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キスからの距離 (42)
しおりを挟む「ウッチー、外で橘川さん待ってたよ」
「え、もう? ありがと、北斗」
橘川への返事を返したあの日から数日、店に顔を出していた内海の元へ北斗が顔を覗かせた。
「俺も今お客さん迎えに行こうとしてさ、外に立ってるの見掛けたから呼びに来てみた」
相変わらず店の周辺には怪しい人影がうろついているらしい。
今のところ内海の周囲に何かが起きるということは無かったけれど、落ち着くまでの間だけでもと、店に顔を出す時だけは橘川が迎えに来てくれるようになっていた。
もしも内海に対しての元晴からの仕掛けであったとすれば、変に隠れているよりもこちらから突き止めてやる勢いで行ってしまおうと。
飲みに行った先で橘川からそんな提案を告げられた時には、思わず絶句してしまった。
あの頃の元晴という男は、人前では内海に対して何か行動を起こす事は無かった。
意外と小心者の男なだけに、何か大きなことを仕出かすとは考え難い。けれどその分、追い詰められた時に予想もつかない事をやらかしそうな気もしていた。
もちろんこのところ店の近隣で見掛けられているという怪しい男が、元晴と繋がりがあるかどうかは分かっていない。内海の思い過ごしであるならそれで良い。
橘川の気持ちはありがたいとは思うし、自分を気に掛けてくれているということも嬉しいけれど、内海としては元晴とは関係の無いことを願うばかりであった。
「ウッチー、何かさあ、らぶらぶ?」
「らっ……お前……」
「良いじゃん別に。俺もそっちだって事はウッチーも知ってるわけだし、今更隠すなって」
急いで帰り支度を整える内海を待ちながら、北斗が楽しそうに口元を緩める。
「別に隠してるわけじゃ……それより、今日も見掛けたのか?」
「ああ……何か、いるねえ――」
「そっか」
裏口へと足を向けながら、自分から興味を逸らそうと内海が持ち出した話題に、北斗は微かに眉を顰めた。
「それがさ、ここんとこうろついてるの、この間までいたヤツとはちょっと違うみたいなんだよねえ」
「違う?」
あと数歩で店を出ようかという通路で、声音の変わった北斗の様子に足を止めれば、北斗もまた神妙な顔付きで内海へと視線を寄越した。
「何っつうかさ、ちょっと……うん……俺も気を付けておくけど、ウッチーもマジで気を付けて。何かあったらすぐ知らせて欲しい」
「でも――」
「俺はほら、荒事にも慣れてるからさ」
「馬鹿かお前はっ!」
「ウッチー?」
先ほどまで浮かべていた怪訝な表情を消して笑う北斗を、内海は思わず怒鳴り付けていた。
「何かが起きたら、その時は店として対処する。お前も含めて、お前らは大事なうちのスタッフなんだ。下手な事して怪我でもしたらどうするんだよ!」
「ウッチー……でもさ」
「でもじゃない!」
ただでさえお前は去年まで怪我ばっかして店に迷惑掛けてんだから、と睨む内海を前に、呆気に取られた顔をしていた北斗が不意に笑い声を上げた。
「ほんとウッチーって昔から変わんねえ!」
「は?」
「俺が施設いた時もさ、怪我してくると怒鳴られたよね」
「北斗……」
笑いを納めた北斗が懐かしそうに目を細める。
そんなこともあったかもしれない。橘川の次に長い付き合いとなっているだけに、北斗との間にも色々と思い出す事も多い。
「大丈夫、昔みたいなやんちゃはしないよ。怪我なんてしたらみっちゃんにも怒られるし」
ぱちんと片目を瞑ってみせる北斗の言葉に、内海もやっと表情を緩めた。
昨年辺りから付き合い始めたらしい恋人のことも、内海が聞き出すまでもなく嬉しそうに語ってくる北斗は、今ではもう内海にとって弟のような存在なのかもしれない。
「そうだな。お前に何かあったら、俺はもう美味いコーヒーを飲みに行けなくなるんだからな?」
「分かってるって! でも本当、慣れてるだけに対処法も色々知ってるわけさ。だからまあ、何かあったら言ってね」
「……何もないことを願うよ」
おどけて見せる北斗に内海は苦笑で返し、止めていた足を動かし外へと出る。「あっち」と橘川の待つ場所を顎で示した北斗が、軽く手を挙げて夜の街へと消えて行った。
北斗が大きな通りへと姿を消すのと同時に、影の方で待っていた橘川が内海の元へと近寄って来る。
「悪い、早く来過ぎたな。終わるの待ってようと思ってたんだけど」
「いや大丈夫。北斗が気付いて呼びに来てくれて、逆に良かったよ。じゃなきゃいつまでもダラダラ仕事してた」
少し申し訳なさそうな顔をする橘川に、内海は肩を竦めた。
オープンまであと少しに迫っている新店舗では研修も始まっているだけに、自ら区切りを付けなければ幾らでも仕事は沸いてくるのだ。
「それより、本当に良いのか? 悦郎だって仕事終わってから来るんじゃ大変だろう?」
「外回り直帰にしてっから平気。今は仕事よりお前だろ」
「っ、あ、っそ」
さらりと言ってのけられて、羞恥に頬が染まる気がした。
再会してからというもの、昔よりも自身の感情をストレートに表現される。橘川の想いは嬉しいけれど、内海にしてみれば慣れないだけに、気恥ずかしさの方が勝ってしまうのだ。
「どうする? このまま帰るなら送ってくし、どっかで一杯引っ掛けてくか?」
「飯は食べたのか? 悦郎がまだなら、飲んで行ってもいいよ」
「それじゃお前が常連だって言ってたバーは?」
「え、いや、良いけど……知り合いに絡まれても文句言わないでくれよ? それにママの弟さんが来てなきゃ、フード類はろくな物がないけど」
「――止めとくか。想像だけで嫉妬しちまいそうだ」
「またそういう事ばっかり……ったく、いつもの店で良いよな? ほら行くぞ!」
「照れるな照れるな」
ママには心配も沢山掛けたし、橘川を紹介したい気持ちはあるけれど……あの店に足を運べば、過去に関係した男と遭遇する確率も増すというもの。
暗にその事を告げる内海に黙り込んだ橘川が、あからさまにムスッとするから。
思わず緩みそうになる頬を引き締めて歩き出そうとする内海の肩に、橘川も楽しそうに腕を回してくる。
(これじゃあただのデートだよな)
内心ではそんな事を思いつつ、けれどやっぱり自分に躊躇いも無く触れてくる橘川の体温は嬉しくて。年甲斐も無くじゃれ付き合える事が楽しくて。
不安も心配も忘れてしまいそうになる自分に呆れてしまうけれど、長い時間を挟んでようやく素直になれた蜜月期なのだ。
身体の関係はまだだけれど、だからこそ余計にこのひと時が掛け替えの無いものに感じる。身体を繋げる前だからこその甘酸っぱさを味わってしまっていても、それくらいは許されるだろう。
明るい道へと踏み出す前にと、なるべく自然にその腕をどけさせながら、それでも内海の心には幸福感が満ちていた。
「随分幸せそうだなあ」
「っ!」
「智久っ」
通りへと一歩足を踏み出した時だった。
路地裏から二人が出てくるのを待ち構えていたかのように、内海と橘川の前に一人の男が姿を現した。ハッとして足を止めた内海を背に庇いながら、橘川が男と内海との間に自身の身体を滑り込ませ、男の視線から内海を隠す。
「久し振りだな、内海。この間は急過ぎてゆっくり話も出来なくて悪かったな」
「……元晴、さん――」
ニヤニヤと下卑た笑みを口元に浮かべながら、元晴は今内海たちが出て来たばかりの路地裏へ下がれとばかりに目線で促す。
内海の漏らした男の名に、橘川が怒気を孕んだ空気が伝わって来る。
宥めるように橘川の腕を数度軽く叩き、内海は自分から路地裏へと数歩下がった。
「智久」
「目立つところじゃ、店に迷惑が掛かるかもしれないから」
「そうそう、あんまり他人には聞かれたくない話かもしれないぜ?」
怒りの色の浮かんだ瞳で橘川が内海を振り返るのに、大丈夫だと頷きを返す。内海の表情を見て少し冷静になったのか、橘川も舌を打ちつつ内海に従った。
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