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出会い編

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 アリスは優しい子であった。自分よりも他人を優先させ、いつも微笑んでいる。わがままを言うことは滅多になく、そのわがままさえも、自分のことではなく。容姿も愛らしかったが、その心根が美しい。だが、彼女の一番をあげよ、と言われたら、その“声”を誰もが賞賛するだろう。アリスが話をすることはあまりない。口数が少ないと言うことではなく、いつも聞き役に回るからだ。そんな彼女の声は、とても穏やかであった。聞く者の心に染み入る、そんな声だ。
 「お父様、お呼びでしょうか」
 他人に厳しく、自分にはもっと厳しいと評判のファナトラタ伯爵さえも、アリスにだけは甘かった。そんな伯爵が、アリスの前で険しい顔をして執務室の机に座っている。入室してもなかなか口を開こうとしない伯爵に、アリスは内心首を傾げた。
 どのくらいそうしていただろう。伯爵がやっと重い口を開く。
 「アリス、おまえは、その、」
 珍しく歯切れの悪い物言いに、アリスはなんとなく不安になったが、
 「お父様、何か言いにくいことなのですね。大丈夫です。わたくしは何があっても大丈夫ですから」
 お気になさらず仰ってくださいませ。アリスは柔らかく微笑んだ。その様子に、伯爵は悲しそうに肩を落とす。まだ、まだまだ幼い娘だというのに。こんなにも優しい娘だというのに。伯爵は一つ溜め息をついた。
 「急ではあるが、ディレイガルド公爵家に呼ばれている。明日、茶会の席を設けるとのことだ。私とアリス、おまえとで向かうのでそのつもりでいるように」
 家の当主とその娘が呼ばれることの意味を、十三歳の娘が知らないはずはない。息子であるカリスから学園祭での出来事は聞いていた。それでもまさか、と思っていたのだ。相手はあの筆頭公爵家。辛うじて上位貴族に名を連ねるだけの伯爵家など、目にも入らないはずだと言うのに。
 「かしこまりました、お父様。精一杯努めさせていただきます」
 まだ十三歳。アリスが結婚できる年齢まであと四年以上はある。それまでに心変わりをしてくれることを祈るしかなかった。


*~*~*~*~*


 本日は、ディレイガルド公爵家でのお茶会に赴くために、ファナトラタ伯爵と娘のアリスは馬車に揺られていた。馬車の中で、伯爵はアリスの手を離さなかった。
 「アリス、何かあったらすぐ私に言うんだ。こう見えて父様だってなかなかなんだぞ」
 アリスは微笑む。家族が、家に仕える者たちが、みんな心配そうに見送ってくれた。特に兄であるカリスは、エリアストの為人ひととなりを知っているため、泣きそうであった。力のない兄を赦せ、としきりに謝っていた。
 「お父様がご立派なことは疑いようもございません。きっかけをつくってしまった愚かなわたくしのせいで、こんなにもご心労をかけて、本当に申し訳ありません」
 「何を言う。おまえに悪いところなど一つとしてあるものか」
 髪が崩れないようそっと抱きしめる。
 「せめて公爵家と溝が出来ることだけは避けたいと思います」
 「そんなことは気にしなくてよい。ただ無事でいてくれ」
 アリスの肩に手を乗せ、心配でたまらない様子の瞳が覗き込む。
 「お父様ったら。戦場に赴くようですわ」
 困ったように笑うアリスに伯爵は、同じようなものだ、ともう一度抱きしめた。
 そんなやりとりをしていると、馬車は公爵邸へ到着した。永遠に着かなければよかったのに、と伯爵は内心で舌打ちをする。伯爵は複雑な面持ちで先に馬車を降りると、降りてくるアリスの手を取って二人で歩き出した。
 公爵邸の入り口に着くと、公爵夫妻の隣に、恐ろしく整った顔立ちの少年が立っていた。デビュタントもまだだったため噂でしか聞いたことがなかったが、その美貌に伯爵は不安を覚えた。コレは本当に人間なのだろうか、と。その少年は、自分が望んだであろうこの場面だというのに、表情一つ動かなかった。ひょっとすると、私たちは勘違いをしているのかもしれない、と伯爵は思う。アリスとの婚約を望まれているのではないのであれば、憂いはない。そう考えた瞬間。
 「父上、母上。挨拶は終わりました。私の部屋でアリス嬢と語り合いたい。いいですよね」
 油断をしたのが悪いのだろうか。とんでもない爆弾発言をしてきた。
 「エリアスト、気が早いのではなくて?折角サロンに」
 「いいですよね」
 公爵夫人の言葉を遮り、エリアストは一段低い声を出す。伯爵の本能が告げる。この男は危険だ、と。
 「ディレイガルド公爵令息様、私も少」
 「アリス、こっちだ」
 伯爵の言葉など一切聞かず、アリスの手を掴むという暴挙に出た。
 「エリアスト、失れ」
 止めに入った公爵にさえ、エリアストは凍てつくような視線で黙らせた。
 「あ、で、では御前、失礼いたします」
 半ば引きずられるように連れて行かれるアリスに、全員が呆然と見送るしか出来なかった。


 *つづく*

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