犯して牢屋の住人だと伝えられなかったため。だが、アリスからすれば、もうエリアストは先に進んでいるのだ、と言うことなのだと思った。だから、決心がついたら、一目、遠くから見ようと思っていた。同じ町に住むことは、とても出来なかった。
 何かを察した老婆は、好きにすればいい、と別れの日が延びたことを、内心嬉しく思ったのだったが。
 エリアストにそんな憎まれ口を叩く老婆はそれ以上何も言わず、すぐに背中を向けて薬の調合を始めた。


-八年前 アリスside-

 「え、る、さま」
 あの日。エリアストが連れ去られるのを、アリスは見ていることしか出来なかった。
 二人の心を代弁するかのように降り出した雨。馬も連れて行かれてしまったため、アリスは自力でこの状況を何とかするしかない。力の入らない足を奮い立たせ、アリスは歩く。この状況を知らせるために。痛む体に鞭を打つ。
 「エル、様」
 雨が、容赦なく視界を、体温を奪う。傷からの出血も、止まっていない。処置をするものもないし、処置の仕方もわからない。だから、今は矢を抜いてはダメだ。この矢が、傷口を塞ぐ役目をしている。それだけはわかった。
 「どうか、エル様、無事で」
 歯を食いしばりながら、アリスは雨の中を歩いた。慣れない山道を、懸命に歩いた。エリアストを助けるために、ディレイガルドの邸を目指して。
 山道とは言え、注意深く見れば血痕がわかる。だがこの雨で血は洗い流されてしまい、アリスの痕跡を辿れなかった。しかし、雨のお陰で、獣に襲われずに済んだのだった。
 だが、子どものアリスに、この局面を乗り切ることは難しかった。寒さと失血、疲労で、ついにアリスは力尽きた。
 「行かないと。こんな、ところで、寝ている、場合では、ないの、よ」
 アリスの気持ちとは裏腹に、ゆっくりと、瞼が閉じた。
 アリスが目覚めたのは、襲われてからひと月も経った頃だった。
 アリスをずっと見てくれていたのは、薬師の老婆だった。町に薬を卸し、薬草を摘みながら帰る途中、雨に降られ、急いでいた。老婆の自宅近くまで来ると雨は止んでいたが、脈も殆ど触れず、瀕死の状態だったアリスがいた。一刻の猶予もなかったので、その場で応急処置をして、老婆の自宅で本格的な治療にあたってくれたという。ひと月もの間、生死の境を彷徨い、何とか持ち直したときには、熱の影響か事件のショックからか、記憶と声を失っていた。
 アリスは、住んでいた町とは反対方向に進んでしまっていた。だが、それがアリスの命を助けた。あの場にいても、そのまま息絶えていた。町の方向に進んでも、あの雨だ。山に入る者もなく、助けは期待出来ないまま、今回のように途中で力尽き、それまでだった。アリスの住む町は、老婆が薬を卸している町とは違う町だったのだ。そして、老婆がアリスを見つけた場所は、老婆が町へ行くときに使う、道なき道。いくつもの偶然が重なり、アリスはその命を長らえた。
 ひと月以上床に伏せていたため、まずは体力を戻すことが優先された。筋力がほぼゼロ状態だったため、腕を上げることさえ大変だった。少しの動作で疲れ果て、眠る。そうして何とか起きている時間の方が長くなり始め、老婆の手伝いで教えられた薬草を摘みに外に出るようになる。記憶も言葉も失ったアリスをさすがに町には連れて行けないと、卸しにだけは老婆が変わらず行っていた。アリスの状態から、何かがあったことは明白。下手にアリスの存在を知られない方がいいだろうと、老婆は判断した。それはひとえに、アリスを守るためであった。
 一方アリスは、焦燥に駆られていた。なぜかわからない。わからないけれど、急がなくてはいけない、そんな気がしているのだ。けれど、記憶のないアリスには、どうすることも出来なかった。



*最終話へつづく*
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