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新婚旅行編
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磨き上げられた靴が、カツ、と音を立てて馬車のステップを踏む。ダイヤモンドのように輝く銀髪に、アクアマリンのような瞳。優しい色合いのはずのその瞳は、なぜか冬の凍てつく海に見える。何よりもその、神が生み出したような美貌は、すべての視線を攫う。
「騒がしい。何だ」
姿を見せたエリアスト・カーサ・ディレイガルド公爵令息に、見た者の殆どが倒れ、残った者も、とてもまともに立ってなどいられなかった。そんな周囲を気にすることなく、アリスを左腕に座らせた状態で、エリアストは馬車から降りた。エリアストは元凶に目を向ける。元凶はその姿に愕然とし、視線を向けられ肩がビクリと揺れた。
「ディレイガルド家の馬車と知ってのことか」
ディレイガルドの名に、周囲が息をすることも忘れた。
平民であれ、知っている。国中誰もが、この国最高位の筆頭を掲げる貴族を、知らないはずがない。
王族は民衆の前に姿を見せることも多い。絵姿だって出回っている。
けれど、貴族は違う。
姿を見られるとしたら、自身の領地を治める貴族と、機会があれば近隣の貴族程度。公爵家となると、領地の者さえ顔を知らずにいるのかもしれない。それが、筆頭。況して、まったく関係のないこの土地で、その姿を見ることが出来るなんて。
誰もの視線と呼吸を奪ったエリアストは、睥睨する。
「貴様の行動で我が妻が怯えている。誰の許可を得て我が妻の心を独占した」
どんな感情であれ、エルシィの心を自分以外に向けさせたことは、万死に値する。
「し、し、知らぬこととは言え、大変、大変、申し訳、ございません、でした」
エリアストの足下で、小太りの男が地面に這いつくばるようにして謝った。
マズイマズイマズイマズイぞ!
男は何とかこの状況を逃れようと考える。まさかこんなところにディレイガルドがいるなど夢にも思わない。
「何があったと聞いている」
不機嫌な声がさらに不機嫌になるエリアストに、男はますます焦る。
男はこの領地を治める子爵であった。
貴族だ。ディレイガルドの、エリアストの危険性は当然知っている。これ以上怒らせてはならない。この場を誤魔化して、とにかく穏便に立ち去ってもらうしかない。
誤魔化す。
その選択こそが、間違いだと気付けたなら、子爵もひっそりと生き存えることが出来ただろう。ここでの選択は一択。ありのまま、出来事をきちんと伝えることのみであったのに。まだまだ、ディレイガルドの恐ろしさを理解していなかった。
「そ、それが、この者が、ワシ、私に、ぶつかってしまいまして」
曰く、子爵は買い物に来ていたとのこと。店先の品物について、その店主に説明を受けていたところ、横から来た少年が、子爵にぶつかったという。少年は勢いよく走っていたため、その反動で、エリアストたちの馬車の前に転げてしまったという。
エリアストは子爵の話を聞きながら、僅かに少年に視線を向けていた。子ども、しかも平民だ。男は貴族。男が真実を話すとは思えなかったからだ。少年は、え、という顔をした後、唇を噛んで泣くまいと涙を堪えた。話を聞いて、エリアストはもう一度視線を子爵に移す。不機嫌なオーラを纏わせて。
アリスとの時間を邪魔され、アリスの心を奪い、アリスとの時間をこうして奪われているというのに、真実を語ろうとしない。
そもそもエリアストたちは、男の罵声を聞いているのだ。
完全にアウト。
「騙るとは。相応の覚悟があるようだ」
*つづく*
「騒がしい。何だ」
姿を見せたエリアスト・カーサ・ディレイガルド公爵令息に、見た者の殆どが倒れ、残った者も、とてもまともに立ってなどいられなかった。そんな周囲を気にすることなく、アリスを左腕に座らせた状態で、エリアストは馬車から降りた。エリアストは元凶に目を向ける。元凶はその姿に愕然とし、視線を向けられ肩がビクリと揺れた。
「ディレイガルド家の馬車と知ってのことか」
ディレイガルドの名に、周囲が息をすることも忘れた。
平民であれ、知っている。国中誰もが、この国最高位の筆頭を掲げる貴族を、知らないはずがない。
王族は民衆の前に姿を見せることも多い。絵姿だって出回っている。
けれど、貴族は違う。
姿を見られるとしたら、自身の領地を治める貴族と、機会があれば近隣の貴族程度。公爵家となると、領地の者さえ顔を知らずにいるのかもしれない。それが、筆頭。況して、まったく関係のないこの土地で、その姿を見ることが出来るなんて。
誰もの視線と呼吸を奪ったエリアストは、睥睨する。
「貴様の行動で我が妻が怯えている。誰の許可を得て我が妻の心を独占した」
どんな感情であれ、エルシィの心を自分以外に向けさせたことは、万死に値する。
「し、し、知らぬこととは言え、大変、大変、申し訳、ございません、でした」
エリアストの足下で、小太りの男が地面に這いつくばるようにして謝った。
マズイマズイマズイマズイぞ!
男は何とかこの状況を逃れようと考える。まさかこんなところにディレイガルドがいるなど夢にも思わない。
「何があったと聞いている」
不機嫌な声がさらに不機嫌になるエリアストに、男はますます焦る。
男はこの領地を治める子爵であった。
貴族だ。ディレイガルドの、エリアストの危険性は当然知っている。これ以上怒らせてはならない。この場を誤魔化して、とにかく穏便に立ち去ってもらうしかない。
誤魔化す。
その選択こそが、間違いだと気付けたなら、子爵もひっそりと生き存えることが出来ただろう。ここでの選択は一択。ありのまま、出来事をきちんと伝えることのみであったのに。まだまだ、ディレイガルドの恐ろしさを理解していなかった。
「そ、それが、この者が、ワシ、私に、ぶつかってしまいまして」
曰く、子爵は買い物に来ていたとのこと。店先の品物について、その店主に説明を受けていたところ、横から来た少年が、子爵にぶつかったという。少年は勢いよく走っていたため、その反動で、エリアストたちの馬車の前に転げてしまったという。
エリアストは子爵の話を聞きながら、僅かに少年に視線を向けていた。子ども、しかも平民だ。男は貴族。男が真実を話すとは思えなかったからだ。少年は、え、という顔をした後、唇を噛んで泣くまいと涙を堪えた。話を聞いて、エリアストはもう一度視線を子爵に移す。不機嫌なオーラを纏わせて。
アリスとの時間を邪魔され、アリスの心を奪い、アリスとの時間をこうして奪われているというのに、真実を語ろうとしない。
そもそもエリアストたちは、男の罵声を聞いているのだ。
完全にアウト。
「騙るとは。相応の覚悟があるようだ」
*つづく*
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