キスからの距離

柚子季杏

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キスからの距離 (43)

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 店へと続く裏口の近くまで下がったところで、内海は足を止めて元晴へと向き直った。橘川も内海と並んで立ちながら、鋭い眼差しで元晴を睨み付けている。
「何だよ兄ちゃん、随分怖い顔しちゃって」
 緊迫した空気を感じていないのだろうか。顰め面をしている橘川を面白そうに見遣った元晴が、厭らしく笑う。
「このヤロ――」
「悦郎っ……このところ店の周辺に怪しい男がいるって騒動になってたんですけど、やっぱり貴方だったんですね」
「折角会えたのにお前がそそくさと逃げ出すからだろ。ってかバレてたのか、あのヘボ探偵、調査料ぼったくりやがって」
 元晴の態度に殴り掛かりそうになる橘川を制して、内海は冷静に語り掛ける。取り乱した様子の無い内海に拍子抜けしたのか、元晴は鼻で笑いながら種明かしを始めた。
 先日の夜に内海とぶつかった後、姿が見えなくなったところでようやく、自分がぶつかった相手が内海だったと気が付いた。
 8年前には探すのを諦めた内海の行方だったけれど、近くにいるらしいと気付いたと同時に、押し殺していた感情も湧き上がって来たのだという。翌日には探偵所に駆け込み、この辺りに勤めているはずだと行方を探らせていたらしい。
「お前のせいで俺の人生は散々だ。仕事は辞めさせられる、女房には離婚される、子供とも会わせちゃもらえねえ……」
「智久のせいだと? 全部お前が原因だろうが!」
「ウルセエッ!」
 聞けば聞くほど逆恨みもいいところだ。新しく始めた仕事も長続きはせずに職を転々とし、酒やギャンブルで借金まで背負ってしまったという元晴は、全ての元凶が内海にあると思い込むことで現実から逃避しているようだった。
「何日か前にようやくお前がここで働いてて、どうやら仲良くしてる男もいるらしいって報告が上がって来たからさ、昨日辺りから張ってたんだよ」
「そんな事をしてまで俺と会って、どうしようっていうんです?」
 元晴の話を聞いた限り、どうやら一人で思い付いて行動しているらしいことに少しだけ安堵する。
 裏の世界に身を持ち崩していたりしたならば、橘川と二人だけで対峙するのは危険が大きいと心配していたのだけれど、探偵を雇っていたというくらいだ。つるむような仲間もいないということだろう。
 呆れ気味に溜息を吐いた内海が問い掛ければ、元晴は再び口元を歪めて笑う。あの頃と変わらない粘着めいた視線がうっとおしい。
「俺は社長に何も話していませんよ。あれ以来会ってもいない。防犯映像の確認をしていたなんて、俺だってついこの間まで知らなかったんですから。折角秘密にしてあげてたのに、残念でしたね」
「黙れっ! 元はといえばお前が悪いんだ! お前が男と寝てるなんて知らなけりゃ、俺の人生も狂わずに済んだんだ!」
 8年という月日の中、同じ場所に立ち止まったまま進めずにいたのは、内海と橘川だけではなかったらしい。
 自分達は会えない時間に互いを想う気持ちを育てていた。それとは真逆に、元晴は負の感情ばかりを育ててしまっていたようだ。
 内海の切り捨てるような言葉を聞いた元晴は、怒りに目を吊り上げ怒鳴りながら内海に詰め寄ってくる。
「勝手なことばっかり言ってんなよ!」
「悦郎!」
「なっ……離せ!」
 掴み掛かられると思った一瞬を突いて、内海と元晴の間に自身の身体を押し込んできた橘川が、元晴の着ていた皺の寄ったスーツの襟ぐりを掴み上げた。
「お、お前……俺にこんなことしていいと思ってんのか! お前の勤め先にばらしてやってもいいんだぞ? ホモが勤めてますって知れ渡ったら、お前も会社にいられなくなるだろうな」
「元晴さん! あんたって人は――」
 予想していた通りの最悪な要求に、これまで冷静を保とうとしていた内海の瞳にも怒りの色が滲む。眉を吊り上げた内海に、襟元を橘川に掴まれたままの体勢の元晴が視線を向けてくる。
 橘川に押さえ込まれていることの恐怖からか、その顔は引き攣っているのに、少し落ち窪んだ瞳が濁った色を湛えて忙しなく内海達を見比べる。
「別にもう抱かせろとは言わねえからさ、金の都合付けてくれよ。なあ、内海? こんな店に勤めてんだ、蓄えだってあるだろ? 俺の代わりに借金返してくれりゃ、お前らのことは黙っててやるよ」
「ふざけんなっ! あんたなんかにくれてやる金は、俺も智久も持ち合わせてねえんだよ!」
 怒りと虚しさに唇を戦慄かせることしか出来ない内海に変わって声を荒げたのは、内海と同じかそれ以上の怒りを抱えていた橘川だった。

 あの頃、何も知らずにいた自分を責めていた橘川にとっても、内海以上の蟠りを抱えて過ごして来たのだろうということは、再会してからの会話の中で痛いほど感じていた。
「い、いいのか? お前の会社くらいすぐに調べられるんだ、本気でばらすぞ!」
 人としては最悪な男だったけれど、それでも昔は尊敬出来る部分も持っていた。口では文句を言いながらも仕事には手を抜かない姿勢に、社会に出て日が浅かった内海は感心したこともあった。
 それが今じゃどうだ。身から出た錆びで職も家族も失って、立ち直るどころか不貞腐れて坂道を転がり落ちようとしている。
「……元晴さん、人として最低ですね。同じ職場で働いてたことがある立場として、情けないです。社長があんたを見限ったのは正解だよ」
「なっ、おま――」
「悦郎も言ってくれたけど、俺は貴方にはびた一文払う気はありませんよ。何ならこっちが裁判起こしても良かったくらいなんだ」
 強気に言い切る内海を見た元晴が、返す言葉に詰まった。元晴の身体を壁に押し付ける形を取った橘川が、更に追い討ちを掛ける。
「負け犬の遠吠えは終了か? 残念だな、俺はばらされたところで痛くも痒くもねえよ。やれるもんならやってみろ!」
「ヒッ……くそっ、ホモ野郎共が調子に乗りやがって……な、なあ、少しでも良いんだ、金が必要なんだよ」
 元晴の襟元を掴む橘川の腕の力が増したのが、傍目で見ている内海にも分かる。
 さきほどまでの勢いはどこに消えたのか、二人の怒りに押された元晴が萎縮していく。蔑みを交えた言葉も、いつの間にか縋り付くものへと変わっていた。
「いい加減にしろよ、お前っ!」
「悦郎、駄目だっ」
「はーい、そこまで!」

 あまりに自分勝手なことを言い続ける元晴の態度に、気持ちを抑えきれなくなった橘川が、空いている方の腕を振り上げた時だった。
 橘川を止めようとする内海の声に被さるように聞こえて来た、飄々とした声。驚きに振り返れば、裏口からひょいと顔を覗かせた北斗がゆったりと近付いて来る。
「北斗……」
「今の話、全部録音させてもらったよ」
「え?」
 突然出て来た北斗に怒りを削がれたのか、橘川が怪訝な表情を浮かべる。
 北斗はといえば、内海と橘川それぞれを交互に見遣り、恐怖に固まったままの元晴へにっこりと微笑を向けた。
「元晴さんっていうの? お兄さんさあ、これ以上この人たちに付き纏わないでくれるかなあ? 店にとっても迷惑なんだよねえ」
「だ、誰だお前――」
 手に持っていた携帯をひらりと振って見せながら、北斗は笑顔で言葉を続ける。口元は柔らかく弧を描いているけれど、元晴を見る瞳は笑ってなどおらず、立ち昇る剣呑な雰囲気に圧倒されてしまう。
「お兄さんも命惜しいでしょ? 俺ね、この辺りを仕切ってる組の組長さんと、ちょっとばっかお知り合いなんだよねえ。自分のシマで恐喝とかさあ、教えてあげたらお兄さん、どうなっちゃうだろうなあ」
「っ――」
 にこやかに告げながら元晴へと近付いていく北斗に促され、橘川も彼を押さえ付けていた腕を離して内海の隣へと戻って来る。
 ホスト仕込の微笑とは裏腹に、言葉にされる内容はかなり辛辣なものだった。


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