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ばんがいへん

何度でも、愛に、おちる

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お気に入り登録300超(嬉泣)
感謝を込めて、一話お贈りいたします。
時間的には結婚して、まだ子どもはいない頃。
本編とは関係ありません。


*∽*∽*∽*∽*


向かうところ敵なし。
誰もかすり傷一つ負わせることの出来ない存在。
世界最強の、最凶の、妻狂さいきょうの男。

エリアスト・カーサ・ディレイガルド。

そんな彼が、生死の境を彷徨った。



エリアストには、最愛の妻がいる。

アリス・カーサ・ディレイガルド。

いや、最も愛する、ではない。
アリスしかいない。
他に愛はない。ミジンコほどにも。

小さく華奢なアリス。可憐で穏やかな見た目の彼女は、言葉ひとつ、視線ひとつ、仕草ひとつで、エリアストに膝をつかせることが出来る存在。
そんなアリスと屋敷内を歩いていた。晩餐に向かうためだ。
他愛のない話をしていた。その話で、アリスが笑った。
滅多に見ることの出来ない、子どものような、無邪気な笑顔。
もう一度言おう。
アリスは、言葉ひとつ、視線ひとつ、仕草ひとつで、エリアストに膝をつかせることが出来る存在。
不意打ちを食らったエリアスト。
その場所が悪かった。

階段直前。

滅多に見られない種類のアリスの笑顔に、エル様ノックアウト。膝から崩れ落ちた先は、階段。メロメロ過ぎて、受け身すら取れないまま真っ逆さま。アリスを巻き込まなかったのは、無意識下でもアリスを守るために体が勝手に動いたためだ。無意識下でも受け身を取れるはずなのだが、持ちうるすべてがアリスに傾いていた。

こうして超人エリアストは頭を強打し、意識を失った。

………
……


「エル様っ?!エル様っ!」
階段から落ちて翌日昼過ぎ。
エリアストが目覚めた。
「よか、よかった、よかった、えるさまあ」
ぼろぼろと涙を流し、握っていた手から首に縋りついてエリアストの目覚めを喜ぶアリス。エリアストはアリスの後頭部に手を回すと、信じられない行動に出た。
「ぅあっ」
アリスが小さく悲鳴を上げる。
「おおおお奥様っ?!旦那様っ?!何を!!」
エリアストの目覚めを知らせに行った使用人とは別に控えていた使用人が、エリアストの蛮行に混乱した。
エリアストがアリスの後頭部の髪を掴んで、縋るアリスを引き離したのだ。
「え、える、さま?」
髪を引かれる痛みより、エリアストの表情に、アリスは戸惑った。
それはまるで。
「おまえ、名は」
出会ったばかりの頃のエリアストではないか。



「アリス、アリス。リズ、リジィ、リサ」
起き上がり、アリスを抱き締めながらエリアストは呟く。
「エルシィ」
アリスの愛称を考えていたエリアストが、そう口にして違和感を覚える。

そう感じた。
先程髪を掴んだのは、縋るアリスを引き離したのではない。その顔を、よく見ようとしただけ。
目覚めてすぐに飛び込んできたその姿に、激しく胸がかき乱された。
これが、父上の言っていた、唯一か。
こんなに近くにいるのに嫌悪はない。寧ろ、何だ、この気持ちは。
ずっと傍にいたい。
ずっと触れていたい。
それでは足りない。
ひとつに。
ひとつになりたい。
心も体も、ひとつに。
「エルシィ」
そう口にするだけで、なぜ、こんなにも胸が苦しくなるのだろう。
「はい、エル様」
名を呼ばれるだけで、なぜ。
「エル様」
アリスはエリアストの頬に流れるものを、そっと拭う。
「何だ」
「いいえ。エル様に、触れたくなっただけです」
何年も一緒にいた。だから、アリスにはわかる。
この涙は、喜びによるものだと。
「おまえは、本当に私の妻なのだな」
「はい。わたくしは、エル様の妻で、エル様は、わたくしの旦那様です」



初めて見る顔なのに、懐かしい。
そう感じるのは、失った期間の記憶によるものなのだろう。
アリスの姿を見るだけで、アリスの名を呼ぶだけで、こんなにも胸が苦しいのは、何故なのか。
アリスは私の妻だという。
その事実に、どうしようもなく全身を襲う何か。
この感覚は何だ。
この気持ちは何だ。
わからない。
わからないわからない。
この気持ちは、この衝動は、一体何だというのだ!



「アリス!」
目覚めてアリスの姿がないことに、酷い焦燥に駆られたエリアストは、部屋から飛び出した。
「アリス!どこだ!アリス!!」
取り乱したエリアストに、扉の外に控えていた従者ユレスが慌てて追いかける。
「若様、大丈夫です!若奥様はすぐにぐぅっ」
エリアストは、ユレスの首を掴んで持ち上げた。
「アリスはどこだ。このまま喉を握り潰すぞ」
ユレスは抵抗することなく、苦悶に顔を歪めつつ、アリスのいる方向を震える手で示す。その方向に顔を向けると、望む人の姿が見えた。
「まあ、エル様っ」
頭を打ったエリアスト。体がまだまだ本調子ではないのだろう。アリスの愛称を、再び“エルシィ”と決めた後、夫婦であると、その関係性を確認すると、安心したように眠りについた。次に目覚めた時に、消化の良いものを食べてもらおうと使用人に指示を出し、アリスは心配のあまり忘れていた生理現象を、思い出した。お花を摘みに席を外したのは、エリアストが寝入って少ししてから。そんなにすぐに目覚めるなんて、思ってもいなかった。
ドレスを持ち上げて懸命に駆けてくるアリスの姿を見た瞬間に、エリアストの先程までの焦燥が嘘のように消えていた。
ユレスを投げ捨て、エリアストも駆ける。
「アリスッ!」
思い切り抱き締めた。
「おまえは私のものだ、そうだろうっ。勝手に側を離れるなっ。許さんぞっ」
エリアストは震えていた。アリスは酷く胸を締めつけられる。そっとエリアストの背中に両手を回した。
「申し訳ありません、エル様。二度と、エル様に黙ってお側を離れることはいたしません」
「絶対にダメだっ。離れるな、私から離れるなアリスッ」
「はい、エル様。ずっと、ずっとエル様のお側に、いさせてくださいませ」



「エル様」
ぽつり、名を呼ぶ。
医者が言うには、部分的に忘れている、アリスと出会う前で記憶は止まっている、とのこと。すぐに元に戻るかもしれないし、時間がかかるかもしれない。もしかしたら、このままの可能性もある、と。
ふたりで歩んだ年月が、今のエリアストにはない。
けれど。
忘れているだけで、心が、体が、覚えているのだろう。
心と頭がまったく噛み合わない。
エリアストは、アリスと出会い、人になれた。
だから、混乱している。混乱の原因がアリスであり、混乱を静められるのもアリス。
そんな意味のわからない状態でも、アリスが側にいないことだけは耐えられないのだ。
「エル様」
サラリ、エリアストの髪に指を通す。
ふたり、ベッドで横になっている。
眠るエリアストを、愛しく見つめた。
眠っている間にまたアリスの姿が見えなくなることを厭うエリアストは、眠ろうとしなかった。それならばと、まだ夕方ではあったがアリスも共にベッドに入ることにした。
夜着に着替える間すら離れたがらず、自分が着替えさせると無理矢理アリスの侍女ルタを下がらせる始末。
「おまえは、どこもかしこも甘いな、アリス」
着替えさせながら、そう言ってアリスの肌を舌で堪能していたエリアスト。羞恥に震えながらも、何とか耐え抜いたアリス。長い長い着替えに、ベッドでふたり横になる頃には、アリスの方がぐったりしていた。
絡まるようにアリスを抱き締めたエリアストは、アリスの唇を噛みつくように奪い、時には舐め、思う存分堪能した。
どのくらいそうしていただろう。
ようやく落ち着いたのか、エリアストは眠りについた。アリスを忘れてしまう前と同じように、アリスをその腕に抱き締めたまま。
朦朧とした意識と、ままならなかった呼吸が落ち着く頃、滅多に見られなかったエリアストの寝顔を見つめながら、そっと愛しく名を呼んだ。

………
……


アリスは苦しさに目を覚ます。
思い切り至近距離に、春の空色の瞳。優しくとろける瞳が、アリスと目が合うと、ますます愛しく溶けた。
「ん、えぅ、ふにゅ」
エリアストを呼ぼうとするが、唇を塞がれ、ついばまれ、淡くまれる。暫く、だいぶ、とても長い時間そうされていたアリスの唇は、可哀相なほどぽってりとしている。
肩で息をしながらも、アリスは慈愛の籠もった眼差しでエリアストを見つめ、そっとその頬に手を伸ばした。
アリスの目には涙が浮かんでいる。
「エルシィ、怪我はないか。どこか痛いところはないか」
頬に添えられたアリスの手を取ると、その指先に、手のひらに、くちづける。
「いいえ、いいえ。エル様」
しがみつくように、エリアストの首に縋りついた。
「おかえりなさいませ、エル様」
「っ、アリスッ」
ふたり、頬に伝う雫が落ちる。
「すまない、すまない、アリスッ。アリスとの時間を忘れるなんて、あり得ないっ」
目覚めてから、半日ほど。さらにその半分以上は眠っていたため、記憶が退行していたのは数時間。とは言え、エリアストにとってそれは、胸が潰れそうなどという生易しいものではない、形容しがたいほどのショックを受けるものだった。
アリスは顔を上げて、エリアストを見つめながら、ゆっくり首を横に振る。
「いいえ、エル様」
アリスは淋しかった。ふたりで歩んだ時間が消えてしまったのかと、寂寞せきばくが広がった。
しかし。
「エル様は、わたくしを覚えておりました」
「エル、シィ」
そう。
「心が、体が、覚えておりました」
ふたり歩んだ時間を記憶しているのは、頭だけではない。
「それに」
ふわり。
それは、花が綻ぶような微笑み。
「もう一度、わたくしを、最初から、愛してくださいましたわ、エル様」
「アリス」
愛しすぎて。
掠れた声で、やっと名を呼ぶことしか出来ない。
「たとえ忘れたままでも、わたくしが覚えております。何度でも、今までのお話を語りましょう。何度でも、ふたりで、新しい思い出を、作りましょう」
「ああ、ああ、アリス、アリスッ」

何度でも、何度でも
ふたり
愛に、おちる



*おしまい*

本編でアリスに出会った頃、心に行動が伴っていたら、エル様はきっとこんな風だったのかな、と思って出来た作品です。
それと、さすがエル様ですね。あのエル様が意識を失うほどの衝撃を受けたにもかかわらず、たった半日ほどで目覚めるとは。尋常じゃないです。余程アリスに会いたかったのでしょう。
エル様がアリスを忘れることは、本人も言っていましたがあり得ませんね。ふふ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
またお会いできますように。
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みんなの感想(9件)

シロクローヌ

完結は嬉しくもあり寂しくもあり、感情のせめぎ合いです。
前作も今作もいつの日かポン!とエル様とアリスに会える可能性を考えてお気に入り登録はそのままにしておきます。
作者様の新しい話も楽しみにしていますね。
素敵な作品をありがとうございました。

らがまふぃん
2023.08.07 らがまふぃん

シロクローヌ様、再度の感想、ありがとうございます。
長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

お気に入り登録してくださって、ありがとうございます!
新しい作品で味変しつつ、少しずつ構想を練っていきたいと思います。
二人に会えるよう尽力いたしますので、どうか気長にお待ちいただけると幸いです。

解除
RYO
2023.08.06 RYO

終わってしまったのが本当に寂しいです。毎日楽しみにしていました。
またいつか2人の話が読めたら嬉しいです。

らがまふぃん
2023.08.06 らがまふぃん

RYO様、いつも感想をくださり、ありがとうございます。
長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

毎日更新を目指しておりましたので、完結までお届け出来たことに安堵しておりますが、私もお気に入りの作品ですので、何とも言えない心情です。
また二人の話や、双子の話でお会い出来るよう精進して参りますので、気長にお待ちくださるとありがたいです。

解除
ぶん
2023.08.06 ぶん

終わっちゃった🥲🥲
悲しいです

期待して色んな作品待ってます
お疲れ様でした🥹

らがまふぃん
2023.08.06 らがまふぃん

ぶん様、再度感想をくださり、ありがとうございます。
長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

面倒くさがりな性分故、書き散らかしては放置している作品もある始末。
ですが、感想が励みになり、次作への意欲となっております。
期待に少しでも応えられるよう精進して参りますので、これからも温かく見守ってくださるととても嬉しいです。

解除
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