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出会い編
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「エル様、あの、わたくし、そろそろお暇しようと」
抱きしめて離さないエリアストに告げる。
「なぜだ」
「え」
「おまえは私のものだと言った。ならばおまえはここにいるべきだ」
アリスは困ったように眉を下げた。その顔を見たエリアストは顔を顰める。
「なぜそんな顔をする。それともおまえは私に嘘をついたのか。私のものになる気などないと言うことか」
「なぜそんな」
「ではなぜ笑わない」
アリスは首を傾げた。今の発言で笑顔になる要素が果たしてあっただろうか。更に言えば、今までの中で笑顔になれる要素が、どこにあったというのか。
最初から不機嫌、不自然なまでの距離感、会話にならない一方的な言葉、傷つけるなと言いながら自分は傷つける、唇は奪う、最大級に、貴族令嬢の証でもある美しく長い髪を切り落とした。
どこに笑いの要素が。
「他の者たちは私といるだけで、私を見るだけで幸せだと言った」
お前は違うのか、エルシィ。
アリスは突然わかった。
ああ、そうか。この人は無垢なのだ。何も知らない、無垢な赤子。
「エル様、ああ、エル様」
アリスはエリアストの頬に手を添える。
「欲しいものがあるのに、どうしたら手に入るかわからない。大事なものがあるのに、どう手を伸ばしたらいいかわからない。大切なものがあるのに、どのように守るのかわからない」
ゆっくりとエリアストの頭を胸に引き寄せる。
エリアストは驚いて目を見開く。
「エル様、お可哀相なエル様」
優しく髪を梳くように、アリスの手がエリアストの頭を撫でる。
「かわい、そう」
ポツリとこぼれた言葉に、アリスは抱きしめる腕を僅かに強めた。
「はい、エル様は哀れです」
言われたことのない言葉たちに、エリアストは呆然とする。
「少しずつでいいです。わたくしと一緒に考えましょう」
「一緒に」
「はい。欲しいものを手に入れる方法、大事なものに手を伸ばす方法、大切なものを守る方法。一緒に考えながら、歩みましょう」
「ふたりで、ずっと」
「はい。ふたりで、ずっと」
エリアストの心が、確かに震えた。
アリスの華奢な体を抱き締める。
「エルシィ、エルシィッ」
怖かった。エリアストを理解することが出来るだろうか、と。やるしかないと思いはしたが。こんなに早く糸口が見つかるとは。
これは、運命なのかも知れない。
家に帰るなり、家人たちは卒倒した。
「りず、可愛いリズの、髪が」
少しして目覚めたカリスは、ほとほとと涙を落とす。しばらくして目覚めた母たちと夕食の席に着くが、一様に顔が暗い。折角の食事もなかなか手につかない。髪を失ったどころか、二度とアリスに会えなかったかもしれないことも知らされ、家族から使用人からもう葬式状態だ。
「リズが可愛く賢くて良かった」
伯爵の言葉に、カリスも頷く。しかし次の瞬間、
「いえ、可愛く賢く心優しいからこそ目を付けられたのですよ、父上!」
その場の全員がハッとする。
「確かにそうね。可愛く賢く心優しく全てを魅了するつまり天使なアリスちゃんだからこそ起こってしまったのよ!」
全員が力強く頷いている。
一方アリスは、活用された形容詞が増えていくことに、恥ずかしさから顔を染める。
「あ、あの、ご心配をおかけしました」
そう言ってちょこんと頭を下げるアリスに、皆破顔した。
「だが本当に良いのか?その」
言い難そうな伯爵に、アリスは困ったように笑った。
「ご心配をおかけしていることは重々承知しております。ですが親不孝なわたくしのわがまま、どうか聞き入れてくださいませ」
不幸を望む親などいない。苦労するとわかっているのに送り出さねばならない親の気持ちを、いつか本当の意味でわかる日が来るのだろう。親不孝な自分を赦せとは言わない。幸せになって、あなたたちが血を吐く思いで送り出してくださったから今の幸せがあります、と胸を張って言わせて欲しい。
「リズ」
涙を堪える伯爵と、滂沱の涙で目が溶けてしまいそうな兄。
「アリス」
凜とした声で名を呼ぶ母は、決意を込めた目を向けている。
「あなたは独りではないわ。忘れないで。決して忘れないで」
アリスの目からも涙が零れた。なんと強い母の愛か。
「お父様、お母様、お兄様。これからもわたくしを導いてくださいませ」
深く、深く頭を下げる。
こうしてエリアストとの婚約が結ばれた。
*最終話へつづく*
抱きしめて離さないエリアストに告げる。
「なぜだ」
「え」
「おまえは私のものだと言った。ならばおまえはここにいるべきだ」
アリスは困ったように眉を下げた。その顔を見たエリアストは顔を顰める。
「なぜそんな顔をする。それともおまえは私に嘘をついたのか。私のものになる気などないと言うことか」
「なぜそんな」
「ではなぜ笑わない」
アリスは首を傾げた。今の発言で笑顔になる要素が果たしてあっただろうか。更に言えば、今までの中で笑顔になれる要素が、どこにあったというのか。
最初から不機嫌、不自然なまでの距離感、会話にならない一方的な言葉、傷つけるなと言いながら自分は傷つける、唇は奪う、最大級に、貴族令嬢の証でもある美しく長い髪を切り落とした。
どこに笑いの要素が。
「他の者たちは私といるだけで、私を見るだけで幸せだと言った」
お前は違うのか、エルシィ。
アリスは突然わかった。
ああ、そうか。この人は無垢なのだ。何も知らない、無垢な赤子。
「エル様、ああ、エル様」
アリスはエリアストの頬に手を添える。
「欲しいものがあるのに、どうしたら手に入るかわからない。大事なものがあるのに、どう手を伸ばしたらいいかわからない。大切なものがあるのに、どのように守るのかわからない」
ゆっくりとエリアストの頭を胸に引き寄せる。
エリアストは驚いて目を見開く。
「エル様、お可哀相なエル様」
優しく髪を梳くように、アリスの手がエリアストの頭を撫でる。
「かわい、そう」
ポツリとこぼれた言葉に、アリスは抱きしめる腕を僅かに強めた。
「はい、エル様は哀れです」
言われたことのない言葉たちに、エリアストは呆然とする。
「少しずつでいいです。わたくしと一緒に考えましょう」
「一緒に」
「はい。欲しいものを手に入れる方法、大事なものに手を伸ばす方法、大切なものを守る方法。一緒に考えながら、歩みましょう」
「ふたりで、ずっと」
「はい。ふたりで、ずっと」
エリアストの心が、確かに震えた。
アリスの華奢な体を抱き締める。
「エルシィ、エルシィッ」
怖かった。エリアストを理解することが出来るだろうか、と。やるしかないと思いはしたが。こんなに早く糸口が見つかるとは。
これは、運命なのかも知れない。
家に帰るなり、家人たちは卒倒した。
「りず、可愛いリズの、髪が」
少しして目覚めたカリスは、ほとほとと涙を落とす。しばらくして目覚めた母たちと夕食の席に着くが、一様に顔が暗い。折角の食事もなかなか手につかない。髪を失ったどころか、二度とアリスに会えなかったかもしれないことも知らされ、家族から使用人からもう葬式状態だ。
「リズが可愛く賢くて良かった」
伯爵の言葉に、カリスも頷く。しかし次の瞬間、
「いえ、可愛く賢く心優しいからこそ目を付けられたのですよ、父上!」
その場の全員がハッとする。
「確かにそうね。可愛く賢く心優しく全てを魅了するつまり天使なアリスちゃんだからこそ起こってしまったのよ!」
全員が力強く頷いている。
一方アリスは、活用された形容詞が増えていくことに、恥ずかしさから顔を染める。
「あ、あの、ご心配をおかけしました」
そう言ってちょこんと頭を下げるアリスに、皆破顔した。
「だが本当に良いのか?その」
言い難そうな伯爵に、アリスは困ったように笑った。
「ご心配をおかけしていることは重々承知しております。ですが親不孝なわたくしのわがまま、どうか聞き入れてくださいませ」
不幸を望む親などいない。苦労するとわかっているのに送り出さねばならない親の気持ちを、いつか本当の意味でわかる日が来るのだろう。親不孝な自分を赦せとは言わない。幸せになって、あなたたちが血を吐く思いで送り出してくださったから今の幸せがあります、と胸を張って言わせて欲しい。
「リズ」
涙を堪える伯爵と、滂沱の涙で目が溶けてしまいそうな兄。
「アリス」
凜とした声で名を呼ぶ母は、決意を込めた目を向けている。
「あなたは独りではないわ。忘れないで。決して忘れないで」
アリスの目からも涙が零れた。なんと強い母の愛か。
「お父様、お母様、お兄様。これからもわたくしを導いてくださいませ」
深く、深く頭を下げる。
こうしてエリアストとの婚約が結ばれた。
*最終話へつづく*
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