52 / 79
フルシュターゼの町編
9
しおりを挟む
イグルーシャ家の誰もの顔色は悪い。
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
85
お気に入りに追加
547
あなたにおすすめの小説

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

王弟殿下の番様は溺れるほどの愛をそそがれ幸せに…
ましろ
恋愛
見つけた!愛しい私の番。ようやく手に入れることができた私の宝玉。これからは私のすべてで愛し、護り、共に生きよう。
王弟であるコンラート公爵が番を見つけた。
それは片田舎の貴族とは名ばかりの貧乏男爵の娘だった。物語のような幸運を得た少女に人々は賞賛に沸き立っていた。
貧しかった少女は番に愛されそして……え?

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる