美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛

らがまふぃん

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番外編

失えないもの2

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 「エルシィ、終わったか」
 洗濯物を干し終わったタイミングで、エリアストが現れる。最初こそ大変な騒ぎになったが、もうこれがひと月以上続いていればみんな慣れる。
 「エル様」
 パタパタとエリアストに走り寄ると、エリアストは微笑む。その笑顔に、毎回そこにいる者たちはノックアウトされることも、日常の風景となりつつあった。
 最初は恐れ多いと接触を控えるようにしていた。すると、エリアストは信じられない程不機嫌になり、他で仕事をする者だけでなく、ディレイガルドの当主や奥方にまで支障を来すようだ。アリスは当主直々に、エリアストの望むようにしてやってくれ、と懇願されたことは、記憶に新しい。
 「エルシィ、今日は馬で出掛けよう。行き先はまだ秘密だが、きっと気に入る」

………
……


 「見ろ、エルシィ」
 馬で一時間程走った場所にある、小高い山の中腹辺り。木々に囲まれた大きな池があり、その畔には、色とりどりの花が咲いている。
 「以前父さんと鷹狩りに来たとき、偶然見つけた。こういうの、好きだろう、エルシィ」
 馬上でアリスはエリアストを振り返り、満面の笑みを見せた。
 「はいっ。とても、とても素敵ですね、エル様。本当にありがとうございます」
 エリアストはアリスを抱き締めた。アリスが真っ赤になって慌てる。
 「ああ、本当に、なんて愛おしい。このままどこかに閉じ込めてしまいたい、エルシィ」
 「え、エル、様」
 暫く無言でアリスを抱き締め続け、ようやくその腕をほどくと、エリアストは馬から降りた。両手を差し出し、アリスも降ろすと、抱き上げたままエリアストは池の畔を歩き出した。
 「エル様、歩けますよ、わたくし。重いですから、下ろしてくださいませ」
 恥ずかしそうにそう言うアリスに、エリアストは微笑む。
 「このままで、いたい。ダメか、エルシィ」
 そんな言い方、ずるいです。そう言うように、アリスは真っ赤な顔を隠すように、エリアストの首にしがみついた。
 池をゆっくり一回りすると、エリアストは花畑の中に腰を下ろす。膝の上のアリスが慌てる。
 「エル様、お召し物が汚れてしまいますっ。今、ハンカチを」
 「いいから、エルシィ。左手を、出してくれないか、エルシィ」
 戸惑いつつ、アリスはそっと左手を差し出す。エリアストは、その薬指に、祈るように唇を寄せた。
 「っ」
 アリスが息を飲む。
 「エルシィ。私にはまだ何一つ贈る力はないけれど、いつかこの指に、将来を誓うものを贈らせてもらえないだろうか」
 プツリ。
 小さな白い花を摘む。
 アリスの小さな手の小さな指に、花を結んだ。
 「アリス。今はこんなものしか贈れないけれど。私と共に、生きてくれ」
 こいねがう。エリアストの目が優しく揺れている。アリスの目に、涙が滲んだ。
 「はい、はい、エル様。ずっと、ずっとお側にいさせてくださいませ」
 エリアストの唇が、アリスのものと重なった。
 「愛している、アリス。これ程まで愛しい存在に出会えたことに、感謝する」
 もう一度、唇が重なった。

 何が、いけなかったのだろう。
 二人きりで出掛けたことか。
 自分の立場を充分に理解していなかったことか。
 アリスにプロポーズをして、それを受けてもらえて浮かれていたことか。
 その、すべてであったのかも知れない。

………
……


 囲まれている。
 「エルシィ、しっかり掴まっていろ。急ぐぞ」
 エリアストは舌打ちをした。緊張が緩み、警戒を解きすぎた。これ程近くに寄せ付けてしまうなど、なんたる失態。今はアリスを無事に逃がすことを一番に考えなくては。
 エリアストは、自分がどういう立場の人間であるか理解していた。世界を股にかけるディレイガルド。国内外への影響力は凄まじい。そんな家の跡取りとして、あらゆるものを学んできた。誘拐されようが一人で脱出することも出来たし、大人十人に囲まれても捻伏せることが出来た。気配を読むことも危険を察知する能力も、磨き上げてきた。
 それだと言うのに。
 何よりも守りたい存在が手元にいるというときに、何たる体たらく。自分の愚かさに舌打ちをする。
 その時だ。
 二人は馬から放り出された。
 エリアストは咄嗟にアリスを抱え込み、落馬の衝撃を一身に受けた。馬を攻撃された。幸い馬の足下に弓矢が刺さっただけだった。受け身を取ったが、肋が数本折れたようだ。だがエリアストはそんなことおくびにも出さず、アリスを心配する。
 「エルシィ、大丈夫かっ。どこか痛いところはっ」
 アリスは泣きそうになりながら首を振る。
 「え、えるさまが、守ってくださいました。どこも、なんとも、ありません。えるさまは、おけが、されたのでは」
 みるみる溢れる涙を、エリアストは拭ってやる。
 「私は何ともない。エルシィが無事で良かった」
 アリスを立ち上がらせると、再び馬に乗るために走る。攻撃に驚いた馬は、少し離れたところで落ち着きなくウロウロしている。
 「怖い思いをさせてすまない。必ず、エルシィだけは、必ず無事に帰す」
 アリスは繋がれた手をギュッと握った。
 「一緒、です、エル様。一緒に、二人で、帰りましょう」
 こんな時だというのに、アリスは気丈に笑った。
 「ああ、一緒だ、エルシィ。二人で、一緒に帰ろう、エルシィ」
 あちこちから現れる人影に、それでもエリアストは諦めなかった。あちこちに仕込んだ暗器で応戦する。しかし、相手の数が異常だった。どこから湧いてくるのか。狙いは自分だ。アリスを馬に乗せ走らせれば、アリスは助かる。とても賢い馬だ。馬に乗れないアリスでも、手綱さえ握らせれば邸へ帰ってくれる。自分は捕まったとしても、すぐに殺されることはないだろう。
 「エルシィ、馬に乗ったら身を屈めて、しっかり手綱を握るんだ」
 走りながら指示を出すエリアストの言葉に、アリスは頷く。
 「はい、はい、エル様」
 もう少しで馬に辿り着く。
 繋いだ手が、下に引かれた。
 「は?」
 何が、起きた。
 アリスの体がゆっくり地面に倒れる。
 それは、本当に、とてもとても、ゆっくりで。
 巻き込まないためだろう。アリスが咄嗟に繋いだ手を振りほどく。
 「あ、り、す?」
 背中が赤く染まっている。なぜだ。
 地面に倒れる直前、アリスが安心させるように微笑んだ。そして、口が動いた。
 逃げて。
 そう、言っている。
 逃げる?アリスを置いて?出来るわけがない。
 左の肩甲骨辺りに、矢が刺さっている。これが、アリスを苦しめている。早く、手当てを、しないと。
 少しして追いついた敵を沈めて剣を奪う。倒れた敵を地面ごと刺した。一瞬のことで、クズ共には理解出来なかったようだ。剣を抜いて、未だ呆然としているクズ共を切り捨てていく。
 早く、アリスの手当てをしなくては。
 慌てて応戦するクズ共は、やはり私を殺せないらしい。防戦一方だ。それにしても数が多い。どこから湧いてくるのか。三十人以上は切っている。それなのに、数が変わらないように感じる。これ程まで、狙われるのか。理解しているようで、していなかった。自分の価値を。世界を手に出来る可能性を秘めた、自分の価値を。
 エリアストは舌打ちをした。腕が上がらなくなってきている。十歳の体とは、なぜこれ程までに非力なのか。いくら多勢に無勢とはいえ、もっと鍛えておかなかった自分を呪い殺したい。
 「邪魔だ!どけぇっ!!」
 ビリビリと空気が震えた。たじろぐ男たちを、容赦なく切り捨てる。
 世界が何だ。欲しいならくれてやる。
 だから早く。
 アリスと、帰らなくては。早くしないと、手遅れになってしまう。
 手遅れ?
 そう考えて、ゾッとした。
 その隙を、相手は見逃さなかった。大きな男に体当たりをされ、エリアストは転がった。そこに、体当たりをした男がのしかかり、別の男たちが手足を拘束した。そして首筋に何かが刺さる。途端に、エリアストの意識が遠のく。
 薄れゆく意識の中、エリアストはアリスを呼び続けた。
 追い打ちをかけるように、雨が、降り始めた。



*つづく*
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