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新婚旅行編
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子爵の言葉を嘘だと切り捨てる。子爵は慌ててさらに額を地面に擦りつけた。
「かかかか、騙るなど、めめ、滅相も」
「口を開くな」
エリアストの護衛に押さえつけられ、子爵はくぐもった声を漏らした。
「何があった」
エリアストが少年を見ると、少年は恐ろしさから全身を震わせる。
「お、おれ、わざとじゃ、ない」
震えながらも、少年は、涙を堪えて懸命に説明をする。
「りょうしゅ様の、服、よごしたの、わざとじゃない、です」
畑仕事の後、両親に買い物を頼まれ町へ来た少年は、店を探しながら歩いていた。前方に注意が向いていなかった。同じく買い物に来ていた子爵に、少年がぶつかってしまう。畑仕事で少々汚れていた少年を見て、子爵は憤慨した。
貴様らが一生働いても手に入れられない服だぞ。薄汚い身なりの平民風情がどう責任を取るんだ。
子爵は口汚く少年を罵り続け、収まらない怒りを少年自身にぶつけた。幼い体を蹴り飛ばしたのだ。そうして少年は、エリアストたちの乗る馬車の前にまろび出てしまった。
礼儀も何もわからない。それでも少年は、懸命に、丁寧に話した。
「ご、ごめん、なさい、こうしゃく様、ごめんなさい」
とうとう、少年の堪えていた涙が、零れた。
「あなたが謝ることではありませんよ」
美しい声がした。
みんなが、声の主を見る。
「服が何だと言うのです」
美しい黎明の瞳が、怒りに揺れている。エリアストの腕に抱えられていたアリスは、その腕をおりる。コツコツと少年に近付きながら、アリスは子爵を強く見据えて続けた。
「命よりも大切な服だと言うのなら、後生大事に鍵をかけて、しまっておきなさい」
アリスは少年の前にしゃがむと、安心させるように微笑んだ。
「痛みますか?」
アリスは少年の体を確かめるように、心配した顔であちこちにそっと触れる。
「こう、しゃく、様、おれ、あの、き、きたない、から」
アリスは再び微笑むと、少年の頭を撫でた。
「とても立派な子ですね。土にまみれて国の食を支えてくれて。ありがとうございます」
少年は大きく目を見開いた。
「あなたたちのお陰で、わたくしたちは飢える心配がないのです」
街の人々も、アリスの言葉に聞き入る。
「こんなに小さな手ですが」
そっと少年の手を取る。
「とてもとても、大きな手です」
両手で優しく包み込んだ。
「どうか、恥じたりしないでください」
アリスは少年を真っ直ぐに見つめる。
「あなたは、あなたの仕事に誇りを持ちなさい」
少年は瞬きもせず、大粒の涙を零した。アリスはそっとハンカチでその涙を拭うと、もう一度少年の頭を撫でて立ち上がった。少年に手を差し伸べて立ち上がらせると、子爵へと向き直る。
「一つの地を治める者として、恥を知りなさい」
アリスは厳しい言葉を子爵に向けた。子爵は護衛に押さえつけられたまま、アリスからの圧に、小さく悲鳴を上げる。
「そんなくだらんことで我が妻との時間を邪魔するとは。なあ」
追い打ちをかけるように、エリアストからもかけられる圧に、子爵から大量の汗が流れ出る。
「我が妻を怯えさせ震えさせたことは赦さん」
アリスの側に立つと、柔らかく抱き締め、馬車から降りたときと同じように、左腕に座らせる。
「何より我が妻の心を一時とは言え奪ったことは」
絶対零度の瞳が、子爵を射貫いた。
「この世の何よりも重い罪だと知れ」
―余談―
二ヶ月後、この子爵の治めていた地は、別の子爵が治めることとなる。エリアストの怒りを買った子爵のその後を、知る者はいない。
*つづく*
「かかかか、騙るなど、めめ、滅相も」
「口を開くな」
エリアストの護衛に押さえつけられ、子爵はくぐもった声を漏らした。
「何があった」
エリアストが少年を見ると、少年は恐ろしさから全身を震わせる。
「お、おれ、わざとじゃ、ない」
震えながらも、少年は、涙を堪えて懸命に説明をする。
「りょうしゅ様の、服、よごしたの、わざとじゃない、です」
畑仕事の後、両親に買い物を頼まれ町へ来た少年は、店を探しながら歩いていた。前方に注意が向いていなかった。同じく買い物に来ていた子爵に、少年がぶつかってしまう。畑仕事で少々汚れていた少年を見て、子爵は憤慨した。
貴様らが一生働いても手に入れられない服だぞ。薄汚い身なりの平民風情がどう責任を取るんだ。
子爵は口汚く少年を罵り続け、収まらない怒りを少年自身にぶつけた。幼い体を蹴り飛ばしたのだ。そうして少年は、エリアストたちの乗る馬車の前にまろび出てしまった。
礼儀も何もわからない。それでも少年は、懸命に、丁寧に話した。
「ご、ごめん、なさい、こうしゃく様、ごめんなさい」
とうとう、少年の堪えていた涙が、零れた。
「あなたが謝ることではありませんよ」
美しい声がした。
みんなが、声の主を見る。
「服が何だと言うのです」
美しい黎明の瞳が、怒りに揺れている。エリアストの腕に抱えられていたアリスは、その腕をおりる。コツコツと少年に近付きながら、アリスは子爵を強く見据えて続けた。
「命よりも大切な服だと言うのなら、後生大事に鍵をかけて、しまっておきなさい」
アリスは少年の前にしゃがむと、安心させるように微笑んだ。
「痛みますか?」
アリスは少年の体を確かめるように、心配した顔であちこちにそっと触れる。
「こう、しゃく、様、おれ、あの、き、きたない、から」
アリスは再び微笑むと、少年の頭を撫でた。
「とても立派な子ですね。土にまみれて国の食を支えてくれて。ありがとうございます」
少年は大きく目を見開いた。
「あなたたちのお陰で、わたくしたちは飢える心配がないのです」
街の人々も、アリスの言葉に聞き入る。
「こんなに小さな手ですが」
そっと少年の手を取る。
「とてもとても、大きな手です」
両手で優しく包み込んだ。
「どうか、恥じたりしないでください」
アリスは少年を真っ直ぐに見つめる。
「あなたは、あなたの仕事に誇りを持ちなさい」
少年は瞬きもせず、大粒の涙を零した。アリスはそっとハンカチでその涙を拭うと、もう一度少年の頭を撫でて立ち上がった。少年に手を差し伸べて立ち上がらせると、子爵へと向き直る。
「一つの地を治める者として、恥を知りなさい」
アリスは厳しい言葉を子爵に向けた。子爵は護衛に押さえつけられたまま、アリスからの圧に、小さく悲鳴を上げる。
「そんなくだらんことで我が妻との時間を邪魔するとは。なあ」
追い打ちをかけるように、エリアストからもかけられる圧に、子爵から大量の汗が流れ出る。
「我が妻を怯えさせ震えさせたことは赦さん」
アリスの側に立つと、柔らかく抱き締め、馬車から降りたときと同じように、左腕に座らせる。
「何より我が妻の心を一時とは言え奪ったことは」
絶対零度の瞳が、子爵を射貫いた。
「この世の何よりも重い罪だと知れ」
―余談―
二ヶ月後、この子爵の治めていた地は、別の子爵が治めることとなる。エリアストの怒りを買った子爵のその後を、知る者はいない。
*つづく*
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